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ゼロの支配者  作者: 雲黒斎草菜
九州編
42/109

熊本へ

  

  

 何がオーケーなのか。ようやく緊張感を消し去った柏木さんの挙動もおかしいが、リスタートと言われて瞬間固唾を飲んだ服部さんの胸中も意味不明だ。

「良子さん。どういうことですか?」

 麻由でさえも不安を訴える。


 リスタート……。

 研究所職員だけの合言葉、政府に対して反旗を翻すとか言ってたけど、それって謀反(むほん)を起こすことだろ? 過激な事に巻き込まれるのは真っ平御免だ。やはりここは何とか逃げ出すタイミングを探ったほうがよさそうだ。


 逃げ道の模索を始めた俺の前で柏木さんは言う。

「私は教授に引いていただいた道標(みちしるべ)に身をゆだねるだけよ。その前に……」

 と言い残して通路を再び奥へと消えた。


「どこへ行くでござるか? 柏木どの」

 ぐいんと麻衣を押し退けて、ガウロパのでかい顔が突き出されが、柏木さんは何も言わず指を一本左右に振っただけで奥へ消えた。


「鬱陶しいってゆうてるやろ。奥は化粧室や、このタコ」

 でかいケツを麻衣からひと蹴りさられて、ガウロパは苦笑いを浮かべながら引っ込んだ。


「なー、鬱陶しいだろ? オレはずっとこんな奴と一緒なんだぜ」

 イウは力の抜けた溜め息を()いて顔を歪め、俺は憐憫の眼差しで足首に嵌められたアンクレットを指差す。

「それが取れたら二人は離れられるんだろ?」

「ちゃんと無事に帰れたらの話しだ」

「ま。なんとか、なるって……」

 俺もだんだん川村家のお気楽思考が浸透してきたようだ。




「さぁ。行くわよ。中央九州研究所へ」

 化粧室から戻ってきた柏木さんは、パタパタとフィルムフォンを折り畳み白衣のポケットへねじ込むと、俺たちを急き立てようとした。

 俺は決心する。多分これがラストチャンスだ。


「じゃ、俺はこれで用済みだな。水運びも完了したし……さて家帰って夏休みの宿題を進めるとしよう」

 リュックを肩にかけ手を振る。

「じゃあ、麻衣、麻由。影ながら応援してっからな」

 ここは自然を装うってとんずらするしかない。


「なに、ゆうとんねん」

 一歩も進んでないのに麻衣に首根っこを引っつかまれ、すごい力で引き寄せられた。

 少し遅れて柏木さんが、ずいっと前に出る。

「修一くん……」

 麻衣から逃れようとした俺の鼻を細い指の腹で、ちょんちょんと触れ、柏木さんは少々ご立腹気味。

「あなた、ランちゃんに何て言われた?」

「え? なんでしたっけ?」

 マジで覚えていない。


「タイムパラドックスが崩壊するって言われたでしょ」

 厳しい声と目付きでピシリと言い切られたが、俺は反論する。

「あれには深い意味は無いと思いますよ」


「人工知能が出した答えなどあてになりませんが……」

 ミウが割り込んでくれたが、俺に加勢してくれそうな雰囲気ではない。

「わたしを救助してくださったのが、修一さまであるということは、時間項であることは確実。タイムパラドックス云々は結果を得るまでは解答できませんが、ここは共に行動するべきです」

 なんだか言い訳しにくい空気に満たされていく。


「あ……いやそう言う意味じゃなくてさ……」


 再び柏木さんと交代。俺の両肩を自分の正面へ捻じると、駄々をこねる子供を諭すように言う。

「もう男性3名って、九州へ予約入れちゃってるでしょ。ほら数えて、でかいの、ほそいの」

 目をパチクリする俺の前で、それぞれの鼻先を指差して最後にもう一度俺の鼻先を突っついた。

「はい、修一くんで3名。これからこの男女7名で冒険へ出るのよ」

 夢見る少年みたいな目をしないでください。


 冒険……?

 何だか古臭いな。もう死語じゃね?

 海中都市で飼い馴らされた家畜的人間なら必ずそう言い返すだろうが、俺はその言葉に魅力を感じるのさ。

 そう、それは半年前。危険を顧みず真正面からぶつかっていく麻衣たちと出会ってからだ。


 でもそれとこれは話は別なんだ。

 冷静に考えれば無茶なことをやろうとしているのは瞭然さ。俺は数日前にガーデンへ十数キロ入っただけで肝をつぶし、巨大トンボとブラックビーストに襲われて命からがら帰還したばかりだ。ところが九州はそんな規模ではない。福岡から先は何百年にも渡って人が入らない失われた世界なのだ。それを冒険と言ってはしゃぐこの人は、そのことを知らない無菌飼育のお嬢様育ちなのか?


「現実は危険と隣り合わせですよ。俺が行って足手まといになったらアレだし……」


「そんなこと百も承知よ。私だってレッドカード持ってるのよ」

「あっ!」

 そうだった……。

 この人の可愛らしい言動に騙されるところだ。籠の鳥と化した海中都市の住民では取得不可能な特権を持つ柏木さん。この人も麻衣たちと同じ道を行く人……。いや麻衣たちが目指そうとする人物だと今回悟ったわけで……。その人が冒険だと言い切ればそれはマジで危険と隣り合わせなのだ。


 しかしだ。この7人でジャングルとカビの森を歩いて鹿児島まで行くのか?

 日帰りだけは決してできない。どうするつもりだ?


 逡巡する俺の額を指先で押した柏木さんは、勇気づけるように小声で伝えた。

「ここでいいところを見せなきゃダメじゃない。せっかく二人ともあなたに気を許してるのよ」

 桃色の誘惑だ。俺の気分が反転する。

「マジっすか?」

 美貌な微笑みが小さく首肯。その視線に誘導されて、じっと俺を見つめ続ける麻衣と麻由の顔をチラ見する。


(ここで引き下がってはダメになる)

 だらけきった海中都市住民から脱却するには、麻衣たちと行動を共にしてサバイバル術の一つでも覚えたほうがまだ未来は明るい。現にこの双子は地上で自立した生活を送っている。


「親父に連絡してみます」

 決意も顕に俺は私物のリュックに突っ込んであった携帯を探ったが……。

「あれ? 俺の電話が……」


 上げた視線の先で麻衣はどこかと電話を繋いでいた。

 しかもそれは俺の携帯電話で。

「……とういうわけやねん、おばちゃん。今日からケミカルガーデンのバイトに入ってもらうから」

「おばちゃんって。俺んちに掛けてるのか?」

 麻衣は無言でうなずき、外部音声に切り替えた。


『そう。いいわ。思いっきりこき使ってやって。サボりそうになったらケツでも引っ叩いてやって麻衣ちゃん』

 声の主はお袋で間違いない。


「それと泊り込みやけど、大人も付いてるから安心してほしいねん」

『うふっ』

 なんだ、お袋、嬉しそうな声出して。


『わかったわ。麻由ちゃんも近くにいる?』

「ここよ、おばさま」


『ふたりとも、修一をお手柔らかに頼むわね。こんどこそね。フレーフレー、修ぅうぅ』


「何が今度こそだ! 人が大勢聞いてるのに何のエールだ」

『男女が一緒に行動をともにすんだろ? 山河家と川村家の将来はあんたの腕の中にあるのよ』

 柏木さんが、ほんのり頬を染めたのを見て俺は麻衣から携帯を取り上げた。


「ば、バカなコト言うな。ただのバイトだ」


『あんた! 今度こそ答えを出して帰ってくんだよ。麻衣ちゃんか、麻由ちゃんか……』

「あー! わー! くだらんことを言うんじゃない! そういう話は帰ってからしような。今取り込んでるからからさ。じゃな」

 強制的に電話を切って吐息を落す俺へ麻衣が睨みを利かす。

「品定めをしに九州へ行く気やったら、重しつけて有明海に沈めんデ」

 怖ぇな。麻衣。

「んなわけないだろ。お袋が勝手に暴走してるだけだ」

「まあええわ。ほな出発の準備しよか。あんたは今度こそヘタレから卒業しなあかんね」

「ヘタレって言うな」


 イウも鼻で笑う。

「ふっ。ヘタレも上手く使えば役に立つ。怖さを察知できる能力だからな」

「うむ。イウの意見もあながち間違いではござらぬな」

 ガウロパも(ふっと)い腕を組んで大きくうなずくし……。


 どいつも寄ってたかって、うっせーな。


「じゃあ行くわよ!」

 肩を落とした俺へと慈愛の眼差しを注ぐ柏木さんが、白衣を翻して立ちあがった。

「麻衣ちゃんたちは、自分の武器とお父さんの集めた資料を忘れないこと。他の人は耐熱スーツだけでいいわよ。それと時間が限られてるからシャキシャキ行動してよ」


 続いて宝来峡から持ってきた大きなハードケースへ目をやって、

「あっ、修正。命令を変えます。ガウさんはその大きな荷物持ちなさい」

 完全にリーダー口調だった。

「承知したでござる」

 ガウロパは柏木さんの命令に喜んで応え、

「修一くんの使命は、ランちゃんのメインユニットを大切に運んで無事に向こうへ着くこと。いい? 死んでも盗られたり、壊したりしたらだめよ」

「あ、はい」

 俺はいつになく真剣な柏木さんに翻弄されていた。


「それから日高さんは約束どおり私のナビゲーターよ。でも注意してね。暗黒時代の九州はとても危険。そこを縦断するんだから指示は私が出します。でも正しい未来に向くように修正してね。それがあなたたちを守ることになるんだったら、私は大歓迎だからね」


 ミウも納得したようで、銀のロングヘアーをたゆませて凛々しく答える。

「承知しました。この時代の九州に関しては良子さんのほうがもちろん詳しいはずです。従いますわ。じゃ、協定成立ですね」

 柏木さんは優しい目でミウの肩を引き寄せた。


「がんばろうね」



「……ん?」

 潮の渦に巻き込まれた小船みたいに辺りの雰囲気に呑まれた俺のポケットの中で携帯電話が鳴っていた。

 3回目のコールでやっと我に返り、急いで通話ボタンを押す。


『おぅ。オレだ! 無断外泊の次は長期旅行か。修ぅ。ついに大人になったんだなぁ」

 でっかい親父の声が部屋の中を響く。外部音声に切り替えたままだったが、今さらもうどうでもいい。


『かあさんから聞いたぜ。家にも寄らず、また麻衣ちゃんらと出掛けるんだってな。うらやましい夏休みじゃねえか。オレもこんなくだらん仕事ほっといて付き合いたいぐらいだが、そうも言ってられねえ。だがここは一つ、オレから助言を一つ送っといてやる』

「いらねーよ」

 親父は俺の拒否を無視した。


『今度こそ押し倒せ。チャンスはそこらじゅうに落ちてる。健闘を祈る修一。帰ったら式場めぐりが待ってるからな……』


「…………」


 強制終了された携帯電話を前にして、俺は手のひらに額を落としていた。


「あいかわらずや、おっちゃん。」

「良子さん。修一に押し倒されないように気をつけてね」

 柏木さんは言うに言えない微苦笑を浮かべ、ガウロパは鼻息を荒げる。


「拙者が体を張ってお守り申す。安心ござれ、柏木どの」

「あなたはわたしのガーディアンであるということをお忘れですか?」

 膝をついて頭を下げた大きなスキンヘッドを、ミウがとひと殴りした。





 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆





 そんなわけで……俺は九州の地に立っている。

 しかも俺の頭の中でモヤモヤとした現実が混ざり合い、混沌とした思考を少しでも整理しようと努めていた。


 いったい時間とは何だ。

 距離か?

 速度なのか?

 別に哲学的なことを論じたいのではないが、今朝まで俺たちは六高山の裏で焚き火を囲んでいたのだ。その後3時間半の徒歩を続け、屋敷の中で執り行われた打ち合わせと準備で昼飯を取る間もなく、甲楼園から列車に乗ったのが午後1時45分だ。それからたったの35分後、午後2時20分には、リニアトラムの『福岡シーサイドターミナルシティ駅』に降り立っていた。



 結局、徒歩3時間半掛かけて移動した距離の百倍以上を半時間で終わらせたのだ。なんだこりゃ?


 いつまでも腑に落ちない気分だが、壁に貼り付けられた数々の案内板を目の当たりにして実感する。

「マジで福岡だよなー。初めて来るぜ」

 知らない地名や当地ならではの看板が物珍しく、興奮する振る舞いはまるで旅行者さ。九州探検隊のつもりだったのに、なんだか弛緩しきっていた。


「遊びとちゃうんやで」

 と言った麻衣の声を掻き消す勢いで、ひどくはしゃいだ柏木さんが飛び込んできた。


「みってぇー。駅弁よー。みんなお腹すいたでしょ」


 この人だけは出発の時から何も変わっていない。


 そして俺にも弁当を差し出し、

「どうしたの? お腹すいてないの? でも食べなきゃバテるぞ」


 見当はずれの労いに、麻衣が苦笑いとともに尋ねる。

「ここらからどうやって中央九州研究所まで行くん? 研究所は熊本やろ。それに行き先は鹿児島やで。どうすんのん?」

「もおぅ。いくつも同時に質問しないでよ。大丈夫だからお姉さんに任せておきなさいって」

 そうそう。俺も疑問でいっぱいだ。熊本から鹿児島まで徒歩で何日掛かるんだろ?

 こんな軽装備で大丈夫なのか?

 手ぶらの探検隊ってありえんし……。


 柏木さんは、配られた弁当を解きだしたガウロパの手をぺしりと叩き、

「まだ食べたらダメ。ここから中央九州まで特別線で10分だから。そのあとでゆっくり食べさせて、あ、げ、る」

 どこまでも可愛く振る舞う柏木さんをガウロパは、ぽーっ、とした目付きで眺め、ミウに尻を叩かれ飛び上がる。


「特別線って?」

 首をかしげる一行の先頭に立った柏木さんは、旅行会社の添乗員を演じだした。

「こっちですよー。みなさ~ん」

 ソロゾロ付いて行く格好がそれぞれまちまちで、統一性のまったく無い集団だ。


 俺は貰った弁当をランちゃんのメインユニットの上に置いて、リュックの口を閉めようとしたが躊躇した。

 もし弁当の水気がランちゃんのユニットに滴ったらまずいと思い、麻衣のリュックに一緒に入れてもらうことに。俺の使命は弁当の心配ではない。ランちゃんを無事運ぶことだ。


 麻衣のリュックにはマンドレイクの完全な標本が入った採取ケースも詰め込まれていた。屋敷に残しておくのは気が気でないと言う柏木さんの意見で、未来組には内緒で持って来たのだ。


 採取ケースの上に麻衣の弁当と重ねて俺の分も入れる。麻衣と目を合わせて視線でうなずく。互いに共通の秘密を持つと言うのは、急激に接近した気持ちになれる。何だか知らんが、俺たちは仲睦まじく肩を寄せ合って歩いたりして――。


 へへ。夏休みに麻衣たちと九州旅行か……。いいかもな。

 ほくそ笑んだ俺は、この後の顛末をまったく理解していない大馬鹿者だった。





「さっ、急いでよ」

 待ち合わせの時間に合わせようと、少し急かしぎみに誘導する柏木さんを追って、俺たちは一般の旅行者と共にターミナルを奥へ進む。


 やがて通路には誰もいなくなり、金属製の扉の前で突き当たった。それはカードキーの施錠が掛かった扉で、柏木さんが自分のリュックから一枚のカードを取り出してスリットへ通すのを黙って眺めていた。


 カチャリッ


 金属製の硬い音がして扉が開くと、騒然とした音が噴き出してきた。


「ホームだ!」

 一両編成のリニアトラムが扉を開けて停車中だった。


「こんな路線、俺知らないぞ」

「そら知らないでしょ。秘密の列車なんだもん」

 柏木さんはこともなげに説明するが、これも一つの情報制御なのだろうか。おそらく一般人には知らされていない。


「だから暗黒時代だって言ってんだろ。この頃の政府は住民のことなど考えてないんだ」

 ふてぶてしく言い放ったイウのセリフに息の根を止められた気分だが、その言葉を立証する事件がちょくちょく起きているのは疑いの無い事実なんだ。



 列車を目前にして茫然と立ち尽くす俺たちの前に、一人の駅員が近寄ってきた。

 見る間に緊張度を上げる俺たちに柏木さんが手を差し出す。

「私に任せて。こんなのチョロイからね」

 ちょろいって……。


 先頭に立つ柏木さんへ近寄った駅員が、制帽のツバを摘まんで敬意を表した。

 続いて予想どおりのセリフを並べた。

「許可書の提示をお願いします」


「私は柏木良子です」

 それはびっくりするような大人の声で、俺とガウロパが思わずさっきまでの柏木さんかと確認したぐらいだから、その豹変振りに驚くのは無理はない。


「あっ。これは部長さま。大阪からご苦労様です」

 しゃちほこばって挙手をする駅員の態度や、口からこぼれ落ちた発言に混じる敬いの気配は本物だった。


(やっぱすげえな。この人)

 尊敬の眼差しを注ぎ続ける俺たちへ駅員が視線を振ったので、柏木さんが先に宣言した。


「この二人はレッドカードです」


 麻衣と麻由が互いに赤枠のカードを出し、

「ほぉ……」

 今漏らした感嘆の吐息は、少女がレッドカード所持者であることに対してなのか、同じ顔が二つ並んでいることに対してか……。


「はい。結構です」

 一人ずつ写真と本人の顔を何度も見比べて確認した姿勢から察するに後者であることが解った。


 続けて柏木さんはミウを指差して毅然と告げる。

「この男性二人は私の部下で、この少女はニューヨーク支局の副支局長です。私の関係者は許可証を持参してませんが、研究所へ問い合わせていただければいいかと」


「いえ、すでに報告を受けております。いやはやとてもお美しい髪ですな」

 ゴーグル姿のミウに駅員は目を奪われたようだ。俺たちよりもはるかに丁寧な挨拶をすると、

「お若いのに、支局長ですか?」と尋ねた。


 ミウは平然と、また冷然と答える。

「お間違いのないように、わたくしは『副』支局長です」

「こ……これは失礼しました」

 駅員は帽子を取り深々と頭を下げた。


「かまいませんことよ。来年は正式に支局長に昇格する予定ですから」

「それはそれはおめでとうございます」


 いつまでも頭を下げる駅員の向こうから、柏木さんが早く来いと手招きのジェスチャーをしていたので、俺たちは小走りで駅員の前を通り過ぎた。



「日高さん、やるじゃない。見直したわ。あなたアドリブも利くのねぇー」

 いつもの幼げな声に戻ってはしゃぐ柏木さんは、もうさっきの威厳高い女性ではなかった。




 列車は俺たちが乗るのを待っていたようで、席に着くなりすぐに地下のチューブ内を滑り出した。

 乗車時間は柏木さんが言ったとおり、10分で熊本の『中央九州研究所駅』に到着した。


 大阪を出てからたったの45分。


「おぉぉ。人跡未踏の熊本だ……」

「なんでよー。研究所があるんだから人がいるのよ」と麻由が言い。

「人跡未踏はここから先やで」

 と二人から当然のことを言われるとちょっと熱くなるのが俺の悪い癖で。

「学校では人が住むのは福岡までと習ってたんだ」

「ろくに授業も聞いてないくせに。変なとこだけは洗脳されとんのやな」

「洗脳って。聞き捨てならんな、それ……」


「ちょっと。バカみたいな話はやめときなさい」

 柏木さんが割って入った。


「バカみたいなって……」

 俺の返事は取り合う気も無いようで、柏木さんは長い黒髪を左右にぷるんぷるんと揺らしながら歩んで行くが、途中で研究所の案内標識を無視した。

「さっ。いよいよメインイベントよー。来てるかな?」

 向かう先は地上のようだ。


「あの……研究所はこっちになってますよ?」

 進行方向とは真逆の通路を指差す俺へ、柏木さんは無邪気な笑みを返す。

「研究所なんか行かないわよ」

「はへ?」


 戸惑う俺たちに柏木さんは告げる。

「外に出るから、スーツの準備してね」


 急いでスーツの電源を入れた。

 すぐに広がる冷気と同時に、顔へ向かって暑い外気が吹いてきた。

 地上へ続く扉を柏木さんが開けたのだ。


「こっちよ」

 左右を確かめた後、俺たちに急げと手を振り、全員が外に出るのを待って扉を閉めた。そしてさらに注意深く周りに人がいないことを確認すると、小走りで道路を横断した。


 警戒しながら取るこの振る舞いは、所在不明の監視から逃れようとする行為なのだが、柏木さんは一切の説明を省いており、何を聞いても『お姉さんに任せなさい』の一点張りだった。


「みんな。急いでこっちに入って」

 何かを察知した柏木さんは、俺たちを狭い路地へ誘い込んだ。


 地上はいくつもの倉庫が立ち並んでおり、何本もの十字路で細かく切り刻まれていた。そのうちのひとつに飛び込み身を隠して指を差す。

「ほら。あそこにカメラが動いてるでしょ。あれがあっちへ向いたら、走り抜けるからね」


 なぜにそうカメラを気にする?

「そりゃぁ、なんかまずいんやろ?」

「それは聞かなくてもわかるな」

 滲み出る背徳感に(さいな)まれていたら、暖かい手で背中をとんと押された。


「ほら、行くわよ」

 背を丸めて、カメラの反対側を走り抜ける。


「なんで、俺たちコソコソしてんすか?」

 たまりかねて尋ねた。


「ここで姿を見られたら、まずいことになるのよー」

「でも研究所には行ってないし、調べられたらバレますよ。特別線を利用したの俺たちだけでしたよ」


 戸惑う俺に、柏木さんはとんでもないことを言った。

「研究所には私の家来がいっぱいいるの。みんな口裏を合わせてるわ。電話でリスタート実行って命令したでしょ。あれが合図で、あなたたちの容姿も送ったから、同じ体格の人を探して適当に研究所内をうろつかせて、アリバイを作ってるハズよ」


「それって……」

「そっよー。影武者なの。すごいっしょ?」

 この人、いったい何考えてんだ?


「そのリスタートってほんとは何なんですか? 川村教授が出した『再起動』っていう命令ですよね? それからですよ柏木さんが妙にはしゃぎ出したのは……」

 俺の疑問に、

「そ。バレてた?」

 バレバレですよ、柏木さん。


「まぁ。後でゆっくり説明するから……」

「さっきから、そればっかりっすよ」

「でも、こんな地上に出てどないすんの?」

 麻衣もそろそろ痺れが切れたようで、不安げな声が真剣だ。


「あと少し我慢してちょうだい。電話で伝えた場所に着いたら全部解るから……ね?」

 切れ長の目を細くしてウインクする柏木さんにそう言われたら、うなずくしかなかった。




 十数分後――。

 俺たちは倉庫街を抜けて、ジャングルの入り口で止まった。どうやらここが電話で指示した待ち合わせの場所らしい。


 柏木さんは周りを窺ってずっとソワソワしてたが、しばらくして妙なことを言った。

「そろそろ来るから気をつけてよ」


 何に気をつけるんだろ?

 それがなんだかも分からないまま、もどかしい時間が過ぎていく。


「な、な、何でござる?」

 最初にガウロパが気付いた。身体がでかい割りに繊細な神経を持つのか。俺には何も感じない。


 ミウも気配を感じたらしく、さっと身構えるとガウロパの背後に隠れた。

「うっ? なんだ?」

 ミウが感じたモノが俺にも伝わって来た。それは異様な振動だ。地面を伝わって足の先からビリビリしてくる。


「どうしたんだ? 地震か?」

 麻衣と麻由が両脇からしがみついてきた。ちょっと気を好くしている俺の背後で、突然ジャングルが割れた。


「どわぁぁぁー」

 大きな音を出して樹木が左右になぎ倒され、巨大な物体が飛び出してきたのだ。


「やたっ! ぴったり時間通り!」

 満面の笑顔を浮かべた柏木さんが、手を振って前に立ち塞がり、

「オーケーよー。服部くん停車! 早く私たちを入れて」


「でっけ――っ!」


 腰を抜かして見上げる俺と麻衣たちの前に現れたのは、見たこともない大型のモーターカーだ。胴回りはリニアトラムの列車よりある。奥行きはジャングルの中に隠れており、まったく想像も付かない。


 目前で先端部が鳥のクチバシみたいに開き、地面に降りてきたのは乗降タラップだ。それへと指差す柏木さん。

「さぁ。みんな。早く乗るのよ」


 俺たちが駆け上がるのを待って、柏木さんが飛び込むと奥へ向かって叫んだ。

「全員搭乗完了。ミッションを第二段階へ移して!」


 モーターの駆動音を上げてハッチが閉まっていく。その光景を仰天した面持ちで眺めた。まるで艦船だった。

「まさか。この大きな乗り物で鹿児島まで行く気ですか?」

「そっ。これがアストライアーよ」


「「ええっ?」」

 絶句する双子。俺はポカン顔。


「そっ。麻衣ちゃんたちなら知ってるでしょ。その、アストライアーよ」

 何のことだかさっぱりだ。


 柏木さんは目を剥いて固まった麻衣たちを笑って受け流すと、俺に向かって輝く白い歯を見せた。


「どぉー。いいでしょ。これならジャングルだろうとガーデンだろうと楽勝なんだから」

 徒歩で行くぐらいしか手段が無いとあきらめていたのだが、まさかこんな乗り物があったとは……。


 ついでに別の疑問も湧く。

「これって、どこから調達したんですか?」

 俺の問いに答えたのは麻由だ。


「アストライアーは、お父さんの持ち物よ」

「んなぁぁぁー? 何だお前んち!」


 えらいコトになってきやがったぜ――。

  

  

次回。いよいよ九州編スタートです。

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