未来組との協定
柏木さんはじっとミウを見つめ、麻衣たちは焦点の合っていない目で焚き火の中を睨んでいた。
その前でミウは続ける。
「現時に生きる現代組のみなさんには理解できない概念です。我々未来組は存在しないという結果で終わる場合があります。どちらに転ぶのか現時点では何もわかりません」
切れ長の目をさらに細めた柏木さんがミウの額辺りへ視線を据え、たっぷり間を空けてから尋ねる。
「それが風前の灯火って言う意味?」
「そうです。我々がいないと未来が拓かれないから、ここにかろうじて存在するに過ぎません。異なる結果が出た瞬間、時間項の役目は終わりその答えとして消滅するか、運が良ければ記憶が変化して別人に遷移します。それはこれからあなたたちが決めるのです」
「ちょっと待ってよー。あなたたちの理論によると時間項となった人はゼロタイムまで変化しないようだけど、時空震に関与していないリーパーだっているんでしょ? その人たちはどうなったの?」
柏木さんは怖い仮説を立てたようだが、ミウはこともなげに答えた。
「時間局が送り込んだリーパーは確かに我々だけではありませんし、もちろん覚悟はできています。すでに仲間は、未来の流れに従って消えたか、まったく異なる別の人生を歩んでいるか……勘のいい者なら亜空間に逃げ込んだかも……。でも我々は時空震の直前までここに縛られるのです。それが時間項の務めです」
「亜空間ってなぁに?」
新しい言葉に柏木さんは首をかしげる。俺たちはすでに話しに付いていけない。完全に部外者扱いだ。
「難しい概念です……ここと比べると時間も空間も無いと言ってもいい世界です。我々リーパーは亜空間を利用して、時間の跳躍をします。だから逆にそこへ逃げ込めば、歴史の変化から逃れることは可能ですが……実空間に戻れば結果は同じことです」
「じゃぁ永久に出られないじゃない」
「はい。出られません」
「お腹すかないの?」
そういう質問を素でするからある意味この人は怖い。一度頭の中を開いて見てみたいものだ。
「時間が流れませんから空腹にはなりません」
おいおい。ミウのヤツもまともに答えたぞ。
「でも、私たちの行動が未来永劫にまで影響を与えると思ったら……怖くて歩けないわ。だって何が正しくて何が間違ってるのか、あなたたちが導くって言われたって、どうしていいかまったく分からないのよ? もしこっちが先に何かミスしたときはどうなるの?」
ミウは柏木さんの質問に自分の眉間を指さし、
「この色の異なる目で見極めることができます。例えば、修一さまが何かヘマをしたとしますね」
なんで俺を例に出すかなー。
「その直後に違いを見極めることができます。つまり私の目には正しく進んで行く過去の映像と、今目の前で起きた映像が異なって見えます。簡単なことですわ」
「お、っかしいわね、その考え方」
ミウは、キッっと怖い顔で柏木さんを睨んだ。かなりプライドが高そうだ。
だが平静を保ちつつ、
「――どこがです?」
「もう修一くんはヘマをしたのよ。だから過去形になってるんじゃない。『ヘマをした』って」
ヘマ、ヘマ言うな!
「間違った行動の結果、未来が大きく変化するまでに時間差があります。ですので、歴史が変化する前に修正すれば何とかなりますわ」
俺たちが取る行動で未来が変わり、ミウたちの存在まで危ぶまれる。
想像するだけで恐ろしくて身が縮みあがる話しをしているのに、ミウはまったく動じずに堂々と語っていた。
崖っぷちをスキップして散歩でもする気分だ。
「さきほどご自分でおっしゃってたとおり、あなたたちは未来を切り開く主人公です。我々のことは気にせずお好きにしてください。ただ、正しい道を歩んで欲しいものですわ。修正ができる時間は数十秒しかありませんから……そのつもりで」
「そんなんじゃ何もできないわよ」
「我々はタイムリーパーです。数十秒もあれば、数日分の仕事がこなせます」
柏木さんは再び無言で炎を睨んだ。首の後ろで結われた黒髪が風になびき、赤々と輝く輪郭が揺れ動いた。
「時空震のことはよく解らないけど……カロンはなんとかなりそうね」
「ここは協力し合いませんこと?」
白衣を風に泳がせる柏木さんの正面に、ミウが優雅に立った。柳眉をきりりとさせて、熱い視線を送る。
「何を?」
「現代組には我々を守っていただきます」
柏木さんは口を丸々とさせて唖然とする。
「ま、守るって……。あなたたち未来組から見れば、私たちは猿も同然なのよ。何もできないでしょ?」
「ドライバーが道を誤ると間違った未来へ進み、その先に存在する我々はどうなるかわかりません。時の流れが大きく変わってしまうことは、我々にとって死活問題です。さっきも言ったように簡単な修正は可能ですが、大きな歴史の分岐点、ジャンクションでは必ずわたしの忠告に従ってもらいます」
「そっか。ナビゲーターね……いいわよ。何となく時空理論の上っ面ぐらいは理解したから、無茶なことは言わない。約束するわ」
ミウは柏木さんの言葉で肩の力を緩めた。にこりと見上げると、
「その代わり、カロンについては我々未来組の方がはるかに多くの知識を持っています。それをすべて出しましょう。それとガードもお任せください」
「ガードって?」
柏木さんは不思議そうに首をかしげる。
「ゼロタイムを歓迎する種族であっても現代組に直接手が出せないのは我々と同じです。でも、自分たちの未来へ時を導くために必ず何らかのアクションを掛けてくるはずです。カロンの探索を妨害するかもしれません。直接邪魔をしてくるか、誘惑か、脅迫か。手段はわかりませんが必ず手を出します」
「歓迎する種族って?」
「ゼロタイムはすべてを破壊する現象ではございません。異なる未来へポイントが切り替わるようなものです。そうすると動物界の頂点が人類であるように、新たに頂点に立つ種族が現れるのです」
柏木さんはみたび黙り込み、数秒間瞬いた。そして声を絞り出す。
「なんかさー。怖い話ね」
「ご安心ください。あなたたちの行動を邪魔する者からは我々が守ります」
ガウロパが、むん、と両方の鼻の穴から空気を吐くと胸を張った。
「拙者が命に代えてもお守り通します」
ミウはそれを満足げに見て、薄桃の柔らかそうな頬をぷくりと持ち上げる。
「ガウロパの戦闘能力を凌駕する者はいません。わたしが保証します」
そう言った後、今度は、ちらりとイウを見て、
「いざとなったら破壊力の大きな武器もありますから、ご自由にお使いください」
「おい、オレって爆発物扱いかよ!」
ミウはきつい視線でイウを一瞥。
「あなたの処分はわたしが決めます。爆弾は黙ってなさい」
「ば……っ」
イウは納得したのか、反論の言葉を失ったのか、沈黙して焚き火の番に戻った。
眼帯男の振る舞いを満足げに見届けたミウは、柏木さんと向き合い小首を傾ける。
「いかがです?」
「協定を結ぶってわけね」
静かに首肯。頬にかかった銀の髪を手で払い続けた。。
「それと……。カロンは未知の高分子です。使いこなすにはもっと詳しい化学知識が必要です。ほらあなたの前に優秀な人材が一名いますことよ」
これまでのか弱くて心細そうな少女の姿はどこにもない。威厳に満ちた自信あふれる態度に圧倒された。
「そっか。二度も三度も美味しいってやつね。用心棒さんも心強いし……うふ」
柏木さんは目を輝かせてガウロパを見つめ、そのまま視線をイウへ滑らせてにこりとする。
「爆弾のサービス付きは……お得なのよー」
イウは苦々しく唇の端を歪めて、麻衣も気勢を上げる。
「よっしゃ。ガーデンハンターズも参加するデ、良子さん。こっちにも人足がいてるし」
「えっ?」
拒否しようとした俺の耳に麻衣が背伸びをして口元を寄せた。くすぐったい吐息を漏らしながら、俺だけに聞こえる音量で囁く。
「ウチらと付き合う気あるんやろ?」
「うっ、なっ?」
それはどういう意味だろう。片目を瞬かせるその真意はなんだ?
都合の良いように取っていのか?
必死で思案を巡らせていると、
「そうよ。それにショットガンとライフルの名手付きよ。どう? 超お得なんだから」
麻由がはしゃいで柏木さんの両肩に飛びつく。二人は互いにきゃっきゃっと声を上げて抱き合った。
俺の意見なんてガンビ蝿(カビの生えた小蝿)の如くなんだろうな。
「へへ。修一も俺と同じ境遇かぁー。よろしく頼むぜ」
「ち……違うだろ。変なこと言うな」
犯罪者と肩を並べる気はさらさらない。
脱力する俺の前で、麻衣が切り出した。
「ほな、そろそろ時間もあれやし、寝よか」
「そうですわ。わたくしもまだ頭が少しですがぼんやりしますもの。就寝したく思います」
「なぁミウ。あんたの喋り方……それで普通なん? なんかおかしない?」
「そうですの? 私から言わせてもらえば、麻衣さんの方がもっとおかしいですけど?」
「うはは。どっちもどっちだ」
と笑い飛ばす俺に、二人同時に睨めあげられた。
「怖ぇなぁー」
研究所の寝室は女性陣が使用するということで、俺たちは外で寝るはめに。ガウロパは平気だが、地べたで寝たことが無い俺にはどうしていいか分からなかった。
フライパン代わりに使用した鉄の扉を元の場所に戻す作業をしていたガウロパが、首を捻って俺の質問に答える。
「何を言ってるのでござる? 寝るのに何の躊躇があるんで?」
と言うと、火のそばに戻るなり地べたにごろんと横になって、そこらに転がる石を枕に目をつむった。
原始人め。繊細な現代人の俺には到底真似ができない。かと言って朝まで寝ないわけにもいかない。明日は水運びの歩荷が待っているのだ。
「しかたがない……」
地面で雑魚寝する覚悟をした俺は、土の上に尻を落して柏木さんに命じられたアヌビスの主要なパーツを焚き火の中に放り込む作業を始めた。
隣で俺の振る舞いを見ていたイウがポツリと言う。
「あいつは『お休み2秒』で寝ちまうんだ。心配事のねえヤツは羨ましいな」
燃えていくアヌビスの部品を眺めながら、俺はイウに尋ねる。
「イウは心配事があるのか?」
「当たり前だろ。オレは爆発物なんだぜ……」
何か言い出しかけた言葉を飲み込んで、イウはそっぽを向いた。
「未来に帰ったら外してもらえるんだろ。それ……」
俺は木の枝で足に光るリングを示した。
「あぁ。帰ったら服役だろうけどな。まっ、オレのやったことはもう収束しているので、数ヶ月の務所暮らしで済むはずさ」
「俺にはどんな罪なのか知らないが、悪いことをやったとは思えない」
「そらそうだ。罪なんて時代と共に変わるんだ。人を傷つけるような道義から外れたひでえことをしない限りな……そんなもんだ。でもオレはよ……」
何か言いたげなので、
「人を傷つけたのか?」
意外にもイウはうなずいた。
「や、殺ったのか?」
身を固くする俺にイウは半笑いで応える。
「バカ野郎ぉ。殺しなんかするか。なに勘違いしてやがる」
しかしすぐに真剣味を帯びた。
「……でもオレがやったのはもっとひどい事かもしれない」
「え?」
「家庭を潰しちまったんだ。小さな妹がいたんだが親父が嫌いでよ。家を飛び出したんだ。その後、噂で聞いたんだが、ショックでお袋が病死。戻ったときには家は崩壊。いなくなった妹を探しまくって行方はわかったんだが……」
「じゃあ。会えるじゃないか?」
イウは俺の目をじっと覗きこみ、
「ああ。会いたいよ。妹の前に堂々と出て頭を下げたいさ。でもこれを見ろ……」
足首で光るリングを指差して沈黙した。
「……後悔してんだろ?」
「あぁ。してる。思いっきり後悔してる」
重く苦しげなイウへ、俺は溜め息を一つ落として告げた。
「俺の親父がいつも言ってた。後悔は人生で一番悲しいことだって」
しばらく無言に沈むイウ。
「いい親父だな……」
「えー? そうかな?」
俺はバカでスケベな親父を思い浮かべた。今頃。ビール呑んでテレビ見て、大騒ぎしてんだろうな――きっと。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
7月31日。時間不明――。
焚き火が派手に弾ける音と、煙の息苦しさで目が覚めた。
あたりは薄っすらと靄が残る夜明け直前のジャングルだった。
「あのまま寝ちまったんだ」
上半身を起こすと、煙がまともに目に入ってきて涙が溢れた。
「ガウロパ、煙いぜ。何とかしてくれよ」
「わるい。起こした? いやあ、焚き火っておもろいけど、火ぃ熾すのって結構ムズイなぁ」
火を点けていたのは麻衣で、煙にやられた目をしょぼしょぼさせたガウロパの姿もあった。
「麻衣どの。もっと空気を下から送り込むでござる。こうやって……」
ガウロパが火の下をひと吹きするだけで、ごぉっと炎が立ち上がる。
「あかん。ガウさんやって。ウチ煙い……ゴホ、ゴホ……あかん、め、目が……」
麻衣は咳き込み、煙が沁みた丸い瞳から大粒の涙をぽろぽろこぼして、焚き火から逃げ出した。
「火ぃ点いたの?」
研究所の重い扉が開いた。
鉄の扉は昨夜の晩餐で無残に焼け焦げたままだが、扉としての機能はそのぶ厚さからじゅうぶん果たす。
奥から出てきたのは、昨日の残りの目玉焼きと少しの食料と水の入ったボトルを持った麻由とミウだった。
麻由は丸まった癖っ毛を無理やり後ろで結って、小さなポニーテールを揺らすいつもの可愛い姿で、ミウは昨日ガウロパが持ち帰った妙な形のメガネを掛けていた。
ひとつ付け加えると、メガネを掛ける、ではあまり的確な表現ではない。競泳用のメガネに似た構造で、目の縁にぴったりと沿って顔に張り付く小さなものだ。それを伸び縮みのするストラップで銀髪の後ろで括るスタイルだった。
しかしそれを装着したミウはこれまで以上にきびきびしており、爽やかな笑みを振る舞っている。
「ミウどうだ。調子は戻ったのか?」
「おかげさまで、このゴーグルは時間過敏症を抑制する機能がございます。この時代のものだけが目と耳に入ってくるだけで、とても清々しい朝を迎えました」
過去や未来を視る能力を花粉症みたいに説明するミウ。それよりも違和感があるのはその喋り方だ。どうにかなんらんのかね。
「それは致し方ないことです。これが本来のわたくし。以前のミウは深層心理の奥へ仕舞い込みました」
ゴーグルのセンターを指でくいっと押し上げてミウは凛然と胸を反らした。
「それはよかったな」
こちらとしてはそう答えるのが精一杯で、まるでクラスの優等生と会話するみたいな雰囲気にぐったりと疲れた。
続いて現れたのは……。
「おっはよー」
清涼な朝にぴったりの透きとおった声音は、もちろん柏木さんだ。
「おはようございます」
ガウロパが飛んできて挙手をした。
「あなた。わたしには朝の挨拶が無いのですのね?」
巨体を片目ですがめてミウはすねた口調で言い放ち、ガウロパはバッタみたいに跳んで、びびーんと背筋を伸ばした。
「姫さま。ご機嫌麗しゅうございます」
「ちっとも麗しくありません」
つんと横を向いた。
「ひ……姫さま」
小さな肩に取り繕う巨漢の姿はとても滑稽だった。
「ねぇ。ここらで電話の通じる所は無い? ここだと圏外なのよねー」
「そうやねー。ウチらのお屋敷まで戻らんと無理やろね」
「そう。残念……。じゃぁさ。早く戻ろうよ。未来組と協定を結んで、教授の命に従って、カロンを見つけるには電話が必須なのよ」
いち早くミウが反応して駆け寄ってきた。
「どのような予定ですか? ナビゲーターとしては聴いておく必要がありますわ」
「了解したわ」
ミウの肩を引き寄せ、笑顔で応対する柏木さん。
「まず、教授がカロンを見つけた場所へ行くの」
瞬時に麻衣と麻由が緊張した。
川村教授が事故で亡くなる直前に向かった先は九州なのは、昨日のメッセージで承知済みだ。
少し震えた声で、麻衣がピリピリと緊張した視線を柏木さんに滑らせる。
「九州行くの? 良子さん?」
「行くわよー」
麻由も強張って目を丸々させる。
「鹿児島なのよ?」
南の果てだ……昨日のメッセージに記載されていたが、どうやって行くつもりだろう?
「柏木さん。リニアトラムは福岡までしか路線がありませんよ。どうやって鹿児島まで行くんですか?」
「そこはお姉さんに任せておけばいいのよ」
そう可愛く言われると、俺も黙っちまうんだよな。って、おい、何んでガウロパまで目を潤ませてんだ?
俺の視線が伝わったのか、それとも俺の心を読んだのか、ミウは落ちていた木の棒を拾うとガウロパの尻をパシッと音を立てて叩いた。
「あっ! ひぃぃぃ!」
ガウロパは奇声を上げて飛び上がり、イウは一つしかない目ですがめる。
「熊の調教かよ。タコが……」
ヤツの声が朝のジャングルに染み渡った。




