夏眠のコロニー(日曜大工) 前編
2318年、8月3日。朝。
「げほげほ。なんすかこれ?」
アストライアーの機内が紫色の煙で包まれていた。呼吸がしにくくて俺はひどく咳き込んだ。
「修一どの。無理してこちらに来なくていいでござるぞ。拙者と柏木どのにまかせておけばいい」
「こら、タコ! オレも手伝ってんだ。無視するな!」
ガウロパはイウとそろってタオルを口の周りに巻いて、まるで大掃除の最中みたいな格好でいがみ合い、その横で柏木さんはピンクのカビ毒マスクに覆われた美麗な顔を変なふうに歪めていた。
「ちょっと、あんたたち喧嘩なんかしてないで、早く空気の流れを探してよ。機内の圧力上げてんだからあまり長時間すると電力が無駄になるのよ」
「すまぬ。しかしこの探知機が小さすぎて拙者の手にはちょっと……」
「ちぃぃ! かせタコ! 体がでかいだけで何の役にも立たねえヤツだな」
自分のタオルを勢いよくほどくと、イウはぶんと振り回してガウロパのスキンヘッドを狙い撃ちした。
ガウロパは犯罪者から受けたしうちにもかかわらず怒りだすことはない。マジで温厚な性格をしている。だがこの男が本気で怒りだすと、とてつもないパワーを出すらしく。それをミウは誇りにしていて、しきりに自慢するのが可愛い。
小気味よい舌打ちをしたイウは、ガウロパから小型のレーザーポインターによく似た赤い光を放つ装置を奪い取ると、それで天井の隅を放射。しばらく左右に振っていたら、
「あっ。あそこだぁ! ほら見て!」
格納庫の最も端っこの壁に並んで、煙の動きを監視する三人の女子のうち、真ん中にいた麻由が天井の角を指差した。
「ですね。煙が渦を巻いて吸い込まれて行きますわ」
とミウが知らせ。麻衣が真下へ走る。全員がカビ毒マスクを着用した姿だった。
ひと言説明を足しておこう。
今日は休息を兼ねてアストライアーに空いているかも知れない穴を探してみることとなった。
もちろんカビ毒の脅威はもう無いが、機内の亀裂を見つけやすくする紫色の煙が一種独特の匂いがするので、それを嫌がった連中がマスクをフィルター代わりにしているのさ。
にしても。ピンク色のマスクなんてどこで売ってんだろ?
すぐに金属製の梯子が掛けられた。
「あったー。割りばしの先よりもまだ小さな穴が開いてるわよ」
軽々とした動きで駆け上がった麻由が最上部から気勢を上げ、どしどし足音も重々しくガウロパが歩み寄り腕を伸ばす。
「何ちゅう巨体や。梯子いらんやん」
俺もそれを見て仰天だ。高い後部格納庫の天井に手が届くって……。
言葉を失くした俺たちに構うこともなくガウロパは高所から大声で訊く。
「柏木どの。この機内に溶接工具はござらぬか? 拙者が外に出て穴を塞いできてもよいが?」
「倉庫にあるけど、ガウさんそんなことできるの?」
「時間警察は何でも屋でないと務まらないのです」と苦々(にがにが)しげにミウがそう言い。
「せいぜいお気に入りの女性の前ではりきってきなさい。わたしは休ませていただきます」
悟りを開いた女僧が口にするようなセリフを吐いて、食堂へ歩み去る姿を俺は横目で追った。
「ミウ……」
なんだかミウの後ろ姿が小さく見える。
「おほほほほ。それはご心配をおかけしました」
ガウロパがよその人に気を遣いすぎることで、ミウが落ち込んだのかと思った俺は後を追って尋ねたのだ。そしたら彼女にしてはあり得ない大声で笑い飛ばされた。
「修一さん。わたしとあの人は同じ職場の同僚、いや上司と部下と思ってくださって結構です。これまでに多くの危険な目に遭い、確かに命を救ってもらったことも幾度とありましたが、それがあの人の仕事。わたしは上から受けた厳命を全うすることが任務。ただそれだけです」
「意外とサバサバしてんだな?」
「それはそうです。わたしはガウロパの過去から未来まですべて視ていますから」
「う……」
超視能力……思った以上に鬱陶しそうだ。
イウも同じ能力の持ち主だと暴露されて久しいが、この二人なんかいろいろと共通点がある。
「ったくよー。何でオレまで駆り出されるんだよ」
口先を尖らせたイウの背中には中型の発電機。ガウロパは重量のある大型溶接機がずしりと肩にかけられ、余った片手には複雑に丸められたケーブルやパイプと諸々の工具がひとまとめに握られていた。
それを見て柏木さんが大いにはしゃいだ。
「たった一人で小型モーターカー1台分の荷物を運べるって、どこまですごいのガウさんって」
「そうでござるか? 別にどうってこともないと思いますが」
「おい。溶接銃の先で鼻の頭を掻くな」
「とにかく外に出るぞ。イウ。ついて参れ」
「外に出て何するんだよ?」
「なにするって……。これを見て解からぬか! 空いた穴を外から溶接して塞ぐんじゃ」
「どうやって外に出るんだよ? 外はカビ毒が蔓延したケミカルガーデンだぜ。この格好で出たら確実に死ぬぞ」
「せやで。ウチらは耐熱スーツと防護マスクがあるから出れるけど、ガウのオッチャンはそれがないやろ?」
「耐熱スーツならほれ、これがそうじゃ」
ガウロパが着るのはピチピチの耐熱スーツ。チンピラからまきあげたやつだ。
「でもそれブーツがないじゃない。裸足で外歩くの?」とは麻由。
「あ…………」
操縦ペダルに足が入らないと自分で千切ったのだ。
「ほら見ろ、後先考えずに引き千切るからだ、タコめ!」
「どうやって外に出るでござる?」
「だからオレが訊いてるだろ。だいたい何で外に出るんだって。内側からできないのか?」
「上から下が基本でござる。でないと火の粉を浴びることになる」
「それだけの体格してんだ少々焦げても問題ないだろ。内側からやれ」
ガウロパは素直にイウの言葉に従い溶接の準備を始めた。ずっと後ろで柏木さんに見つめられてずいぶん張り切っており、手際のいい動きは巨体の主を思わせない機敏さだった。
「あちちち! 熱ぃぞ、このタコ!」
下から上に向けて溶接のアークを飛ばせば火の粉が自分に降りかかってくる、にもかかわらずガウロパは平気の平左。悲鳴を上げてるのは下から見上げていたイウのほうだ。
「すごいっ! 頼もしいわ―。ガウさん」
柏木さんが手を叩いて称賛するもんだから、発奮したガウロパは後部格納庫の隅に棚も作ると言いだした。日曜大工のオヤジみたいなのはイイが、あまり調子に乗せないでくださいよ。柏木さん。
「それじゃあ。私たちはこの休息時間を利用して火山性ガーデンの探索に出かけてきます」
「え? 棚の完成までご覧にならないので?」
ガウロパは予定外の行動に出た柏木さんへ目を丸めて見せた。
それから二秒後。急激に消沈した。
「そうで……ござるか……」
「男が一度口に出した約束です。完成させなさい」
ミウがひと言釘を挿し、イウも嘲笑と共に立ちあがる。
「だよな。ならオレはせっかくもらった休憩時間を有意義に使わせてもらうぜ。」
イウは自分のテントへ引き上げ、ミウは食堂で温いミルクを傾けご機嫌な様子。
俺も残りたかったのだが変異体三バカトリオのお供は断れない。しかし何が面白くて危険なケミカルガーデンへ探索へ出掛けるんだか……でもそれもガーデンハンターの仕事だと言われれば無下にできない悲しい宮仕えの身の上さ。
「これって潜水具っすか?」
「外は80℃超えのケミカルガーデンよ。普通の頭部冷却装置だけでは耐えられないのよ」
差し出されたのは透明シールドが付けられた真空対応の密閉フルフェイス防護マスク。背中には酸素ボンベが二時間分。これで頭の上から足の先まで冷気に満たされる。
「宇宙服みたいだ」と漏らした俺の言葉に。
「このあいだ修一くん上手いこと言ってたわね。ケミカルガーデンは菌界の世界だって。そのとおりよ。昔の地球は動物界や植物界そして菌界が混ざり合って共存できた楽園だったの。でも今はちがう。火山性の恒温霧湿帯は菌類だけが生き残った特殊環境となったわけ。そこへ私たち動物界の人間が入るにはこいうモノで外界と隔てるしか方法が無いの」
武器は高温すぎて暴発の恐れがあるためにショットガンやサーモバリックは持って行けず、使えるのはブッシュナイフと高電圧スタンガン。それとおなじみになった採取ボックス。それらをリュックに担いで乗降タラップから地上へと降り立つ。
「すっげぇ。まじで別の星へ来たみたいだ」
緑の光で満ちた綿毛の中だった。
後方はアストライアーが突き抜けてきた穴がトンネルになった糸状菌の森。前方は絡み合った糸状菌の壁になっている。だがよく見ると意外と隙間も多い。少し掻き分けて中に入ると、ところどころに空間がありそれほど鬱陶しくもない。
熱気でユラユラと陽炎みたいに空気が揺れており、遠近感がつかみにくく近くにあると思った乗降タラップのフレームが思った位置にあらず、突き出した腕が宙を切った。
『屈折率が変わっちゃってるから近くにあるように見えるの。気をつけてね』
『ほな。大きく見えても実際は小さいねんや』
『なんかおもしろいわね』
無線を通してくる声が金属ぽいことを除けば、こいつらの会話は相変わらずトンボ(極楽トンボの意)だ。
『日高さん聞こえてる?』
『はい。感度良好でわ』
『それじゃあ、二時間以内に戻って来るから留守番よろしくね』
『承知しました。こちらは帰って来るまでに棚を作らせておきますので……』
『うふふふ。適当にね。あまり期待して無いから』
俺だって同じ気持ちだ。あの大きな後部格納庫に棚が作られたからって何を載せるわけでもない。ガウロパの意地と面目の作品に過ぎない。
『ここにビーコンを立てて行きましょう。帰り道に迷ったら大変だからね。それともう一回仕分けしようっか』
糸状菌の茂みが大きく開けた場所で俺たちは一旦装備を分けることに決めた。
麻衣は柏木さんに命じられてビーコン発信機の三本足を引き出し始めた。俺はその手元をぼんやり見つめ、麻衣は持参したタブレットのマップ上に赤い点滅が始まったのを確認して立ちあがった。
『そっちのリュック開けてみて、麻由』
『これ?』
『そうそれ』
麻衣から視線を引き剥がして、今度は地面の上でリュックを開いて店開きを始めた麻由と柏木さんの会話に耳を傾けつつ二人の姿を探す。
ようするに視線を常に定めておかないと、防護マスク越しに無線の声を聴いただけでは距離感がつかめないし、誰がどこにいるか位置感覚も失うのだ。だけど艶めかしい柏木さんの息遣いがはっきりと伝わってくるのがたまらなく耳にいい。麻衣も麻由も常に俺の耳元にいるみたいだ。
『ブッシュナイフとスタンガンは麻衣と麻由にお願いするわ。使い慣れてるでしょ?』
武器を使い慣れた女子高生ってどうなんだ? 時代が時代なら警察がすっ飛んでくるよな。
『各種採取ボックスは修一くんでしょ』
でしょうね。下っ端が持つにふさわしいグッズっす。
『ぶー垂れないの。でも最終的にはそれに戦利品が入るんだから責任重大なのよ』
そういって慰めてくれる柏木さんは女神さまのようです。
『そう言えば何年前だったかな……服部くんが採取について来たときさー』
なんか思い出したようだ。服部さんといえば熊本の研究所で苦労してアストライアーを調達してくれたのに、無理矢理引き摺り下ろされた気の毒な人だ。
『採取ボックスに入れてたカーペットバイパーの変異体がリュック中で逃げ出してさー。大騒ぎになったのよ。修一くんも気を付けてよ。ボックスのロックを掛け忘れたらだめよ』
やっぱ前言撤回しようかな。ていうか何だよ。カーペットバイパーって?
『猛毒の蛇や』ぽつりと麻衣。
「どはぁぁぁ! 柏木さんに進呈した言葉は即行で撤回だ。取り下げだぜ。ご遠慮願います」
『なにを進呈してくれたの?』
女神さまがキョトンする。
「あ。いや。なんでもないです」
急いで拒否る。小声でも無線機は伝わるので要注意だ。
『それと糸状菌の茂みの奥を安直につついたらだめよ』
それは百も承知ですぜ、船長。
「ガーデンの藪をつつけば何が出てくるかだいたい想像がつきますよ。ヘタすりゃ食われますから」
『うん。よく勉強したね』
柏木さんは百点満点の笑みをくれたが、俺は強く言いたい。
勉強したんじゃなくて実経験だと。