リーパーたちのレッツパーリー
びしょ濡れになった床を拭いて、再び食堂へ戻るとそこは戦場だった。
リーパーたちが持ち寄った食料が料理され、山積みになっていた。二匹のでっかい鯛が塩焼きにされてテーブルの上で身を反らし、
「うわぉぅ。美味そう」
茹でたてのイモ類からはホコホコと湯気が立ち昇り、野菜はサラダや煮物となっててんこ盛りだ。
「修一……手伝ってぇ。ものごっつい食欲やねん」
麻衣と柏木さんがギャレーと食堂を行ったり来たり、手には大皿、小皿、どんぶり鉢、すべてに料理が盛られていた。
ギャレーに飛び込むと平安の妹さん、サリアさんが鍋をかき回しており、フライパンを振る麻由が声だけを俺にかけてきた。。
「あ、修一。助かるわ。それひっくり返して」
加熱器に載った鉄板にはでっかいステーキが三枚、美味そうなシズル音を噴き出し、この上ない甘みのある香りが立ち込めており思わず深呼吸さ。
「こんな食欲を誘う匂いは初めてだ。なにこれ?」
と訊く俺に麻由が菜箸の先で示す。
「このお肉の焼く匂いなの。ねえ。すごいでしょ。バードオフプレイの比じゃないわ」
「昔の人はこんな美味そうなものを食ってたのか……」
ひとカケラつまみ食いをしようとしたが、
「ダメよ。食べたら」
お預けを宣言する麻由。
「こんないい匂いしてんのに、そりゃ酷だろー」
「それはあの人たちの! 焼けたら向こうへ持ってって、その間、次のを焼いて、ほんでから、もし余ったらもろたらエエわ」
おい、お前――麻由か? 神戸牛の香りに包まれて関西口調が混じってんぞ。
で、結局。ステーキは残らなかった。
でもギャレーの隅っこで、麻由とこっそり食べた、余り肉汁のぶっ掛け白御飯は気の遠くなるような美味しさだった。
「肉汁だけでこんな美味いなんて。きっと肉のほうは絶品の味がしたんだろうな」
「ほんとねぇぇ。食べてみたかったわね」
肉本体を口にすることは無かったが、その美味さは生涯忘れないだろう……って、なんか虚しい話だな。
「おおきにな、青年。ひと息ついたわ」
満腹になった腹をさすって、肉屋の親父は嬉しそうに顔をほころばせた。
「いえ。これも皆さんのご協力の賜物です」
礼儀正しい言葉でリーパーたちを労うミウは大人だ。
「お肉ぅぅ」
指を舐めるあんたはもう少し大人になろうな、柏木さん。
「ご苦労でござったな」
ガウロパが丁重に頭を下げる相手は、案に違わず例のお公家様だ。
「こんなことお安い御用でごじゃる。いつでも呼んでたもれ」
白と黒のツートンにリメイクされたハードロッカー然としたお公家様が、ようやく落ち着きを取り戻して、そうおっしゃるが、ミウが丁寧にお断りを入れる。
「感謝します。ですが、これで申し分ありません。これ以降、時空震に近づくと、元の時間に帰ることができなくなるはずです。今回飛んでみてはっきりしました。戻るために道が拓けたのは奇跡に近いことです」
リーパーたちからも、気力の抜け落ちた重たげな声が渡る。
「時空震を止めぬ限り、これが最後ということじゃ……」
蛍将軍が虚しげな声を上げるが、ミウとイウが決然と突っぱねる。
「最後ではありません。再会を誓います」
「そうか。では成功を祈っておる」
ぶわぁーっと蒼光が広がり、将軍が包まれて消えた。後には恵比寿顔から浮かんだ優しい笑みの残像だけがたゆんで――消えた。
「じゃ。パスファインダーさま。アタシたちも帰ります」
水をぶっかけられてまだ乾ききっていないパーマ頭を掻き上げて、マリアさんとレオタード姿のサリアさんも立ち上がる。
「お元気で……」
ミウも直立すると頭を下げ、柏木さんはマリアさんに向かって小さく指だけを振った。
麻衣と麻由はキョトンとしてから、ゆるゆると席から尻を離した。
戸惑う双子の素振りを見て気付いた。平安京の妹さんはレオタード姿のままなのだ。
まさかその姿で平安へ戻る気かな?
サリアさんは俺たちの落ち着かない仕草にやっと自分の姿に気付き、急いで十二単に足を通すと、きゅーっとファスナーを閉じた。
「ちゃんと着てるみたいに見えるやん」
感心する麻衣にニコリと笑みをくれる妹さん。
「便利でしょ。本物なら着るのに1時間以上掛かるのよ」
と言って、ぽっちゃりと膨らんだ頬を持ち上げて、小さく舌を出した。
「じゃぁね。麻衣ちゃん、麻由ちゃん」
こっちも指先だけで挨拶をすると、さぁっと青い光に包まれ――かけたが瞬時に消した。
「おわぁぁっと、忘れ物……ポーチを下の階に置いてたんだ」
やっぱこの人慌て者なんだ。それにポーチって。無茶苦茶じゃないか。
平安京が……平穏でありますように、と切に願う俺だった。
お姉さんも呆れたらしく、肩をすくめてふたたびもとの椅子に座り直した。
苦笑しながら、お公家様が立ち上がった。
「では、ガウロパどの、そしてパスファインダーどの、それからイウ……またな!」
と言ったところで、初めて俺たちにちゃんと目を向けるとこう言った。
「若者たちよ! Good Luck!」
白と黒の乱れたメイク姿で親指をくいっと突っ立てたお公家様は、赤い舌をペロンと出したまま、青い光りの中に溶けて消えた。
う~ん。やっぱり最後までおかしな人だったな。
あの姿で元の時代に戻って、当時の人に見つかったらヤバイくないか? 妖怪伝説とか……新しい鬼伝説とか生まれなきゃいいけど。何だか無性に興味が湧いてきた。夏休みが終わって日本史の授業を受けるのが楽しみだ。古代史に大きな変貌があったとしたら、俺たちの影響が過去を変えたことになる。
そうこうしていると、かさばる十二単を引き摺り、下からサリアさんがふぅふぅ言って上がって来た。彼女は指の先だけピョコピョコさせて、階段の上から俺を呼んでいる。
重くて動けないからって、ズボラな人だ。
「なんすか?」
何となく無愛想になってしまう。でもおおらかな彼女は気にすることなく、ポーチから紐の付いた物を引っ張り出すと、俺の手のひらにポトンと落とした。
鮮やかに緑色の光を輝かせる鉱物だった。『C』の字型に丸まった片端に綺麗な組紐が付けられている。見るからにこれはネックレスだ。いや、古代の装飾品だ。
「これさ。ミリアやマリアと行った飛鳥時代で偉い人と知り合ったときに貰ったお守りなの、これ……あんたにあげるから。麻衣ちゃんと末永くうまくやってね」
と、言い残して青い光の向こうへ消えた。
ぽつんと取り残された俺の手の中には、緑玉髄の宝石の光りが……。
これなんだろ?
日本史の教科書で見たことがあるが、それより気になる言葉を言い残している。
麻衣と末永くやれって、麻由は蚊帳の外か?
このあいだミウも同じことを言っていた。俺は麻由とは縁がない運命なのか?
真実は解らないまま、とりあえずネックレスをポケットへねじ込んだ。
十二単のインナーがレオタードという、平安時代では有り得ない無茶苦茶なファッションを披露する女性を見送った後になって、俺は事の重大性にやっと気付いた。
「あの人、源氏物語を書いた人と友人関係なんだろ。これってすごいことだよな」
日本史の一つにもなる重要な事なのだ。
「香子ちゃんはまだ書いてないわよ。ずっと先の話しだもん」
高まる興奮を抑え切れずに漏らした言葉を否定したのはマリアさんだ。
「でも源氏物語の作者……」
「まだ書く前の紫式部よ。サリアの影響を受けて式部は源氏物語を書き出すの。これは必然なのよ。源氏物語はサリアと出会わないとこの世に生まれないのよ」
「えぇぇ?」
何だか俺が想起した事よりさらに次元の高いことを告ったような気がするのだが……。
「どういう意味ッすか?」
お姉さんは切れ長の目をさらに細くした。
「あの子の前だとつい張り合っちゃうけどさ。あの子、リーパー憧れのインストーラーなのよ」
「インストーラー?」
いつまでたっても答えが見えてこない。
「大事な歴史のジャンクションに立ち会い、トリガー(きっかけ)となるために歴史の既成事実に組み込まれるの。ようは正しい歴史に導く人のことよ。古代史が好きなリーパーなら憧れの役職なのよ」
「じゃぁ、源氏物語は誰が作ったの?」
柏木さんが目を大きく見開いて尋ね、マリアさんは淡白に答える。
「紫式部に決まってるでしょ」
「でも、サリアさんがって……どういう意味?」
「これ以上教えてあげなーい」
茶目っ気のある笑みを浮かべると、マリアさんはミウを横目でチラ見して顎をしゃくった。
「時間規則に反するからね。詳しくはパスファインダー様から聞いて」
会話を聞いていたのだろう。ミウはゴーグルの位置を直しながら子供を諭すように言う。
「私たちと付き合っていれば、おいおい解ってきますが、今のあなたたちには理解不能ですわ」
そんな説明では柏木さんは納得しなかったようで。
「バカにしないでよ。でもマリアさんの話だと、結果が原因(紫式部)をいじってるよ。そんなことしていいの?」
「良子さん……」
「なぁに?」
ミウはいつになく真剣な声だった。
「楽しい人生を送りたくありません?」
「え? そ、そりゃ決まってるじゃない……ね?」
俺に同意を求めるが、意味が解からないぞ、ミウ?
「送りたければ、タイムパラドックスは深く考えないことです」
「えっ? どういう関係?」
「知れば――地獄を見ますわ」
「…………」
凄みを利かせるミウに圧倒され、俺と柏木さんは黙り込んだ。
二人の様子を見てマリアさんは薄笑い。
「そぅそぅ。それでいいのよ」
赤く塗られたネイルの手で柏木さんの肩をぽんぽんとした。
しばらく上目に天井を窺いつつ思案を巡らせていただが、そのうち柏木さんは頭を振って席に座った。
諦めたようだ。俺なんて話の億分の1ミリも理解できない。
「さぁぁて……」
目尻に笑みを薄っすら溜めて、マリアさんが退屈したようにつぶやいた。
「サリアも帰っちゃったし……」
小型のバッグから出したシワくちゃのタバコをそっと指でなぞって伸ばすと、赤い上品な唇でくわえた。
「んじゃ。良子さん、アタシも行くわ。頑張りなさいよ。このへんな連中引っ張っていけるのはアンタだけだからね」
タバコに火を点けようとポケットからマッチを取り出したが、びしょ濡れで役に立たないことに気づくと、彼女はそれを見つめて苦笑した。
柏木さんもマリアさんに飛びっきりの笑顔で手を振る。
「任しといてよ……。それよかさ、いつか私が昭和の街に寄ったら『たばこ』吸わせてね」
ドレス姿で細くて長いキセルの先から紫煙をたゆませる柏木さんを想像する。
薄暗いバーの店内で、カウンターに肘をついて妖艶な雰囲気を漂わせてカクテルの氷を揺らす――あまりにドンぴしゃりのお姿が脳裏を過ぎり、俺は一人興奮していた。
「じゃ。パスファインダーさま。時空震を食い止められること祈っています。でないと、ミリアと永久に会えなくなるじゃんさ。そんなの寂しいものね」
明るく振舞って見せるが、未来に帰れなくなったリーパーにとって、それは切実な願いなのだ。俺の胸にもジンときた。
そしてマリアさんは、イウへ手を振って昭和の街へ帰った。
「ほんなら……ワテも行くか」
最後まで残った肉屋のオヤジが、マジメな顔をミウに向けて謝辞を述べた。
「みんなの前でイウにアンクレットを付けんといてくれて感謝してます。たぶんイウは猛烈に反省しとると思うんや、己の気の弱さに……。きっと、罪を償って新しい道を歩むはずや。パスファインダーはん。ヤツを温かい目で見たってくれまへんか」
ミウはゴーグルのストラップを摘まみ上げ、その奥から色の異なる双眸をキラリとさせた。
「承知しております」
「エエ目や。さすがはパスファインダーはんや。エエ人に捕まってよかったな。ワテもここに残りたいぐらいや。こんな美人さんに囲まれて……。ええのぉ、イウやん」
最後まで人なつっこいオヤジだ。
「おっちゃん行かんといてぇな。ウチらと一緒に鹿児島行かへんか?」
こっちが馴れ馴れしいのはいつものことで。
麻衣とこのオヤジのあいだに300年の隔たりがあろうとも、関西弁はミリ単位も変貌しないようだ。まるで親戚のオジさんに懇願するみたいな雰囲気だった。
「おおきにな、嬢ちゃん。そやけどワテには明日の仕入れが待ってまんのや。今度イウやんと連れ立って、神戸に遊びに来てや。たこ焼きおごりまっせ」
「もっと高いもん、おごってぇな」
「はは、イウのおごりやったらよろしおまっせ」
イウが何か言い返す前に、肉屋のオヤジは消えた。
しん――。
と、静けさが部屋と胸の奥へ沁みてきた。
さすがにあれだけの大人数で騒いだんだ。そりゃぁ祭りのあとみたいで寂しくもなる。
学校で習った『祗園精舎の鐘の声……』と平家物語の冒頭を思い出すのも、過去から未来まで、いろんなリーパーが暗躍している事実を目の当たりにした直後とあって、今回ばかりは感傷的になってしまった。
「帰っちまったな……」
ポツリとイウ。
「ええ……」ミウも同じく。寂寥感たっぷりと。
「さ、もういい。アンクレットを掛けろよ。もうみんないなくなったんだ。ほらガウロパ、掛けていいぜ」
「ねえ。あのさぁ。もういいんじゃない?」
ミウは口を出した柏木さんを手で制して、
「今回、あの亀裂を越えることができたのは、あなたのおかげです。感謝しています」
相変らず居丈高だが丁重に頭を下げ――。
ついと顔を上げる。
「でも、それとこれとは別です。掛けなさいガウロパ」
「ミウ……」
銀髪がふんわりと乗った肩にすがりつく麻由へ、
「いいんだ。コピーねえちゃん。これがオレのけじめなんだ。その代わり時空震を食い止めて未来へ帰ったら、ちゃんと罪を償って堂々とお前らの前に現れるからよ」
すっきりした表情で、イウは告白のような言葉を綴った。
「心配ありません、安心なさい。必ず食い止めます。そしていつの日にか、それを外す命令もわたしが出します」
「ふっ。頼もしいこった」
イウはふてぶてしく笑うものの、二人に繋がる何かを感じた。ほんの少しのほっこりした暖かさを含んだ何かが混じっていて、俺は心の底から安穏とした。
「はぁぅ……」
強張っていた空気を浄化するかのように、柏木さんの甘い吐息が漏れた。
「お腹いっぱいだし、寝よっか……」
「まだ少し早いよ」
ちょっとびっくりする麻由。
「でもさ、今日はいろいろあって疲れちゃったしさ」
しかしとんでもない台詞で反論するガウロパ。
「いや……晩御飯がまだでござる」
「えぇぇぇー。今食べたじゃん」
昭和の言葉がまだ残ってますよ、柏木さん。
「そうですわね。わたしもお腹がすいてきましたわ」
「な……なんやのあんたら」
麻衣がびっくりするのも無理はない。
テーブルの上には、宴の跡がまだ山となっているし……。
イウは笑ってその場をいなす。
「ははは。リーパーは、タイムワープをすると飢餓状態になるって言ったろう」
「どんだけ食うんだよ……」
俺は力が抜けて、ドシンと自分の席に尻を落とした。
何度もこんなことがあったら、アストライアーの食料が底をつくのは目に見えている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
気だるい時間が流れてゆく。アンニュイな気分で俺は後部キャノピーから外を眺めていた。
時間は午後9時過ぎを示すのにも関わらず、明るい緑の光に照らされて黒い亀裂が横断している。午前中までは向こう岸にいて、旅は暗礁に乗り上げていたのに、たった一日でこうも状況が変わるんだ。
「一寸先は闇か光りか、さっぱり解らんな」
と、自然に喉からあふれ出た俺の独り言に、
「エエほうにとったらええねん」
いつのまにか麻衣が一人でやって来て、ちょんと俺の隣に身を寄せてきた。
「相方はどうしたんだ?」
漫才師か! という突っ込みも無く、麻衣は言う。
「良子さんと宴会の後片付けやってる。ウチは……サボリや。ミウたちは食事してるし」
「本気で二度目の晩飯食ってるのか……あいつら」
ちょっと呆れ気味に食堂のほうへ振り返る。明るい光と笑い声が扉の向こうから漏れていた。
「ねえ修一?」
憂いを混ぜた麻衣の瞳が上目遣いに俺を覗いていた。いつもは子猫のように疲れ知らずで、じゃれ付いてくるヤツなのに。
「ん?」と俺。
「うちらの旅っていつまで続くんやろ?」
「なんだ? 疲れたのか?」
「ううん。ずっとこうしてたいの」
胸の奥がズキュンと熱くなった。喉の筋肉が突っ張って上手く言葉が出てこない。
「あ……飽きるまでそうしてていいんだぜ」
我ながらハズい言葉だったが、麻衣が何も言わずに俺の肩に頭を載せたところを見ると、何とかなったんだろう。