アストライアーとランちゃん
「さて、それじゃ現代組の出番よ。修一くん」
「えっ!?」
突然振られたって、俺ができることと言えば、ショットガンに弾を込めるぐらいだし……。
そんな俺へ柏木さんはにこやかに白い手を出した。
「運んできたものちょうだい」
弁当は食べちゃいましたけど……なんてことをここで言えば麻衣あたりから張り倒されるに違いない。
俺は躊躇なく言い返す。
「わかってますよ。ランちゃんでしょ」
しかし疑念は色濃く残る。三輪バギーのコントローラーがこんなに巨大な乗り物を制御できるのか?
――などという懸念は、このあと宇宙の果てまで吹っ飛ばされたのだが、その前に……。
「まずは操縦室に来て。ガウさんも来るのよ。これからはあなたの持ち場になるんだから」
ガウロパは嬉しそうに大きな手を擦り合わせながら一歩踏み出そうとしたが、ミウに気を使ったのだろう、背筋を伸ばして直立不動の姿勢を取った。
「何をしてるんですの? あなたの配属先へ行きなさい。リーパーとして働くときはワタシの部下ですが、ここでは良子さんが上司です。あの方の指示に従いなさい」
「御意にっ!」
さっと大きな身体を反らして一礼すると、そそくさと柏木さんの後を追いかけた。
「あぁ~! こ、こらぁぁ。いきなり離れるな!」
悲鳴に近い声を上げてイウも飛び出し、重たげに頭を抱えるのはミウだ。
「……ほんとに……もう」
「まぁまぁ。いいじゃない」
麻由は湿気た吐息をするミウの背を優しく押して、俺は麻衣から尻を突かれて立ちあがる。
「ほら、ホンマもんのランちゃんが見れるんや。ちゃっちゃと行き」
「へいへい」
アストライアーは両翼の無い大きな航空機とよく似たボディをしていて、内部は機首から操縦室、制御室、研究室、食堂と一列に並んでいる。全てがこじんまりとした設計だったが、ガウロパを除く俺たちが動き回っても十分なスペースが確保されていた。でもヤツには少々窮屈だ。それほどガウロパはでかい。頭を屈めないと扉のフレームにツルツルのスキンヘッドをまともにぶつけるほどだ。
それと搭乗口から見上げた高さから推測すると、まだこの下にスペースがありそうなのだが、今のところ紹介されていない。
機首から大きく外に突き出したキャノピーは足下近くまでが透明で、その中に設置された操縦席から眺める前方の見晴らしがすばらしくよかった。座席から見た景観はまるで展望室さ。座ると宙に浮いたように感じるはずだ。現時点ではジャングルの葉むらに覆われているが、動き出せばさぞかしすばらしい展望が広がるだろう。
室内に入るとすでにガウロパが操縦席に座っていたが、何とも落ち着きの無さそうな感じだった。それよりも俺は高級そうな座席の設えに驚きの声を漏らした。
「すげえ。革張りなんだ」
「豪華でござるな。なんだか申し訳ない」
しかし居心地悪そうにするのはそういう理由ではなさそうだ。
岩みたいな背中を座席の背もたれに押しつけたり、尻を左右に振ったりして、なかなか安定しない。その素振りを窺って、柏木さんと麻由が苦渋の表情を浮かべていた。
「どないしたん?」
操縦席から数メートル下にあるフロアーには三人掛けの席が二列設置されており、その前列を陣取る二人へ歩み寄った麻衣は、俺の尻を突っつくためだけに持ち込まれた棒っ切れを椅子の上に置いて尋ねた。
「あれ見て。ガウさんの席は二人掛けなのよ。操縦者と副操縦士が腰掛けるように設計されてるのに……」
「大丈夫です。ガウロパの腕なら副操縦士は必要ありませんわ」
しんがりから部屋に入ってきたミウへ、見当違いな答えを出した生徒を見る目で、柏木さんは溜め息を繰り返した。
だよな――。
でかいケツが二席を占領していた。
「ほぉぉ。計器類はエアロディスプレイでござるか。ふんっ」
ガウロパは満悦の様子で操縦席の様子を解説し始めた。
「足のレバーがスピードコントロールと制動を兼ねておるのか。ふむっ。つま先をここに引っ掛けてうえに上げたら逆転する……か。それが二対あるから、これで方向転換も兼ねておるわけでござるな。そうか。この乗り物は無限軌道車じゃな。なるほど……」
さすがに自分から操縦を志願するだけのことはあり、メカには詳しそうだ。
「ちょっと、フットレバーが小さいでござるな」
「お前の足がでかいんだ!」
後ろでイウがツッコむ。柏木さんも同じことを思っていたらしく、
「ガウさん。裸足になったら?」
「おぉぉぉ。柏木どの。グッドアイデアでござる」
ばりばりと耐熱スーツのブーツ部分を引き裂いて、でかい足を突き出した。
「ちょうどでござる」
「外に出るときはどうする気だ?」
「何も考えてないんだぜ、あのバカは……」
俺は疑問混じりで呆れ、イウは苦々しく言葉を吐き、ガウロパは気にもせず平然と首を後ろに捻った。
「で? エアロディスプレイの起動はどうやれば?」
「…………」
柏木さんは言葉を失くして石化中。それへと切なげに麻衣が尋ねる。
「柏木さん……。こんなおっちゃんに任せて大丈夫なん?」
不安な気分に陥るのは俺も同感で。
「九州のど真ん中で立ち往生したらやばくないっすか?」
「うふふふ」
柏木さんは思い出したかのように笑みを浮かべた。
「だいじょうぶよ」
俺たちが漂わせ始めた不穏な空気をまるで楽しむかのように吸い上げると、すくっと立ちあがる。そして操縦席の真後ろまで行くと床にあった取っ手を握った。
「うんしょっ」と、持ち上げて振り返る。
「ほら修一くん。ここにランちゃんを差し込んでちょうだい」
綺麗な手が指す先に、三輪バギーと同じ差込口が見えた。
「なるほど。おんなじだ」
「そっ、キャリーバギーも、アストライアーも、大きさは違うけど同じ物なのよ」
それならこいつもバギーみたいに、首が伸びてくるのか?
変な想像が膨らみ、ほくそ笑む俺の後頭部を麻衣が棒っ切れで突いた。
「痛ぇぇな!」
振り返る俺に、
「変なこと想像して笑うな」
「想像ぐらい自由にさせろよ」
「ランちゃんで遊ばんといて」
「はいはい。閉めるわよ」
柏木さんは呆れた風に俺がそこから離れるのを待って、天板を静かに閉めた。
と同時にあちこちから響き出す起動音に顔をもたげる。
静かだった室内が徐々に騒がしくなってくる。床の底から響いてくるモーター音が甲高くなって、心地のよい振動が伝わって来た。
続けて照明が奥から順に消えていき、俺たちの補助席も暗くなった。足元だけにほんのり明りがあるぐらいで、ほぼ暗闇に包まれた。
「な、なんだこれ!」
忽然と操縦席からオレンジの光が射し込み、眩しく輝ける光が目にきつくて思わず手で覆った。
「空が赤い! オレンジ色に燃えてる」
「どしたのこれ?」麻由と麻衣が同時に立ちあがった。
ミウは珍しい物でも見るような視線を二人に当て、
「夕焼けですよ。なにかおかしいですか?」
「夕焼け? なんか燃えてるの?」
「山火事なん?」
首を捻る双子に、ミウは目を見開く。
「夕焼けも知らないのですか、この時代の人たちは?」
それは驚きに近い疑問で俺に同意を求めてきたが、俺だって返答はできない。生まれて初めて目の当たりにするカラフルな夕暮れなのだ。
「こんなにキレイな空は見たことも無い……」
オレンジの光に魅入られて固着中さ。
ミウは夕日に凝然とする俺たちを呆気にとられた目で観察していたが、ふと我に返ると冷めた口調で息巻いた。
「珍しくもなんともありません。すぐに夜になりますよ。野営の準備はどうするのです?」
「野営って……意外と古臭い言葉を使うのね、日高さんって」
「テントとかあるんですか?」
「なんで外に出る必要があるのよ。ちゃんと寝室があるわ」
相変わらずミウと柏木さんは騒がしい。
「調理室は?」
「あるわよー。バカにしてんでしょ?」
二人はどうでもいい内容のことで言い争っていたが、俺たちは初めて見る天体ショーから視線を引き剥がせなかった。
「空がもっと赤くなってきたぞ」
「ほんまや……灰色から黒になるいつもの夕刻とぜんぜんちがうんや」
雲の切れ間から見えた空は徐々に色合いを暗くしていくが、赤系統から外れることなくまさに焚き火が熾った時の色だった。
「麻衣。忘れるなよ。これが本当の地球なんだ」
「うん。忘れへん。ウチ……絶対忘れへん」
麻衣の手がゆっくりと近寄ってくると俺の手首を掴んだ。
手の平どうしを絡めるところまでいかないのが、俺たちの仲がそこまで進展していない証しなのさ。
かと言ってこいう状況なのだ。ここは俺から積極的に握り返したほうがいいのか。しかし麻由のすぐ背後だし、振り返られたらどう言い訳をすればいいのか。
こんなチャンスは二度来ないかもしれんし……。
手を閉じたり開いたりしていたら柏木さんが動いた。
「モニター類はエアロになってるから……知ってる? エアロディスプレイよ」
「任せるでござる。拙者、未来人でござるぞ。起動ボタンはどれじゃ?」
「その言葉遣いが誤解されるのです」
ガウロパは、ミウが挟み込んだ言葉に肩をすくめると指揮者みたいに手を振った。その振る舞いはキャノピーのガラス面に映されたインスペクタ(監視)画面を自分の見やすい位置に移動させているのだが、何も無い空中で腕を振って指先を弾くような仕草がそう見える。
「これがエアロディスプレイって言うのか……」
感涙の声でつぶやく俺に、ガウロパが答える。
「そう珍しいもんではござらん。拙者の時代では網膜の中に表示されるので、こうやって手で配置する必要がない分、ここのはちょっと面倒でござる」
「ござる、ござるって、ハイテク機能と言葉が一致しないな」
「ハイテク、って死語だぜ」
イウの嘲笑が、後ろの座席から聞こえてきた。
「んだよぉー。俺にはバイオコンピュータも、このアストライアーも仰天の最先端なんだ」
「こんなのは普通だろ?」
未来組から見れば最新鋭のマシンでもオモチャにしか映っていないようで、意外とひんやりとした口調だった。
しかし――、
『ただいまを持ちまして、アストライアーの全機能を開放します。システムは100パーセント起動しました。指示をください』
「ありがと。ランちゃん」
にわかに耳に浸透してきた心地よい声音を聞いて、俺とイウが同時に反応した。
天井に向かって応えた柏木さんへ声を裏返す。
「これがランちゃぁーん?」
頓狂な声を上げたのは俺だ。どうしても信じられなくて同じ言葉を繰り返す。
「マジでこれがランちゃんの声なんすか?」
「そうよ。これがほんとうのランちゃんの姿と声音なの」
一概に信じることができないのは喋らない三輪バギーのイメージが強烈に残っているからで。
「でもいい声だな。甘くて優しくて。ああぁ。いい感じだ……。あっ! 痛い!」
胸の内を暴露した俺の頭を棒っ切れが直撃した。叩いてきたのは柏木さんだった。
「あのね。この声は教授の奥様の声を周波数領域で分析して合成したボカロ(Vocaloid)なの。つまり麻衣と麻由の声にも似ていることになるのよ」
「え゛!」
そう言われたらそのとおりで、だからこんなにも魅かれるのだ。でもここで本性をさらけ出すと今後の立場が微妙になるため、ひとまず口を閉じておく。
柏木さんは納得したのか、白衣の裾を翻してガウロパの背につぶやく。
「さてとっ。ちょっと動かしてみよっか」
勇んで腕をまくるガウロパを無視して、腕を組んだ柏木さんは天井へと硬質な声を掛けた。
「微速後退!」
「了解でござる」
応じたガウロパへ、柏木さんは意外な言葉を吐いた。
「ガウさんは、何もしなくていいの」
「は?」
でかい顔をぐりんとねじってこっちを見た。
俺も同じ心境だ。それなら誰が操縦者するんだろうか?
戸惑う間もなく足下から振動が伝わり、それに同期してキャノピーの向こうの景色がゆっくりと動き出した。
「だ、誰が動かしてんだ?」
揺れ出した機体にビビりながら、俺は座席の背もたれにしがみ付き、
「ぬぉぉ。真後ろにでかい木がそびえておる! このままでは追突するぞ!」
ガウロパの緊迫した叫びを聞いた。
だが不安がる必要はなかった。アストライアーの向きが勝手に変わり、大木の横をすりぬけてそのまま後退して行き、再び心地のよい声が操縦室に渡った。
『駆動モーターの負荷5パーセントです。外気温53℃、湿度89パーセント。大気はCO2が非常に多いですが、おおむね穏やかです』
「問題無さそうね。いいわ。ランちゃん停止!」
軽いショックとともにアストライアーが停止。
俺は腕を組んで直立した白衣の背中に尋ねる。
「ランちゃんがコントロールしてんすか?」
「そっ。三輪バギーを自由にコントロールするぐらいよ。アストライアーなんか楽勝よん」
「それなら……拙者は何をするでござる?」
操縦席から後部座席へ身体をひねらせたガウロパへ、柏木さんはすまして微笑むとこう言った。
「あなたは補助よー」




