阿蘇入山
「じゃぁさ、みんなぁー。こっち、ちゅーもぉーく!」
俺たちをまるで学生みたいにあしらう柏木さんだが。たぶん研究所ではこんな感じで部下を采配しているのだろう。その光景が目に浮かぶようだ。でもそれが自然に感じるんだから誰も文句はない。
「ここでの注意を述べまぁーす」
柏木さんは集まった一人一人の目を見ながら説明していく。
「アストライアーは常に清潔にしてください。食事と清掃を当番制にします。それとエネルギーと食料、水の無駄を極限にまで無くしてください。シャワーは格納庫下にありますが、水が貴重なのでソニックシャワーになっています。ひとり2リットルでじゅうぶんに汚れが落ちますから、無駄にしないでね。とくに『なり』のでっかい人ぉー! 聞いてる?」
ミウが片眉を持ち上げて隣に立つガウロパをすがめるものの、本人はどこ吹く風。
「あなたのことですよ!」
ちっちゃなブーツのかかとで、大きな裸足の甲をガンっと踏んづけた。
「いででで。せ、拙者のことでござるか? 了解しもうした。川でもあればそこでじゅうぶんでござる。今までずっとそうしてきたからお任せござれ」
ミウの体重ぐらいではビクともしない巨漢はその腰を丁寧に曲げた。
「ケミカルガーデンの水は使わないでね。カビ毒があるから。ジャングル内なら……まぁ大丈夫だからそのときはご自由に」
「この先、鹿児島までガーデンが続くと聞いてますが」
俺は教師を前にした時のように手を上げて質問した。気分は学校のホームルームだった。
「大丈夫よ。ところどころでジャングルを通るようなルートを選んでます」
思わず『はい先生』と言ってしまいそうになる雰囲気を醸し出す柏木さん。
「起床時間は午前八時。遅刻は厳禁。他に質問が無ければ、ロッカーの鍵を配ります。女子と男子に別れてるから注意してよ」
ますます学校じゃないか。
「中に着替えとかが入ってるので、自分のサイズにあったロッカーを選んでね」
乗り心地は最悪だが設備は最高だ。これなら九州の最果てまでだって鼻歌気分でいける。てな浮かれた気分はこの先で改めることとなる。
2318年、8月1日。午前8時――。
九州上陸最初の朝だ。
「痛ててて……」
起きると体中がギシギシと音を立てていた。
一昨日は地面の上で雑魚寝。昨夜はシュラフに包まったとはいえ、硬い床に直接転がって寝たせいもあって背骨が軋んでいる。こうなると自分ちのベッドが天国に思えてくる。
「あでで……」
ついでに極度の筋肉痛だ。昨日、振動で飛び跳ねる体を押さえようと、無理した体勢で普段使わない筋力を使ったせいだ。覚悟はしていたが想像以上に激痛が走る。慣れるまで苦労すると思われる。
そんななか、半分寝ぼけた視線を固着させる光景がテーブルの足越しに展開。白衣をなびかせて歩む白い肢体は言わずともな。
「お早うございます」
悲鳴を上げる筋肉の訴えに耳も貸さず、俺はテーブルの下から体を乗り出し立ちあがる。
途端――。
「なんだよぉー」
トーンダウンを余儀なくさせられた。
「あら、お早う。修一」
正体は麻由だ。
「なんで、お前が白衣着てんだよ。それにわざと裾を持ち上げて……」
にへらと笑い返す表情はあきらかに作為的に振る舞ったことを意味する。どうせ俺をからかうために芝居じみた格好をしたに決まっている。
「かっこいいでしょ。あたし白衣って憧れなんだ」
可愛く舞って見せる容姿はまんざらでもなく。憤怒は一瞬で消え去った。
顎を擦って鼻の下を伸ばしていると、
「なに、にやけてるんや、こいつ!」
後ろから拳でコツンと、現れたのは麻衣。
「おぅ。お早う」
振り向いて俺はもう一度鼻の下を伸ばす。
昨日配られた変異体研究所の制服を着込んだ麻衣とミウが、並んで立っていた。
紺のポロシャツ風の半袖上着に、胸を横断するオレンジのラインが目に眩しい。そして同じ色のショートパンツ。
電力節約のため、就寝時のみにわずかにクーラーが効くアストライアーだ。普段は30℃超えの室内なので、半パン半袖じゃないと耐えられない。
それにしても男ばかりだと鬱陶しいが、女子が混ざるだけで何でこんなにも華やかになるのだろう。
目を細めて見入ってしまうのは男の性というもので、こればかりはどうしようもない。
「制服、似合ってるじゃないか、麻衣」
「やろ……」
麻衣は恥ずかしげもなく俺の前でひと回りして、ミウは恥ずかしげに上着の裾を引っ張って見せると、ゴーグルの奥で色の異なる瞳を微笑ませた。
「麻由――ぅ。私の白衣返してよぉ」
階下の寝室から柏木さん登場。
同じ紺色の半袖シャツとショートパンツのお姿だ。やはり麻衣たちとはひと味違った成熟度に生唾ゴックン。
「おぉーい。飯の準備ができたぜ」
ギャレーと兼用の研究室からイウとガウロパが、それぞれの手に食事を盛った皿を載せて現れた。初日の食事当番はこの二人だ。まるで夏季合宿みたいな緩い光景に自然とほころんでしまう。
食事が並べられていくテーブルの下が俺の寝床てのはおかしなもので、急いでシュラフを片付けていたら、麻衣が迷惑そうに目を吊り上げた。
「ちょっと。埃が立つやろぉ」
「そんなこと言うなよ。ここで寝ろと言ったのはお前じゃないか」
「しゃぁーない。今夜から格納庫でテント張ってそこで生活しぃな」
「人を浮浪者みたいに言いやがって」
と表向きは文句を垂れるのだが、超簡易的だけど個室になるのは喜ばしいことで、顔の筋肉が緩むのは仕方が無い。
「ちゃんと表札出しときや」
「むぅ……表札が出たテントって……」
これが関西人の話しにオチを求めるというヤツだ。何か言い返さなくてはならない。
「…………」
考え込んだ俺へ。
「出しておかないと、回覧板が廻って来なくなるわよ」と麻由が言いのけ、
「ふははは。ほんまや」
二人してはしゃぎ、周りは寒い空気が。
だれも関西人には付いていけないのであった。
関西人の会話に置き去りにされた面々は無言のままテーブルに付き、九州上陸最初の朝食が始まった。
見てくれは豪華なのだが、カタカタと響き渡る食器の音が異様に安っぽい。全部プラスチック製だった。
ようやく膝を打つ。食器類が軽くて割れにくい材質でそろえられているということは、この揺れは一時的なものではなく、この先も続くということだ。昨夜想起したことを訂正しておこう。これから辛く厳しい旅が始まると。
朝食の献立はひとまず及第点だ。コンソメスープと玉子焼き、バターたっぷりのトーストがこんがり焼けている。
柏木さんも出された食事を熱心に観察。
「誰が調理したの?」
「ほんとだ。トースト以外は生食材じゃないか」
そう叫ぶのは当然だ。俺も訊きたい。
何しろ積み込まれた食材は、都会で食べ慣れたペースト状の物ではなく、食材そのままのモノなのだ。そんなのを使って料理できるのは麻衣と麻由ぐらいなのだが、未来組はいろんな時代を渡り歩いているだけに、むしろこのほうが都合いいようだ。でも野球のグローブよりもでかい手の平をしたガウロパと、不器用そうな細い指をした片目の男とのコンビが作ったにしては、驚きの出来栄えだった。
「驚いたろ?」と自慢げに言ったのはイウで、続けて報告。
「調理したのはガウロパだぜ」
マジで驚きだ。
ガウロパはチラチラと柏木さんを窺いつつ、
「戦国時代では自炊が当たり前でござるからな」
「コンソメスープなんて戦国時代にもあったの?」
訝しげに顔を傾けて一口啜った柏木さんは、ついと顎あげた。
「すごいわ、ガウさん。美味しい」
お世辞なのか本心なのか、柏木さんの目には羨望の光りが溢れていた。
俺もひと口。そして「美味い」と漏らす。
「こ、今度、拙者得意の玉ねぎたっぷりのクラムチャウダーを馳走いたす」
ミウはふんっと鼻を鳴らし、
「私には一度もご馳走してくれたことはありませんわね」
と言いのけて、あの巨体をテーブルの下に隠れるほど萎ませるとは、すごいな。ミウ。
「どこの戦国時代に行ってたんだ」とイウから付け加えられて、ガウロパはさらに小さくなった。
戦国の世にあの味があったのかどうかは知らないが、たいした具材の無いアストライアーの冷蔵庫から引っ張り出した割りに朝食は美味だった。
そして食事も終盤。
「……さてと。ランちゃん」
安っぽいプラスチックのコーヒーカップを傾けて天井へ語る柏木さん。
各部屋の天井には、ランちゃんと会話ができる音声認識用のインターフェースポッドがある。これを簡単に説明すると、乳白色の伏せたコップみたいな物が天井から突き出ていると思ってくれ。操縦席のはでっかいドーム型だが、それ以外はこのように小さなものだ。
『お早うございます。部長さん』
と、柏木さんに言った後、律儀なランちゃんは、
『お早うございます。麻衣さん。お早うございます。麻由さん。お早うございます。修一。お早うございます。日高さん。おはよう……』
全員の名前を呼んで丁寧に挨拶を続けたが、俺だけ呼び捨てにされたことが腑に落ちない。
「ランちゃんさぁ……」
柏木さんが呆れた風にインタフェースポッドを仰ぎ見た。
「全員個別に挨拶するコトはないのよ。時間が掛かってしょうがないじゃない」
『この場合、どのように対処しますか?』
「そう言うときは、『皆さん、お早うございます』で片付けちゃいなさいよ」
『了解しました……。指令をオーバーライドしました。更新結果は明日の朝から反映されます』
堅ぇヤツ……。
なんだか親父の口癖がうつったようだ。
「で。ランちゃん、今日のコースの再確認をしてくれる」
『国道57号線の跡に沿って阿蘇へ向かいます。途中、恒温霧湿帯に侵入するため道路跡が途切れます。その後は南東へスターナビゲーションで延岡方面へ向かう予定になっています』
「ガーデンはどこまで続くの?」
『過去のデータによりますと、宮崎から青井岳辺りが熱帯雨林です。したがって阿蘇から宮崎までは恒温霧湿帯が続きます。さらに、阿蘇と桜島にはホットスポットが存在し、危険度が増します』
「ホットスポットって何んすか?」
俺は、ぱっさぱさのパンを頬張りながら柏木さんに訊いた。
「高温の物質が湧き出す所よ。早い話が火山があるの。学校で習ったでしょ?」
「阿蘇と桜島の活火山か……」
授業が始まって欲しくなかったので急いで返事をした。ついでに尋ねる。
「危険なんすか?」
「アホか。ケミカルガーデンに安全なトコなんかあらへんわ」
麻衣はバカを見る目でそう言うと、スープの器をテーブルにコトンと置いた。
「どれぐらい危険なのかって、危険度を訊いたんだよ」
「これぐらいや……」
麻衣は両手を肩幅ほどに広げて俺に見せた。
「…………」
なんだこいつは。
何て答えていいか解らなくなって、口ごもる。
「そこで黙ったらだめなのよ」
麻由が口を挟んできた。
「そう言うときは。『なるほどたいしたことないな』とか言っておいてから。『なに測ってんねん』って返せばノリ突込みになるでしょ。今みたいに黙ったら負けなのよ」
こんなくだらんことで勝負するのか。やっぱりいまいち解らんぜ、関西人――。
俺たちの取り留めの無いくだらない話を聞きながら、柏木さんは優しく笑いかけ、ミウも会話の続きを待って朗らかな表情。イウとガウロパは我関せずだ。
『火山の周辺は気温が70℃を越えます。ホットスポットに近づくと90℃以上になりますので、耐熱スーツでも近づかないほうが賢明です』
進展しない会話に割り込んできたランちゃんの声が、痺れを切らしたように聞こえた。
「何でそんな場所を通るんすか?」
「ビビってんの? 修一」
そう言われると、
「んなワケないだろ」
こう答えるのは当然である。
「俺はな、未来組のためを思って訊いてるんじゃないか。ミウたちは初めての九州だから……な、ミウ?」
「お言葉ですが、修一さま。ルート取りの理由は簡単ですわ。この乗り物が川村教授の持ち物で、優れたナビゲーターが搭載された『探査車』であるということで明白です」
「はぁ。さいですか」
気の抜けた返事をしてしまった。
「前回、教授が通った道筋をたどっているのです……そうですね、良子さん?」
腕を組んだままテーブルに視線を落としていた柏木さんは、あくびを噛み殺していた。
「むんにゃ?」
寝てたんかよ! 寝起き悪りぃなー。
「な、なに? 寝てないわよ。そう日高さんの言うとおり。教授の跡をたどってるの。見知らぬ危険な場所をうろつかずに確実に鹿児島へ行くのなら、この方法がベストでしょ。それと教授の日誌と比較しながら進めばさらに安全。危険地帯はあらかじめ書き綴られてるんだから……ね?」
少し眠そうな潤んだ目がまた堪らなかった。
「国道57号線跡に沿って、発進!」
朝食の後片付けをした後、全員が所定の位置に座るのを待って、アストライアーは柏木船長の号令と共に走り出した。
ガウロパが操縦席に座ってエアロディスプレイを起動。前後左右の走行状態を確認。操縦するのは昨日のとおりランちゃんである。
キャノピーの外は鬱蒼としたジャングルが広がり、樹木が密生している。その中を猛烈な勢いで木々を左右に引き裂いて進む。これでも大昔は国道が通っていたらしいが、俺たちが知る甲楼園の都市の跡とは雲泥の差がある。あっちはまだアスファルトと白線が残る道があったが、ここのはひどい。半分以上消えた道路を倒木がその上から隠し、ぎっしりと下草が生えている。その上をクルーザー並みの巨体を誇るアストライアーがぶっ飛ばして行くのだ。
そこで気付いた。
「速度があるほうが揺れがマシなんだ。水の上を飛び跳ねる飛び石みたいなもんだな」
「そうでござる。でもよほど操縦が上手くないと、とんでもないところへ跳ね飛ぶんじゃが、ラン助どのはそれをちゃんとコントロールするでござるな」
ラン助どのって……。時代錯誤もはなはだしいな。




