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ゼロの支配者  作者: 雲黒斎草菜
時の番人
31/109

宝来峡の研究所

  

  

「ここが、お父さんとお母さんの研究所よ」

 這う這うの体で山麓横断トンネルから脱出した俺たちは、そこから数分進んだ所で麻衣たちの誘導を受けて道路から外れた。そして数百メートルほどジャングルを行った所で、ようやく足を止め弁当と水筒の入ったリュックを下ろした。


 あたりをキョロつく。

「ここどこだよ?」

 ひたすら歩いて着いたところもやっぱり山の中。同じ登山をするならもう少し見栄えのいいところに来たかったよな。


「ここはね。宝来峡と呼ばれる六高山の裏にある場所よ。大昔は景勝地でキレイな場所だったらしいわ。今はただのジャングルだけどね」

 懇切丁寧に柏木さんが説明してくれたが、疲れただけで何も変わっていない。異物と言えば麻衣が指で示した物体だ。コンクリートで作られた犬小屋。いや、もう少し大きい。細長いガレージとでも言うべきものが茂み中から顔を出している。研究所と言うより倉庫の間違いではないだろうか。


「なんか小さくない?」


 麻衣は餌に食いついた獲物を見る目で俺を見た。

「言うやろ思っとったわ。あんたの考えるコトなんかすべてお見通しや」

「うるさいなー」

 片目ですがめる俺の前で麻衣は胸を張る。

「これは入り口やねん」

「そ。研究所はこの地下なのよ」

 俺たちに割り込んできた柏木さんの瞳は、郷愁を帯びた光が輝いてまるで宝石のようだった。

「ほら見て。うわぁ懐かしいぃ。このコンクリートの壁、この金属の扉……。ねね、早く入ろう」


 子供のテンションさながらの柏木さんは、麻衣の背を突っついて急かした。

「はいはい、いま開けますよー」


 重々しく開けられた扉の奥は真っ暗闇で湿った冷気を伴って風が吹き出してきた。

「電気点けるわね」

 麻由の声がして、すぐに奥まで見渡せる回廊が視界に飛び込んだ。


「すげぇ。階段じゃなく坂道になって地下へ続いてんだ」

 俺の声がこだまして跳ね返ってくる。思ったより奥深い。

「直接ランちゃんが入れるようになってるのよ」

「ランちゃんて……。そんな昔から?」

 俺のセリフが気に障ったのか、柏木さんはちょっとムッとして、

「あのね。私そんなにおばあちゃんじゃありませんから」

「あ、すみません。あんまり懐かしそうに言うもんだから」

 とにかく俺は詫びる。こっちもそんな気はサラサラありません。


「ほんまや。最後に来たのは4、5年前の話しでしょ?」

「そっね。でもここが作られたのは10年前。その2年後に初めてここに来たの。まだ19歳で大学2年の、あ、そだ。やっぱり夏だったわ。それから3年ほどここで研究してたのよ」

 柏木さんは27歳だと宣言していたが、信じられんね。肌なんかピチピチしてて、どう見ても二十歳そこそこだ。仕草や言葉遣いが幼く感じるからか、かなり若く見える。


 邪念に満ちた俺の妄想なんか気にも留めず、柏木さんは回廊を下りながら思い出の世界に浸っていく。

「最初は洞窟みたいで……あの頃は怖かったな。ほら、この岩肌。ね、研究所って感じじゃなくて、鍾乳洞の探検みたいでしょ?」

 ノスタルジアに染まった瞳で柏木さんは岩壁をそっと撫でる。その視線はどこか遠くを見ており、

「そうそう。ここを右に折れてターンするの」

 彼女の思い出に誘われて、俺たちも回廊を地下へと(くだ)って行った。


 ターンを三回繰り返して、ようやく金属製の扉の前に到着。

「おまたせ。ここから研究室よ。入って右側が教授の書斎とご夫婦のお部屋。左に実験室、資料室。それから一つ階段を下がって、食堂、シャワー室、寝室、何でもそろってるの」


 麻衣が鉄の扉を開けて室内の照明を点けた。

 まぶしいぐらいの白光が射し込み、目が鳴れるまで数秒間、俺は瞬きを繰り返した。


「おぉ。すげえな」

 そこは柏木さんの説明のとおりに書かれたプレートがはめ込まれた扉が並んでいて、思ったより天井も高くて広々としていた。


「あぁー」と感嘆の声を吐きつつ、柏木さんは両手を広げて所内を飛び回った。

「ほら。ここよ。この実験室の隣が学生たちの共同の部屋なの。あぁぁ懐かしい匂い」

 柏木さんは湧き上がる高揚を体で表現して研究所内を案内してくれるが、俺には薬品と機械油の臭いしかしない。


 優雅な微笑みを撒き散らして蝶が舞うように、あるいは水槽を泳ぐカラフルな熱帯魚のように設備の中を舞い躍る柏木さんを、双子の姉妹は少しすねた表情で見ている。

 どうやら柏木さんの素振りが気に入らないらしい。ここは二人にとって両親との大切な思い出の詰まった場所だからだ。無遠慮に動き回られたくないのだろう。


 双子の空気を察した柏木さんは、言葉を選んで言う。

「久しぶりに来たから、ちょっとはしゃぎすぎちゃったわね。麻衣、麻由。ここがあなたたちの『心のよりどころ』なのは承知してるからね。私は変異体しか興味無いわけ。ごめんね」

 柏木さんは舌をちょっと出して肩をすくめ、麻衣たちは瞬時に気配を緩めて首を振る。

「こっちこそ、ごめん。へんな気を使わせて。ウチらにとって思い出の場所なら、良子さんにとっても思い出の場所やもんね。気にせんといてや」 数秒間の沈黙の後、柏木さんは薄い唇を開く。

「……大人になったね」

「な、なに?」

「言い訳が上手くなっちゃって……ふふ、子供のとき、教授と仕事してたら、必ずこの二人が様子を見に来るのよ。それがこんなに大きくなっちゃって……」

 柏木さんは心の底から嬉しそうで、麻衣と麻由は気恥ずかしげにうつむいた。世界の争が一瞬で収まったような静けさが浸透して、ってぇぇぇ!

「お、おい! 静か過ぎるだろ!」

 やっと大きな違和感に気付いた。後ろに誰もいない。ていうか、ランちゃんとか、あの大男はどうしたんだ?

 まさかトンネル内のバードオブプレイが我が子の奪還にやって来て、卵と一緒に巣にお持ち帰りされたってなことは無いとは思うが、じゃあどうして誰も入って来ないんだ?


 急いで回廊を駆け上がると、外から射し込む光りの向こうに黒い影が蠢いており、怒鳴り声もした。

「このっ! バカ野郎!」

 イウの半分呆けた怒声が聞こえてきて、ひとまずほっとする。

「おめぇはナリがでかいだけで、何の役にもたたねえヤツだな。こんバカが!」

 今にも喰い付きそうな勢いでガウロパに迫るイウをランちゃんが首を突っ込んで止めている。その隣でミウもオドオドした瞳をメガネの奥で震わせていた。


「どうしたんだよ?」

 出てきた俺に気づいたイウが、溜め息混じりで答える。

「聞いてくれよ。このタコ、狭いところが怖いんだとよ!」

「しょうがないでござる。拙者、幼少の頃から狭くて暗いところが苦手で……」

 大きな身体を地べたで丸めてブルブル震える姿は見てはいけない物を見るよりも、非常に目に悪い。そういう振る舞いは小さな愛玩犬が見せるから可愛らしいのであって、筋骨隆々で引き締まった体の持ち主がやると怖気(おぞけ)がくるのだ。


「どうする? ここで待ってるか?」

「ほんとうは研究室ってぇのを拝んでみたかったんだけど、こいつが役に立たないのでどうしようもねえ。オレだけ入って行ったら、どっかーん、だしよ」

 イウは手で弾ける真似をしてニタリと笑って見せた。もちろんこっちは笑うに笑えない。

「じゃ。なるべく早く済ませて上がって来るから、ここで待っててくれよな」

「ああぁ。しょうがねぇ」

 イウはくるりと振り返ると、小山みたいに丸まったガウロパの尻をもう一度蹴り上げた。

「こんっ、バカが!」

「かたじけない……」

 警察官が捕まえた犯罪者にケリを入れられて丸まるなんて……未来は謎に包まれている。


「ここにいてもしかたがないから。ほら。ミウ行こう」

 けったいな光景を見物している時間は無い。俺はミウに手を差し出し、ミウは素直に俺の手を握り、ランちゃんの荷台からトンと降りた。


 ミウが離れたのを確認した三輪バギーは、学校から帰って来た小学生みたいな勢いで、地下へ続く回廊へ飛び込んで行った。

 その後を追う、俺とミウ。

「涼しい……」

 入って数歩で、ミウが漏らした言葉が身に滲みる。

 さっきは気付かなかったが確かに涼しい。耐熱スーツのせいではない。頬を撫でる風が冷たく感じた。


 下まで降りると地下の部屋と回廊を遮る大きな鉄の扉をボディで押し開けてランちゃんが待っており、風はそこから吹いてくる。

 室内に入るやいなや、ミウは俺の手から離れて奥へと走って消えた。

 たぶんそっちにみんなが集まっているのだろう。この子は先の視える便利な目を持つからそれを感じたのだ。


 扉を閉めたランちゃんは俺に付き合うように並走して来たが、途中にあった充電デッキへ尻を突っ込で停止した。

「ここがお前のリクライニングルームなんだ」

 俺の一人ゴチに丁寧に頭を上下させ、

「みんなはどっち行った?」

 ランちゃんは首でフロアーの奥を示した。

「あ……ありがと」

 機械とは思えない振る舞いに俺は熱い呼気を落とし、そのまま教えられたとおりに進むと、もう一つ階下から黄色い声が聞こえた。


「ここか…………」

 下を覗き込むと金属製の階段が地下に続いていた。



 途中でターンする階段を下りて来た俺の姿を見つけて、麻衣が笑い顔を向ける。

「あのおっさん、閉所恐怖症なんやて?」

「らしいぞ。あの図体で考えられんな」


 柏木さんも心に当たることがあるらしい。

「だからトンネルの中でおとなしかったのよ。私の用心棒として失格ね」

 いつのまにかガウロパは柏木さんの用心棒に昇格したみたいだ。


 にしたって――。

「ここ、涼しいな?」

「地下30メートルのまだ下だもん、気温は26℃ほどよ」と麻由が答える。

「すげぇ。海中都市の金持ち階層とほぼ同じだ」


「そうよ、修一くん。本当は地下の方が涼しいんだぞ」

 可愛い口調で柏木さんが言うので、

「じゃあ、みんな地下で暮らせばいいんだ」

 と軽い調子で答えた俺に、麻衣が鼻を鳴らした。


「アホか。お金が掛かり過ぎるやろ」

「お前は金の話ばかりだな」

「現実問題やんか。アホッ」

「アホッ、アホッ、言うな!」

 文句を言う俺の頭をポカリとやろうとするので、腕で受け止めた。

「おっ、逆らう気?」

「ばーか。黙って殴られる俺さまじゃない」

「こんにゃろ!」

 両手を挙げた麻衣の背後から、柏木さんの咳払いが、

「あのね。海の中は造ったもんを沈めるだけで完成でしょ。地下は土を掘らなきゃダメなの。すごく開発費が掛かるから誰も実行しようとしないのよ」

 意味ありげにニタニタして説明する柏木さんと、麻由の冷たい視線も痛かった。


「なるほどね」

 と答えて、俺は白けた雰囲気を振り拭い話題を戻す。

「それじゃあ、さっさと仕事を片付けようぜ。どこで水を汲むんだ?」

「ここやん。ほら見て……」

 麻衣が指差す先、そこだけコンクリートで壁が作られておらず、岩盤の裂け目が剥き出しになっていた。

 裂け目から滲み出た水が細いパイプを通って貯水口に注いでおり、煌びやかな響きが奏でる音はいつまでも聞いていても飽きない心地よさだった。


「ここがお前らの採水場か」

 二人が自慢するだけのことはある。とんでもなく透き通った水の流れが自らの清澄さを証明している。


 麻由はパイプから滴る無色の液体をコップに受け止め、試験紙を浸したのちサンプルと比較観察する。

 しばらく(もく)していたが、嫣然と微笑んだ。

「やったー。今月もカビ毒ゼロよ。さすが六高山のお水ね」

「うっしゃ。またこれで生き延びたデー」

 ポリ容器を蛇口に当てたまま麻衣が冗談めいて言うが、何だか笑えない。


 なんたって水は人間にとって必要不可欠の物だからな――とか、モチャモチャしていると腰を上げた麻衣が言う。

「あんたの仕事はこのお水をお屋敷まで運ぶことやねん」

「うええっ」

 こいつ軽々しく口から出したぞ。


 俺は並べられたポリ容器を見て言いかえす。

「5個もあるじゃないか」


 麻衣は俺を正面にして言う。

「そうやデ。あんたの家来がおるやろ。5個ぐらい楽勝やんか」

「重そうだな」

「そやね。一つ20キロってとこかな」

「に、にじゅーぅ? 全部で100キロじゃないか。となると……え?」

 やっと気がつく勘の悪さ。最も力の有るガウロパが閉所恐怖症でここまで入って来れない。すると連鎖的にイウも動けない。すなわち、

「これ全部俺ひとりで地上まで運ぶの?」

「しゃぁないやろ。役立たずの家来を雇うからや。そのあたりの見極めをちゃんとせんから、スカ(はずれ)を引くねん」

「…………」

 呆れかえって物も言えなかった。


 こいつらには(あらが)うことができないので、ならば腹ごしらえでもして、わが職務を全うするしかない。あ、いや。せめて飯食わせろ。

「ほんまやな。もうそんな時間なんや」

「じゃ。あたしとミウとでお昼の準備しとくね。みんな、あとで食堂に集合よ」

 そう言って麻由はミウの手を引く。

「食堂ってこの上にあるのよ。行こっか」

「知ってる」

「あなたには何でもお見通しだから、まいっちゃうわね」

 驚き半分、戸惑い半分、というおかしな表情を浮かべながら、麻由たちの足音が遠ざかって行く。


 柏木さんが二人の後ろ姿へ向けていた視線をゆっくりと麻衣へと戻し、

「――でさ。カロンて、本当に教授は研究してたの?」

「んー。麻由の言うとおり、ウチも書斎でそれらしいファイルを見たことはあるねん。お父さん、ウチらには何でも話してくれてたからね」


「じゃあ、ここ4年以内のことね。私がここに出入りしてたときはそんな研究してなかったもの」

「とにかく、お弁当すんだら書斎へ行ってみよ」と麻衣。

 柏木さんはちょっと遠慮気味に顔を覗き込む。

「私も行っていいの?」

「何ゆうてんの。良子さんはウチらのお姉さんやろ。ほんならお父さんの書斎に入ることのどこがあかんねん」

 柏木さんは、ほんのり目元を赤めて微笑んだ。

「ありがと、麻衣……」

 二人の会話を背中で受けながらほんわかしていたら上階から「ごはんよー」と麻由の声が落ちてきた。



 最後のポリ容器に水を溜めてから上階にある食堂へ入った。

「上のふたりの分どうする?」

「何も無しというわけには、いかないものね」

 家から持って来たオニギリやらおかずやらが小皿に並べられ、その前で女性陣が集まって相談し合っていた。

「これ……」

 短い言葉を告げて、ミウがオニギリを一つ別皿に載せた。


「オーケー。私のコンビニのお弁当あるでしょ。あれを上の二人にあげるわ。私は日高さんのオニギリ一個と、このおかずでじゅうぶんだから」

「じゃあ。俺のも1個進呈する」

「かまへん。ウチと麻由のを足すから。あんたには重労働が待っとる身や。食べるもんは食べとかなアカン」

 いやいや。お前の言葉が憂鬱を誘うんだって……。





 そして――。

「早よ食べや」


 例のごとく双子の食事は敏速だ。なぜならばのんびりとランチをいただく時間がほとんど残されていない。何しろバケモン鳥の巣をもう一度通り、下界の屋敷まで戻る時間を考慮すると、この研究所にいられる時間を極力短くしなければいけないと言う。


「走って帰るってのなら別にゆっくり食べてもええけどね」

「バカか……もぐもぐ……100キロの水を走って運ぶって……モグ」

 咀嚼(そしゃく)と会話と呼吸とをうまく織り交ぜるのは困難だ。

「せやから普段からいつでも発進できるようにしておかなあかんねん」

「先行ってるからね……」

「行くわよ」

 って、柏木さんまで……。

「なんすか? 食事はもっとゆっくり食べないと胃に悪い……」

「余った分はランちゃんの冷凍庫に保管しといてやー」

 麻衣の言いつけと俺とミウだけが、食堂に取り残されていた。



 少々遅れを取ったが、俺はミウに連れられて書斎がある上の階へ移動した。

 ミウの行動は初めてここに訪れた者の取れる行動ではなかった。自信に満ちた足取りで階段を上がり、間違うことなく連中の声が漏れるドアの前に俺を誘導した。

「お前……ここに来たことがあるだろ?」

「こんなとこ知らない」

 あり得んよ、じっさい。




 分厚い扉を押し開けて中に入った。

 古い紙の匂いが充満する部屋をイメージしていたが、そうでもなかった。部屋の片面が本棚になっており、そこそこの書籍が並ぶが、目立つのはその対面に張られたフィルムディスプレイ。それは壁一面の大きさを誇る巨大な物だった。


「でっかいモニターだな。映画会でもできそうだ」

「ほとんどの書籍はデーターベース化されて、コンピュータのディスプレイに映せるねん」

「それらしい機械がないけど?」


「これよ……」

 麻由が指差す場所にあったのは白物家電(しろものかでん)の代表の一つ、冷蔵庫さ。

「これがなんだよ?」

 カギを開ける麻由の姿を不審に思いながら、

「こういう家電は、ふつう食堂に置かないか? 書斎には似つかわしくないぞ」

「そう?」

「いやいや。俺んちだって居間にはテレビはあるが冷蔵庫は置かない」

 だいたい冷蔵庫に鍵を掛けるヤツだっていない。


 麻衣は呆れ顔を俺にくれ、

「冷蔵庫ちゃうワ。開けてみ」

「えっ?」

 ワンドアの扉を引いて中に鎮座する物体へ目を据えて絶句。すぐにパタンと閉めた。


 振り返って一言。

「なにこれ?」

 見たことのないユニットがぎっしりと詰まっており、一目で食品保管庫ではないと言えるが、扉を閉めて外から見ればただの冷蔵庫だ。

 振り返る俺を待っていたのは笑顔のペアルックで、

「バイオコンピュータのアヌビスよ」

 答えたのは柏木さんで、俺は舞い上がる。

「すっげぇー、本物見るの初めてだァ」

 興奮して声が上擦っちまった。

 異常に俺が興奮するのも無理はない。日本が誇る最速のマシンさ。


「演算能力、240ペタフロップス(FLOPS=FloatingPoint Operations Per Second)。1秒間になんと24京の計算をこなすのよ」

 この手のものに目が無い俺は奮い立ってしまい、柏木さんの後を続けた。

「知ってます。大昔、ビルのワンフロアー全部を埋め尽くした超高速コンピュータ。それを並列処理させて、やっと10ペタフロップスだった処理システムを24倍も上回るのがバイオコンピューターでしょ。でもそれがなんでここの冷蔵庫に入ってるんですか?」

 うん。すごくおかしい。バイオと呼ばれても、薬局から買ってきた疲労回復薬ではないのだ。


 柏木さんは楽しげに応える。

「入れたんじゃないわよ。入れる大きさにまで改造して隠したのよ」

「ええぇ~?」

 何でそんなことを……。それよりも吹き出る疑問は、

「どうしてんなものがここに?」

 と訊いてから質問内容を変える。

「張りぼてか?」

「アホ。本物や!」麻衣は息巻き。

「大阪変異体生物研究所がそんなことするわけないでしょ」

 麻由も掩護射撃。

「バイオコンピューターは生物学と電子工学の融合なのよ。作ったのは……」

「大阪変異体研究所!」

「し……知ってますよ。」

 まさか三人から総攻撃を喰らうとは思ってもみなかった。

「でも……なんでここに? なんで冷蔵庫に見せかけてんの?」

 俺の疑問はこれに尽きる。これは確実に冷蔵庫にしか見えない。


「教えてあげようか……」

 柏木さんは目を細くして顔を近づけてきた。

「――私の家来になるんなら、教えてあげる」

 甘い香りのするウインクをした。


「「良子さん!」」

 同時に上げられた川村姉妹の怖い声に、柏木さんは目を丸まるとして振り返る。

「んもうー。冗談よ、ウソ。すぐ本気にするんだから、この子らは……」

「あ……あの……。純真な俺を弄ばないでください」

 頭の片隅で家来になってもいいかな、なんて想起した俺は急いで早まった鼓動をなだめつつ、咳払いを一つして気配をごまかす。


「あのね。このバイオコンピュータは政府の電算機センターの注文品を一台くすねた物なの。言っちゃだめよ。内緒だからね」

「くすねるって……」

 麻衣と麻由も黙ってニヤニヤするだけ。


「依頼の数より一台多めに作ったのよ。それがこのマシンなわけ」

「それって……盗んだ……」

 言いかけた俺の口を柏木さんは人差し指で押さえた。とんでもなくいい香りががして頭がクラクラ。後を続けようとした言葉がぶっ飛んだ。

「………………」

 大人の色気に負けた俺は呆然自失状態。柏木さんはクスリと笑うだけでその場をいなし、もう一度麻衣たちと向き合う。

「ね? 動かしていい?」

「どうぞ。遠慮なく」

 麻衣の優しい声に、柏木さんが瞳の色を濃くする。

「アヌビス、起動してちょうだい」

 同時に部屋の外から機械音が伝わってきた。


「外に何があるんだ?」

「あれは発電機の音よ。アヌビスって食いしん坊さんなの」

 麻由の説明に俺も納得。そうだろな、240ペタフロップスだもんな。


 ほどなくして、壁のフィルムディスプレイに数桁の文字が並んで、何かしらの起動画面が出た。

 次の瞬間。ドンという音が遠くでして画面が黒一色に落ち、同時にぶ厚い黒い布で顔を覆われたかと思うような暗闇に襲われた。

  

  

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