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ゼロの支配者  作者: 雲黒斎草菜
時の番人
32/109

 節足動物多足亜門

  

  

「げっ! 真っ暗だ!?」

 俺は肝を冷やした。


「ブレーカーが落ちたんだわ」

 暗闇の中で柏木さんの声が響いて聞こえた。


「あっちゃー。たまにあんねん。発電機はプルトニウムを使った原子力発電電池で3年前に新品に換えたって、お父さん言ってたんやけどね。屋内の配線設備がかなり古いんや。メンテナンスいうても、ウチらにはできひんし……」

 と言う麻衣の声に合わせて、暗闇の中で俺の袖が引れた。

「何だよ?」

「何が?」

 麻衣のとぼけた返事が来るということは、袖を引いたのは麻衣じゃない。


「ねぇ。どうする。真っ暗よ……こっちかな?」

 麻由も壁を触って出口を探している様子だ。


 暗闇で首をかしげていたら、もう一度俺の袖がぐいっと引かれた。

「わたしはこの暗闇でも見える」

 袖を引くのはミウだった。でもその言葉には特別な意味がある。


「そっか。日高さんは今とは違う照明が点いてた時の部屋が視えるのね。便利ねぇー」

 柏木さんは屈託の無い無邪気な口調だが、

「それってミウが懐中電灯代わりっていうことっすか?」

 肯定したのか否定したのか暗闇ではなにも見えない。


 でもすぐに行動を起こすのはやはり柏木さんで。

「いいこと。みんな手を繋いで~」

 その声に、

「繋いだよぉー」

「オーケー」

 誰かの手が俺の片方と繋がった。まるでフォークダンスのような繋がり方をしたのだが、この暗闇では恐怖が先立ち、恥ずかしくもなかった。


「…………」

 ミウは無言で俺たちを引き連れると部屋を出た。


「そこ……盛り上がってる……」

 言葉が少ないのにもほどがある。盛り上がるって床のことか? それとも、宴もたけなわってヤツか?

 んなワケはないな。

「おっと、ほんとだ、段差がある」

 ミウの忠告どおり、床に階段1段ほどの差があり、言われなかったらつまづくところだ。


 どちらにしてもこの状況でこと細かく説明するミウは、しっかりと周りが見えるようだ。その証拠に誘導する足取りはゆるぎない。


「ミウ。ウチらをランちゃんのとこまで連れてってくれる? あの子のライトが使えるから」

「あの子をここに連れてこれたとしても、発電室は長い階段のある地下にある。そこへ連れて行くのは不可能」

 これがマジならすごすぎるのだが、この後さらなる驚愕が待っていた。


「まかせて」

 ミウは書斎から二つ先の部屋へ全員を移動させた。薬品の臭いが充満する広い部屋で、中央にある長いテーブルへ俺たちを誘導して手を触れさせた。

「ここで、じっとしてて」

 ミウが俺の横から離れ、声が移動して行く。


「ここ。実験室ね」

「ほんまや。ミウ、何すんの?」

 暗闇でも我が家同然の麻衣たちには、ここが何の部屋で何をするところか理解はできるんだろうが、ミウが何をやろうとするのかまでは理解できない。

 ゴソゴソする俺にミウから注意が飛ぶ。

「あまり動かないで。ガラス製の器具がたくさんある」

「りょ、了解した……けど」

 柏木さんが椅子を引いて座る音が聞こえた。続いて麻衣たちもガタガタと動き回ると、椅子を見つけたらしく、それに腰掛ける音だけが暗闇を浸透してくる。


「なんだ椅子があるのかよ」

 真っ暗闇な空間にぽんと放り込まれた俺にとっては何の情報も無い。


 地下30メートルに作られた部屋の中に差し込む光りはまったく無く、真の暗闇が広がっていた。その中をミウは普通に動き回っている。この部屋に訪れたことも無いはずなのに、いったいこの子はなんだ?


 俺の疑問はミウと出会ってから膨らむ一方で、解決したモノは何も無い。せめて目の前で何が行われるのかの説明ぐらいは欲しい。

 少々焦燥感を覚えて辺りを探る俺の耳に、ガラス器具の当たる小さな音が飛び込んできた。


「なぁ。ミウ何をやろうとしてんだ?」

 我慢んできなくなって尋ねた。

「灯りを点ける」

「電気は切れてるのに?」

 と問う麻由の言葉に柏木さんが反応する。

「ケミカルライトね」

「そう」

 短い返事の後。


「シュウ酸ジフェニルがあった」

「なに?」と俺。

「あなた化学に詳しいの?」と暗闇の奥から柏木さんの声。

「…………」

 ミウは無言だった。

 彼女が宣告した薬品が何なのか、何の役に立つのか、柏木さんには理解できても俺にはチンプンカンプンさ。


「化学の授業で習ろたやろ?」

「たまたま風邪で休んでたんだよ!」

 俺のギャグ的返しは無視された。


「さびしいな……」


 しばらくしてぽっとオレンジの光りがテーブルの上で灯った。

 瞳孔が開ききった麻衣と麻由の丸い瞳がキョトキョトと辺りを探る。まるで小動物のようだ。


「まぶしいぃー。暗闇に慣れとったからきっついわ~」

 柏木さんも目を何度も瞬かせて立ち上がり、

「やっぱり化学に詳しいんじゃない」

 と言いながらテーブルに置かれた赤い結晶の入った小瓶を手に取り、すぐに視線が棚に並んだ一つの薬品を指し示した。


「ね? あれでもいいのに、どうしてこっちを使ったの?」


 俺には何のことだかさっぱりだが、ミウは平然と答える。

「ジフェニルアントラセンは溶け難いから、こっちの赤いルブレンを使ったの」


 柏木さんは目を見開きミウを眺めた。

「ご名答。青い光りにこだわる必要のない今の状況において最適の選択でした」

 変異体研究所の上司口調で溜め息を吐いた。


「とにかくその灯りを使って、発電機の配線を調べるから。部屋まで案内してくれよ」

「いいわよ」

 麻由が先頭に立とうとして躊躇した。すでにミウが先陣を切って歩き出しており、その道筋が正しいのだろう、自分の役どころを失った麻由は俺たちに振り返って肩をすくめて見せた。



 今日初めてここに来たはずのミウの誘導は的確で、一度も間違うことなく地下を二階下りた奥にある発電室へ導いて入った。

 途端に鼻を刺す嫌な臭い。


「これは何かがショートしてブレーカーが落ちたんだ」

「なおる?」

 肩口から不安げに覗き込む麻衣のクルクルと丸まった髪の毛が、俺の首筋に当たった。

「見てみないと……」

 正直なところを告げてから、俺は発電機とブレーカーを接続する配線をたどっていった。高圧線は何個かの碍子(がいし)に巻きつけられていて、壁から絶縁されている。


「これだ……」

 白いコンクリートの一部が黒く焦げて、何かが飛び散っていた。

「なんだろ? この平たい物は」

 20センチはありそうな横幅。長いボロ雑巾か、布帯(ぬのお)びみたいな物体だった。何ヶ所かショートによる電撃で引き千切れてバラバラだったが、全体で1メートルはあるだろう。


 麻衣と麻由が興味深そうに、物体に目を凝らした。

「節足動物多足亜門よ」

 柏木さんの言葉が続く。

「それって……もしや?」

 恐々振り返る俺に、柏木さんは満面の笑みで応えた。


大百足(オオムカデ)の変異体よぉー」


 大好きなオモチャを見つけた子供みたいなキラッキラの瞳を注いで、素手で触ろうとする柏木さんの腕を麻衣が慌てて止めた。

「やめときって。きちゃないって」

「汚くないわよ。カビ毒におかされる前の個体だモノ。ねぇ頭どこかな? 持って帰りたいなぁー」


 全身から鳥肌をぞぞぞっと立たせた俺は、ボロ雑巾みたいにも見えるムカデの残骸をそばにあった清掃器具でかき集めた。

「うげぇぇ。おぞましい……」

「生命力強いからなー。この子の頭。たぶんこの岩のあいだから奥へ逃げ込んだのよ」

 ってぇ! 岩の割れ目に手を突っ込まないでください。


「おぇっ」

 嘔吐(えず)きを堪えつつ、ショートした部分を綺麗に拭き、むき出しになった電線を丁寧に絶縁テープで巻いて補修をする間、柏木さんはずっとムカデの頭を探していた。


 部屋の一面だけコンクリートの壁が崩れて岩肌がむき出しになっており、割れ目から染み出した水が排水路へ流れている。

 頭と胴体とが別れ別れになっても生き続ける生物を見つけて、大切な宝のように扱う柏木さんを信じられない気分で眺める俺。


 ダメだ……。

 スミマセン柏木さん――俺、無理っす。


 麻衣もムカデの頭には興味が無いようで、

「半年前に水が染み出して、ここだけ崩れたんよ」

 岩肌むき出しになった壁を指さして言った。


「そりゃまずいぞ。発電機に水が掛かったらムカデのショートぐらいじゃ、すまないぜ」

 と言っておいてから、マズった、と自分の言葉を恨んだ。


 案の定、麻衣は目の輝き強める。

「バイトしぃへん?」

「でたー。お前は手配師かよ!」


 麻由も無言で潤ませた瞳を俺へ向けて圧力めいたものを掛けてくる。

「…………」

 なぁ。この目だもんな。

「わかったよ。夏休みはまだ長いんだ。いつかやってやるよ」


 柏木さんが真剣に羨ましそうな顔をして俺を上目に見た。

「いいなぁ。私も家来が欲しいなぁ」

 あなたにはガウロパがいるでしょ。

「あれ、用心棒だもん」

 どこまで欲張るんだ、この人は――。




 高圧線の上をムカデが這ったためにショートしてブレーカーが落ちた程度の軽症だったので、研究所の電力が簡単に復旧した。

 ようやく明るい光に照らされたフロアーを教授の書斎へと戻る途中、実験室の前で柏木さんがミウの足を止めた。

「この部屋の様子見ておかなくていいの?」

「…………」

 無言で柏木さんを見上げるミウ。

「だって、今ここでこの部屋のようすを見ておかないとだめでしょ。さっき暗闇の中で見た光景はこのときの景色なんでしょ?」

 なるほど、そういうもんだな。


 納得する俺の隣でミウはもっと奇妙なことを口走った。

「発電機が直らないとこの景色は見られない。そうするとケミカルライトは作れないので発電機が直せない。これはタイムパラドックスの典型的な例」


 麻由は黒い瞳を丸くしてうなずく。

「ほんとだぁ。どっちが先になるのかしら。発電機が直せたから薬品の位置を覚えた。覚えてないと発電機は直せない。直らないと薬品の位置はわからない。でも薬品の位置は覚えていた。だから発電機は直った。んー? 何これ? どいうこと?」

 首をひねって歩く麻由へ。

「まだ他にも答えはあるわよ」と言い出したのは柏木さん。

「どういうこと?」

「ここで作ったことがある記憶を持ってるっていう説」

「それもおかしな話やん。ミウは初めてここに来てるんやで」とは麻衣。

「初めてでなければ?」

 楽しげな柏木さんへ麻衣は首をかしげ、

「ほな、お父さんと面識があることになるデ」

「あは。ほんとだー。ね? どうなの?」と尋ねたのは柏木さんで、ミウは頭を振る。

「知らない……」


 それは答えていないのも同然の返答だった。




 俺だけ後かたずけをしてから書斎に入ると、アヌビスが再起動していて、麻衣が画面に表示されたファイルの一覧と睨み合っていた。

「あかんわ良子さん。ファイルが多すぎて、カロンに関するデータが見つからへん」

「そんなこと無いでしょ。いくら多いっていっても、検索をかければ即答よ。この子は天下のアヌビスよ」

「どうやんの?」

「じゃあ代わって……」

 柏木さんがコホンと咳払いし、

「アヌビス。ファイルの内容に『カロン』の文字を含むものを検索してみて」


 柏木さんの甘い声に応えて、アヌビスのアナウンスが流れる。

『1億9千543万2397件にアクセスしましたが、該当するファイルは見つかりませんでした』


「げっ、早えぇぇ。ほんとうにファイルの中まで調べたのかな?」

 俺の問いに柏木さんが代わる。

「アヌビス。ファイルの内容も調べてるの?」


『48エクサバイトの内容をすべてチェックしました』


「エクサ……。こいつ平気で48エクサバイトって言いったけど、4千8百京のことだぞ」

 俺は絶句した。それを瞬時に検索してしまうアヌビスの実力は噂どおりだ。


「驚いてる場合とちゃうって。ウチら確かにここでカロンのファイルを見たんや」

 そうだ。コンピューターのスペックなんぞで驚いている場合ではない。麻衣たちは態度は大きいが、嘘をつく連中でないことは俺が保証する。


「隠しファイルになってんじゃないすか?」

 と告げる俺に、柏木さん爽やかに朱唇を開く。

「暗号化ね……」

「これだけのシステムでしょ。セキュリティも強固だろうし、どうやって探し出すんです?」


 柏木さんはアヌビスに寄り添うと、妖しげな笑みを混ぜて俺に問いかける。

「どう? 修一くん。人間の手では決して破られないセキュリティシステムに守られた上に暗号化。そして2億近いファイル数。もう……お手上げでしょ?」

 何を言おうとするのか皆目理解できないが、表情が悪戯っぽいところを見ると何か考えがありそうだ。


「じゃあ。どうします?」

「ほんまや良子さん。どうするん?」

 ()らされる身がもどかしい。詰め寄る俺たちを見て柏木さんの目が笑っていた。

「ひとつだけいい方法があるわ」

「どうやるの?」

 不安げに見つめる麻由へ、

「ランちゃんと繋ぐの……」

「あそっか。アヌビスをここまで育てたのは、ランちゃんやもんね」

 育てるとかの言葉は生命体に向けた言葉で、人工知能には不適切だと思うのだが、それをこの場で問いただすのも不適切だろうな。とか頭の中でぐるぐる巡らせている俺の前で。柏木さんが自分の腕に巻かれたおしゃれなブレスレット型の時計へ目をやって、すんと鼻を鳴らした。

「もう時間が無いわね」

「帰り時間っすか?」


「そ。さっきアヌビスが言ってたでしょ。1億9千万もファイルがあるのよ……多少なりとも時間が掛かるわ」

 俺もその意味を理解した。

「行きに4時間掛かったし、下りだから早いとはいっても。スコールの時間と重なるよな」

「せやけど、いったん戻って出直すのもしゃくや」

 麻衣と麻由は大きめの胸を持ち上げるように腕を組んで、二人そろって下唇を軽く噛んだ。

 その動きは見事に左右対称になっており、このまま写真にして重ね合わせれば、ぴたりと一致するのでは、というほど完璧なミラー状態だ。


 強張る二人と相反して、柏木さんは明るかった。

「ねぇー。泊まろうよ。ここって学生達が泊まりこむための設備があるのよ」


「うーん。ウチらとミウはかまわんけど」

 麻衣は椅子に座ったまま壁のディスプレイを見つめたまま固まっているミウから、俺へと視線を移動させ、

「問題は修一やな。ここからは電話が通じへんから。家の人に連絡の取りようがないねん」

「あっそっか。未成年が無断外泊なんてしたら、ご両親心配されるものね」


 麻衣は慌てて否定する。

「ちゃうんねん良子さん。修一がウチらと無断外泊したら大喜びするんや」

「はは……」

 苦笑いを返すしかなかった。麻衣の言うとおりだ。たぶん親父のことだ。帰ったら祝言だとか騒ぎ立てそうだ。

「そうね。前祝だとか言って大宴会になるわ」

 麻由のお墨付きさ。


「へぇ変わったお父様ね」


 引き気味の柏木さんに頭を掻きながら笑って答える。

「はい、そうなんです。うちの親父は変人です」


 変な決意を剥き出しにして麻衣が俺の肩をポンと叩く。

「覚悟決めるか、修一」

「それは、お前らも同じだぜ。帰ったら何言われるか、覚悟はいいのか?」

 親父の狂喜乱舞する顔を思い浮かべて、俺たちは複雑な笑い顔を見せ合った。

「じゃあさ。お父様のお土産に、多足亜門の頭を探さない?」

 と言い出した柏木さんを白い目で見るのは、決して間違っていないと思う。

  

  

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