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ゼロの支配者  作者: 雲黒斎草菜
時の番人
37/109

 焚き火

  

  

「ねぇーねぇー。もしかしてこれって()()って言うんじゃないの? おもしろそう」

 柏木さんは好奇心で満たされた眼差しで岩の列を見て、一人舞い躍りそう。

「たきび?」

 喜々とする白衣の背中に、同時に首を傾ける麻衣たち。

「なんだそれ?」

 古めかしい響きが耳に残る。


 ガウロパとイウは呆れた風に俺たちを覗き込み、

「特別に楽しむモンではござらぬが、これからやろうとしておるのが焚き火と呼ばれる行為で、身体を温めたり、あ、いや、ここでは必要ないか……。で、他に明かりの代わりにしたり、危険な猛獣を近づけない効果もあるのでござる」


 イウもそんなもんだ、的な表情を浮かべて俺たちの様子を窺い、柏木さんは目の色を濃くして俺たちに尋ねた。

「ねぇ。あなたたちはケミカルガーデンでどうやって夜を明かすの?」

「夜は一晩中歩き回ってる」と答えたのは麻衣で。


「それならゾンビじゃねえか」

 すかさずイウが割り込んだ。


 でも今のセリフは間違ってはいない。あの強行軍に参加していなかったら、俺だってそう言ったかも知れない。


 柏木さんは頭を振る。

「じゃなくて、野宿するでしょ? そのときよ」

「冷却エアーを頭から被って、シュラフの中でじっとしてる」

「味気ないなぁー。ロマンもへったくれも無いのね」

「ガーデンハンターにロマンはいらんもん……なぁ? 麻由?」

「う……うん」

 麻由と麻衣は腑に落ちない様子。


「はあ……だめだこの子たち」

 柏木さんは赤い唇を大きく開けて湿気の多い息を吐き、ガウロパに向かって嫣然と微笑んだ。

「ねっ? ガウさん始めてあげて」


「承知つかまつった」

 切れのいい動きでうなずいたガウロパは、ひと塊の枯れ木を鷲掴みにする。手が大きいので量は相当なものだ。


「いいでござるか。小枝を……」

 バキバキと音を出して何折りかにし、積んだ岩の一部を抜き去り、そこから内側に突っ込む。


「まさか炎をあげようってのか? それが焚き火か……じゃぁカマドは?」

「本当に知らないみたいだな。ある意味この時代の人間はかわいそうだ。いいか……」

 イウは半笑で一本の枯れ枝を拾うと、円形に並べた岩の頭を指し示して説明する。、

「いいか? これがカマドだ。お前の家では例えば湯を沸かすとき、入れ物に水を入れてそれからどうすんだ?」

「コンロの上に置く」


 俺の答えでは満足しなかったようで、

「コンロに何か付いてねえか? そうか炎は出ないんだったな。じゃあ、IHか?」

「IHって何か知らないが、炎は出ない電気オンリーだ。コンロの上は真っ平らなんだ」

「そうか。じゃカマドはもう(すた)れたんだ。昔は炎で調理するから横から火がもれないように何かで囲んだり、炎の一番いいところに鍋を安全に置くための器具があったんだ。五徳とか言われてな……。まっ、今日みたいに屋外でやるときは岩で囲むのが一般的だ」


「炎が暴れるの?」

 柏木さんが目を剥くところを見ると、この人もそれほど詳しいわけでもないようだ。


「大丈夫なん? 爆発とかせぇへんの?」

 麻衣の言葉を受けて、イウは情けなさそうに額に手を当てた。

「だめだガウロパ。こいつらに言葉での説明は無理だ。実践で見せてやってくれ」

「それが……。拙者、火種を持っておらぬ。タイムワープの時に失ったでござる。イウは持っておらぬか?」

 スキンヘッドの大男は眉根を寄せると指の先で頭を掻いた。


「あ、それならいいものがあるわ。えっとどこだっけ?」

 麻由は探し物の場所を思い出しつつ、顎に手をやり思案顔。

「それなら、ここ」

 ミウが平淡な声を漏らした。

「え?」

 戸惑う麻由の横をすり抜け、研究室の入り口脇に置いてあったツールボックスを開け、中からスティック状の物体を取り出した。


 しっかりした行動なのに、ミウの目は宙を彷徨っている。焦点の合っていない視線の先はどこを巡るのかさっぱり分からない。

「あら。なんであなたがツールボックスに入れてあったバーナーを知ってるの?」

 と尋ねるのは麻由で、

「そこからあなたが出すのを視た」

「いつ?」

「20秒未来」

 ミウは淡々と答え、麻由は首をかしげた。

「20秒後あたしがそこから出すところを先に視ていて、あなたが出してしまうと、あたしが出したというのはどうなるの?」

 これもタイムパラドックスってやつだ。


「まずいでござる。姫さまは時間規則を犯しておる」

「じゃ。逮捕しろよ」

 無愛想に言い捨てるイウ。


「い、いや今の程度なら、麻由どのがバーナーを取り出す流れが、姫さまが出しただけのことで、未来に何の変化はないが、これ以上エスカレートすると拙者らの手に負えなくなるでござるぞ」

 イウもうなずく。

「ゴーグルは失ってるし、記憶障害で時空間理論は一切憶えてなさそうだし……確かにこのままではヤバイな」

 連中の会話で薄々だが時間規則と言うモノが理解できそうだ。つまり時間の流れを乱す行為のことを示すんだと思う。


 囁き合う二人の言葉に興味がない麻由は、それ以上こだわるつもりは無く、ミウから受け取って俺に見せた。

「それなに?」

 見たこともない道具だった。

「小さな炎を上げる機械なの」

「おい、火を出すのは禁止されてんだぞ」


 火を出すという行為は、海中都市では絶対禁止なのだ。それはCO2の問題だけではなく、貴重な酸素を汚すからだ。なので海中都市ではすべてのエネルギーは電力だけで事足りる。照明から料理、入浴まで、何もかもそれでまかなっている。もちろんガソリンも天然ガスも、とうの昔に枯渇して地球上には無いのさ。


 親の代よりも前からから火を見なくなった俺たちにとっては、あまりにも炎に対する認識が薄い。生まれたばかりの赤ん坊と大差は無かった。


「なぜそんなものをお前らが持ち歩く?」と訊くのは俺で、

「サバイバル道具の一つや」

 横から麻衣が自慢げに鼻を鳴らす。

「バッテリーの充電をする火力発電機の点火に使う物よ」とは麻由。


 それを聞いて、眉毛をハノ字に歪めたのはイウだ。

「おーい。お前らマジで言ってるのか?」


「なんでよー。火力発電機が無かったら耐熱スーツの充電ができひんやん」

「まさか……発電機の点火だけに使ってんのか?」

「そうよ」

「じゃなくてよー。もっと他に重要な使い道があんだろ?」

 麻衣と麻由は互いに視線を合わせ、ゆっくりと首をかしげる。

「知らん……」


「マジか。どうなってんだこの時代は?」

 イウが何を言おうとしているのか俺にも解からない。

 互いに首をかしげ合う俺たちの手からバーナーを取り上げたガウロパが、しゃりっと音を上げて明るい光を上げた。


「おぉぉ。これが炎っての? へえ火って揺れ動くんだ」

 ゆらゆらと揺れ動くオレンジ色の明るい光だった。

「キレイなもんだな」

 感嘆の吐息をする俺に顔を近づける麻衣。

「初めて見るんやろ?」

「そうさ。お前らは?」

「ウチらはガーデンでしょっちゅう使ってるよ」


「充電器の点火だけ……にだろ?」

 おかしなところで区切るイウに、微苦笑で応える麻衣。

「せやで……」

「だめだ……。後は任せたぜ、ガウロパ」

 イウはあからさまに呆けた表情を浮かべると、やる気の失せた背中を丸めて地べたに寝転がった。


「なんでよー」「失礼ね……」

 麻衣と麻由は不服そうに口先を尖らした同じ格好で凝固し、俺も腕を組んで黙考する。


 充電器の点火以外に使い道があるのだろうか。マジで意味が解らん。



「とにかくじゃ。炎の本当の使い方はこうするんでござるよ」

 ガウロパはスティック状のツールの先端をもう一度擦って見せて、小さな火を出した。それを静かに枯れ木の中へ移動させる。奥が明るく光り、すぐにメラメラと大きな炎が上がった。


「あうっ!」

 びっくりして立ち上がったのは2300年代の俺たちだけだ。ミウもガウロパたちもそれを見つめて平然としている。


 生まれて初めて見る等身大の炎に麻衣は手で顔を覆って数歩退き、

「わあぁ! だ、大丈夫なの? そんな大きな炎にして……ウチ知らんデ。熱ちちち。」

「こ、これが焚き火なの……す、すごい」

 柏木さんも妖しく揺らぐ炎を濡れた瞳に映した。


「おいおい。そんなに驚くことか?」

 俺たちの相手を放棄して地面に寝転がっていたイウが慌てて半身を立てた。


 強張る俺たちをイウは珍しい生き物でも見るような目で凝視し、俺は燃え上がる炎から顔を背けて説明する。

「2300年代は炎を上げるときつく罰せられるんだ。海中都市で火なんか使ったらそれこそ街中が大騒ぎになるんだ」

「そうよ。研究所内だって炎厳禁なんだから」と柏木さん。

 麻衣と麻由は好奇の目で訴える。

「せやけど。ほんまに明るいんや。見てみぃ。ケミカルライトの何倍も。ほら周りがはっきり見えるやん」

「ほんとだぁ」

 子供のようにはしゃぐ麻衣と麻由。炎に照らされた二人の影がジャングルの奥で楽しげに揺れ動いていた。


 ちょっとして炎はすぐに弱まる。

「ああぁーん」

 無念にあえぐ柏木さんに、ガウロパがにこり笑みを浮かべた。

「少々待つでござる。炎を持続させるには最初が肝心」

 イウとガウロパは小枝を折るとポイポイと火の中へ放り込んでいく。弱まりかけた炎が再び明かりを取り戻してきた。


 それに続いて、

「げほげほげほ」

 巻き上がった煙が俺たちを直接襲ってきて、激しく咳き込んだ。


「キャァー。く、苦しい。息できない。毒よ。一酸化中毒死するわ! みんな逃げて……」

 堪らなくなった柏木さんが白衣でばたばた扇ぐが、白い煙は容赦なく襲う。

「ほらみろ。これが炎の怖いとこなんだ。早く消さなくちゃ」

 俺も逃げ腰になって立ちあがるが、イウたちは楽しげに笑って見守るだけ。柏木さんは目にいっぱい涙を溜めて片手を振る。

「ちょっと。ガウさん早く消して。みんな死んじゃうわ」

「慌てないでくだされ。心配ない」

 瞼に溢れる銀の雫を色っぽく拭く柏木さんを眩しげに見ていたガウロパが、火の中へ息を吹き掛けた。

 途端に、ぶぉぉぉ、と一気に炎が噴き上がり、瞬時に煙が薄れた。


「どうしたの? 薬品か何か口に含んで吹きつけたの?」

 目を丸めた麻由の質問に、

「酸素を足してんだよ」

 炎の中ヘ息を吹き続けるガウロパに代わってイウが答える。


「いいか。炎を維持させるには大量の酸素が必要なんだ。さっきの煙は酸素不足の証拠さ。で、ガウロパが口から酸素を送り込んだので、勢いよく燃え出しんだ。物が燃えると空気は上昇するだろ。するとそこが希薄になる。で、また外から新鮮な空気が流れ込んで、再び炎が強まり、と、これを繰り返すんだ。うまくいけば最初のひと吹きで、焚き火は燃え続ける。手品でもなんでもない。それからこんな量の枯れ枝では焚き火は維持できない。みてろよ」


 再びイウとガウロパは枯れ木を放り込みだした。

「そんなペースで放り込んだら、炎が大きくなりすぎてこの周りの木まで燃えないか?」


「大丈夫だ。回りの木はスコールで濡れてる。それより焚き火は(おこ)らせるまでがたいへんなんだ。よく見ていろよ」


「「オコらせる?」」

 麻衣たちが声をそろえた。


「完全燃焼状態さ」

「「完全燃焼?」」


「えーい。うるせえな、このコーラス隊が! ちょっと待ってろ、もうすぐだから」

 カマドの中で焚き火はパチパチと軽く弾ける音を出して、勢いよく燃え上がった。


 そのうち中心部がオレンジから朱色へ、そして紅蓮へと変わっていく。

「ほら覗いてみろ。どうだ中心が激しい熱を出して煙も出さずに燃えてるだろ?」

「うん」

 首肯する俺にイウは親切に説明する。


「さっきの煙だらけの状態が不完全燃焼で、最も体に悪い。で、今の状態が完全燃焼だ。木が完全な状態で燃焼してんだ。このときに大量の酸素を消費するが、中心部は最高温度に達してんだよ。ここまできたら少しぐらい目を離しても炎は消えることがない」


「すげぇー。これが焚き火か……」


「いいか。炎を制することができたのは人類だけだ。代わりに大きな代償を払っちまった。それがこの時代の地球だ。ムチャクチャになっちまった。でもな、よく見てみろ、炎はその中心を熾らせて初めて底力が出るんだ。この時代の人類はまだまだ熾ってないんだ。これからだぜ熾るのは……」


 未来は明るいとか言いたいのか?

 本人は気づいていないが、また時間規則を破ったかもしれないイウの言葉を、俺は炎を見つめながら反芻(はんすう)した。


 確かに小さな炎ではメラメラとゆれる外側が最も温度が高いのだが、焚き火という炎の集合体になると中心部で完全燃焼を起す部分が重要なんだ。


「熾る……か……」

 初めて目の当たりにする炎のパワーを前にして、興奮した俺の膝がかくかく震えており、同様に気持ちが高ぶった麻衣と麻由が、両脇から俺の肘を掴んで震えているのが伝わってきた。

「ほら座ったら?」

 柏木さんが白衣の裾をきゅっと閉めて、ガウロパが持ってきた岩に腰を落として促した。

「そ、そうね……」

 麻由と麻衣が鏡に映したみたいに、まったく同じ仕草で岩に腰掛ける。紺色のキュロットから伸びた白い脚が、赤くゆらゆらと照らされて鮮やかに輝いていた。


「これで何か喰うものがあれば、文句無しなんだけどな」

 ひょろ長い身体を屈めて、赤く(てか)る岩に語り掛けた。


 思い出した。この二人はろくに食事をしていない。昼のコンビニ弁当に涙したと言うのも大袈裟でもなんでもないのだ。


「食い物ならあるぜ……」

 俺の視線を察した麻衣が相槌を打つ。

「ほんまや。昼の残り物でよければ少しはお腹の足しになるやろ…………んーと?」

 麻衣の目はランちゃんを探すが、近くにはおらず、茂みの奥へ体を隠しており、表面で焚き火の明かりをキラキラと反射させたレンズが見えた。


「あんなとこで……。あいつ何やってんだ?」

 レーザーポインターの輝線はずっとこっちを射すが、どういうわけか近づこうとしない。

「ランちゃん?」

 麻衣の呼ぶ声に、キュッ、と反応して、焚き火を避ける遠回りの円軌道を描いて接近してきた。

「どないしたん? ランちゃん」

 落ち着かない様子でポインターの視線を激しく燃え上がる炎へ向けた。


「あはっ。わかった。炎に焦点が合わないから焦ってるのよ、この子」

 柏木さんに首を倒して肯定するランちゃん。

「大丈夫や。このおっさんら炎の達人や。安心しとき」

 バギーから伸びた頭を優しく撫でた麻衣は、荷台下部の冷凍庫を引き出すと昼間の残りを出し、表面に付着した霜を払うと、恐るおそる焚き火に近寄って岩の上に並べた。


「アチチチ。これ以上近づけんわ。おっちゃん、コレ火のそばに置いてくれる?」

「了解でござる」

「これも…………」

 小さな声でランちゃんの荷台に転がる丸い物体を指さすミウ。

「そうだ。バードオブプレイのタマゴだ」

 スコールが来る前に『今日の晩御飯はたいへんよ』とミウが告げた言葉の意味が解った。俺たちはこれからこれを調理して食べるんだ。そのことをすでにミウが視ていて、それをあの時俺に知らせたワケだ。


「こ、コレでござるか……。こりゃ豪勢な晩飯になるが、でっかい鉄板が必要でござるぞ」

「おい。あれはどうだ?」

 イウが顎で示す先、入り口を開閉する金属製の扉が焚き火の炎に赤々と照らされていた。

「いや。あれは無理だろ。あんな重いもの誰が持てるんだ」

 今度はガウロパを指差す。

「馬鹿力のハゲがいるだろ」

「外れるのか?」

 もう一度浮かべた俺の質問に、ガウロパが無言で近寄ると扉の後ろへ指を引っ掛け、ふんっと鼻息を吹いた。

「蝶番が錆びて指で抜けるでござる。ほれ」

 ボルトをいとも簡単に抜くと、ぐいんと両手で鉄の扉を外して、焚き火のそばへ持ってきた。

「おっさん。なんちゅう力しとんねん。元に戻せんの?」

「このボルトを差し込めば元に戻るでござる」

 麻衣の目の前に2本のボルトを突き出して見せた。


「後でちゃんと直しといてくれるんやったら。ウチらはかまへんデ」

 ポツリと漏らすと、にこりと微笑んだ。


 ミウの宣言どおり、そこから大騒ぎになった。麻由と麻衣は研究室の台所へ飛んで帰り、食用油や調味料をかき集め、あるだけの食器を持って戻って来た。


 研究所の入り口を塞ぐ鉄の扉はとてもぶ厚い物なのに、焚き火の火力が圧倒的に強く、それで焼きあげた卵焼きはふっくらと仕上がった。それはなんと直径1メートルを越えた。ここにいる7人全員の胃袋を満たす以上の量となった。


 ガウロパは豪快な仕草ででかい口の中に料理を放り込み、バクバクと飲み下してから言う。

「みなさんはこういう料理の仕方も知っておるのでござるな。この時代はペースト状の物しかないと思っておった」

「生の食材を使うのは麻衣たちぐらいなものさ。都会の連中は何も知らない。籠の中の鳥だからな」

 と言った俺をガウロパは悲しげに見た。

「これが本当の姿なんじゃがな。世の中変わったのぉ」

「そうかい? 俺にしたら炎で調理するほうが初めてだ。ガウロパたちは毎晩こんな風に炎を使って暮らしてたのか?」


 ガウロパは少し違うと頭を振った。

「普段は屋根の下にあるカマドで調理されたものを食卓に運んで、(たたみ)の上で食しておった」

「タタミ?」

「あぁぁ。草で作られた床だ」と説明したのはイウ。

 そう言えば俺の家にも人工物なのだが、草っぽい床の部屋がある。

 あれって、畳っていうのか……。『草床』って呼んでたな。


「客間にあるぜ」

「そうか。よかったな」

 弛緩した空気は夜風に漂って辺りを充満していく。イウは炎に照らされた優しい顔を俺に向け、ガウロパも黙って熱々の玉子焼きを頬張るミウを細めた目で見つめた。


「なんかええなぁ」

 麻衣が漏らした言葉は、今の気分を如実に語ってくれた。火の粉を舞い上げながら燃え続ける焚き火の明かりは夜の暗闇を制するパワーを持っており、俺たちはここが山の中だというのも忘れて心の底からリラックスできた。これは炎が作り出す魔法なのだろうか。こんな気分になれたのは生まれて初めてだった。




 数時間後――。


 食べる気もないのに箸代わりの小枝で玉子焼きを突っつき、イウが苦しげに呼気を吐いた。

「オレ、しばらくタマゴ料理はいらねえ」

 漏らした愚痴へ賛同の笑みを返し、柏木さんがカロンの資料を白衣のポケットから出したが、すぐに顔を上げた。

「あん。メガネ忘れた」

 小さな吐息を漏らして資料をガウロパに持たせると、

「それ、燃やす物じゃないからね。焚き火に放り込んだらだめよ」

 と言い残して研究室へ走った。


「猿扱いでござるな……。拙者。3027年の未来人でござるぞ」

「きっとその言葉遣いだぜ」

 ガウロパは嘲笑するイウに肩をすくめてみせてから、何気なく資料へ目を通した。


 次の刹那。巨体が勢いよく立ち上がった。

「こ、これは、カロンだ!」

 焚き火の中心をうっとりと見つめていた麻衣がついと顔を上げ、

「おっちゃんもカロンのこと知ってんの?」

 ガウロパは麻衣の質問に質問を返す。

「麻衣どのも知ってるでござるか?」

「うん」

 首肯する麻衣を見て巨体をバタバタとさせると、眼帯姿のイウに向かって血相を変えた。


「やばいでござる! この時代の人間にカロンのことが知れたらえらいことになる。だ、誰だ! 教えたのは、お前か!」

 イウの胸倉を掴み、ぐおぉぉーっと吊り上げた。

「ぐぅぅ、く、苦しい。ガウロパ落ち着け。オレはお前といつも一緒じゃねえか。それにカロンなんて知らねえ。なんだそれ。新型の頭痛薬か?」

 宙に浮かぶ足を激しくバタつかせて(あらが)うイウに、怪訝そうなガウロパの睨みが下から突き上げる。


 その時、ドタバタする連中の横でミウが動いた。夢遊病者のように漆黒の空を見上げて言葉を絞り出したのだ。

「カロン……天然高分子構造……爆発的に酸素を生み出し、地球規模で大気の入れ換えが可能な高濃度酸素生成物質……」

「だぁあー! ひ……姫さま!」

 ガウロパは叫び声を上げてイウをゴミみたいに地べたへ放り落としてから、慌ててミウの口を塞いだ。


「いててて。痛ぇーな。このタコ!」

 二人の騒ぎに麻由も大きな瞳をクリンとさせる。

「どうしたの? 何を(わめ)いてるのよ!」

「あ? いや……べつに。何でもござらん」

 ガウロパは確実に動揺している。目をあらぬ方向へと逃がし、額からは冷や汗が垂れた。


「なぁ、ガウロパ。カロンって何だよ?」と、しつこいイウ。

「な……なんでもないでござる。お前は黙っとれ」


 白を切るガウロパの前で、抑揚のない説明が淡々と綴られ始めた。

「3018年。原始の地球上には存在しなかった酸素を大量発生させたのがカロン高分子だと言う説を実証した化学局は、コレこそが地球上に蔓延したCO2を消し去る唯一の手段だと結論付けた。その能力は驚異的で植物の光合成の数万倍にも及んだ……。西暦3026年、下部マントルとコアの隙間に沈み込んだ大量のカロンを発見するも、地下2700キロメートルの深部になるため、簡単にたどり着ける距離ではなく、何度も探査機を地中深く打ち込むものの、いまだに採掘はできないでいる。そこで化学局は時間渡航ができる者を集め、カロン高分子の鉱床が地上付近まで顔を出す時代の調査を依頼……」


「あわわわわ。姫ぇぇぇ。それは時間規則に反する言葉でござる。それだけは口に出してはいけない、お慎みくだされ!」

 意味のわからない言葉を呪文みたいに唱えるミウを黙らせようと、ガウロパは自身の巨体で少女の全身を覆い隠した。


 突然の行為に麻衣が驚いて立ち上がる。

「こらっ! スケベ大ダコ。離れろ!」

 ショットガンのグリップでガウロパの尻をバンバンと叩くが、ガウロパは離れようとしない。



 しかし次の瞬間、信じられない出来事が起きた。忽然とミウがガウロパの腕の中で叫んだのだ。


「こ、これ! 重い! ガウロパ! 離れなさい。な、何を――」

「ひ、姫さまぁぁ!」

  

  

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