地獄八景
すぐに出発を決意した柏木船長は、ミューティノイドの夏眠コロニーを焼き払って行くべきだと主張するイウの言葉に耳を貸さず、とにかく全速力で阿蘇高岳の火口を目指せとランちゃんに命じた。
「もとは人間なのよ。それを焼くなんてとてもできないわ」
イウは鼻の頭にしわを寄せて言う。
「先生の気持ちは解るが、これから先でそいつらに襲われたとしてもその言葉が出るかな?」
柏木さんは、瞼をとじて黙り込んだ。ねむの木みたいなやわかげな睫毛が微妙に震えていた。
「わりい。酷な質問だった。オレだって結論は出せねえよ。すまん」
「デリカシーの無い男はこれだから困るんです」
ミウはフンと鼻を鳴らし、麻衣は晴れ晴れとした笑みを浮かべた。
「でもウチはブラックビーストがミューティノイドでないと解ってホッとしてんねん」
だよな。それに向かって何発ショットガンをぶっ放していたか。
なんてことは口が裂けても言えない。イウに向けられた仕打ちを俺にまで受けるのは御免こうむりたい。
2318年、8月4日。朝。
昨日発見したミューティノイドのコロニーが悪夢となって甦り、よく眠れず少々睡眠不足だが、朝が来れば否応なしに先へとアストライアーは進むこととなる。
そうそう。補足として知らせておこう。後部格納庫には金属棒を溶接して作られた立派な棚ができ上がっていたが、誰もが無反応なのが少し気の毒だった。でも今朝見るとミウの洗面用具がちょんと置いてあったのは、たぶん気を遣ったミウからの感謝の気持ちだと思う。俺も何か載せておくこととしよう。
そんこんなで、今日もアストライアーは順調だ。快適な走行が続くのだが、周囲の景色は相変わらず立体迷路状態だ。そしてキャノピーから伝わる熱気がいよいよ厳しさを増しており、直接肌で感じるほどに気温が上がって来た。
ガウロパのスキンヘッドにも汗が滲んでおり、それに気付いたミウが昇降ステップを登り、後ろから太い首にそっとタオルを巻いた。
「姫さま。かたじけのうござる」
巨漢の男は小さく会釈をして、タオルを受け取ると額の汗を拭う。
「確かにこの乗り物が無ければ、こんなところまで来れませんわね」
ガウロパに寄り添いながら、ミウも別のタオルで額の汗を拭った。
「ささ、姫さま。ここにいてはお体に障ります。座席にお戻りくだされ」
ミウはちらりとガウロパへ視線を流すと、
「しかし……あなたが頑張ってるのに……」
暖かい柔和な瞳をガウロパに向けるミウの背後から、柏木さんがくだらないことでいがみ合う園児をたしなめる保母さんみたいに、
「日高さんさぁー。ガウさんの体力はビースト並みよ。あなたはガンビ蝿ほどしかないでしょ。こっちへいらっしゃい。涼しいからさー」
「わたしを『ハエ』扱いしないで頂きたいですわね」
ミウは銀髪を翻して振り返るものの、素直に自分の席へ戻り、ふぅう、と小さな口から息を抜いた。
物憂いそうに腰掛けるミウ。白い首筋に玉のような汗を浮かべてじっと堪える仕草。やせ我慢なのは見え見えなのだが、その健気さに目を細めるのは頭から水で濡らしたタオルを載せた俺だ。五分に一回はタオルを裏返している。
「やってられねえぜ、実際……」
俺と同じ水で濡らしたタオルを載せたイウ。まるで風呂上がりの二人だった。
それから数分で、糸状菌の紐が織り成すフラクタル模様に勢いが無くなったと思った次の寸刻、不意に空が切れた。
「あ! 屋根が無くなった!」
まだひょろひょろした糸状菌の林は続くが、屋根となった巨大なキノコの傘と柱が忽然と消えた。入れ替って現れたのはどんよりとした見慣れた曇り空だ。それでも頭上から圧してくる鬱陶しさが一瞬で吹き飛ばされた気分だ。
次に襲ったのは色彩異常さ。俺は手の甲で瞼をごしごしと擦る。青緑の光りにすっかり慣れた目は灰色の雲をおかしな色に見せてくれた。
「さすがのカビもこの熱さには耐えられないのよ。そろそろ生態系が変わるわよ。ほら見て」
「ほんまやー」
前に座る変異体の三バカトリオは色めき出すが、後ろの未来組は興味なさそうだ。イウはまたもや目を閉じて居眠りを始めた。
さらに進むと糸状菌がやせ細り、すっかり勢いを失くした。代わりに立ち昇る湯気が空気を波打たせている。
あちこちで水溜りがボコボコ沸騰し、地面は赤茶けた色の岩肌が露出して表面は焦げ痕だらけ、誰も説明しなくても地獄とはこんなところだと言える。
『現在気温は97℃です。水は沸騰して高温の水蒸気で満ちています。外へ出ることは推奨されません』
「誰も出ないよ」
と俺はランちゃんに返答したのに、前ではその忠告を不服に思うバカがいる。
「ちぇぇぇっ! サンプル取りに降りようと思ってたのになぁ」
変異体バカめ。外は俺んちのポットと同じ温度だぞ。
呆れる俺を尻目に柏木さんがいとも簡素に答える。
「マニピュレーターを使えばいいのよ」
「そっか。その手があったやんか」
「ほんとだー」
異様に盛り上った双子はキャノピーの最前部へ走り込んだ。
「麻由。何をサンプルにする?」
興奮した眼差しで、獲物の物色を始める。
「やっぱり火山系の生き物がいいわね」
柏木さんも参加。
「火山でもいろいろあるわよぉ。メタン系か硫黄系に絞ったほうがいいんじゃない」
金魚すくいの水槽の前で迷うのと何だか似ている。出目金にする? 琉金にする? てな感じだ。
「何の騒ぎだよー?」
イウが体を起こしてキャノピーの前方を見る。
「くだらねー」
舌打ちと共に身体を反転させて再び目をつむった。
半時間後、糸状菌の林はついに草原程度になり、代わりに荒れた地面が見えてきた。
ゴロゴロと転がる岩石やジャリが目立つ。その隙間や割れ目から黄色っぽい湯気が噴き出して大気を揺るがしている。
周りには赤黒く沸騰した血にも似た池が点在し、そこから粘っこい泥の泡がゆっくりとはじけて、オレンジ色の毒々しい化学物質の気体をゲロる。こんなのを目の当たりにすると、ますます地獄としか見えなくなってきた。
「ううぅ、気持ち悪りぃ。ここも違う意味で別世界だな」
絵で描かれた地獄のほうが、まだ風情があるんじゃないだろうか。込み上げる嘔吐を堪えていたらそんな気分になってきた。
大地は緩く下ったり登ったりを繰り返しており、短くなった糸状菌以外に樹木ぽいものはなにも見当たらず、ずっとガラクタみたいな岩や、固まった溶岩がゴツゴツ突き出した地形が広がっている。
アストライアーはそこに点在する大きな岩を避けるように、器用に進路をジグザグに変更しながら進んで行くが、できれば沸騰した血の池だけは通らないで欲しい。何度かど真ん中を激しく湯気を吹き上げ突っ切るが、浅いからいいものの、スマトラ大蒟蒻の落とし穴のトラウマが何度も甦ってきて思わず目をつむってしまう。
そこから半時ほどでいよいよ荒涼感が強まって来た。
草程度に生えていた糸状菌でさえもほとんど見あたらない状況になり、やがてアストライアーが静かに停止した。
『阿蘇、高岳の火口麓に到着しました』
固まった溶岩がごろごろ転がった山が空に向かってそびえており、天辺から噴火の煙が見えるが、曇り空に溶け込み、思っていたほど迫力は無かった。
「真っ赤に溶けた溶岩でも見られるのかと思ったら……岩山と湯気しかないな」
口から出た感想がこれだ。
全員が無言だったので、その空気を察したわけではないだろうが、観光ツアーのガイド役を演じるランちゃんから補足が入る。
『2203年に起きた大噴火で高岳の上部が大きく吹き飛び姿を変えました。現在、火口は少しずつですが南の麓に向かって移動しています。現在、高岳を完全に破壊するだけの量の溶岩だまりをこの直下に検知しています』
「真下って……危険じゃないのか?」
『火山活動は依然活発ですが、ここ百年あまり大規模な噴火はありません』
「小規模なのはあるんだろ?」
『はい』
「それを危険だと言うんだよ」
「うっさいなぁ、修一は! なにビビってんねん? 噴火なんて今起こるかも知れんし、何百年先かも知れへんねんで。そんなもんにビビッてどないすんねん」
「俺は石橋を叩いて渡る慎重な人間なんだ」
「ははぁーん。叩き過ぎて壊すタイプやな」
麻衣は大口を開けて俺をあざ笑い。柏木さんが白けた目で俺を見た。
「噴火の兆しがあったら、ランちゃんが知らせてくれるわよぉ。安心なさい、修一くん」
「心外っすよ。別にビビってませんよ。それより俺は、『のんびり観光旅行みたいなことを続けてていいんですか?』って、言いたいんですよ。カロン捜索はどうなったんですか?」
「鹿児島までのコースがそのど真ん中を通ってるだけのことよ。カロンのことは忘れたことはないわ」
とか言った舌の根が乾かないうちに、柏木さんは「あーっ!」とか叫んでキャノピー先端ガラスまで飛んで行ってしまった。
俺も急いで後ろを追う。
「な、なんすか?」
「ほら、見てぇ。メタノピュルス・カンドレリの大群生地帯だわ!」
ミューティノイドの寝床に迷い込む前に見たヤツは葉の枯れ落ちた庭木ほどだが、ここのは規模が違う。まるで背の高い城壁だ。それがうねうねと曲がりくねり地面の上を無秩序にのた打ち回り、迷路を形造るかのようだ。
「この壁がそれですか?」
「そうよ。好熱菌が寄り集まって作ったマンションなの」
マンションにはとても見えんが……。
「これだけの大規模なコロニーは珍しいねんよ。見られてよかった」
賃貸か売りか知らないが、麻衣は立ち並ぶ物件にうっとり。でも柏木船長は進行方向を注視。通路が細まりアストライアーに当たりそうなのだ。
「ランちゃん、ぶつけないでよ!」
高さ5メートルに達する壁状になった物体が周りを取り囲み、マンションと言うよりも、まるで誰も住んでいない町並みだ。そう想起してもしや……と予感が過る。
「行き止まりだ!」
思ったとおり、袋小路となって行く手を閉ざされた。
「こんなの突っ切ればいいんじゃないんすか?」
「だめよ。環境破壊するのは嫌いなの」
麻由にそんな事を言われれば、返す言葉が無い。
ランちゃんは律儀にもバックで戻って行った。
「気温も驚異的に高いし、水蒸気は過飽和状態で大好物のメタンがいっぱいあるからね。こんな大きなコロニーができるんだね。すごいわー」
「そっかぁ。超好熱メタン菌やもんなぁー」
柏木さんはガラスの表面に熱い息を吐き掛け、麻衣も嘆息した。
高温で有毒ガスの蔓延する火口近くは植物も生えず、荒涼とした地獄のような光景だと――授業で習ったが、ケミカルガーデンの中に存在する火山帯はなんと言って表現したらいいのか。200色ぐらいの絵の具箱を地面にぶちまけて、大勢で踏んづけ回ったら、たぶんこんなカラフルな色になると思う。
ケミカルガーデンは糸状菌が空へと向かって生えた立体的に広がる有機体生物の世界だが、ここは無機質な岩石や冷えた溶岩の隙間から、地球が何かを訴えようと吐露したいろいろな化学物質で彩られた世界。ガーデンとはまた一味違った異世界だった。
地面のあらゆるところから噴出する蒸気の勢いで小石がゆらゆら揺れていて、生き物かと思いそうになるが、どう見ても死滅した地面は無生物地帯のようだ。三バカ女子は俺の聞いたこともない生物だか細菌だかの名前を連呼して騒いでいるが、それら全部ひっくるめて不気味な世界で締めくくったほうが簡単でいいんじゃないか、と言ってやりたい。
「あの沸騰した水溜り見て。ピュロコックス・フリオススがぎょうさんいそうや」
メダカでも見つけたら呼んでおくれ。なんだよ「ピュロコックス・フリオスス」って。「ス」が多すぎないか?
ところが、俺の目にもとまる物体があった。
一見して動くモノがなにも無い荒涼とした荒野なのだが、噴き出す蒸気に弄ばれる小石に目が奪われた。
地表全体から間欠して噴き出す蒸気に転がされた小石が窪地から窪地へ移動を繰り返す不思議な動きをする。中には蛇みたいに蒸気の吹き出し口がうねって動くものがあり、そのため転がった小石は留まることなく、思い出したように移動するのだ。
あっちでコロコロ、こっちでコロコロ。そして停止――、またコロコロ。
見ていて飽きない。ちょっと面白い。
「それで……この辺りの小石は丸いんだ」
海の寄せ引きで岩の角が丸まる現象と同じで、転がり続けて丸くなった小石が噴煙の上がらない場所に吹き溜まる景色はまるで庭石だ。それらの石はどれも同じ大きさに削られ綺麗な球形だった。
「気味悪りぃぜ」
と小声で漏らすイウ。いつの間にかキャノピーの縁までやって来て外へ興味を示し、
「まさに異世界でござるな」
操縦席で腕組みをしたガウロパは、鼻息も荒く、外へ向けたしかめっ面を変なふうに歪んていた。
「こんなところにも、生きもんが棲んでんだな」
火炎地獄にできた焦げ跡だとばかり思っていたのは、地面から生えた赤茶けた苔みたいな物だった。
「ここらの生き物はすべて高熱に耐えらる超好熱メタン菌と呼ばれる太古の菌ばかりね。それらがコロニーを作って生活してんのよ」
「針口虫とかもこいうところにいるんだろな」
横からイウが口を挟んだ。
「なんだよそれ?」
「あ? ああ。冗談だよ。針口虫って言うのは地獄にいるとされてる虫だ。仏教の話さ」
「でもここならいそうだよな」
「だな……」
麻衣たちみたいに盛り上がることはないが、俺たちなりにも何だか感じ入ることができるのは、やはり目にすることもない別世界だからだろう。
火口の地面は岩と湯気以外何も無いと思っていたが、よく観察すると意外と賑やかだ。
「あの伏せた皿にしか見えない物はなんすか?」
緩く波打つ荒れた大地に、ところどころに固まって白い皿を伏せたとしか思えない摩訶不思議な物体が点在する。あきらかに転がった小石が吹き溜まったモノではないし、かと言って土の中に埋まった丸い岩の頭が出ているわけでもない。どう見ても皿が伏せて置いてある……としか思えない。
「よく見ててよ。私もほんものを見るのは初めてなのよ」
柏木さんが初めてだと言うからには、相当に珍しい物に間違い無い。俺は指差された先を凝視する。硫黄の煙が細く立ち上る場所だ。
「あっ!」
声を上げたミウに釣られて覗き込む。
「なんだよ?」
「動きましたわ」
「どれ?」
「そこのオレンジ色の岩。見えますでしょ……その手前の丸いものが、トコトコと動きました」
「とことこ?」
指の先へ目を凝らす。
「硫黄の湯気で揺らいだんじゃないのか?」
と言った矢先、注目していた物体がトコトコと真横に進んで止まった。
「動いた!」
動いたではなく、歩いただな。
薄黄色っぽい対になった枯れ枝よりも細い足を左右に動かして真横に移動すると、パタッと地面にフタをして停止。まことにけったいな生き物だった。
「なんですの?」
銀髪をなびかせて、驚嘆の眼差しを麻衣に向ける。
「好熱生物の一つなんよ」
続いて麻由の説明が入る。
「カクレガニ科(Pinnotheridae)の仲間が変異したものみたいだけど、あの甲羅、硫黄の結晶が付着してあんなに大きくみえるだけで、実際の甲羅は小さく柔らかいのよ」
「柔らかい?」
「そ、もともとは。貝とかナマコの身体に共生していたのが、陸に上がって高温に耐えられるようになったのよ」
水は水蒸気になっちまうからな。
「変異体生物はみんな陸上に上がるんですの?」
ミウは柏木さんに首を捻り、柏木さんは白衣の裾をそろえながら、
「トンボのヤゴもそうだけど、湿度と温度が高いからね。自然とそうなるみたい。だって海はもっと違う生き物で満員だもん」
柏木さんが告げた言葉は俺に新たな懸念事項を増やしてくれた。
人類が潰してしまった環境なのに、自然界は着々と順応した生物で甦っていくようだ。人間だけがいつまでも自堕落に生きていていいのだろうか。
外の景色同様、俺の心情も晴れ渡らなかった。




