寓話にグウの音を出した話
茂みを通して射し込む清涼な流れが、目にちくちくと眩しくて痛いほどに輝いていた。
帰り道のマーキングも兼ねて地面の上に水の容器を放り出すと、俺は麻衣たちの声が聞こえる川辺を目指して歩んだ。
数分もして、葉ムラの隙間から広い川面が見えた頃、俺は雷に撃たれたようなショックを受けて反射的に身を隠してしまった。
「な……何やってんだ、あいつら!」
視界に飛び込んできたのは信じられない光景。
心臓の鼓動が倍に跳ね上がり、コメカミを流れる血管が破れるほどに脈を打つのを感じた。
「ま……マジかよ……」
瑞々しい雑木林のあいだを穏やかに流れる透明な水流に白い物体が二つ。そしてこっちの岩の上には……。
「あわわわわ……」
息が止まりそうになり、急いで人工呼吸をしようかと自分の胸をまさぐる。さらに鼻血をこらえて盆の窪をトントンと。
あり得ない光景とは。岩に腰掛て優雅に銀の髪を梳ぎ濯いでいる滑々の背中とヒップ。白く艶やかな背中が露わとなり、日光に照らせれてキラキラと輝いた一糸まとわぬ、ミウのお姿。
あぁぁぁー。あのお美しい裸体は見紛うことなくミウ様だ!
まるでビーナスだ。天より召します女神様さ。拝めと言われるのらこの場でひれ伏してもいい。
なぜか俺は茂みの奥へさらに潜り込み、ゲリラ兵士さながらの匍匐前進をしていた。
「麻衣ぃぃぃ、冷たぁぁぁーい」
あの声は麻由だ。
んがっ!
爆発寸前の絶叫は舌を噛むことで堪える。
バカだぁ俺。いや今はアホウでもいい。
流れの中ほどで腰まで浸かった全裸の麻衣と麻由が、シャンプーの泡で膨らんだ栗色の髪の毛に両手を突っ込んで洗っている。俺の方へ白い背を向ける麻由へ、時おり麻衣が身を翻して水を掛けていた。
この世のものとは思えない美しい風景に俺は我を忘れて、いつのまにか茂みの中で立ち上がって凝視していた。
麻衣が振り向くたびに豊かなものが、想像以上に立派な果実が、ぷるん、とうれしい揺れを披露してくれて。今回ばかりはシルエットではない。本物だ。しかもミウまでさ。
「綺麗でしょー」
「ええ……」と応えて、「わあぁっ!!」と体を逸らして絶叫。それから振り返って手刀を立てて身構えた。
俺の右隣で腕を組んだ柏木さんが立っていた。
「か……柏木さぁん」
蚊の鳴くような声しか出なかった。
柏木さんも声を潜めて言う。
「あの頃が人生で最も綺麗なのよね」
うんうん、と実感を込めてうなずき、
「ほんとうねぇー。羨ましいわ」
「どわぁあぁぁ!」
今度は左側。必死で悲鳴を噛み殺す俺の肩口から、昭和のおねえさんが顔を出した。
「ちょっとぉ、気配を消して幽霊みたいに現れるのはよしてくださいよ」
「いいじゃん。綺麗なものはみんなで見なきゃ」
「そうよ。修一くん。見て、あの子たちまるで天女のようじゃない?」
はい、そう思います。まさにビーナスでございます。さっきも言いましたね。
昭和のおねえさんは、ついと美人面をもたげて、
「あ……天女で思い出したけどさ……教えてあげようか?」
妖艶に輝く瞳を俺に向け、小さく唇の端を持ち上げた。この人近くで見ると柏木さんにも劣らぬ美人なんだ。
てな動揺を読み取られてはまずいので平然を貫き通して答える。
「な……なんすか?」
「あのね。民話、寓話は事実をもとに作られることが多いのよ」
「あ? はぁ?」
何の話だろう?
「天女伝説ってあるでしょ」
「三保の松原とかでしょ。知ってるわ。空から降りてきた美しい天女に心を奪われた男性が、羽衣を隠して空に帰れなくした話でしょ」
柏木さんは俺の右隣からぐいっと体を乗り出して、昭和のおねえさんと同じように瞳を輝かせた。
「あれね、京都近江での話が本物でね。あれってアタシたちのことなのよ」
そんなふうに唐突に言われたってよく分かりません。
「アタシがマリア、平安の妹がサリアでしょ。あと『ミリア』って言う三つ下の妹もいてね。天女伝説の原形はアタシたち三人姉妹のことなのよー」
「えぇ――っ!」
大声を上げようとした俺の頭を柏木さんがゴツンとやる。
「大きな声を出したら、あの子たちに見つかっちゃうでしょ」
すみません、って、いや、あの……いいんすか?
「アタシたち三人姉妹なのよ。最初の頃、三人とも古代志向があったからさ。でね、飛鳥時代へ飛んだとき、シャワーなんか無い時代でしょ。だから今のあの子たちみたいに湖でシャンプーしてたんだけど、亜空間から実体化するところを見ていた現地のスケベ親父に、服を盗まれちゃって難儀したのよ。ま、最終的にアタシが殴り倒して奪い返したんだけどね……ほんと、あんときゃ腹立ったわ」
天女がだんだんと荒っぽくなってきたぞ。
「そ、それが天女伝説なの?」
柏木さんの短い問い掛けに、おねえさんはこくんとうなずいた。
にしても、えらい天女がいたもんだ。おっさんを殴り飛ばしたって……。
「で、もう独りの妹さんは? ミリアさんだっけ? 今回はどうしたの?」
訊かなきゃいいのに柏木さんが尋ねた。
「竹取物語って――知ってる?」
昭和のおねえさん、マリアさんはさらに瞳を妖しくさせて俺たちを熱い視線で見つめた。
ううっ……。嫌な予感が走る。ま、まさか。待ってくださいよ。かぐや姫っすよね。まさかっすよ――。
「そっ。そのまさかよ」
俺と柏木さんは、ごっくんと生唾を飲み込んでマリアさんの顔を正面から見た。
マリアさんはこともなげにコクンとうなずき、
「竹取物語って、ミリアのことなのよ。あの子、大雑把な性格してるから」
それはおねえさんを見ていれば察します。
「実体化する場所の状況を把握するのを面倒くさがってさ、そのままダイレクトに実空間に飛び出したところ、えらい藪の中だったのよ」
「もしかして竹林でしょ?」と尋ねる柏木さんに、
「うん。解かる?」
「だってかぐや姫って言ったら竹林と決まってるじゃない」
「それがさ、何の手入れもされていない竹藪で、あの子、着てた着物が絡まって、ひどくもつれて身動きが取れなくなったんだって。ほんとバカなんだからね。海の上だったらどうするつもりだったのかしら、ねえ?」
信じられない話がとんでもない方向へと逸れだした。
「――それで、出れなくなったまま数時間、そのまんまぶらーんとぶら下がってたのよ」
だんだん竹取物語から煌びやかさが薄れていく。俺の頭の中では蜘蛛の巣に引っ掛かって、ぷらぷらぶら下がるかぐや姫ができていた。
「そこにたまたま通りかかったお爺さんに助けられ、その家に住むことになったのよ」
「竹から生まれたんじゃないの!」
異様に驚く柏木さん。瞳を黒々させていた。
「生まれるわけないじゃん。サイズが合わないでしょ。そのへんは誰かが後で色づけしたんでしょ。お姫様が竹藪に絡まっていました、ではテルテル坊主か電線に絡まった凧でしょ。それじゃ綺麗な話しにならないからね」
「なるほどね」
迷うことなくうなずく俺と柏木さん。
「でさ。数年間はお爺さんとお婆さんと住んでたんだけど、アタシに似てあの子まぁまぁ器量がいいから」
平安の妹さん似でなくてよかったっすね。
「その噂があっという間に広まって、そこらじゅうの貴族が集まり、そりゃあアイドルとおんなじよ。もうえらい騒ぎよ」
アイドルって……。
「話では五人の貴族ってことになってるけどさ。実際はブ男二人とイケ面の三人だったワケよ。で、あの子面食いだから当然いい男の方を選んだのよね。ほんと誰に似たんだか……」
きっとあなたです。
「でさ。ブ男たちも貴族だから、そう簡単に引き下がらないわよ。それでしょうがないからと、その時代には手に入らない未来のものをわざと要求して、ここに持ってこれた人と結婚するって、無茶を言ったわけ。当然、その時代の連中では手に入れることはできないけど、時間跳躍して未来からそれを持ち帰ったあの子がイケ面のほうに、これを持って来てと、こっそり渡したわけよ」
「それってまずいわね。時間規則に反するでしょ」
喉をゴクリと鳴らして、柏木さんがえらく前に出てきた。話の内容が妙に俗っぽくなってきて、おとぎ話でも何でもない。そこらに転がるゴシップ記事みたいだ。
とは言っても先が気になる。
「それでどうなったんですか?」
「そりゃぁバレるわよ。すぐ未来に伝わって時間警察が飛んできてさ……アタシたちも必死で謝罪したの。そしたら、時間規則に反してはいるが、歴史的な変化はないからって、とりあえず事情聴取だけするからと、未来まで任意同行を求められたのよ」
「よかったじゃない」
明るく応える柏木さんに、マリアさんは視線だけで否定する。
「それがよくなかったのよ……」
「でも大したことにはならないんでしょ?」
おねえさんは半分うなずき、すぐに首を横に振った。
「結婚しようっていい寄ってきたイケ面の男が当時の帝(天皇)でさ。時間警察の連中をかぐや姫を横取りに来た軍団だと思い込んじゃってさ、連れて行くのなら戦争だ、なんて息巻いたの。そしたらあれよあれよという間に、自分の兵隊二千人をお爺さんちに派遣しちゃって、すごい騒ぎになったんだから――知ってた?」
知るわけないっすよ。今聞いて腰抜かしかけてます。
「もしかして。かぐや姫が天に帰ったっていうのは……」
マリアさんはこっくりとうなずた。
「未来から持ち込んだものに対する規則違反は大したことは無かったんだけど、戦争寸前までその時代の人を巻き込んだことに、時間局が怒っちゃってさ。任意同行が強制送還に変わったの。おかげであの子、過去30年間タイムリープ禁止よ」
「強制送還って、そんな強引なことしたらイケ面さんが黙ってないでしょ?」
「そりゃ黙ってないけどさ。いくら兵隊が二千人いたって、こっちは31世紀の人間よ。赤子の手を捻るより簡単よ。全員その時の記憶を消されて、ミリアは退去処分。あえなく時間警察に強制送還されたの。その様子を押し入れの陰から翁と嫗が見てたってわけ」
「…………」
言葉を失くして黙り込んだのは俺と柏木さんだ。まさかここで竹取物語の壮絶な真相を告白されるとは。
今の話の中に気になることが一つあり、俺は訊かざるを得なかった。
「ミリアさんが要求した、手に入らない未来の物って何すか?」
「ん~。アタシはよく知らないけど、なんでも『虹色のタンポポの穂』だとか言ってたよ」
「あっ! それってヘリコケファルムの変異体コロニーよ!」
柏木さんが声を上げた。
麻衣が以前漏らしたことのある変異体植物の一つだ。
「ミリアさんは俺たちの時代に来たんっすね」
喉の奥から引き攣った声を絞り出す俺に、マリアさんは興味なさげに返事をした。
「へぇぇ。そうなの?」
それより俺たちの反応がよほど楽しかったのだろう。マリアさんはますます上機嫌になってくると、底抜けに無邪気な笑みとともに言う。
「ねぇねぇ。『浦島太郎』って、元からお爺さんなのよ、知ってる?」
なんですとぉ?
もう何も聞きたくなかったのに、気になる案件じゃないか、その話。
「どういう意味?」
柏木さんの声にも力が入る。
「あの話ね。子供たちに見つかって、海岸でいじめられていたドロイドを浦島爺さんがね……」
「ドロイドって何すか?」
「え? ドロイド知らないの? 時間局が各時代に配備するデバッグツールじゃない」
「デバッグ?」
「……ご、ごめん。知らないんだ。やっばーっ、言いかけたわ。時間規則に反するから説明無しね。バレるとアタシも強制送還になっちゃうもん。やっぱこの話しやめるわ……」
と言うと、マリアさんはぷつりと口を閉ざした。
「ちょ、ちょ、ちょっと。そんな酷なこと、美味しそうな料理を目の前に出して、匂いだけ嗅がせて引っ込めてしまうようなお仕置きはやめてくださいよ」
「……ん。じゃぁちょっとだけね。その代わり質問は無しよ」
マリアさんは指を立てて左右に振り、柏木さんは「うん」と嬉しそうにうなずき、それをすがめる俺。
裸体を披露中の少女たちをほったらかしていいんっすか?
茂みの向こうではしゃぎまわるシャンプー女子を横目でチラ見しつつ、耳はこっちでパラボラアンテナ状態。
「ドロイドは生命体に危害を加えないようにプログラムされてるから、子供たちのいい玩具になっていたのよ。それを救ったのが近所に住む浦島って呼ばれていた爺さんよ。これが根性悪い上に酒癖も悪くってさ、近所の嫌われ者だったんだって……だから正確に言うと、助けたんじゃなくて、遊んでいる子供たちに言い掛かりをつけて近づいて来たそうよ。相手は酔っ払った爺さんじゃない。子供たちも怖いからすぐに逃げるでしょ」
「そりゃそうよねぇ」と真剣にうなずく柏木さん。
「ところが爺さん。今度は助けてもらってお礼を言ってるドロイドに絡んだのよ。『命を救ってやったのに礼だけで済ますのか!』って」
「いやらしいお爺さんねぇ。だいぶ呑んでたのね」
「うん。真昼間っからよ」
あのぉ。井戸端会議になってますけど……。
柏木さんは話を聞くのに無我夢中。「それでどうなったの?」なんて言って、俺なんて眼中にあらず状態。
「しょうがないので、とりあえず支局長の判断を仰ごうとして、時間局の支部まで連れて行ったらしいの」
「そこが竜宮城と言うわけね」
「そっ」
マリアさんが苦笑いを浮かべて首肯する。
「最初は食べ物やお酒で和ませていたんだけど、要求がだんだんエスカレート。業を煮やした支局長が、パラライザーで撃っちゃったの」
「パラライザーって?」
マリアさんは端正な面立ちに困惑した雰囲気を滲ませて、
「時間規則に反するんだけどな……簡単に言えば麻痺銃ね」
柏木さんは丸い目を向けて訊く。
「殺したの?」
「バカな。そんなことしたら浦島太郎がいなくなっちゃうじゃない」
「あっそっか」
なんか、お二人気が合うみたいっすね。
「意識もうろうとしてるあいだに、家に送り届けようとしたんだけど、そのままの時間に戻したら、またせびってくるじゃん。だから気付け用のアンモニア含有の噴霧器を持たせて、100年先に送り届けたらしいよ。もともと半分アルコール中毒の気があったから、自分の年齢も分からなくなっていたし、麻痺剤とタイムワープの影響で最後は支離滅裂になったらしいってさ」
「ふーん。お酒の飲みすぎには注意しなきゃねぇ」
「でしょう。気をつけてね」
って、あんたらどこに着地してんの?
と言う俺も。
「うぉぉぉ、麻由……胸でか!」
どこ見てんだか……。
「――桃太郎って知ってる」
「えっ!」
あっちも気なるが、やっぱこっちも気になるもので。
「あれね。亜空間カプセルで寝かせていたリーパーの赤ちゃんが、何かの原因で実空間に落ちて、運悪く川に流されたって話しなの……聞きたい?」
亜空間カプセルってなんだ?
「桃じゃないの?」と柏木さん。
桃と言われて、ふっと桃尻を連想した。つい川の方が気になり、視線があっちへ旋回してしまう俺の頭を柏木さんがぐいっと力を入れて、こっちに捻らせるとマリアさんの話を聞け、と怖い顔をされた。
「リーパーの赤ちゃんって、まだちゃんと時間制御ができないから、無意識にとんでもない時間域に行っちゃって探すのに苦労するのよね。だから特殊な亜空間カプセルに入れて育てるの。亜空間って知ってる?」
「時間が流れないんでしょ」
「知ってんじゃん。よかった。――でさ、その中では意識だけはしっかりしてるから、脳の発育にちょうどいいのよ」
「脳だけが育つの?」
「そっ…。意識面、特に時間制御部分がね」
睡眠学習みたいなもんか?
「それが川に流されて、どんぶらこっこ、よ」
そこまで聞けば誰でも先が見えてくる。
「拾ったのが洗濯をしていたお婆さんでしょ?」
柏木さんがドラマの筋書きを先に言ってしまった。
おねえさんは尖らせた口から息を吐き。
「そぉ。解った?」
そのまんまじゃないっすか!
ドン引きする俺たちにかまわず、肩に掛かるウェーブを手で梳きながらマリアさんはすまし顔で喋り続ける。
「それよっかさっ、お爺さんとお婆さんがカプセル勝手に開けちゃってさ、子供はドンドン大きくなるし、ごまかすのがたいへんだったのよ。ほんとまいっちゃうわねぇ」
参ったのはこっちです。
俺の頭の中は三人娘の入浴シーンと、浦島太郎がアル中の爺さんだったり、かぐや姫は故郷に帰ったのでなく、それは時間警察の強制送還処置だという驚愕の真実を突きつけられて、脳ミソが今にも溶け出しそうになっていた。
「猿蟹合戦って知ってる?」
俺と柏木さんは声をそろえて手を振った。
「「知らない…聞きたくない」」
「あ、そう? おもしろいのにな」
「え?」




