五人の来客
怪しげな風景が広がる中で奇妙な会話が始まった。
「ご無沙汰しております。日高どの」
五人の男女がミウの前でそれぞれに恭しくひざまずいていく異様な光景を目前にして、俺たち現代組は困惑した。だけどミウはそれとは異なる戸惑いを浮かべていた。
「みなさん頭を上げて。神に仕えるような古臭い挨拶はおやめください」
「いや、しかし……」
見たことも無いおかしな衣装を纏った男性が俺たちにちらりと視線を振ってミウにこう言った。
「いかなる時でもこの作法が不自然でなく、どの時代においても共通でございますので……」
「それよりもあなた方はわたくしたちと同じ時間流ですか?」
ミウの質問に誰も動じることはないが、代表して白ヒゲの老人が半歩前へ歩み出る。
「さようでございます、日高どの。我々はあなた様と同じ時間の流れの中に存在する同時間同一体。仲間でございます」
態度がとても穏やかで、どっしりと心の奥まで安心感を与えてくれる声。この中で最も存在感のある男性だ。否応なしに俺たちの視線を集めた。
にしてもいったいこの人たちは何だ? どこかの劇団員だと言われたらもっとも納得できる。目の前でミウと対話する老人はチョンマゲ姿だし。なのにそれがまったく不自然ではない。
「きっとどこかの演芸場の人よ」と麻由が囁き、
「しっ。聞こえるわよ」
柏木さんの指が自分の朱唇を押さえるが、麻由でなくたってそう思うのが最も妥当だ。
ミウは相手の存在を探って緊迫しているのに、こっちは興味津々さ。ただ俺の思うに時代劇役者ではないはずだ。イウが連れてきたのでリーパーだろう。となると……マジでその時代へ飛んでいたリーパーたち。つまりあのご老人のチョンマゲは……本物!?
うそだろ……。
一概に信じることはできなかった。でも正体不明な集団ではあるが、リーパーなのは間違いない。
再び連中が深々と頭を低くする姿を見たミウがようやく肩の力を緩めて安堵の吐息を落した。
「コミュニケーターに同相の信号が入って来ました。これであの男の策略が理解できましたわ」
ちらりとイウへ視線を滑らせたミウは滑々した頬に喜色を浮かべ、やにわに気持ちを緩めた。
それが俺たちにも伝染する。
「変な人じゃないのね?」
小声で訊いた柏木さんの声が相手に伝わった。
「ご安心くだされ。大衆演劇の役者集団ではござらぬ」
聞こえてたんだ……。
好奇に満ちた視線がバレバレだった恥ずかしさに頬を染める俺たち。ミウは困ったふうに片方の眉毛を持ち上げて俺たちに言う。
「この方たちは『時間項』です」
時間項――。
ミウが以前説明してくれた言葉だが、俺には意味不明で理解に及ばなかった。なのでミウから教わったままをここで伝えておこう。
時間項とは原因から結果、ようするに因果律を構成するパラメーターの一つで、一連の流れがたとえ変わったとしても、時間項だけは不変のモノだとミウは言った。
何が言いたいんだ、と俺は思ったね。そしたら、これを自分たちリーパーに当てはめると理解しやすい、と続けた。
過去に飛んだリーパーがいて、何かの『原因』があって元いた未来がおかしくなるという『結果』があったとする。すると時間項でない者は自分が生まれた未来に変化が起きた瞬間、その者にも何かが起きる。これはとうぜんだ。どの時代にいたとしても自分の歴史が改ざんされるんだからな。ところが時間項となったリーパーは原因から結果を導くものなので、結果、つまり答えが出るまでは変化しないらしいのだ。だからこの五人はミウと同じ時間域の未来人であって、同じ時間項なんだと言うのだが……。頭燃えるだろ?
ま、今後この言葉が頻繁に出て来るので、詳しいことはどこかでもう一度ミウに尋ねることとしよう。
五人の所在と関係がはっきりしたらしく、気持ちを緩めたミウが神妙に頭を下げ続ける一同に向かって、ワケの解らない言葉で俺たちを紹介した。
「みなさん頭を上げてください。現代組にはそのような芝居じみたことをする必要はありません。我々と同じ時間項であり、事情を詳しく説明して理解されていますので、何も隠す必要はありません。近代的な言葉で接していただいて結構です」
途端に五人はふうぅと肩の力を抜くとゆるゆると立ち上がった。
「やれやれ……助かり申したぞ、パスファインダーどの。正体を曝すのはちとややこしい時間規則がござるからな」
白ヒゲの老人がずいっと前に出るといきなり馴れ馴れしい言葉遣いに変化。こうなったらガウロパの口調がちっとも不自然に感じられない。むしろ親近感が湧いてくる。
緊張が解けたのか、老人は意外と饒舌だった。
「そうですか。この人らも時間項ですか。ではこの乗り物が今回の時空震のディスティネーション(destination=行き先)へ導くオブジェクト(object=対象物)の一つということで、よろしいかな?」
「む――――」
俺の頭から一筋の煙が立ち昇った……はずだ。いったいこの人らは何の話しをしているのだ?
高校の授業の中で最も難解だと言われる、情報Cの授業より理解不能だ。
しかも老人の腰には刀が。本物だとしたらしょっ引かれるぞ。
「なんすか……おぶじぇくと?」
緊張がほぐれた空気が俺にまで浸透してきたのか、つい軽い口調で接してしまった。だけど誰も咎めることもなくこれまで以上に空気は和んでいき、老人とは全く異なる現代風の衣装をまとった女性が友人口調で近寄り、
「時間項の概念は難しいからね。まあいいじゃん気楽に行こうよ」
色っぽい香りをぷんぷんさせた一人の女性だ。珍しい物でも見る目でじろじろ見られた。
「ふぅーん。まだ若いじゃん。でもオッサンよりだいぶいいわ」
その人は物珍しそうに、飼育箱にいるカブトムシでも観察する目で俺の周りをひと回りすると、眉毛に掛かる金髪のふわふわした髪の毛をかき上げた。
俺たち現代組から見たらこの人のほうが珍品さ。金髪だけど白人ではない。それはあきらかに染色した黄色い髪の毛で、映画でしか見たことのない古臭い髪型。ロングヘアーにクルクルと丸みを付けたあのファッションは昔の言い方でパーマメントと呼ばれるものだ。麻衣たちの天然ウエーブとは異なる人工的で西洋人形のようだが、顔の作りは順日本風、足の先から髪の毛の先まで色気あふれる三十路手前の女性だった。
女性は無遠慮に俺を顎で示して尋ねる。
「あんたたち……色白いわね?」
最初は俺。次に麻衣と麻由を順番に観察してから、
「イウから聞いてたけど……ほんと瓜二つね」
誰もが漏らす常套句を述べた。
「2300年代の人々は直射日光に当たりませんので、みんな色白なんですわ」
質問に応えたのはミウで。空調の風になびかせた銀の流星みたいなストレートロング。金髪に引けを取らない堂々とした輝きだ。
女性は納得したのか、「ふ~ん」と顎を突き上げ、髪の中に入れた手でフサフサと風を送っていた。
「キレイな髪……」
我慢できず麻衣がつぶやき、女性は平然としたまま聞き慣れない言葉で応える。
「アタシは日本で初めてパーマを掛けたのよ。進駐軍のオヤジとかGHQの大将が強く勧めるもんだからね。いいでしょこれ……」
丸まった髪の毛を手のひらに乗せると自慢げに見せつけた。
パーマも貴重だけど……。
「進駐軍って何だろう?」
麻衣と共に首をかしげる。
軍と言うんだから軍隊だな。なら戦争中なのか?
GHQは……?
もはやそれが何かも想像できない。ただ、戦争と言うキーワードと多少なりとも近代的な匂いのする人工のヘアースタイルから想像して、元号名で言うと、たぶん『昭和』だ。それも初めのほうだと思われる。
女性はフリルをたくさんつけたピンク色で襟の長い衣服の上から、高級そうなロングコートに手を通さずふんわりと羽織り、細く長めのスカートから綺麗な脚をチラつかせていた。
全体的に見て、柏木さんよりわずかに身長が高く、細身なのにグラマラスな身体つきはやけに色っぽく、この中で最も際立って美しかった。
ミウもそうだし……未来人はみんなスタイルがいいんだ――という俺の感想と奮起は視線を奥に滑らせた途端、いっぺんに萎んだ。
どっぷりと豊満で丸い体。下半身に向かうほど重力の影響を強く受け、悪い意味でデブ。いや。ふくよかとでも言うべきだ。
反面血色のいい顔つきと衣服から露出した肌は、ミウに劣らないほど白くきめ細やかで滑々だ。その上から白粉でコーティングした顔に丸っこい眉毛が目の上にちょんちょんと描かれて……あ? いや本物か? ここからでは遠くてよく解らない。
でも髪の毛は見事なまでの超ロングヘアー。濡れたような漆黒の髪にはウエーブなどまったく掛かっておらず、膝下まで伸びた髪を首の後ろで束ね、その先を背中で泳がせた威厳あふれる堂々とした立ち居振る舞いは生まれ持ったモノだろうか。そして最も目が奪われるのは金糸銀糸で織られた派手な彩色の和服だった。
「えーっと……この着物……」
日本史の教科書で見た記憶がある。それも最初のほうで、確か日本古来の伝統的な衣装――。
「もしかして……それって十二単?」
柏木さんが遠慮がちに絞り出した声に、女性はふくよかな頬をほっこり持ち上げた。
「そうよ。あの時代の制服じゃん」
答えたのは金髪パーマの女性。
こともなげに言いのけるパーマさんに視線を奪われたが、改めて堂々と十二単を纏ったおデブちゃんへゆっくりと目を滑らし込む。
「これが十二単かぁ。生まれて初めて見る」
「すごっ! 高そう……」
柏木さんも嘆息する煌びやかな十二単は、アストライアーの床の上を扇のように広く敷き詰めていた。
麻衣と麻由はガーデンでマンドレイクを見つけた時と同じ目で凍りついており、今にも飛びつかんばかりだ。
男性陣は三人。白い顎ヒゲででっぷり太った貫禄ある老人だけではなく、時代的にだいぶ俺たちと近い。衣服は現代風のこぢんまりとした軽そうなジャンパーを着ており、どこかの商店のオヤジさんと言ってもいい気さくな感じで、ひときわ安心できる。
ところが……。
問題はこの人だ。
何と説明していいのか困り果てる。
表現のしようが無いのだ。強いて言えばコメディアン。いや奇抜なメイクをしたミュージシャン。
それ以外に浮かばない人物だ。顔から首の後ろまで白塗りした若いんだか年寄りなんだか、男性のようだがナヨナヨした体形に半端無い真っ白な肌。はっきり言ってトイレのタイルと同じ白さだった。
あんた何者? と訊きたい衝動に駆られる。
顔面は白塗りで、剃りあげた頭の後ろから固く結い上げた髪の毛をおっ立てて、まるでキノコの傘みたい。麻衣たちの言葉で言うと子実体となる。
どうりで麻由が開き切った目をして凝視するワケだ。あの様子は謎の物体を観察する時の眼つきだ。
そんなおかしな連中に囲まれたにも係わらず、ミウは平然と会話をしていた。
「今の段階ではほんとうのディスティネーションはまだ不定です。ただ時間項はここにいるこの四人の方々で、これは確定しています。私の推測ではディスティネーションオブジェクトに我々三人がインポート(import)される時間項がそろったわけです。そして過去の記憶を維持するあなた方も時間項のパラメータだと決定されました」
「うむ。ここに集まったのも、我々がインポートされたからですな。では次のジャンクション(junction)までご一緒させていただきます」
「何ですとー!」
意味不明で聞いたこともないテクニカルタームを並べたのが刀を差した白ヒゲのご老中なのだ。時代劇と現代劇とSFを混ぜたようなおかしな空気が蔓延した。
すると老人がヒゲを指先で絡めながら言う。
「時の分岐点をジャンクションと言うのじゃ」
「お住まいの時代でもその言葉遣いですか?」
我慢できずに訊いてしまった。
「そんなことをしたらパスファインダーからお咎めを喰らう。この年でムショ暮らしは堪えるからのぉ」
時代考証が無茶苦茶で頭の中が混乱してきた。それだけでなく会話が半分も理解できない。頭の上から煙と共に疑問符を出したのは、現代組の共通した状態だった。
「――それより……あなた!」
ミウが厳しい目付きでイウを睨みつけた。
「この方たちに今回の時空震の詳しい説明をしたのですか?」
「あぁ。だいたいのことはな。なんにせよ、かなり遠い時代からも来てもらってるので、未来と連絡が取れなくなっていたことすら知らない人もいるんだ」
「未来と長いあいだ連絡を取っていなかったのは、わらわのことじゃ……」
出た―。おデブちゃんだ。それよりもワラワって何語だろう?
床に付きそうなほどに背中を流れるストレートの黒髪をワサワサ。加えて十二単をぶぁさぶぁさと波打たせてミウの前に歩み寄る。
数歩進むだけだが、えらく時間が掛かる。
女性は、毅然と接するミウにも負けないほどの凛とした声音でこう言った。
「わらわは西暦989年で暮らす、藤原彰子皇后様の女房(皇族に仕える身分の高い女性)で、その名を……」
「――誰?」
すかさず柏木さんが間の抜けた声で割り込んだ。
その人は白い顔に黒目を点にして柏木さんを見つめて一時停止。
ミウが苦笑いを浮かべながら、女性のポーズを解く。
「向こうでの名前は結構です。本名でお願いします。こちらの方たちには理解できません」
麻衣と麻由が見開いた目のまま、同じタイミングでこくこくとうなずいた。
動き出した女性は目をキョトンとさせて、口調を豹変させる。
「あーそうか」
愛嬌のある笑みを浮かべると先を続けた。
「ゴメンね。わらわは『富士宮鎖利亜』と申す……あ。ゴメン。いや、失敬。わたくしの名は『富士宮サリア』と言います。これからはサリアと呼んでね。それとすぐには口調が戻らぬのじゃ……じゃなくて、戻らないの。ごめんあそばせ」
サリアって……。
どっちの口調が普段の喋り方なのか、混乱の度合いがもう一段高まってしまった。
だからか柏木さんの声もいつもより1オクターブは高くなって、
「989年って言ったら平安時代よ!」
目を見張ってそう結論付けた。やはり日本史の授業で最初のほうに出てくるヤツだ。
「なんでそんな時代へ?」
重みの感じられる着物をどさりと動かして女性は応える。
「未来の方々には世捨て人とか、散々悪口を言われたのよ。でも確かにそんなところもあったけどね。でも今はぜんぜん気にはしてないわ……だって、わたくし、香子ちゃんとお友達になれたんですよ。リーパーとして最高の幸せを掴んだんだもの」
「友達を作りに時間を飛んでるの?」
柏木さんのおかしな疑問に、ミウは呆れ口調で質問返しをする。
「友達って……あの藤原の香子さんですよ?」
だけど現代組は一斉に首をかしげた。どこの誰だか知らない。
でも他のリーパーたちが一斉に「ほぉぉ」と感嘆の声を上げたところを察すると有名人なのだろう。
十二単の女性は薄く呆れ笑いを浮かべてもう一度告げる。
「式部ちゃんよ。知らないの?」
みたび現代組はキョトンとし、ミウは苛立ち気味に息を吐き、
「紫式部ですよ。知りませんか?」
柏木さんは驚嘆した丸い目をして、
「えっ! 源氏物語を書いた人よ……ね? だっけ?」
答えたのか、問い掛けたのか、変な言葉を髪の長いふくよかな人に向ける。
それでもまだ、麻衣と麻由はポカンとしている。
「お前らの頭の中は、変異体生物しかないからな」
俺の言葉に否定することなく、ふわふわの天パーを前後に振るこの二人はやっぱり変異体バカだ。
次回予告【狂った時代考証】
これまで勉強して来た日本史の授業が無駄になる瞬間を目の当たりにできます。おたのしみに。




