幽霊騒動
昨日までは九州を真ん中から断ち切る大規模な亀裂に進行を妨げられていたが、大勢のリーパーの協力を得て、亀裂の無かった過去の九州へアストライアーごと時間跳躍を決行した。そして向こう岸までの距離を走り抜けたあと、再び元の時間に戻るという、信じられない方法で難関をクリアした……その晩のこと。
サリアさんに貰ったネックレスがどうしても気になり、日本史の教科書を開いていて、俺は唖然とさせられた。手の平に転がるこのネックレスは、古墳時代のもので国宝指定された勾玉の飾りだった。
本来ならそのレプリカかよく似た飾り物、と言い切れるが、何しろ古代史が好きでリアルにその時代へ行き来する時間跳躍者から『飛鳥時代で偉い人と知り合ったときに貰ったもの』とはっきりと告げられたのだから、俺の驚きは叫びと変わった。
「た……宝じゃないか!」
教科書に掲載されていた物は色も黒ずみ、紐の部分が腐食して汚いし、ところどころで千切れた状態だが――ここにあるのはまったくの新品だ。
まぶしいほどに輝く『C』の字型の勾玉をテントの天井からぶら下げて仰ぎ見る。
このまま貰っちゃっていいのだろうか。
しばらく興奮冷めやらぬまま、ゆらゆら揺れる最重要文化財級のお宝を眺めていたが、誘い来る睡魔には勝てず、いつのまにか眠りに落ちていった。
2318年、8月6日。午前2時――。
「修一! 起きてぇ!」
俺の個室となったテントの上から、えらい勢いで誰かが飛び乗ってきた。
「しゅーっいち! 修一!」
シートの上から暴れるもんだから、何がなんだか意味が分からず、こっちはただ吃驚して、崩壊していくテントに身を預けるばかりだ。声からいくと麻衣か麻由だと思われる。
「わあぁお! いいからちょっと、落ち着け!」
シート一枚隔てて、俺に抱きついてくる麻衣の柔らかい感触が寝ぼけた俺の意識を瞬時に覚醒させてくれたのは、まことに素晴らしいことだが。
「何だよぉ……今何時だと思ってんだ?」
ポールが外れて無残に崩れたテントのシートを被ったまま、俺は外国製の幽霊みたいに上半身を起こして、ぼやーんとする。
「早く出て来てよー」
シートの上から俺にまたがり、頭をペチペチ叩いてくる様子は何やら急いていた。いやそうではなくて怯えていた。
チンピラを黙らし、ブラックビーストと平気で対峙するナニワの川村姉妹でも、怯えるようなことがあるのか?
急いでテントの出口を探すが、
「バッカヤロウ。お前が無茶苦茶にするからどこが出口か解らなくなったじゃないか」
モタモタする俺よりも先に出口を見つけて、自ら飛び込んで来たのは麻衣だった。こいつが慌てると関西弁口調が消えるから面白い。
「いったいなんだよ」
潰れてシートだけと化したテント中で、正座をした麻衣と膝を突き合わせていた。
「しゅ……修一」
今にも飛び付いてきそうな気配。本気で驚いた。こいつがこんなに怯えことは無い。初めてのことだ。
麻衣はピンク地にイチゴの柄が散らばった可愛いパジャマを着ており、小柄の割にボリューミィなボディを強調させる柔らかくしなやかな布地が心地よさそうだ。
何となく気を許していそうなので、触ろうとする(生地のほうだぞ)と、先にぐいっと俺の襟首を引き寄せてきた。
「なんだ? えらい積極的じゃないか」
「バカ! なに鼻の下伸ばしてるのよ! 変なこと考えてたら、あんたの髪の毛、引きちぎって『ミグ』の餌にするわよ!」
ミグ――。
阿蘇の火口で捕まえた硫黄の殻を被った変異体のカニに付けた名前だ。あいつはタンパク質ならなんでも食っちまう、とんでもないカニだった。
部分ハゲになんかなりたくないので、
「お前がそんな格好でテントの上から抱きついてくれば、ちょこっとぐらい妖しげな事を考えるのは、健康な男なら当たり前のことなんだがな」
麻衣はやっと自分の淫らな格好に気づいたらしく、ガバッと両手で抱きしめるようにして胸を隠すと、目元を赤らめてうつむいた。
意外にもこいつはこんな可愛い面を持っているのだ。このカロン探索旅行で唯一の発見かも知れない。もっと好きになりそうだ。
てなことを考えたりしたので、完全に目が覚めた。
「で? 俺のテントをぶっ潰してまでも知らせるって、いったい何があったんだ、麻衣?」
目の前で胸を抱きしめて丸い瞳をクリクリさせていた少女は、ごっくんと生唾を飲み込んだ。
「なんであたしが麻衣だと思うの?」
完璧な麻由口調だが、こいつは麻衣だ。ここまでそっくりの双子をパーフェクトな比率で見分けられるのは、おそらく俺だけだと自負している。
子供の頃から長い付き合いのある柏木さんでもシャッフルされると分からなくなると訴える。そんなわけで川村麻衣と麻由はよく似た双子として学校でも有名なのだ。
「とにかく落ち着け、麻衣。お前は慌てたり緊張したりすると喋り口調がおかしくなるんだ。麻由は麻由で大阪弁に戻るし。お前らいったいどこ出身なんだよ」
麻衣は軽く咳払いした後、
「ウチらは正真正銘の浪速オンナや」
「はい。オッケー。元に戻ったな、麻衣」
「せやけど、なんで修一はうちらを見分けられるんやろ……」
小鳥みたいに首を傾けたが、
「あー、ちゃうんねん。こんな話をするために修一を起こしたんちゃうねんって」
麻衣は立ちあがりざまに俺の腕を引き、
「は、早く、ちょっと来て……」
後部格納庫から外の景色が見えるデッキへと移動した。ここからアストライアーの真後ろが見える。
「ちょっと、あれ見て」
白い指で外をさすが、そこはいつもの真緑の光りで埋め尽くされていた。
ケミカルガーデンの中は24時間365日、昼も夜も無く緑の光で照らされている。注意して見れば昼間のほうが幾分明るく感じるが、時計を見なければ昼夜の区別がつかない。
「何が見えるんだよ?」
じっくりと観察するが近くには何も無い。いつもの糸状菌が織りなす迷路みたいな林が続いており、ど真ん中に大きなトンネルが突き抜けているのは、昨日アストライアーが通って来た跡だ。
「何があるんだよ?」
釈然としない気分で、同じ言葉を繰り返す。
麻衣は俺の態度が変化しないのが不思議に思ったのだろう。くるくる丸まった癖っ毛の頭を不審げに旋回させて辺りを注視するが、
「バタバタしてるまに、おらんようになってしもた」
三角形にした唇を俺に見せ、続けてこう言った。
「外にミウが立ってたんよ」
「はぁぁ?」
妙なことを口走る麻衣を正面からマジマジと見つめながら、俺は優しくヤツの肩に手を添える。
「寝ぼけたんだな。お前はいつも気を張ってるからな。さぁ帰ってゆっくり寝ろ」
麻衣は勢いよく俺の手を払いのけて言う。
「寝ぼけてなんかない。はっきりと見たんよ! この目でミウを……ウソやない。けど……幽霊みたいやってん。いつものミウとちゃうかってん」
麻衣から注がれる怯えた視線は間違いなく真剣だった。
「お前な。俺を叩き起こす前に、先にすることがあるだろ」
「な……なに?」
見開いた丸い目で俺を見る麻衣へ、ゆるゆると教えてやる。
「本人に聞けよ。ミウ本人に。『外に出たのか?』ってな」
「あ……そうや。ほな一緒に来てぇ」
なんで俺まで……と思うものの、女子の寝室を一度覗いてみたかった。甘酸っぱくて芳しい香りが漂う花園かもしれない。
煩悩にまみれる俺の袖を引っ張って、麻衣は階下に通じる階段を駆け下りた。
階下は先頭から電源パワー室、トイレ、洗面所。次に女子寝室、そして最後部に機械室と並ぶ。
麻衣は寝室の扉の前まで俺を引き摺って行くと、ここで待てと、お預けを言いのけて、部屋の中に消えた。
柏木さんのパジャマってどんな感じだろうとか、ミウはおしとやかな寝姿だろうな。などといろいろな妄想を膨らませていたら、麻衣が出てきた。
「どうだった? ちゃんと寝てたろ」
と言う俺の問いに、ヤツは渋々だがうなずいた。
「でもさっきは絶対にミウやったんやって」
まだ強情を張るのか。
「しょうがない。ここまで目が覚めたんだ。最後まで付き合ってやるよ。来いよ……」
今度は俺が麻衣の袖を引っ張って階段を上がる。もう一度、後部格納庫へ連れて行くと、天井から突き出たインターフェースポッドへ尋ねた。
「ランちゃん起きてるか?」
『寝るという機能は搭載されていません。それより修一、こんな時間に何です? 緊急事態ですか?』
何んだか叱られているような気分でポッドを見上げる。
「今から過去一時間以内に、外へ出て行ったヤツを見たか?」
『その質問は、修一が寝ぼけて無意味な質問をしたと推測されます。過度の場合、睡眠障害症と診断されます。診断処理を起動させますか?』
「いや、いい。俺は健康だ。それより誰か外に出た様子が無ければ、それでいいんだよ」
『ハッチが開くと自動的にカビ毒防御のフィルターが作動します。しかしカビ毒フィルターが起動した形跡は皆無です』
俺は視線を麻衣へ戻す。
「ほらな……」
麻衣は俺の顔を黙視。ランちゃんは余計なお世話的な質問を繰り返す。
『睡眠障害診断処理を起動させますか?』
「いいって。俺は健康だ。いますぐ寝るから、ランちゃん、お前も寝ろ」
『寝る……睡眠……。生命体が周期的に生じさせる反射機能および、感覚機能の低下、意識喪失状態……』
「ごめん、わるかった。もう寝るから静かにしてくれ」
『おやすみなさい』
「な……っ」
ものすごい甘い声音で、そうつぶやかれて俺は言葉を失った。この声音は麻衣のお袋さんの声から合成生成したと聞くが……。
俺の隣でインターフェースポッドへ渋そうな目を向けていた麻衣へ尋ねる。
「お前のお母さんって、こんな感じのか?」
麻衣は変な顔をするが、小さくうなずいた。
「そうや。何か変な感じや。ウチのお母さんが修一に『おやすみ』って言うたみたいで……なんか『さぶイボ』が立つわ」
「さぶイボ?」
関東系の俺には初耳の言葉だ。とにかく関西には謎の言葉が多い。
「さぶイボちゅうたらこれや」
麻衣は人差し指で俺のうなじをふぁっと触れて、にこっと笑った。
「うぉぉぉぉ。なるほど、何か気持ちいいな。もう一度やってくれ」
と要求する俺に、
「アホかっ!」
きつい言葉に続いて、一発軽く拳骨を俺の胸板にぶつけ、「はよ寝ぇぇぇ」と捨て台詞を残して、寝室へ降りて行った。
「って、起こしたのはお前じゃないか……」
腑に落ちない気分できびすを返した途端。俺は静けさに沈む惨状を目の当たりにして、思わず顔をしかめた。
「どうしてくれるんだよぉー。寝床が崩壊したままだぞ……まったくよぉぉ」
眠気と戦いながらテントを直すのも面倒くさい作業だ。仕方が無いので、骨の抜けたシートに包まって寝ることにしたが、これならシュラフで寝たほうがマシだと気づかせられた。
それから数時間後。
耳障りな足音に目を覚まし、寝不足気味の目をしょぼしょぼさせて半身を起こすと、足に掛かるアンクレットの所在を確認するように、イウが崩れたテントの脇を歩いていた。ヤツはそのまま後部デッキのキャノピーの前まで行くと、手すりを支えにして絡まったアンクレットを摘まんだ。
「へっ、やっぱ重りが付いてるほうがしっくりくるぜ」
ぼんやり眺める俺に気付くと、足枷の位置を直す手の動きを止めてイウは口先を尖らせた。
「いつまで寝てんだ。朝飯の準備はとっくにできてんぜ」
「そうか、今日の当番はイウたちか」
「ああよ。今日はガウロパ特製の……朝っぱらからオムライスだぜ。オレは味噌汁のほうが好きなんだ」
ガタイの割に手先の器用な時間警察官の作る料理は美味いのだ。と思うだけで腹の虫が鳴いた。
はやる気持ちを抑えて手を上げる。
「わかった。今行くよ」
「早くしろよ。みんな待ってるからな。あっそうだ。麻衣とか言うコピーねえちゃんもまだ起きてこないが、二人そろってどうしたんだ。テントも崩れちまってるし……。ははぁん。オマエら昨晩燃えたな」
「あ……バカ。変なこと言うな! 俺たちは健全な高校生だぞ」
「ひと夏の経験ってやつか? 若者は羨ましいな」
そこへランちゃんが……。
『燃えたという語彙を検知しました。消火の処置は必要でしょうか?』
地獄耳か、こいつは……。
「ラン助。燃えたのは修一と麻衣だが、消火の必要はない。余計なお世話だ」
天井に向かって答えるイウ。
『男女が燃える? 理解不能……。二人は昨夜、午前2時25分。睡眠障害を……』
「わぁ――っ! 分かったランちゃん、すぐ起きるからその話はもういい。メモリーから削除してくれ」
『了解。削除しました』
「なんだ睡眠障害って……。眠れねえのか?」
訝しげな視線でイウは俺を熱く見つめると、大きな鼻息を落とした。
「はんっ! 青春だな。修一!」
そして俺の背中をパンッと平手打ちをして、後部格納庫を後にした。
「麻衣ぃ……。お前のせいだからな」
背中の痛みを堪えつつ、俺は洗面所へ向かった。
「おはぁよ」
顔を洗っていたら、半分寝ぼけた顔で麻衣が現れた。白のタンクトップと紺のキュロット姿だった。となると麻由も同じ格好だろう。
「眠そうだな。睡眠障害を起こしたんじゃないのか?」
嫌味と疑問を混ぜて訊く俺へ、麻衣は陳謝の意がこもる薄気味悪い笑みを浮かべて、
「昨日はゴメン。やっぱり冷静に考えたらミウが外に出るなんてあり得へんことやんな」
「――わたしが外に?」
俺たちの後ろに、真っ白なタオルを首から垂らしたミウが立っていた。寝起きだというのに、長いストレートの銀髪は綺麗に櫛で梳かれており、束ねた銀糸みたいにキラキラと光っていた。
麻衣は笑った目をして説明する。
「昨日の夜中な。あんたが外に立ってるのを見たんよ」
ミウは気持ち悪そうに顔を歪めた。
「外って、この乗り物の外ですか?」
一拍おくと、サラサラの銀髪を大きくなびかせて否定。
「あり得ません。夜中でも外気温が50℃を越えてますよ」
もう一度ブンブンと頭を振り、
「わたしは昨夜熟睡してましたし、ましてや、わざわざ外に出て、自らを危険に曝すわけありませんわ」
「わかってるって」
麻衣は鏡越しのミウに向かって笑顔を曝すと、詫びるように手の平を縦にした。
「夢遊病ってのもあるぜ」
俺の冗談めいた言葉にミウはキッと目尻を吊り上げる。
「変なこと言わないでください。わたしの精神状態は健康そのものです」
「本気にするなって、おかしいのは麻衣のほうさ」
麻衣は照れくさそうに、口の中へ歯ブラシを突っ込んだまま肩をすくめて見せた。