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ゼロの支配者  作者: 雲黒斎草菜
九州編
53/109

火山性恒温霧湿帯を前にして

  

  

 朝食という日常的なイベントの前に、過去へ時間旅行するという非日常的なイベントを終えた俺は、一旦自分のテントに戻り自宅から持ち帰った夏休みの宿題タブレットを取り出してマジマジと眺めた。

 それは間違いなく俺のタブレットであって、自分の机の本棚から抜き出したものに間違いない。これがここにあること自体、俺は九州から一瞬にして自宅へ戻った証なのだ。


 信じられない気分だが現実として受け止めつつ再び食堂へ戻ると、九州上陸二回目の朝食が待っていた。


 麻衣と麻由の作った朝食なら問題は無く美味いこと間違いなしだ。

「さぁみんなー。朝ごはん食べちゃおぅよ」

 すっかりもとの機嫌に戻った柏木さんが操縦席からミウと一緒に現れた。両手を白衣の腰ポケットに突っ込んだままパタパタ振って、自由気ままにくつろぐガウロパたちを掻き集めた。


 ミウが力なく、すとん、と座る。やけにやつれた雰囲気が滲み出ていた。

 小声で言うことに、時間跳躍の原理やら物理的な説明を求められ、言葉に詰まったらそこをしつこく突いてくるのだそうだ。科学者に戻った柏木さんは人柄が変るのは俺も知っている。で、結局次の跳躍には必ず連れて行くことを約束させられたらしい。


「はぁぁ」

 対面でミウが大仰に溜め息をついた。俺の視線を感じてミウが小声で伝える。

「あの人を連れてタイムワープはしたくないのです……疲れるから」

 その気持ちは痛いほどわかる。クラスメイトの女子の中には常にテンションの高い奴を数人挙げることができるが、それよりも数倍おきゃんなのが柏木さんだ。あの人が落ち込んで物を言わない日なんてあるのかな。


 モヤモヤした思いを頭の中でこねくり回されているとはつゆ知らず、本人は俺の左隣に座っている。

 今さら席替えを提案するのはおかしな話だし……でもきっと今度は俺に絡んでくるだろうな。


「ねーさぁー、修一くん」

 来たぁー。


「時空と時空の隙間ってどんな感じだったの?」

 ヤバイ予感が的中した。俺って占い師の素質ありかな?


 黙っているわけにもいかないので、口の中で広がるパサパサのパンを飲み下してから答える。

「瞬間でしたよ」

 柏木さんはキラリとさせた目をさらに細めると流麗な眉根を寄せた。

「う~ん。ダメね。そんな回答したらクビよ」

 飲みかけた(ぬる)いコーヒーが音を出して喉の奥に吸い込まれた。


 危なくむせ返りそうになった。何度か喉を上下させてから俺は研究所の職員ばりの口調で対応する。

「そうですねぇ……。まったく意識できない刹那っていうのか……。何も感じない短い時間でした」

 及第点だったのか、柏木さんは「ふーん」と小さく鼻をならしたが、矢継ぎ早に次の質問に切り替えた。


「じゃあさ。こっちの世界に戻る瞬間は?」


 ミウが疲れた吐息をした理由はこれだ。この調子で切れ目なく質問で攻め立てられたのに違いない。

 柏木さんとは反対の右隣から麻衣と麻由の熱い視線も感じるし、ここは正確に伝えておかないと後で何を言われるか分かったモノではない。


「えーっと……。軟らかいモノに囲まれていた場所から、ぽんっ、と誰かに後ろから押し出されるようでしたね。そうそう全身をゼリーみたいな物に包まれた感じです」


「ほぉー。ゼリーのような感じかぁ。そこが亜空間というわけね」


 まだいろいろ発見はあったのだが、だんだんと小難しい話に発展しそうな気配が濃厚だったので、俺は口いっぱいに食べ物を頬張った。

 こうすれば、しばらくは答えなくてもいいと思った。しかし柏木さんの質問攻めは止まらない。俺が喋られないと悟ると矛先をミウに据えた。


「亜空間では時間は流れないわけ?」

 麻衣と麻由の興味深そうな視線も追従し、ミウはしょうがなしに語りだす。


「亜空間といっても、広さがはっきりした空間ではありません」

 と答えたミウは、プラスチックのコーヒーカップをカタンとテーブルに置き、パンにバターを塗りながら平坦な声で答える。


「つまり空間が無いから時間も無いのです。逆も言えますが」


「空間と時間は密に関わり合ってるのね」

 バターナイフをミウから受け取り、しばし視線が凝固する柏木さん。徐々に頬に色味が増してきた。あきらかに何か思いついたんだろう、その体勢で甲高い声を放った。


「そっかぁ。じゃぁさ。宇宙の始まり、ビッグバン以前は時間は無かったことになるわね」


 ああぁ。この人は朝食の短い時間に宇宙創世の時代にまでタイムスリップしたわけだ。思考の中のリーパーと呼んであげよう。


 ミウは眉根を寄せて苦みの利いた笑みを浮かべてうなずく。

「そういうことです」

 高揚した思考リーパーはとめどもなく宇宙の彼方へ突進して行く。

「ならさー。ビッグバン以前、宇宙は何千億年、何兆年もそのままだったと言ってもありなのよ」


 誰も耳を傾ける者はいなくなった。麻衣も麻由も自分の皿の中を覗きこみ、黙々と咀嚼するだけ、イウもガウロパも我関せず。自ら地雷を踏まないためには、地雷原に近寄らないのがいい。


 最終的に柏木さんの相手を真面目にするのはミウだけになった。小さな口に千切ったパンを放り込み、

「数ナノ秒かもしれませんわ。宇宙は膨張と収縮を繰り返す振動現象ですから」

 と言った後、しまったという顔をしてガウロパの目を見た。


 ガウロパは気づかないフリをしたが、隣にいたイウは鼻を鳴らした。

「ふっ、時間局のお偉いさんが時間規則を破ってどうする。振動現象を証明したのはこの先45年後の天文局だぜ」


 ミウは厳しい目でイウを睨み倒したが、柏木さんがあいだに入る。

「大丈夫よ。私は天文学に関しては素人だから安心して。誰にも言わないし、言ったところで誰も信じないわ。この子たちたちにはなおさら……ね、麻衣、麻由?」

 その視線は俺を素通りして奥に座る双子に尋ねたが、二人は黙々とパンを頬張っていてまったく聞いていなかった。


「麻衣、麻由?」


 やっと柏木さんの視線を感じたらしく、

「「えっ?」」

 二人はびっくりした顔を柏木さんに晒して丸い瞳を見開いた。


「ほらね。安心したでしょ、日高さん。誰も聞いてないわ」

 俺は聞いてましたよ、と言ってやりたいが、どたい無理な話だ。だいたい俺が未来の天文博士になり得る才能を持ち合わせているのなら、物理学の宿題をアストライアーに積み込まれた人工知能に回答させようともくろむはずがないのだ。


 ジトリとした視線を柏木さんの返事へ注ぐ俺の思考を読んだのか、テーブルの対面からイウの嘲笑が伝わった。

「へへっ、そのとおり。お前は天文学に向いてない」

 こいつ。時間の跳躍だけでなく読心術も会得しているのか?



 やるせない気分でうなだれていたらと、天井からいつもの甘い声音が。


『お早うございます。皆さん』


 柏木さんが昨日命じたように挨拶の仕方が更新されていた。どんどん人間らしくなっていくランちゃんにエールを送りつつ、俺は麻衣たちが作ったスープを(すす)った。

「美味いな」

 昨日イウたちが作ったスープと比べたら少し塩加減は濃いめだが、俺はこっちの方が好きだ。麻衣たちの味付けは好みにぴったり一致する。やっぱ味覚の相性も重要だよな。

 そんなこんなで、どうでもいい浮かれた思考と絡めて絶品のスープの最後の一滴までを堪能していたら、ランちゃんが指示を求めてきた。


『出発の時刻ですが、いかが致しますか?』


 胸の前で両腕をきゅっ、と組んで、柏木さんが答える。

「まだ食事中だけど、だいぶ遅れてるのでゆっくりとでいいから出かけてちょうだい」


『解りました。この先約1キロメートルで国道57号線跡は途切れます。その後、恒温霧湿帯です』

「ガーデンに入る前に一度知らせてね」


『了解しました』


 軽いショックの後、ゆっくりとアストライアーが動き出した。

 テーブルの上の食器がカタカタと小刻みに揺れる。落下するほどではないにしても、スープ類は安心していられない。ミウは慌ててパンを浸してスープの液体を吸い上げさせ、麻衣と麻由は皿を口に当てるとジュルジュルと音を出して二人そろって飲み干した。



 十数分後、全員の食事が終わり、柏木さんがそれを確認。天井のインターフェースポッドに向かって命じた。

「いいわよランちゃん。速度制限解除。ぶっ飛ばして!」


「わわわわー!」

 いきなりスピードが増して俺たちは慣性力で後ろへ尻餅を付き、テーブルに載っていた食器がさーっと移動して滑り落ちた。それらは大きな音を立てて一斉に床を転がって行った。


「ちょっとぉ。良子さん。慌てんといてぇな」

「ご、ごめんランちゃん速度落として、まだ後片付けが済んでなかったわ」

 さっきまでの科学者、柏木女史はどこへ消えたんだ。これではただのおっちょこちょいじゃないか。




 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆




『この先、恒温霧湿帯です。侵入しますか?』

 ケミカルガーデンの手前でアストライアーが停止した。


「す……すげぇ……」

 俺は甲楼園浜で見たガーデンの景色とは規模の異なる光景を目前にして息を飲んでいた。

「なんだ、オマエも初めてなのか?」

 俺はイウに向かって否定する。

「いや、入ったことはあるんだけどさ。関西のケミカルガーデンの規模とは全然違うんだ」

「規模とか言われてもよく分からんけどよ……」

 イウの声は途中から驚愕に震えて薄れていった。


 ガーデン特有の緑の光に包まれた不気味な世界が目前にある。ジャングルの瑞々しい緑とは異なり、毒々しい青に近い緑光(りょっこう)色で照らされているのだ。


 カビの縄で編まれた巨大な子実体の頂点、簡単に言うとキノコの傘だ。それを支えるビルほどもある巨大な主柱が傘と渾然一体となった屋根が空を覆う光景。到底この世のモノとは思えないものだが、九州のは一味違う。関西の比ではない規模で、はるか遠方、どこまでも続いていた。



「関西のは瀬戸内海のエリアに発生した海洋性恒温霧湿帯って呼ばれててね、九州の特にこの(あた)りは火山性恒温霧湿帯って言って、通常より高温になるので規模が大きくなるのよ」


 柏木さんの説明をきいて改めて凝視する。空を覆い隠すほどの規模を誇る子実体は、もはやキノコなどという可愛らしいネーミングではとっても表現しきれない。他の惑星にでも来た気分だ。海洋性であろうと火山性であろうとも、息が詰まる思いに違いはない。



「まことに狭苦しい感じでござるな」

 ガウロパが不安の色を濃くした小さな目でキャノピーの先を窺った。ギッシリと糸状菌に覆われた普通ではあり得ない景色だ。ちょうど布団の内綿を拡大したようなもんだ。細かな綿毛のもつれまくったやつな。これからそこへ入っていく。


「こんなところに入って崩れてこないのか?」

 イウの心配は、綿毛の上に圧し掛かる天蓋を支える主柱の事を示している。

 誰もが恐怖を抱くのは。遥か頭上を覆う天蓋を支える巨大な柱が、怪訝な目でガウロパが睨み倒す綿毛が詰まった空間の真上にあること。厚みにして数十メートル。柔軟材にも見て取れるが、主柱の大元となる。


「なんだか圧迫感を抱きますわね」

 ミウも不安を隠せずにつぶやくが、麻衣が平然と取り払う。

「心配せんでもええって。この糸状菌の規模からいったらウチら繊維の隙間をぬって進むアリンコと同じやもん」

「それに数時間もすればもとの状態に修復されるのよ。糸状菌の繁殖力はすごいからね」と麻由も補足する。


「迷ったら終わりじゃね?」

 今度は俺だ。正直言って関西の数倍は不安だ。中に入れば前後左右糸状菌の林で目標物が皆無なのだ。右へ行こうが左へ行こうが状況は変わらない。しまったと思って振り返ったって同じ糸状菌の林だ。


「ランちゃんは迷わないわよ」

 いとも簡単に言う柏木さんだが……とても嫌な感じだ。


 イウも不満を漏らす。

「オレはカビとキノコの森だと聞いてたので、もっとはっきりと別れたもんを想像してたんだ。ウズラのタマゴみたいな模様したキノコなんて全然ねえじゃねえか。丸い点々とかよー」


 いつの時代か知らないが、マンガの見過ぎだ。


「そうなのか。じゃあこの繊維みたいなのがそれか? え? どれがキノコで、どれがカビなんだ?」

 イウの疑問は俺がケミカルガーデンに入って初期の頃に浮かべたモノと一致する。


「カビとキノコって形が違うから別種のモノと思いがちだけど、同じ世界の生き物なんだ。言えるのは動物界や植物界とは全く異なる菌界の生命体で、どちらもほとんど同じ物なんだ。だからこの糸状菌すべてがキノコであり、カビなんだ」

 俺は麻衣から伝授された知識をそのまま伝えた。


「つまりオレたち動物族が入ってはいけない楽園なんだ……」

 と言ってから、

「鬱陶しいから、オレは寝て過ごすぜ」

 腕を組んで座席に身を預けると一つしかない目を閉じてしまった。


 その様子をじっと見ていたミウも体を堅くして不安げにキャノピーへ目を転じる。唇をきゅっと一文字に結んで平静を保とうとするが、可愛らしい唇はわずかに震えている。


「ランちゃん。現状報告」と船長の凛々しい声。

『ホットスポットの影響を受けて、中は気温78℃、湿度100パーセント。過飽和状態です」


「どう? 行けそう?」


『問題ありません。全駆動システム正常。発進準備完了』


 これから火山性恒温霧湿帯と呼ばれる不安要素満載の場所を縦断する。入り口でこの気温だろ。火口に近づくとどうなることやら。


 ミウも同じ不安を抱いており、

「ここで78℃なんですよ。阿蘇山の河口近くを通らないでもっと気温低いところを通ったほうが……」

「心配ないわよ。お父さんもお母さんもここを何度も通ってるのよ」と麻由が慰めにも似たセリフ並べ。


「怖がらなくていいわ。そのためのアストライアーなのよ。それに見るモノがたくさんあるから楽しみにしててよ」


 誰も見たいとは思ってませんから。


「ウチ嬉しくって昨日あんまり寝らへんかってん」

「でしょう。私も一緒なのよー」

 この異常体質者たちめ。

  

  

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