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ゼロの支配者  作者: 雲黒斎草菜
九州編
75/109

 もう一つの可能性

  

  

 忽然と変化した状況に押し流され、こっちの考えがまとまらないうちに、俺は麻衣に()き立てられて玄関へ移動。


「ちょ、ちょっと待ってくれ」

「待ったるから、さきに靴履こな」


 九州からどうやって帰ってきたのか、延岡を前にしてあの後どうなったのか完璧に記憶が無い。


「俺さ……九州にいて……」

「九州?」

 麻衣は忘れ物に気づいたみたいな目を俺にくれ、

「あんたどこも行ってないやんか。昨日も一昨日も学校やろ?」

「あ……いや……」

 麻衣はしゃがみ込んで自分の靴を履き終わると、下駄箱を開けて迷うことなく俺の靴を選び出した。そして玄関の三和土(たたき)へと揃える。


「はい。急いでよ」


 その仕草は非常に慣れており、昨日今日の事ではないと思った。

 麻衣は立ち上がり、靴のつま先で三和土の表面を数度突っつくと、クリクリに丸まった癖っ毛をふわりと旋回させて元気な声で張り上げる。

「ほな。おっちゃん、おばちゃん。行って来ます」


 奥から親父が、

「おぉぉ。若奥様のご出立(しゅったつ)じゃ。よきにはからえ……」

 お袋がパタパタとエプロンで手を拭きながら出てきた。


「今日は麻衣ちゃんの誕生日でしょ。晩御飯うちで食べて行なさい。ご馳走作って待ってるから……ね?」

「ほんま? おおきに、おばちゃん。お父さんもお母さんも学会で鹿児島へ行ってて、独りで誕生日迎えるなんて、ウチ悲しかってん」


 俺は反射的に眉根を寄せた。麻衣の両親は事故で死んでいるし、鹿児島は人が住める環境ではない。それに俺の記憶では今は8月だ。それが麻衣たちの誕生日だと? とすると、5月か?


 続いて決定的な言葉を俺は耳にすることになる。

「独りって、麻由はどうしたんだよ?」

「――はぁ? 麻由って誰?」

「え? お前の妹だろ。双子の相棒のほうだよ」

 麻衣は寸刻目を白黒させた。

「何ゆうてんの、修一。やっぱり今日おかしいで?」

 麻衣は、ジグソーパズルの最後のピースを失くした時みたいな顔でこっちを覗き込み、俺の額に白い腕を伸ばしてきた。

「熱あるんちゃうの?」

 伸びてきた可愛い手がとても異質に感じられた。それは温もりのある氷のようだった。


「ウチは川村家の一人娘や。なにゆうとん?」

 バカなことを言うな。川村家の娘はお前と麻由というピースがあってこそ完璧なんだ。


「ははーん」

 やっと鈍い俺さまだが、ピンと来た。

 こいつら俺を騙くらかそうとして、手の込んだ芝居を……そうか、親父と計画してんだ。やりそうな手口だ。


 ――それはそうと、今日は何年の何月何日なんだ? 

 今晩麻衣の誕生日を祝ってやると、お袋が言っていた。これが本当なら。

「誕生日ってことは……。じゃあ、5月10日か」

 喉の奥から漏れた独り言に、

「今日でウチも17歳や。憶えてくれておおきに。ほなさっきのおかしな行動は許したげるわ。忘れてたら食事抜きの刑にしたろ思ててんよ」

 パタンパタンと両手で持った鞄を膝で蹴りつつ、麻衣はエレベーターホールへ歩んで行く。

「食事?」

「そうや。どうせあんた朝抜きになるって(おも)て、お昼のお弁当と簡単やけど朝食も(こしら)えてんよ……あ。オバちゃん、おはよう」

 後ろに首をひねって弁当の説明をしていた麻衣は、玄関を開けて出てきた隣のオバさんへ究極の笑顔で挨拶をした。


「あっ、麻衣ちゃん、おはよぉ。今日はちょっと早いねんなぁ」

 隣のオバさんって、麻衣とこんなに親しかったか?


「うん。今日テストやから早い目のお迎えや」

 オバさんは黙って会釈する俺に向かって言う。

「しゅうくん。幸せモンやな」 

 もう一丁、気持ちの悪いウインクをぶっ放し、

「ええ嫁さんになるで、逃がしなや」

 こそば痒くなるような言葉と同時に俺の背中をぱんっと叩いた。


 俺は何と答えていいのか解らず、ただ目を細めてその場を通り過ぎた。


 出来過ぎている――有り得ない流れだ。

 しかも麻衣は今日17歳の誕生日だと宣言した。俺より一つ年下のはずなので、今日は2319年の5月10日になる。しかし俺の記憶なら今日は2318年8月7日……。なら、ここは9ヶ月先のなんば南港プロムナードか?


 もしかすると何かの理由でミウたちが俺を未来に飛ばしてくれたのかもしれない。

 と想起するものの、すぐに否定。

 いや待て、それもおかしい。ならこの麻衣と俺は記憶を共有しているはずだ。だがこいつは昨日も一昨日も学校だと言っている。それだと話がかみ合わない。



 俺は麻衣と並んで上階へ向かうエレベーターに乗り込んだ。ここがリアルになんば南港プロムナードなら、高校がある『みなとサカイ教育センター』は、リニアトラムで和歌山方面へ、ひと駅行ったところだ。となると、当然駅のある最上階にへ向かうはずだ。

 俺は沈黙を貫きとおして麻衣の指先を目で追った。


 迷うことなく麻衣は最上階のボタンを押した。

「――それでな。理恵が言うにはB型の血液は……ん? 聞いてんの修一?」

 理恵って誰だろ?


「え? き……聞いてるさ。B型の女は気が強えって言うんだろ。お前をサンプルにしたみたいな分析だな」

 麻衣の血液型はB型だ。話しなんて聞いてないが、簡単な推測で答えは出せる。

「アホ。ウチはO型や」

「っな!」

 血液型が違う!


「理恵がB型なんよ」

 幕が下りたみたいに視界が暗くなった。荒い呼気と共にさらに濃くなった疑問が喉から漏れた。


「理恵って……誰?」


 麻衣の表情がみるみる青ざめる。

「理恵って……。ウチと修一を引き合わせてくれた。恩人やないの。忘れたん? やっぱ今日の修一めっちゃ変やで」

 急いで取り繕う。

「わ、悪い。テストのことで頭いっぱいなんだ。忘れるわけ無いって。理恵だろ……うん。知ってるさ」


 血液型が異なるのは俺の記憶違いとしても、これだけは言える。誰かの紹介などで麻衣と出会った経緯は無い。初対面は甲楼園駅周辺でチンピラ狩りをあいつらがしていた時だ。


 もちろん理恵とかいう女子の名前だって今初めて聞く。それよりも麻由の存在を一切感じられないのが、やけに不安だ。マジで麻由はいないのか?


 歯切れの悪い言葉を残してエレベータに乗り込む俺を気にして、麻衣は何度も大丈夫かと尋ねてきた。


 なるだけ明るい顔でそのつどうなずくものの、俺は奇妙なことに気付いた。麻衣はこんな性格ではない。どちらかというと、だいたいは無関心を装い、肝心なところだけに口や手を出してくる。放任的な感じで接してくるが、見るところは見ている。それが麻衣なのだ。でもこの麻衣は少しお節介が過ぎる。


 途中でエレベータが止まり、扉が開くとクラスメイトの『村上幸久』が飛び込んできた。こいつとは昔から気が合う友人、まぁ悪友である。

「おぉぉ。お二人さんお揃いで……。あっ、やべ遅刻か?」

「アホ。今日はいつもよりちょっと早いんや。安心しぃ」

 麻衣に言われて、村上はポケットからフィルムフォンを取り出すと、時間を確認して安堵する。


「ほんとだ。山河と川村がつるんでるから、てっきり遅刻かと思ったぜ」

 俺は拳ひとつほど背の低い村上をすがめながら言ってやる。

「遅刻は免れても、変異体のテストからは逃げ出せないんだ。勉強してきたのかよ?」

「おぉよ。ばっちりだ。新学期からあんな綺麗な先生に代わったんだ。オレは今学年から変異体一本に絞るぜ。得意教科は変異体生物ですって、胸張って言うんだ。それでこれも先生のおかげですって、あのムチムチした胸に飛び込む。どうだ羨ましいだろ」


 麻衣は大げさに肩をすくめて見せた。

「アホか。それやったらただのチカンやんか。張り倒されるのがオチや。それか下手したら停学喰らうで……」

「停学とあの胸か……。うん。オレは停学でもいいな」

「アホや、こいつ」と麻衣はケラケラ笑うが、俺は一つもおかしくない。そんなことよりも、変異体生物の教師は男のはずだ。

 俺は眉間にシワを寄せるものの、とりあえず相槌に代わる偽の笑いを浮かべてその場を誤魔化した。


 夏休みのあいだに先生が代わったのか? そんなことは有り得ない。

 自分の思考に向かって否定する。

 変異体生物の教師が学年途中で代わるなんていう話は学校から一切聞いてない。そんな重要な話を担任の先生が忘れるはずがない。


 どう考えても辻褄が合わない。いったいどれが正しい現実なんだ。

 俺の記憶するのと同じ道順でリニアトラムの駅へと歩んで行く麻衣の背中を睨み倒しつつ、再び黙考に落ちた。


 もしこの世界が現実だとすると、俺の記憶の中の世界、つまり元の世界では、麻衣と麻由はひと駅神戸寄りの甲楼園駅からやってくる。だからこの道を一緒に歩くのは村上だけで、本来なら麻衣たちとは列車の中で合流するのだ。


 俺の記憶と強いくい違いを感じて、恐怖を覚えるほどに焦ってきた。

 つまりここに麻衣が居ることがおかしい。こいつはどこに住んでいるんだ? 甲楼園駅からやって来てわざわざ途中下車をして俺んちへ寄ったのだろうか。そもそもガーデンハンターは存在するのか?

 いろいろ尋ねたいことがあるが、今の雰囲気ではちょっとまずい。


 やがて俺たちは普段どおりにホームの所定位置に立ち、和歌山行きの列車を待った。ラッシュ時の駅はいつもと変わらぬ人でごった返し、その中でも学生の姿が大半を占めていた。


 先に到着していた数グループの女子が騒がしく(さえず)っていた。麻衣と同じ制服の子もいれば、中学校の制服のグループもいる。何もかもいつもと変わらぬ風景だったが、同じになればなるほど懐疑的になる。説明のつかない違和感が逆に目だってくるからだ。



「麻衣。おはよう!」

 後ろから走り込んで来たひとりの少女が、麻衣に向かって手のひらを挙げた。

「ちょうどエエ時間や、理恵」振り返って麻衣が破顔する。

 この子が理恵か……。


 案の定、初めて見る顔だが、藤色のタイをしていた。

 俺たち高校生はタイの色で学年が分かる。一年が山吹色。二年が藤色、俺と村上は濃い緑のネクタイだ。となるとやはり俺は三年生だ。


「麻衣ぃ。変異体生物のことで教えて欲しいトコあるんやけどかまへん?」

 案外可愛い声を放つ女子で、なおかつ関西弁なのは、ここが『なんば南港プロムナード』なので不思議なことはない。


「ええで。ウチで解かることやったら何でも訊いてや」

「たすかるぅ。あんたほど詳しい子おらへんやろ。あんた先生になったらええねん」

 麻衣が変異体に詳しいのは、ここでも変わらないようだ。


「ところでよ。どうなんだ修一? 今日のテスト自信あんのかよ。……いいよなぁ彼女の両親が変異体の教授で、その()がちょー賢いときてるうえに、ちょー可愛いし、ちょーボインだしな。『天は二物を与えず』ってウソだな。それを手に入れたおめえは、ちょー羨ましいぜ」


 俺は村上を横目で睨んだ。違和感が半端ない。

 こいつはこんなふうに下品な会話をするヤツではなかったし、人の彼女を羨むこともない。常に冷静でストイックな感じで、俺はそこがすごくカッコいいと思っていたぐらいだ。


 やはりここは俺のいた世界とは微妙に異なる。見た目は寸分なく同一のものだが、何かが違う。そして最も大きな間違いがある。もしこれが作られた世界なら、作ったヤツに大声で失敗作だ、と怒鳴ってやりたい。


 それは――。

 麻衣は俺の彼女ではない!


 俺はガーデンハンターの従業員という立場を崩さずにここまで来たのだ。それは麻衣も麻由も同じぐらいに好意を持っており、一人に絞って(こく)ることはあり得ないし、向こうからも告られたことは無い。そんなことより麻由はどうした。ここまで来ても麻由が一切でてこない。何なんだ、この世界は……。



「いっ! 痛いなぁ!」

 俺は腕に痛みを覚えて我に返った。


「おい大丈夫かよ」

 いつの間にか列車が停車しており、村上が開いた扉の中から呆れた顔を曝け出していた。


「ほら。(はよ)う乗りぃや!」

 血相を変えた麻衣が俺の腕を引いており、その肩越しに不安に揺れる目をした理恵がいた。


「ほんまに修一、大丈夫なん? あんた、列車が来てるのに反対方向を睨んだまま、固まってたんやで……」

 沈思黙考に落ちていたらしい。


「わ、悪り……。テストのこと考えてたんだ」

 もっともらしい言い訳をする俺へ、村上が意地悪そうな笑みを浮かべた。

「赤点取ったら、そのままずばりお前のどす黒い血で答案用紙が真っ赤になるんだぜ。お前の家庭教師の先生は可愛いけど、ちょー怖いからな」

 下品な言い回しだ。胸糞悪くなる。


 麻衣は気にせず俺を急き立てる。

「ほら、急ご。せっかく早めに家を出たのに遅刻するやんか」

「ほんまや、ダンナさん。麻衣のゆうこと聞きや」

 理恵とかいう子が下から覗き込むようにして俺を見上げた。前髪をそろえたショートヘアーがよく似合う少女だ。


 麻衣に引き摺られて、そして村上からいやらしい視線を浴び、列車に乗り込むと同時に発車。

 数分で、みなとサカイ教育センター駅に着くと、列車から学生が一斉に吐き出される。

 ここは阪神エリアの小学生から高校生までが一括で教育を受ける総合教育センターが入った海中ビルだ。


 子供が減ったこの時代の日本では、高校までが義務教育となっていて、各学年にひとクラスしかなく、入学から卒業までクラスメイトは基本変わらない。


 校舎は8階建ての建物で、階下から小学校、中学校、高等学校と区切られており、そのまんまエレベーター式に学年が上がっていく。もちろん入学試験は無いが、高校生からは留年制度があるのでのんびりとはできない。


 他の階は職員室や合同の体育館。屋上に人工の築山があり、バイオトープもある総合教育棟となっている。どっちにしても海の中の建物なので、屋上へ上がってみたところで、EL照明による植物培養ライトがギラギラするだけで外は見えない。外の様子を見てみたかったら、教室から覗けばいい。ビル全体を包む透明の隔壁の外には大海が広がっており、教室の窓からその様子が窺えるけど、暗い海が見えるだけで誰も見ようとはしない。



 俺たちは高校のフロアーへと上がった。麻衣と理恵はやはり高二のクラスへ向かうので、途中で手を振って別れた。


 俺と村上はそのまま高三の教室に入る。その間ずっと村上は理恵のことを尋ねていた。

 家はどこだとか、どんな音楽が好きなのか、どんな男がタイプなのかとか、家族構成まで聞かれたって、俺は理恵とは初対面で、こっちが聞きたいぐらいだ。最終的に麻衣に頼んで理恵を紹介してくれないか、とか今の俺にとってはどうでもいい話ばかりだった。

  

  

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