出立(しゅったつ)の刻
「ほれ。ボケっとしてるヒマはないデ。ワシはリスト通りの機材をランちゃんの荷台へ積み込むから、修一はんは二人のミーティングに顔出さなあかんやろ」
「ミーティング?」
「ハンティングの打ち合わせや。その扉の向こうに会議室があるから行ってみぃな。新品の耐熱スーツが待っとるデ」
と言われれば訊き返したくなる。
「耐熱スーツなんてどこのメーカーでも同じじゃないんですか?」
「はぁ……これや」
オヤジさんは大いに肩を落とした。
「素人丸出しの意見やな」
すみませんね。素人っすから。
「あんな、ガーデンの深部ちゅうのは、その周りをカビ毒が包囲してて、環境に順応した生物しか入られへんような仕組みや。何でそうなってるのかは、神さんしか解らへん。でもな、そんなとこへ締結部分が貧弱なファスナーのスーツで入ってみぃ。一発でカビ毒に侵されるやろ」
「出た。テイケツだ……」
「あんたに進呈するスーツは内部圧を利用した真空対応のファスナーや。しかもクロロプレンの生地を使ったスキンに耐熱と断熱効果抜群の繊維をラジアルコーティングした最高級の素材を使てまんねん。それをぽんとプレゼントや。ワシもいっちょかんどるからな。どや。スポンサーとしてもそこは肝のところでもあるんや。つまり、あんたらはうちの店、そうグレースハンティングの広告塔なんや。手は抜きまへんで」
よくそれだけのセリフを得々と語りましたね、オヤっさん。
「だけど、あいつらが広告塔なんかになるんすか?」
「今頃何をゆうてまんねん。ここはガーデンハンターズのサポートショップや。あの子らをサポートするだけでどんだけの客がここに集まるか。せやから他店が出しゃばって来えへんねん。この町ではウチが独占や。うひゃひゃひゃ」
きしょい笑い方に少々引きつつ、それでも疑念は晴れない。
「まだ高校生なのに……ムリだろ」
俺の独りゴチを聞いてオヤジさんは小さく絶句した。
「あんた、ほんまに世間知らずなんやな」
ほっとけよな。
「ガーデンハンターズの武勇伝と生い立ちを知らんのかいな?」
「ぜんぜん……」
オヤジさんは大げさに吐息をすると、眉根を寄せて毛の無い頭を手のひらでぺしゃり。
「ええか? ガーデンの深部へ入って無傷で戻ってくる。これって当たり前のようで実際は難しいことやねん。毎年ぎょうさんの人がケガして帰ってくる。中には帰らぬ人も年間通して何十人とおるぐらいや。せやけどあの二人は無傷の帰還率100パーセントや」
「たかがキノコ狩りでしょ? 怪我なんかするの?」
「おまはん、なんか忘れてるやろ。キノコ狩りってゆうてもな、行先はケミカルガーデンの深部や。その途中のこと考えたことないんかいな?」
「と……途中って?」
オヤジさんはいつの間にか厳しい視線を俺に当てており、その目に気付いて俺は息を詰める。キノコ狩りと聞いてすっかり忘れていた。
「そうか。大昔の大都市が埋まってるジャングルを通るんだ」
「せや。そこがどんなとこか、言うてみなはれ」
「獰猛な変異体生物がウロウロしてる……」
「よーっしゃ。よう知っとるがな。大正解や」
徐々に喉のあたりが引き攣る俺へと、店主はさらなる爆弾発言をぶっ放した。
「ブラックビーストをナイフ一丁で倒した話は知ってまっか?」
「行きがけに麻由から聞いたけど、あれって俺を脅かすための作り話っすよね?」
「アホか。ホンマの話や。でなかったら、あの子らのサポートショップなんかしまっかいな。その話は全国のハンターが知っとる逸話や」
「ま、マジっすか? 店長」
いちがいに信じられる話ではない。あのビーストを女子が? あり得ん……。
店長は丸っこい顎をこくりと落とし話の先を続けた。
「一年ほど前やったかな。二人とも銃弾を使い果たしてにっちもさっちもいかんようになったらしいんや」
俺の反応を観察する店長の目が本気モードだった。そして声を落として続ける。
「あの子らの度胸と勇気は本物や……。相手ははぐれビーストで一匹やったらしいけどな。ビーストはビーストや。めっちゃ凶暴や。それを倒して熱帯雨林の樹に吊るして帰って来たんやデ」
「さ……晒しビーストだ」
聞いたことがある。知能の高いビーストは仲間の無惨な死を目の当たりにするとその地域から撤退すると聞く。
「そのとおり。せやから駅より北側でビーストの姿を見ぃひんようになったんや」
あいつら……チンピラ狩りって言ってたけど、ビーストまでも……。
店長の怖い話はまだ続く。
「二人はな、ガーデン内で生きていく術を子供の頃から教えられてまんのや。ご両親から伝授されたサバイバル術は世界一かも知れん。エエか……」
マジマジと澄んだ目で俺を見た。羨望の眼差しと言えるかもしれない。
「あんたはこれからガーデンに入って行く。しかもあの二人と一緒や。羨ましい話やないかい。いまの地球上で暮らすんやったら、あの子らのお供をするほうが、学校の勉強なんかより千倍は身につくで」
「うっそ……っ!」
完全に息の根が止められた。そんな連中と俺はこれからケミカルガーデンに入るのだ。
どこがキノコ狩りだ! と、泣き叫びたくなるショックと、店長が羨ましがる気持ちは理解不能ではあるが、オヤっさんは態度を反転。いけしゃあしゃあと言う。
「そういうエピソードがあるからワシは決意したんや。この子らのサポートを全面的にしたるってな。ほんならみてみぃ、あの子らが使った銃やらサバイバルナイフはバカ売れや。ガッパガッパのウハウハでっせ。うひゃひゃひゃひゃひゃ……」
「ひゃひゃひゃじゃないっすよ。そんなやばいとこへ俺は拉致られて行くんすか?」
店主はしばらくウヒャウヒャ言ってたが、素に戻って俺の肩に手を載せた。
「あの子らがついとる。心配ない」
きっぱりと言い切ると、その手で俺の腰を叩いた。
「ほれ、はよ出発の準備せんかいな」
やっぱ行かなきゃだめなんだろ……な。
適当な言い訳を見繕って、さっさとここから逃げ出すつもりだったのに、不思議な雰囲気のする三輪式の人工知能バギーに懐かれて、困惑しているあいだに準備は着々と進み。新品の耐熱スーツを差し出されたら、俺には覚悟する以外の道が残っていなかった。
7月27日。午後5時20分。
「さーて、行っくデぇー」
「レッツゴー」
元気がいいのは双子姉妹だけで。
『ぴゅぅ、ぴぃー』
三輪バギーは意味不明だし。
「おきばりやすー」
ハゲ茶瓶さんは楽しげに手を振って見送りだ。
「スロープから地上へ出るんやでー。無事を祈ってまっせー」
そして余計な言葉を付け加えた。
「修一はん。生きて帰りたかったら、二人の言いつけを守りなはれや」
俺は苦笑をひとつ浮かべ、重たい溜め息を振り返って店主に進呈。なんだかリュックのショルダーハーネスが食い込んできた気がした。
店を出て地上へと繋がるスロープへ向かう途中でのこと。俺は麻衣が取り出した物体を片目で睨んだ。
「これがあんたのブッシュナイフ。腰の鞘に挿しこんだら横じゃなくて、後ろに回すねん。そのほうが歩きやすいからね」
さっそく指示を飛ばす麻衣。その手からズシリと重みを伝えてくる銀白色の物体を受け取った。
「よくこんなものでブラックビーストを倒せたな……」
長さ約30センチ。思ったより長い。
「ラッキーやったんやろね」
ひと言だった。たった一語で済ませるものなのだろうか。信じられない気持ちだ。
今度は麻由で。
「このショットガンは修一が使ってね」
さらに信じられないことを言い、ウサギのキーフォルダーがぶら下がる銃を俺に手渡した。初めて握ったショットガンはとんでもなく重かった。
続いて麻由はバギーの荷台に積んであった金属ケースを開けて黒光りする長い物体を取り出した。
「出た……」
これも初めて見る物体に息を飲む。
「これはライフルよ。ショットガンと構造が違うの。あたしはこっちのほうがエレガントだから好き」
化粧品の説明をするみたいに言いやがった。
「俺……銃なんて撃てないぜ」
当たり前のことを言う俺がおかしいのか、
「大丈夫。河原まで出たら数発撃たしたるから、そしたらすぐ慣れるよ」
てなことを言いだす、こいつがおかしいのか。
「それに俺グリーンカード持って無いぞ。許可無く銃を持ち歩いていいのか?」
簡単な申請で済むグリーンカード。準禁止区域から銃の所持を許可される証明書だ。ハンターなら全員が所持するが、俺はそれすらない。
「ええよ。ウチらが許す」
「なんだよそのいい加減な態度。もし誰かに見られたらどう言い訳すんだよ」
「なんでやの? ウチらが横におるんや、誰も文句言わんよ」
「ウソ吐け……」
麻由が指を左右に振った。
「レッドカード保持者と同行する者は、グリーンカードの申請無しで銃を持ってもいいのよ。でも街はダメよ」
麻衣は鼻頭をツンとそびやかし、
「どう? ウチらがおったら助かるやろ?」
「そうよ。そうでなかったら、修一はただの犯罪者だからね。公安の人に即逮捕されるわよ」
そんな都合のいい話があるかい、と思いたいが、レッドカードとはそれほどのものなのだ。
それを持つだけで社会的地位がグーンとアップするだけでなく、法的な呪縛がすべて外されるのだ。世紀末的な世の中だからこそあり得る制度で、銃を所持したまま町の中を歩いたっておとがめなしなさ。
だいたいにおいて、女子高生がレッドカードを持つことなどあり得ないのだが、川村教授の娘たちという家柄なのか、役所勤めの息子との差が超痛い。
「きゅー!」
三輪バギーが急激に速度を上げてスロープを駆け上がって行った。
「お、おい。バギーが勝手に行っちまったぞ。いいのか?」
「久しぶりの地上やから嬉しいんやろ」
「野放しのバギーってか?」
「ちょっとー。何度も言わせないでよ。ちゃんと名前で呼んであげて!」
麻衣はバギーの後ろ姿を優しげに見つめ、麻由は俺へと眉を吊り上げた。
「あ、いや……、なんかこっ恥ずかしいよ」
そんなこんなでようやく俺たちも地上へ。すぐに熱くねっとりした空気が頬を舐めて通る。地上は湿度が高いのでべったりするのだ。
『ぴゅっぽー』
地上に出たところで三輪バギーが止まって、俺たちを待っていた。
最初に麻衣の胸に輝線を当て、続いて麻由へ。そして最後に赤い輝線の先端が俺の着るスーツのロゴに当てられた。
「歩き出す前に耐熱スーツのチェックしろってゆうてるワ」
「そう言ったのはお前だろ。あの三輪バギーが言うはずない」
麻衣は自分のスーツの横っ腹に挿し込まれたゲルパックのバッテリを何度か抜き差ししてチェックしていたが、チラッと俺を上目に見て不可解なことを言った。
「そのうち分かると思うけど、ランちゃんって喋りかけてくるんやデ」
「このバギーって音声合成までついてんの?」
「ちゃう! ランちゃんや!!」
麻衣は強い口調で俺を咎めた。
「ご……ごめんって」
ちょっち俺驚く。
だがすぐに気持ちを緩めると麻衣は話を継いでいく。
「テレパシーってゆうたらええんかな。なんや知らんけどそんな感じや。言いたいことが解るねん」
あーなるほど。その気持ち理解できるね。
「それはあれだ。お前ら二人だけの現象だ。生まれた時から家にあったんだろ? そりゃぁ長い付き合いだ。機械であってしても愛着がわくんだよ」
「違うわ。ランちゃんはね。機械じゃないの。あたしたちの仲間なの。家族よ」
「分かったって。俺が悪かった。二人にとっては家族さ。そうだとも。会話ができるんだよ」
とってもついていけんな。
だが少々考えを改めることに。
二人は突然両親を亡くして悲しみのどん底に落とされた。そんな時にずっと家にあった三輪バギーが唯一、両親との絆だと二人は気付いたのさ。
「可愛いとこあるじないか……」
そう思うと無下に扱われることもできない。俺も素直に従ってスーツのチェックを済ますと、歩き出した二人を追って来る三輪バギーに声を掛ける。
「ランちゃん。俺も仲間に入れてくれるかい?」
『ぴゅりぴゅりー』
いきなり横に寄り添って並走すると、ランちゃんは俺の右腕のあいだから頭を突っ込んで、脇の下から顔を出した。
「うぉーい。きしょいぜ。何だよ、この行為は?」
それはAi搭載の機械にはあるまじき人間臭い振る舞いだった。
「ほらね。喜んでるじゃない」
「ランちゃん、これからもこのヘタレを頼むわな。ちょっとアホやけど悪い人間やないからね」
俺の脇から首を出したまま、麻衣へ向かって大きく首肯した。その動きは麻衣の言葉を理解して、承諾したと言わんばかりだ。
「何なんだ、このバギーは……」
それは初めて覚えた驚愕だった。そしてこれから長い付き合いとなるランちゃんとの出会いの一歩でもあった。