仕掛けられた罠
アストライアーが乗降口を開けると鳥がクチバシを開けた格好によく似ている。内側が乗降のタラップなのだ。
「久しぶりの高湿度やー」
「相変わらず鬱陶しいわね」
先に下りていた麻衣と麻由のどう受け取っていいのか返事に困る声を聞きつつ、斜めに降りるタラップを伝って外へ出た。
久しぶりの開放感に浸るヒマはない。外気に蒸された熱い熱気と一緒になって、カビ独特のむせ返りそうな悪臭が鼻を刺してきたのでスーツの循環パワーを強めた。
俺の横でミウは眉をひそめてカビ毒マスクの上から手で口と鼻を覆う。この世界に慣れないこの子には少しきついと思う。
この臭いを簡単に説明すると、アオカビがぎっしり生えた食パンを鼻面に突き出されたと思ってくれ、深呼吸できる勇気のあるヤツは少ないと思う。
「いつ嗅いでも気分を害するな」
俺はヘッドクーラーの位置を微調整して循環する冷気が鼻先に当たるように、ミウにそのやり方を教えてやった。
ヘッドクーラーとスーツは対で使用され、背中側から挿し込まれたチューブから流れ出る冷風が顔全体を包み込み、それが耐熱スーツの首の吸気口から吸い込まれる仕組みで作られたエアーカーテンが、頭部を冷やすのとカビ毒の侵入を防ぐのだ。
「さぁ。行くデ!」
麻衣は気合一発でショットガンのアームを前後させて弾を込めた。そして軽々と銃を肩に担ぎ、麻由も銃弾のカートリッジを自分のライフルにガシャリと突っ込み、
「準備完了ー!」
ぶら下がるウサギのキーホルダーを翻してライフルを背中に回すと、ショルダーストラップをきゅっと絞った。
「競走よ!」
「よっしゃ!」
ミウは一目散に崖へ飛んで行こうとする双子へ叫ぶ。
「地面が崩れるかもしれません。急がないで!」
どっちが年上なんだ、と思わせる素振りに苦笑いを浮かべるのは俺で、麻衣たちも素直に従い、絶壁の手前まで行って急ブレーキ。そこからは横歩きになって割れ目の有無を確認した。
ミウも走り寄ると今度は三人で縦並びになった。麻衣が先頭、真ん中が麻由、しんがりがミウ。しっかり手を繋ぎ合わせて、徐々に崖の真上へ移動する作戦だ。
「ミウ。もうちょい進んで」
麻由の腕をしっかりと掴んだ麻衣が、下を見ながら恐々足を伸ばす。
柏木さんは四つん這いになって亀裂の縁へ向かう。せっかく子猫みたいにしなやかな身体をしているのに、それではまるで腰が抜けた室内犬のようだ。
三人の振る舞いを半ば呆れ気味に後ろから見つめる俺へ、イウが意味ありげなことを訊いてきた。
「なあ。修一、人間って何だと思う?」
思いつめたような暗い口調が気になる。
「人間? あれか? 考える草ってやつか?」
「ばーか。それを言うなら葦だ。じゃねえよ。人間にはどういう種類があるかって話だ」
「黄色とか白とかの色の違いか? あとは太ってるとか痩せてるとか」
イウは俺の額を指の先でちょいと突き、
「見た目じゃねえよ。あのな。オレが考えるには、人間は3つの種類に分けられるんだ。夢を追い続けるバカと。途中で追うのを諦めたバカと。はなから追いかけないバカだ」
「バカが多いな」
「おーよ。人間なんてバカばかりだぜ」
そう言うとすくっと立ちあがり、さくさくと崖っぷちまで大股で歩き出した。恐々覗き込んでいる麻衣の真横まで行くと、躊躇なく真下を覗き込んだ。
「オレもその中の一人さ……」
俺だけに向けられた言葉は麻衣には通じない。
「なんや、あんた。怖ないの?」
「ん? オレは高所恐怖症でもないし、まんがいち落ちても亜空間に飛び込めば済むからな」
平然と口に出したセリフを聞いて、ミウが睨みを利かせる。
「時間を飛ぶことは禁じます。もしどこかへ飛んで逃げようとしても無駄ですからね」
「何度も言わせるな。逃げたりしねえよ」
鼻息も荒く言い返すとイウは縁に沿って数歩進んだ。痩せた体を崖から乗り出して眼下の岩棚を注視。
イウが立つ位置からアストライアーが付けた走行跡が現在の停車場所まで続くのがはっきりと見て取れた。昨日そこからボディ半分は向こうへ突き出たのだ。思い出すと途端に尻の辺りがモゾモゾしてくる。
「わっわっ。思ったより高いわねぇー。だ……だめ、立てない。私って高所恐怖症なんだわ。初めて知った」
四つん這いで進んで来た柏木さんがよほど怖かったと見えて、そのままうつ伏せになり、体をぺたりと地面に貼り付けて、イウの足元から顔だけを突き出して眼下を見下ろした。
「きゃ――たかぁい」
それだけを崖下に叫ぶと、柏木さんは芋虫みたいに地面を横転がりになってこっちへ戻って来た。そして膝を外に追って座ると吐息と共に宣言。
「あふぅ。やっぱあたしは立てないわ」
鹿児島で発見されたカロンが崖っぷちに露出していないことを祈るばかりです。
少し遅れて俺も亀裂の底を間近に眺められる位置に立った。高所恐怖症でなくともこれは怖い。
立った場所から向こう岸を遠望する。ケミカルガーデンごと大地を両断した亀裂が目の前に広がり、九州の片端が水蒸気に霞んで遠くに見える。幅は百メートルそこそこだが、圧倒されるのはその深さだった。
震える脚を踏ん張り、真下を覗いてみた。
その途端!
吹き上げてくる上昇気流に激しく体を飛ばされそうになる。
「やっば!」
胸の鼓動を跳ねあげつつ、もう一度、ヘッドクーラーを手で押さえて、下を覗き込んだ。
「た……高けぇぇ――っ!」
300メートルを越えるほぼ垂直の断崖絶壁だ。底に向かって切り立った両岸が吸い込まれるように一点に距離を狭めて、遙か下方でぼんやりと消えていた。まるで底が無いようだ。
下から吹き上げてくる気流は渦を巻き、時々割れ目の方へ引き込もうと強い力を掛けてくる。
「やばいぜ。気をつけないと本気で吸い込まれるぞ」
「ほんまや」
麻衣のふわふわした髪も激しく亀裂に向かってなびいていた。
「麻衣さん。身を乗り出し過ぎです。危険ですわよ」
狂ったみたいに暴れる長い銀髪を押さえながら、ミウが怯えた声を漏らした。
「やめなさいって」
ミウはさらに割れ目の先へ近づこうとする麻由と麻衣を引き戻そうとするが、
「だいじょうぶやって、地面は意外と硬いよ……」
慣れてきたらしく麻衣は平気で仁王立ちなった。ふわふわした癖っ毛がびゅんびゅんと振り乱れて舞い、ヘッドクーラーが飛ばされそう。
少し離れた場所では、昨日の崩落跡へ先に到着していたイウがしゃがみ込んで何やら探っており、柏木さんも近づきたいのだが、怖くて四つ足で地団駄を踏むというおかしな行動を取っている。
「あ――っ!」
突としてイウが縁から飛び降りた。
それを目撃した柏木さんが我を忘れて駆け寄ったが、ぬっと背筋を伸ばしたイウと顔がかち合った。
「もう。そんなとこに足場があるの? ビックリさせないでちょうだい!」
風に激しく躍らせる黒いロングヘアーを両手で捕まえて、ペタンと座り込んだ柏木さんは可愛く怒って見せた。
「へへっ。どうだ? ここまで来れたじゃねえか」
崩れたのは最上段だけのようで、その下に次の岩の出っ張りが出ており、そこへ飛び降りたのだ。
「もうー」
柏木さんは鼻にしわを寄せ、イウはヘラヘラと笑って背を向けた。
イウはしばらく下の岩棚に転がる岩石の破片を観察していたが、やにわに大きな声を上げた。
「先生! これを見ろ!」
何かを発見したらしく、素早くしゃがみこむと寸刻無言が続き、今度は叫び声にも匹敵する大声に切り替わった。
「やべえぞ。誰かが先回りしてやがった!」
岩の破片を上に放り投げて、自分もよじ登ってきた。
「それ見てみろ。悪意が感じられるぜ」
岩塊は片手で持てるほどの物で、それを見た麻衣が重たい吐息をした。
「ほんまや……」
そいつには明らかにドリルか何かで丸い穴が開けられており、そこからひび割れが伸びて岩全体をぱっくりと割っている。
「これって、重たい物が載ると崩れるようにしてあったんだよ」
麻由の言い分に呼気が瞬断する。誰がそんな細工を……。
「政府はここまでやって来れないし、ましてや私たちがここを通るなんて、誰も知らないわ」
イウは推察ぎみに尋ねる。
「あの乗り物のナビゲーター情報を抜き取ったとか……」
「それはないわ。ランちゃんはアストライアーが政府の手に渡る前に服部くんが普通のシステムと入れ換えたんだから、それだけは私が保証する」
柏木さんは真剣に手を振って否定し、麻衣はかぶりを振る。
「でも、これは絶対に掘削機の跡やで」
岩に空けられたドリルの穴に指を突っ込んで、口の先を尖らせた。
「たとえ政府がそれを知ったからって、こんな無茶なことをする理由がないわ」
柏木さんの言うとおり意味がない。カロンを見つけた時点で横取りすればいいのだから。
「こりゃぁ、やべえな……」
イウの眼光が厳しさを増した。未踏の地に人工的な細工が施されてあった。どう考えても悪意がこもっている。いやそんな生やさしい物ではない。この道を通るのはアストライアーだけだと承知していて、その結果がどうなろうとも一切関知しない非人道的な手段を選ぶ連中とは誰だ? ここまで敵意を剝き出しにするヤカラは、現代組には思い当たる節が無い。しかし何者かがここへ先回りしたことは間違いない。
「誰よ……それ?」
麻由の視線がミウへと移動。
そう、いろいろな思惑が頭を巡るがすべて該当しない。こうなると結論が出せるのは未来組に限られてくる。
「こんなことをするのは誰だと言うの?
強張る柏木さんの問い掛けに、ミウは平然と応える。
「超未来人です」
覚悟はあったが、言いようのない恐怖が俺たちを襲った。
「確かなのか……ミウ?」
「現代の政府でないとしたら、一般人はこんなところへ来れませんでしょ。となると、そう結論付けるしかありませんわね」
「マジかよ……」
「あたしたちを殺してまでも阻止しようとしてるの?」
ミウは怯える麻由をなだめるように、
「いえ、脅しでしょうね。あの乗り物の性能も知った上での細工です。だって、ここで現代組が死んでしまっては時空震が起きません。我々はそれを阻止する側で、連中は逆に起こして欲しいんですから」
「どっちにしても、オレたちを弄ぶ気なんだぜ」
イウの青い目が鋭くミウを貫いていた。
眼帯男は超未来人が仕掛けた無言の仕打ちに、えらく興奮した様子で、
「決定だな。これは修一らに向けたもんじゃねえ。オレたちリーパーに向けた宣戦布告だ。すでにレールは敷かれたんだぜ。後戻りも……方向転換もできねえ」
ミウが大声で叱責する。
「弱音を吐くんじゃありません! 正しい流れを作れば超未来人とて敵ではありません。必ず元に戻るんです。あなたは曲がりなりにも、時空理論を学んだリーパーでしょ!」
だがイウは憤然と言い返した。
「バカやろ。俺たち3人しかいねえんだぜ。相手は何十人、いや何百人かも知れねえんだ!」
「何を怯えてるのです? 相手が何万人いようと正しい流れに戻った途端、すべてが変わります。協力し合えばなんとかなりますわ!」
「そうだよイウ。俺たち現代組も協力するんだから3人じゃないぜ。7人だ!」
「何言ってやがる! こんな崖ひとつで、もう座礁しちまってるじゃねえか。たった7人で何ができる。このでかい乗り物を担いで、この割れ目をロープで綱渡りか? へっ! いい見世物ができるぜ。いっそのこと、その超未来人さんに見せて金でも取るか?」
興奮するイウへ俺は言い返す。
「他の降り道があるかもしれない……」
「へっ! 甘いぜ、修一。そんなチマチマしてたら、超未来人にあっという間に翻弄されるぞ!」
「じゃあ、どうするんだよ?」
「ここはオレにまかせろ。バカはバカなりの方法があんだよ! ちょっと待っとけ!」
途端、青白い閃光とともにイウは消えた。
「あぁ。逃げたぁ!」
柏木さんの悲鳴に近い声を聞いて、振り向いたミウの小さな体から目映い閃光がほとばしった。
「待ってくれミウ!」
咄嗟に俺は蒼く輝く光の中に腕を突っ込んだ。
猛烈な力が発生して腕から体ごと引き摺られ肩周辺に激痛が走った。見えない力が亜空間に俺を引き込もうとしたが、間髪入れずにミウが時間跳躍を中止。
目映い光りが消え、俺に背に向けたミウの小さな肩が目の前にあった。まるで事前に俺が飛びつくのを待っていたとしか思えないタイミングだった。
ミウはくるりと身を翻し俺へときつい言葉を投げかける。
「後先考えずに行動すると、体がいくつあっても足りませんことよ」
「お前、俺が止めるのを知ってたんだろ!?」
ミウは否定も肯定もしない。じっと俺を見つめるだけ。それがカチンときたので問い詰めた。
「さっきゴーグルを外したのはこの時間を視るためだな?」
「勘違いなさらないで。わたしはあの男の過去を視ただけです」
「過去を?」
「そう。わたしの目は時空震の影響で未来はもうほとんど視えません。でも過去はどこまでも素通し……そこである確信を得ましたので……」
「確信? イウのか?」
疑念と困惑に思考がひどく乱される俺の前でミウは銀髪を振る。
「今は無知でいてください。知ると動きが不自然になります」
「どういう意味だよ?」
ミウはこれ以上の詮索を咎める厳しい目で俺を睨みつけてきた。それは時間規則違反だと語っている。
俺は腕の力を緩めた。ミウにはミウの考えがあるんだと悟った。
「イウもそうだが……未来組のやることはワケが解らんぜ」
悔し紛れなのか嘆息なんだかよくわからない感情が込み上げてきて、俺は変な吐息をして立ちあがった。
離れた場所から今の騒動を目撃した麻衣たちもようやく状況を把握したようで、
「どうしたの?」
「なんで追いかけようとしたミウのジャマすんのよ。あんた、やることがムチャクチャや。半分くらい光の中に入ってたで。怪我は無い?」
麻由と麻衣が走り寄って来ると、疑問混じりの言葉を口々に騒ぐので俺は手を振る。
「心配ない。ほらちゃんと動くし……」
まだ肩の辺りに少し痛みが残っていたが、取り立てて問題は無い。
「ほんで、あのおっさんは?」
駆け寄る双子にミウは、「見失いました」とウソぶいた。
「逃げたの?」
首をかしげる柏木さんにも、
「はい。タイミングが合いませんでした」
同じ答えを出した。
何らかの意図を強く感じるが、直前にミウとイウがいがみ合っていたことや意味ありげなイウの問い掛けなどから察して、互いに目的は同じだが、ちぐはぐなことをした。その様子を見るためにミウが引き下がった。こう考えるのはどうだろう。
互いに共通する目的とはもちろん超未来人に対抗するための策略だ。としたらここで俺は騒ぎ立てないほうがいい。敵は手段選ばずの狂気に満ちた人種みたいだし。




