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ゼロの支配者  作者: 雲黒斎草菜
九州編
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 疑心暗鬼

  

  

 教室に入った俺は、教壇とは真逆の最後部に移って様子を見た。

 まだ全員は揃っていないが知らない奴はいないし、ざわざわとした雰囲気は何も変わってない。女子は固まっておしゃべりに花を咲かせ、隅っこで男子が駆けまわる。見た目はいつもと同じ世界なのだが、細かい点で異なった部分がある。ロッカーや備品の配置が微妙に違う。理由はどうであれ、俺の記憶と現実とに食い違いがあることに関しては異論が無い。



 お祭り騒ぎみたいな室内をぼんやり眺めて、みたび黙考に落ちる。

 これはどういった現象なのか……。


 今思いつくのは次の二点だけだ。

 夢を見ているか、精神的に侵されたかのどちらかだ。


 夢なら放っておけばいいが、精神的となるとただ事ではない。マジで病院へ行ったほうがいいかもしれない。頬でも抓ってみる?

「………………」

 じんじん痛かった。痛みが残る頬を冷や汗が伝って落ちた。


「おはよう」

 いきなり肩をぽんとやられて振り返る。

 委員長の『北村裕子』のメガネ顔がこっちを向いていた。

「おぅ」

 いつもと同じ挨拶をしたつもりだが、彼女は少し眉をひそめた。

 その態度は何だ? それともここでの俺はこんな挨拶をしないのか?


 とりあえず、「おはよう」と言い直した。しかしまだ彼女から漂ってくる胡乱な空気は消えない。しかも、

「挨拶はそれだけ?」

 それ以外に何があるんだ。朝の挨拶でもっと別の言い方があったか?


 急いで周りを探ってみるが、特別問題は無い。

 ジワジワと汗が噴き出し、代わりに喉が乾き舌が貼り付いてくる。

「ね。それだけで済ます気?」

「えっ?」

 こいつ何が言いたいんだろう?


 力の抜けた頼りない声に、北村は、ふぅぅ、とか大袈裟に息を吐いて、今度は薄っすらと悲しげな表情を作った。

「せっかく頼まれたモノ買ってきてあげたのに、何も無しなの?」

「頼まれた?」

 カラカラに干上がった俺の喉からしゃがれた声が出た。


「やだ、もしかしてあなた忘れてるの? 1週間前に私に頼んだじゃない」


 いきなり俺の袖を引っ掴むと、北村は教室の隅へ引っ張って行った。そしてまるで脅すみたいにして尖った指で俺の胸を突き、

「まさかと思うけど、あなた麻衣ちゃんの誕生日まで忘れてないでしょうね。そんなことバレたら半殺しにあうわよ」


 ああそうさ。ブッシュナイフの柄で数回は殴られるだろうな。それより俺は北村とこんなに親しい間柄ではない。この2年間、一言二言ぐらいしか会話をしたことがない。嫌いなタイプではないのだが優等生としてのとっつき難い感じがして、あまり近づくことはなかった。なのに何だこの親密感は。


 やはりここも微妙に食い違う。なんだろう、この俺だけが漂わせる異質な空気。靴の中に入った小石になった気分だ。ここは俺のいた場所とはどうしても思えない。


 北村は困惑に沈んだ俺を不審に思ったのか、

「じゃこれ、頼まれてた物。ちゃんとあの子に渡すのよ。じゃぁね」

 口早に用件だけを言って立ち去ろうとした。


 俺の手にはピンクのリボンで綺麗に包装された長細い包みが載せられていた。


「これなんだよ?」


 俺の問い掛けにビクっと肩を揺らして立ち止まった北村は、脱力し切った表情で最後通告のように言った。

「からかうのはやめて。それはあなたに頼まれたモノよ。確かに渡したからね。お金は後でいいから、ちゃんと返してね。じゃ」

 と言い残して女子のグループへ駆け込んで行った。



「………………」


 忽然と恐怖が襲ってきた。夢ならいつか目覚めるだろうが、これが現実となれば目覚めることはない。

 俺はどうしちまったんだ。やっぱり頭が変になったのか?


 俺の記憶の中に残った九州の光景は何なんだろう。巨大ミミズに抱きつかれたり、阿蘇の火口で捕まえた蟹に『ミグ』と名前を付けたことも、白塗りのお公家様や紫式部と友達だという女性だってはっきりと覚えている。あの国宝級の勾玉だってテントの中にあるはずだ。それだけではない、ミューティノイドの夏眠コロニーを発見した時の興奮はいまだに鮮明だ。


 ところが気が付くと俺は知らぬ間に高三に進級しており、麻衣の誕生日プレゼントを北村に頼んで買ってきてもらっていた。


 どちらの記憶が正しいのか曖昧になって来た。判断が付かず考えが二転三転するのだ。


「山河く~ん。隅に置けないな。なに貰ったのさ。このこと麻衣ちゃんに教えちゃおっかなー。半殺しに遭うねー」

 今にも腰が砕けそうな俺の肩口から、鼻息とともに声を掛けてきたのは、副委員長の『石田智樹』だった。

「勘違いするな。これは麻衣に渡す物で俺が北村に頼んで買って来て貰っただけの話しだ」


「ちぇっ。なぁーんだつまらない」

 石田は俺に見向きもせずに片手を振って、足早に離れて行こうとした。


「よくそんな態度を取れるな、副委員長のクセに」

 俺の放った捨て台詞を聞いて、石田は勢いよくきびすを返すと喰いつきそうな顔で睨みを利かせてきた。


「山河くん、僕の一番気にすることを口に出さないでくれよ。もう僕は副委員長じゃないんだ。落ちたんだよ。誰かの一票のおかげで、たった一票の差で僕は落選したんだよ! これ以上いじめないでくれ!」


 えらい剣幕だった。どうやら今年は選挙に落ちたらしい。委員長にこそなれないが、それでも万年副委員長のヤツが……そりゃぁ、ショックだろう。


 石田はふんと鼻息を吹いて自分の席に戻った。

 やばいな。随所が俺の記憶と異なっていて、うかつに話し掛けることができない。


 数分で数日分の疲労感を背負った俺は、とにかく座りたかった。

「あっ!」

 俺の席に誰かが腰掛けていた。新田雄一郎(にったゆういちろう)だ。あいつはもっと窓際のはずだが。

 歩き出そうとした足がはたと止まった。新田は俺の席に無断で座っているのではなく、すでに自分の教科書とノートを出して教師が来るのを待っていた。つまりあそこが新田の席なんだ。


 ようやく異変に気が付いた。知らぬ間に席替えがあったようだ。

 クラスメイトに知らない顔は無いが、座る場所が俺の記憶と比べるとてんでバラバラだ。もし想像どおり学年が変わったのだとしたら、席替えがあったってなんらおかしくない。でもその間の記憶が無い。いったい俺は高二の夏休みから今日まで何をしていたんだ?


 思い出そうとしたって無理だった。なにしろ昨日まで俺は九州にいたんだ。

 ほんとにいたのか?

 そうではなくて、何らかの原因で1年近くの記憶がごっそりと無くなったとしたら……。

 何かの事故に遭ったとか。


 いやな汗が吹き出し、奇妙な孤独感に襲われて胃の中が冷たくなっていった。


 なら麻由って誰だ。

 麻衣は双子ではなくて一人っ子だと言う。

 記憶を失くしただけでなく、幻覚が作り上げた虚像をその部分に補っていたのだろうか。

 考えれば考えるほどに、記憶に残る光景がウソに見えてくる。


 巨大な乗り物で南九州を目指す?

 冷静に考えればそのほうが現実離れしている。

 時間跳躍で過去の阿蘇へ寄り道をしただと? まるでSFだ。あり得ない話じゃないか。

 ここはやはり俺の脳ミソがどうかしてしまったと考えるのが妥当だと思う。


 急激に疲れが襲ってきた。とにかく自分の席で落ち着きたい。

 俺は再び空席を求めて目をさ迷わせる。


 おおかたの生徒は着席していたが、空いたところもまばらにある。だがどれが自分の席だかまだ分からない。まさか俺の席はどれだっけって訊くのか?


 それこそ記憶障害を露呈するじゃないか。こんなのはだいたい推測すればこと足りる。席順は身長の高い者ほど後ろになる。

 俺の身長からすると前の方は関係ない。元の世界では後ろから二番目だった。


「とすると、あの三つか……」

 最後部に二つ、窓際の列の後ろから二つ目にも空きがある。


 誰かが座るまで教室の後ろをうろつくのはあまりにも不自然だ。黄昏感を滲ませて外の景色を眺めるような仕草をしておけば目立たないだろう。


 俺はポケットへ手を突っ込み、窓枠に体を預けて眺めることにした。

 海中都市から見る景色はいつもどおり深海が広がっていて、特別何が見えるてなこともない。だが明るい室内がガラスに反射してよく見える。


 後ろの扉から「うぃーす」と低い声で挨拶をして、男子生徒が入って来ると窓際の後ろから二番目の席に座った。

「青木だ……」

 残り二席はまだ空いたままだ。


「先生が来たぞ」と誰かの声がして、ワサワサとした緊張感をともなって座席に着いた生徒が背筋を伸ばし出す。


 だいたい一限目の教科が何かすら知らないし。

「くそっ!」

 まだ二つの席が空いていた。そいつは休みか?


 俺は近くに座る女子へ今日あいつ休みか? と空いた二席をぼやかした視線で尋ねてみた。

 そいつもどちらを見るともなく、

「真由美は風邪だって」

 と答えた。

「そうか……鈴木真由美か」

 と返事するものの、鈴木も背が高かったことを思い出して肩を落とした。

 何のヒントにもならない。俺の席はどっちだろ?


 悄然として、かつ逡巡する俺とは無関係に時は進む。前の入り口から教師が入って来ると、委員長の声で「起立っ!」と発せられる号令。そして「お早うございます」と一斉に腰を折る音。その教室の片隅でポツンと俺だけが取り残されていた。


 椅子を引くガタガタという騒音に続いて、全員が着席。

「……っ!」

 何気に教壇へ視線を振った俺は感電したように硬直した。だってあり得ない人がそこに立っていたからだ。

「か……柏木さんっ!!」

 見通しがよくなった教壇まで俺の声が突き抜けた。


「あ、はぁーい」

 マニッシュな白いカッターシャツに黒いタイトスカート姿。指し棒を挟んだ出席簿を小脇に抱えて立つのは紛れもない、あの柏木さんだった。


「……んと? ねえ。あの子、誰だっけ?」

 顔を上げた教師は鼻の頭に掛けた小さな眼鏡を押し上げて、怪訝な眼差しを俺へと据えたまま、一番前の女子に尋ねた。


「山河修一くんです」と答えた女子は田中だった。


「山河くんか……。ごめんね赴任したてで名前と顔がまだ一致しなくて……」

 スリットが深く入ったタイトスカートから伸ばした美しい脚を交互にクロスさせて、ピクリとも動けないで石化したままの俺に近づいて来る女性は、間違いなく柏木良子さんだ。


 教室内が凍りついたように静まり返った。

「………………」

 台所の隅にいるゴキブリを見るような視線が一斉に俺へと注がれる中、柏木さんがいつもの甘い声で促す。

「山河くん。なんでそんなとこに立ってるの? 早く自分の席に着きなさい。朝のホームルーム始めっからさぁー」


 俺の喉がゴクリと鳴る。

 口調も――それとその滲み出す色っぽい仕草まで、何から何まで、まんま柏木さんだ。違うのはこの学校の教師だということ。俺の記憶では『大阪変異体生物研究所』の部長さんなのだ。


 もしかして……。

 新たな理由を思いついた。

 夢でも精神疾患でもなく、物理的に世界が入れ替わったとしたらどうだ。もしそうならここにいた気の毒な俺はどこへ行ったんだろう。まさか九州巡業のアストライアーへ飛んだのか? だとしたら今の俺より面喰うハズだ。


「ふぉぉ……」

 村上のいやらしい息づかいが聞こえてきた。

 俺の柏木さんに、なんちゅう目で見るんだ! と叫びたくなるが、

 それにしても村上の言うとおり、白いシャツからはち切れんばかりに盛り上がらせた胸部は目を奪われる。

 ていうか、胸なんか見ている場合ではない。俺はどっちの席に座ればいいんだ?


 カツカツとハイヒールの音も高らかに、柏木さんが目の前に迫る。

「まさか自分の席忘れたの?」

 尖った指し棒の先を使って、手前の空いた座席を指して言った。

 教室中から、せせら笑いがさざ波みたいに押し寄せてくる。


 どちらかに座らなければマズイ。確率は半々だ。

 俺は急いで指された席に飛び込んだ。

 どっ、と笑い声が湧き、すぐ前に座る女子から小声で忠告が入る。

「そこ……真由美の席よ」


 咄嗟に言い返す。

「あぁ……すみません。先生に見惚(みと)れてました。い、いやウソですギャグです」

「おっもしろい子ねぇ。でも別に否定しなくていいのよ」

 柏木さんは、さっさと俺から視線を引き剥がすと長い黒髪を翻した。

「みんなぁ。先生さぁー。まだこのクラスのことよくわかんないから、山河くんみたいに面白いことやってよ。そしたら記憶に焼きつくでしょ」


 その声に村上が嬉しそうに手を上げる。

「じゃぁ、オレもギャグやりまーす!」

 あいつが何をやって教室を沸かしたのかはまったく耳に残らなかった。俺は残った席に着くと、横手の金具に鞄をぶら下げ、全身の力を抜いて目をつむった。


 柏木さんは俺に対して他人の顔をしていた。面識の薄い奴を見る目で見つめられ心底怯えた。この人なら俺の状態を理解して、何とか助言をくれるのでは、と目にした瞬間に頭をもたげた希望的観測が一気に失望のどん底へ沈んでしまったのだ。


 追い詰められた。最後の命綱(いのちづな)が切れた気分だ。


 すべてのコマが出尽くして打つ手無しの状態に陥り、みぞおちを思いっきり殴られたような重苦しい痛みに襲われた俺は、腹に力が入らず、ただぐんにゃりと机に突っ伏して、ぼやけた視線で前のイスの背を眺めていた。


 もう一度考えを反芻してみる。


 まず夢を見ている……。

 これは却下だ。こんなリアルでいて、かつ夢だと自覚できる夢はない。いや夢であって欲しい、とさえ思えるのは次の二点の内の一つが、考えるだけで空恐(そらおそ)ろしいからだ。


 残りの一つ目は……。

 世界が入れ替わった。

 これもSFチックすぎるし、原因も理屈も考え付かないので即行で却下さ。

 となると、もっとも現実的でもっとも怖い理由が残る。


 俺の脳裏に残る元の世界の記憶は、俺の妄想が作り上げていた疑似世界なのさ。つまりこの1年近く、俺は精神異常か記憶喪失症状だったのだ。ここにいた俺は俺さ。外から見たら何も変わらない。変わったのは俺の内面。狂った精神状態が今日突然回復した。たぶん喜ばしいことだろうが……マジ怖い。


「はぁぁ」

 深い溜め息を吐いた。さぞかしこの空白の期間、俺って痛いヤツだったんだろうな。


 ひとしきりはしゃいでいた村上の声が消え、俺の飛散していた意識も元に戻った。そして柏木さんの声。

「はい、注目してぇ!」

 ハイヒールの音を響かせて教壇へ戻った柏木さんは、パンパンと手を叩いて室内を静寂に戻した。


「変異体生物のテストやるわよー」

 ざわっと室内に緊張感が走ったのを感じ取った柏木さんは、芝居掛かった口調に変えた。

「とその前に……。嬉しいお知らせでぇぇぇす」

 教室内がまたもやしんと静まり返った。


「嬉しいことってなんですか?」

 また村上だ。少々鼻につくな。


 柏木さんはニコニコしたまま――いつもと同じだが、入り口を指し棒で示してから前を向き、

「転校生を紹介しまぁーす」

 と、渾身の笑顔で宣言した。


 おおぉ、と期待に心を躍らせるどよめきが生徒のあいだから湧き上がる――が、そんなこともうどうでもよかった。


 すべての希望を失い、俺の胸中にぽっかりとできた空白の穴はでかかった。大勢の友人に囲まれているにも関わらず、襲ってくる孤絶と絶望は絶海の孤島に流れ着いた気分だ。隔絶された俺の外側だけで時間が過ぎて行く。どんな転校生が現れようと俺には関係ない。元の世界と繋がりのある人物はもういない。


「それも超美人なんだからぁ。期待しててよ」

 穏やかな光を帯びた切れ長の目を扉に向けて、楽しそうに柏木さんが付け足した。

 一部の男子生徒が発する低音の大波が教室内を渡り、全員の視線が扉に集中する。


「さっ、入ってぇぇ」

 扉の向こうに声をかける柏木さん。だけどしんと静まり返ったまま。それが余計に期待感を高めた。


「どうしたの? そっか。照れ屋さんなのね」

 足早に教壇を降りて扉に手を掛けると、躊躇無くガラガラと横に開いた。


「ぬぉぉ――っ!」

 そこに立ち尽くす人物を目の当たりにした俺は、今度こそ気を失いそうになった。

 

  

 次回より物語の視点がミウに切り替わります。揺れ動く内容にご注目ください。

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