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ゼロの支配者  作者: 雲黒斎草菜
九州編
57/109

 ハエ騒動(蒸し風呂) 後編

  

  

「虫が運んでいる……」

 ミウの忍び声にイウの言葉が被さった。

「天井のハッチから出入りした時じゃないのか? ジャングルで何度も開けてたろ?」


「証拠もなく滅多な事を言うのではありません」

 イウに振り返ってキッと睨むミウ。それに柏木さんも賛同する。

「あのね。ガンビバエはケミカルガーデンに生息する小さなハエなの。ジャッグルにはいませんから」

「おい、二人そろって噛みつくなよ。オレは素人だ。ただ可能性を言っただけで、別にライフルねえちゃんのせいにはしてない」


 イウはまだ言い足りなさそうだったが、麻衣と麻由の顔色を窺いながらニヘラと笑う。

「そいうことさ。疑ってわりぃな」

「別に気にしてないよ」

「そうよ。そんなの解った上であたしたちは上部ハッチを開けてんだから」

 麻由も麻衣もあっけらかんだ。


「へっ。オメエらプロなんだな。すまん。何も言うことねえよ」

 イウは降参と手を小さく振って引き下がった。


「たぶん亀裂があってもごく小さい物よ。そうでしょ?」

『その推測は間違っていません。原因がガンビバエなら汚染範囲の大きさから推測して、ごく少数の個体が飛び交っていると思われます』


 ガンビ蝿――。

 記憶を呼び戻すまでもなく目の前に浮かぶ。

「なんですの? それ」

 銀髪をかしげるミウへ説明する。

「コンマ5ミリにも満たない小蝿(コバエ)だけど、カビ毒を撒き散らすんだ」


 普段はコロニー(個体群)を作って集団で飛び回るので目に付きやすい。もし煙りにも見える丸い物体がゆらゆらしていたら、それがガンビ蝿のコロニーだ。近づくと弾けるみたいに消え去る不思議な生き物さ。でもそれは消えたのではなくて、一匹一匹があまりに小さすぎて散らばると見えなくなるだけだ。


「アレなら数匹が入り込んでも絶対に見えないな」

「まずいわね……」

 と切り出した柏木さんは白衣の腕を組むと、恐ろしいことを言いだした。


「この時期のガンビバエは産卵するのよね」

「室内にすか?」


「ううん」首の後ろで結った黒髪をユサユサさせて、決定的なことを言う。

「動物の皮膚の中に卵を産んで知らぬ間に皮下で孵化(うか)させて繁殖するのよ」


「や、やめてください!」

 ミウが自らを抱き上げて肩を揺すった。

 皮膚の中で繁殖するって、想像を絶する不気味な感触だろうな。

「うげぇ」

 その状況を想像して、俺の背筋にも寒いモノが走った。



「ランちゃん! 強制エアークリーナー作動準備!」

 柏木さんが首を直角に曲げて天井に命じた。


『了解しました』

「後部格納庫でカビ毒が発生したときに始動!」


『準備完了』

「みんな何かに掴まってなさいよ」

 急に言われたって、何を掴むんだ? 俺はとりあえずテーブルの端を掴んだ。


 ゴォーっと音を上げて髪がいきなり突風であおられた。カビ毒マスクが煽られて吹っ飛びそう。

 嵐と同じレベルだと言ってもいい猛烈な風が巻き上がり、柏木さんの黒髪もミウの銀髪も暴れまくった。麻衣と麻由の柔らかい髪も強風に飛ばされて乱れ舞る。


「す、すげぇぇぇ。掃除機の中みたいだ!」


「停止!」


 瞬時に静寂が訪れる。

「どう?」

 柏木さんの問いに、ランちゃんはしばらく沈黙。


 しかし――、

『食堂内でカビ毒を検知しました』

「麻衣! 操縦席側のドア締めて!」

 と叫ぶのと同時に、柏木さんは後部格納庫へ通じるハッチを勢いよく締め切った。


 風のように舞う白衣の美女に俺は感動すら覚えた。おおらかでもいい。お茶目でもいいし、バカみたいでもいい。でもこの切れのいい判断力と行動力に感極まる。


「どう? 他の部屋で検知してる?」


『いいえ…』


「みんなー、指を立てて!」

「はぁぁぁ?」

 柏木さんの号令みたいな言葉の意味が分からず、俺とイウがカビ毒マスクの奥から、おたおたした視線を向けていると、

「ガンビ蝿は尖った物の先に集まる習性があるのよ」

 指をピンと反らして説明する麻由の言葉を聞いて思い当たる。ガーデンで見た光景だ。ガンビ蝿のコロニーが飛び去った後には常に糸状菌の先端だけが残されていたことを。


「指に(たか)られて卵を注入されるのも怖いよな」

「それならこっちのほうがよろしくてよ」

 食事に使っていた箸をみんなに配るミウ。


「いいわねぇ。これなら産卵されることもないわよ」

 柏木さんはニコニコ顔で箸を一本握った。


「なんだろ、この状況……」

 全員が一本の箸を握ってじっとたたずむ光景。今ここに誰かがやって来たら、たぶん引くだろうな。そんなおかしな景色だった。


「ランちゃん。他の部屋はどう?」

『検知されていません。食堂内で再び検知しています』


「おっけぇー決定的ね。さあみんなー、目を凝らして箸の先を見るのよ。で何か見つけたら私に知らせるの。わかった?」

「了解つかまつった」

 ガウロパは張り切って箸の先へ意識を集中させ、柏木さんは白衣をバサッと羽ばたかせて、ガラス製の吸引器を持つ手を突き出した。


「それと、もっと部屋にまんべんなく散ってちょうだい。麻衣、もっと後部へ、日高さんは逆に先頭にね。ガウさんはそこでいいわ……そうそう。他の人はそんな感じよ。じゃあちょっと辛くなるけど我慢してよ」


「つらい?」

 指示を飛ばす柏木さん。何が辛くなるのか? この姿勢か?

 確かにじっとして動かないのは辛いよな。


 俺の考えは完璧に外れていた。柏木さんはインターフェースポッドへ向かって、眉間にシワを寄せたくなるような指示を出した。


「ランちゃん。室温を40℃まで上げて!」


「え――っ!」

 未来組と俺がびっくりして白衣の美女へ視線を滑らせる。柏木さんは優しそうな眼差しで、さらなる怖い言葉を綴った。

「あとで、もっと上げるわよ」

「そうせんと、ガンビ蝿は尖った先に集まらんもん」

 麻衣も平気で口にするが、俺は堪らず目をつむった。

「耐熱スーツ着てないんだぞ!」

 スーツは階下の乗降準備室に吊り下げてある。今さら取りには戻れない。

 覚悟を決めて固唾を飲む。十秒も経たずして、すぐにむーんとしてきた。


『室温38℃。なおも上昇中』


 報告されなくっても気温の上昇をいやおう無く感じる。

「これは……やばいぞ」

 ぐいぐい上がってくる温度に目をつむった俺のコメカミを一滴の汗がつたってそのまま(ほほ)から(あご)へ、そいつは重力に従って床へと落下。粒が大きいので見なくても流れが肌を伝わってくる。


 いきなり俺の頭へゴツンと拳を落す麻衣。

「なに目ぇつむってんねん。箸の先を見なあかんやろ!」

 俺は麻衣に向かって肩をすくめ、ついでに笑ってごまかした。



『室温40℃に達しました』


「あと10℃上げて」

「うげぇぇぇぇぇ」

 柏木さんが平然と命じる言葉に奇声を上げるイウ。眉間にしわを寄せて尖らせた口先を天井へと突き出した。

 感情が顔に出るタイプ。何となくミウに似ていると思った。

 この推測が意外な結果をもたらすとは知らずに俺は箸を一本握って先を睨んでいた。



 少時もして。

 額に玉の汗が噴き出し、手で拭ったらボタボタと床に滴った。


『室温48℃です』


 息苦しい。高温の空気を吸う肺が悲鳴を上げる。耐熱スーツを着込めば気温60℃でも涼しい顔をしていられるのに、ここに無いのが悔やんでも悔やみ切れない。


「ふぅぅ」

 顔を真っ赤にして噴き出す汗を拭いもせずに耐えていたミウが可愛らしい吐息をした。銀髪が頬に張り付き、長いまつ毛も心なしか垂れている。それでも視線は箸の先で固定。



 その数秒後、蚊が鳴くような小さな声をミウが出した。


「良子さん……」

「見つけたの?」

 声になりきらない声を吐き、ミウは汗で張り付いた銀髪を小さく前後させた。

「これ……箸の先端にゴミみたいなものが浮かんでいます」

 ゴーグルの奥から色の異なる瞳で一点を示すミウ。


 すっと柏木さんが横から滑り寄ると、箸の先に吸引器の先端を付けた。

「いるわ! 確かにガンビ蝿よ」

 しゅっ、と空気の吸い込む音とともに吸引器の先から視線を外した柏木さんは、インターフェースポッドへ尋ねる。


「どう? カビ毒は消えた?」


『まだ放出は止まっていません』


「まだか……」

 無念そうに肩を落とす柏木さんの声を遮って、ガウロパがカビ毒マスクの中から囁く。

「柏木どの、拙者の箸の先にも何か飛んでおる」

 水でも被ったのかと言いたくなりそうなほどに、スキンヘッドが汗でぐしょぐしょだ。


「ほんとだわ。いるいる」

 そばに寄って、再び吸引器を向ける柏木さん。


 その時、いきなり音を出してミウが崩れた。

「ひ、姫ぇーっ!」

 駆け寄ろうとするガウロパをミウは気丈にも制した。途切れ途切れだがミウは毅然と振る舞う。

「わたしは……大丈夫です……ちょっとめまいが襲っただけです」


 ミウは起き上がろうと膝立ちになり、

「あ――っ!」

 テーブルにすがりついたその目が、飲みかけのコーヒーカップに突っ込まれたスプーンの先で固着した。


「りょ……良子さん。ここ……。スプーンの先に……すごい。何匹も飛んでいますよ」


 ガウロパの蝿を吸引器に収めていた柏木さんが、熱くて重々しいい空気を引き摺ってテーブルに駆け寄る。

「ほんとだ! かなりの数よ」

 吸引器を近づけて穏やかにつぶやき、

「ほらほら。みんなお引越しよ」

 優しげに語りかけてから、そっと吸い上げた。まるで自分のペットに接するように。



 一拍置いて――、

『カビ毒の放出が止まりました』

 ランちゃんの爽やかな宣言と同時に全員が弛緩する。


「オッケぇー。麻衣、麻由ハッチ解放! ランちゃん室温を元に戻してぇ」

 麻衣が扉を開ける。向こうから涼風が飛び込み、緊張が緩んだミウはそのまま床の上に突っ伏した。


「大丈夫?」

 駆け寄る麻由へ、彼女は薄っすらと微笑みを返して手の平を振る。

「だ、大丈夫です。わたしはリーパーですよ」

「この際、時間跳躍は関係ないだろ」

 唇の先を突き出した俺の全身も汗まみれだ。すかさず麻衣から差し出されたタオルで拭う。

 さらっと乾燥した布地の心地良い摩擦感がたまらんね。だからこんな苛酷な苦行を強いられたのに自然と笑みが浮き出てくる。


「オメエラ平気なのかぁ?」

 床で伸びきったガウロパとイウの姿を見て、俺が浮かべた微笑みが思い出し笑いに変化した。初めてこの二人と出会った時、耐熱スーツも着ずに甲楼園の荒野にぶっ倒れていた状況を思い出したのだ。


 俺は込み上げてくるおかしな一体感に親密度を高まらせて歩み寄る。

「現代組は50℃超えの気温を何度も経験済みだから」

 と告げてから配給された塩球を投げて渡した。


「はぁー涼しい」

 操縦席から流れ込む気温30℃の冷風に深呼吸をする。そう気温30℃と言ったって、ここと比べると20℃も低いから、そりゃ冷風に感じたっておかしくもなんともない。


 柏木さんは喜びに満ちた表情で吸引器に取り付けられたガラス瓶の中を見つめたまま自分の席に、すとん、と腰掛けた。その視線は一点に集中しており、まるで水槽の熱帯魚でも見るようなうっとりとした目だった。

「いるいる……ちっこいなぁ」

「こんな大きさのが散らばったら見えなくなるわよね」

 柏木さんの肩口から麻衣と麻由も顔を突き出して観察。ガラス瓶の中には埃と見紛う物が漂っている。だが確実にそれらは飛び交っていた。


 ややもして照明の光りをキラキラと反射させた柏木さんの黒い瞳がミウに振られる。

「日高さんのおかげで、新しい発見をしたわね」

「新しい?」

「そうよ。ガンビ蝿は尖ったものより、糖分の多いものにひきつけられるという事実よ」

 汗だくの顔で覗き込む銀髪の少女を慈愛に満ちた目で見つめながら、タオルでミウの額をたおやかに(ぬぐ)った。


「ありがとぅね。日高さんのおかげよ」

「これだけ辛抱したんですから、研究成果が報われることを祈りますわ」

 ゴーグルを外して受け取ったタオルで顔の汗を拭うと、ミウは椅子の上で吐息と一緒に全身の力を抜いた。


「もう、ハエはこりごりです……」

 緩やかな口調に戻ったミウが、やんわりと俺に見せた艶っぽい仕草に鼓動を跳ねあげたことは麻衣に黙っていよう。

  

  

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