念願の小旅行
時は流れて半年後、夏、午後。気温52℃。
麻衣たちと待ち合わせている甲楼園駅の南出口三番エスカレーターの降り口。暗く曇った気分で俺は突っ立っていた。
重たい溜め息を一つ漏らす。
「はぁ……」
そう、激動の半年間だった。苦労が多かっただけに感慨深くもなる。なのにどうしてこんな暗い顔を駅のロビーで曝しているか、その理由はおいおい察知してもらえると思うので、先にどうやってあの双子と再びめぐり合えたかの説明をしておこう。
まず発端は冬休みに麻衣と麻由に出会ったことから始まるのだが、その続きがある。
別れ際に貰った変異体植物のおかげで追試は免れた。ケミカルガーデン深部に行かないと手に入らない珍しい物らしく、変異体生物の先生が二つ返事で進級させてくれた。
これでハッキリした。あの二人はガーデンの深部へ行っていたことになるのだ。
それからというもの、俺の胸はずっと軋みっぱなしだった。女の子二人がガーデンの深部まで入ると想像するだけで武者震いが起きる。そんな子たちと、ぜひ知り合いになりたいって気持ちさ。友達がアイドルよりすごいことなんだぜ。
で、ついにある日、俺は村上に相談を持ちかけたのだ。
「修一、そりゃぁ病だな」
教室の机にでんと座った村上は病気だと言うが、俺の真剣さに少し驚き、
「となると……。それは運命の人との出会いだったのかもな」
「そう思う?」
「そうさ。それがよく言う赤い糸伝説さ」
「赤い糸か……」
「実際には見えるもんじゃないけど、ほれ、いまのお前みたいにそう簡単にあきらめきれない何かが引っ張るんだろ?」
「当たってるよ、村上。そのとおりだ」
「おい、抱きつくな。きしょいぞ、お前」
慌てて机から飛び降りて、逃げの体勢に入る村上を捕まえて訴える。
「なあ。教えてくれ! どうしたらいいんだよ」
ヤツは苦々しく言い放つ。
「そういう時は、気が済むまで悩めばいい」
「もう疲れてんだ」
あれほどカッコいい女子はそうそういないと思う。相手がチンピラであろうとも一切ひるむことなく、ショットガンとでっかいナイフをかざして戦いを挑む。これまでは女子はか弱く男子がそれを守る。親父からも常々言われ続け、俺もそうだと確信して疑わなかった。だからヘタレではあるけど、何とか頑張って来たのに、あの日それが覆されたのだ。あんな女子も世の中にはいるんだと。
「あああぁ。もう一度会えるのなら死んでもいい」
村上は呆けたように口を丸く開けて俺を見ていたが、急いで閉じるとこう言った。
「オマエ、何もしないでそれは無いだろ。それなら死ぬ気で調べてみろよ。探し出してそれからアタックすればいい。どうせフラれるんだとしても、あきらめがつくだろ?」
「なるほど……」って、フラれる前提でもモノを言うのが気にくわんが、的を射た意見ではあった。
てなことを言われて奮起した俺は、二人が同じ高校の一つ下の学年だと分かり、ストーカーまがいの行動の末、やっと名前を川村麻衣と麻由であることを突き止めた。そこで改めて仰天だ。二人はあの川村博士の愛娘たちだったのだ。
この日本で川村博士夫妻を知らない人はいない。変異体生物の研究で超有名な学者夫婦で、数々の業績をあげ、カビ毒の無毒化にあと一歩で成功しそうになった矢先、九州まで調査旅行へ行った際に変異体生物に襲われて亡くなった。
前触れもなく孤独になった麻衣と麻由だったが、二人はくじけることなく、両親が残してくれた研究所に移り住んで、学費と生活費を稼ぐため研究機関が求める変異体植物を採取して極貧ではあるが、何とかしのいでいるという現実を知った。そしてそれを微塵も感じさせない明るい笑顔と悪党を蹴散らすあのたくましさに、俺はまさに胸を撃ち貫かれたのだ。
ちなみに変異体生物や植物は百害あって一利なしと昔は言われていたが、今は違う。これも川村教授のおかげで、クスリになるものや新たな化学製品の原料になるため需要がある。それも意外と高価に取引されるのだが、買い取り価格と危険度が比例するのは、それらがケミカルガーデンの深部に行かないと手に入らないという理由があるからだ。それゆえ誰もが商売にしようとは思わないが、麻衣と麻由は生活のためにそれを決行したのだ。
庇護欲に燃えた俺は何とか二人の力になりたかった。
そこで研究機関や薬剤会社に何かと詳しい親父のコネを借りることにした。
親父は薬剤師でも医者でもない。市役所の保険課に勤めるただのサラリーマンさ。でも知り合いの企業はゴマンとあるはずだ。
その話をきっかけに俺は麻衣たちと言葉を交わすことに成功。次に親父を説得した。
最初は渋っていた親父だったが、麻衣と麻由を紹介したところ、案の定あのスケベ親父さ。簡単にえさに喰いつき、その日のうちに数件の製薬会社と契約成立させた。それよりも意外な反応を見せたのはお袋で、二人の生活振りに母性を掻き立てられたらしく、なんだかんだと世話を焼き続け、気付くとあいつらは俺んちに出入りすることが多くなり、ついに夏休みを利用してハンティングに行くから俺もどうかと、麻衣じきじきに誘いがあったのさ。
二つ返事で飛びついたと思うだろう?
んなワケはない。
あいつらと仲良くはなったが、ハンティングなどまっぴらごめんさ。大昔のサハリへ猛獣狩りへ行くような、なまっちょろいもんじゃないんだ。恒温霧湿帯に沈んだケミカルガーデン周辺には覆い茂った密林が広がっていて、その中にはびこる動植物はカビ毒による変異が進んでおり、すべてがモンスターだと言い切ることができる。
中でも恐ろしいのはバードオブプレイと呼ばれる怪鳥。
廃墟となった住居の跡地に出没するヤカラで、家の屋根を引っ剥がしてそこに卵を産む。屋根をクチバシでひっくり返すんだぜ。その大きさが想像できるだろ? これまでに何人のハンターや浮浪者が犠牲になったことか。
地表だって例外ではなくて、猛獣だって数々いる。その中でもっとも怖いのが知能が高い魔描さ。猫と言っても「にゃぁー」とは決して鳴かないぜ。たぶん「がおぉー」か「ぐおぉぉ」だろうな。直接見たことは無いけどネコ科の生物がカビ毒で変異して牛よりもでかくなったらしい。真っ黒でしなやかなボディをしたブラックビーストと呼ばれるヤツな。ライオンがそいつと出会うと飼いネコに戻るぐらいなんだから、おっ恐ろしい話だ。
ま。学校で習った範疇での話だが、そんなバケモノがウジャウジャいるジャングルでハンティングをするだと?
一緒に行かないかって?
ばーか。動物園へ行くんじゃねえってんだ。檻がないんだぜ、檻が。そんなとこ誰が喜んで行くかってんだ。
するとどうだ。あいつらは俺を「ヘタレ、ヘタレ」と囃し立てた。親父とお袋も一緒になって俺をダメ男の典型みたいなことを言って煽るもんだから、つい、半分ヤケッパチで「行ってやらーっ!」と大口をたたいてしまった。
「実際、しくったよなぁ……」
足は重く地面に貼りつて動こうとしない。つまりこれが今日の俺の心境さ。
気付くと列車から降りたハンターたちもそれぞれに目的地へと向かい、ロビーには俺一人がぽつんと立っていた。肩には着替えと親父に言われた携帯薬を入れただけのペチャンコのリュックを引っ下げて、なんだか間抜けっぽい。
「ふぅ」
またもや溜め息を一つ漏らす。
安物の耐熱スーツのファスナーを首まできゅっと絞り上げ、
「はぁふぅ」
再び溜め息。
気落ちするのは当然で、ヘタレと言われたくない一心で今日はここへ来たが、マジでジャングル行ってハンティングするのか? 入るんだろうな。俺の根性を見届けてやるって麻衣が言い切りやがったもんな。
あいつらは仕事柄ジャングルやケミカルガーデンには入り慣れているから、危険な場所を避ける術があるかもしれないが、俺はたんなる一般市民なのだ。こんな素人がハンティングなんてできるのかな。まさかと思うけどブラックビーストは相手に入れてないだろ? あれはマジやばいって話だからな。
「やだよー」
「なにが?」
「うぁぁお。麻衣! 後ろから顔出すな」
思い出し恐怖というおかしな状況に縮こまった俺の背中をひと叩きしたのは、麻衣だった。
隣にも全く同じ顔をした麻由が、ニコニコして俺の顔を覗き込んでいる。
「やっぱ、ヘタレはあかんな」
「くぬヤロウ……」
俺は麻衣に向かって言い返す。いまどき珍しい関西弁を話すほうが麻衣だ。
「俺はヘタレではない! あまりに気温が高いからちょっと億劫になっただけだ」
「億劫ってな。まさかもうバテてんのとちゃうやろな」
「夏休みに地上へ出たことがないから、ちょっとびっくりしただけださ。すぐに慣れる」
「海中都市のひ弱な男子にこの仕事が務まるかしら……ね? 麻衣?」
関西弁でないほうが麻由だ。言葉使いで二人が見分けられるが、いったんシャッフルされるとどちらかが喋り出すまで、一般人は見分けがつかない。
ところがだ。ここから俺様の偉大なる能力さ。
そう、俺には麻衣と麻由を明確に区別できる。その理屈は不明だが、二人から受ける感情が異なるのだ。
麻由を見るたびに心の底から慈愛を注ぎたくなる。そして麻衣は恋愛だ。あの黒くて丸い瞳を見ていると切なくて胸がきゅっとなる。
村上にも言われたことがある。双子なのだから同じだろうって。そう俺だってそう思ったさ。でも違うんだから仕方がない。
それでよく二人に訊くことがある。
「むかし俺とどこかで会ったことない?」とな。
すると麻由はいつも笑ってこう答える。
「それは麻衣と会ったのよ。あたしはあの冬休みが初対面だったわ」
ちがう。どこかで会った気がするんだ、ただもっと違うカタチで……。
そして麻衣は言う。
「アホちゃうか」
たったの一言で済ましやがった。
てなことで、何の役にも立たないけど俺には二人の見分けが付くのさ。
また滲み出てきた既視感にも似た思いを振り払いつつ、麻由と体の向きを合わせて決然と胸を張る。虚勢だけどな。
「言っとくがな。お前ら女にできて男にできないことは無い」
「ウソ吐きぃな。せや麻由。ヘタレのニイちゃんはここで帰ってもろて、ガーデンに入るのはウチらだけにしよか?」
「そうよね。ヘタレには無理だわ」
ムカつく奴らだ。
「ヘタレヘタレとうるさい! 俺はそこらの男子とは違うんだ。俺の活躍を見せてやるから大船に乗った気でいろ」
「それだけの勢いがあれば大丈夫そうやな。さすがや。うちらが見込んだだけのことはある」
「そ……そうだろ。俺の言葉に嘘は無いのだよ、麻衣くん」
「よかった。人手が足りなくて困ってたのよ。あなたのお父さまから仕事を斡旋してもらった上に、修一まで手伝ってくれるなんて。うれしい」
うほほほほ。カワユイね。麻由くん。それよりあのスケベ親父を『お父さま』なんて言わなくていいからね。
「それよりさ、修一。あなたその耐熱スーツでガーデンに入るつもり?」
「え? これでダメなのか? 耐熱スーツなんてどこのメーカーだって一緒だろ?」
「ふーん……」
まるで俺のファッションセンスを疑うような目で、麻衣と麻由は首元から足の先までじっくりと視線を滑らせて観察する。
「生地は薄いし、ファスナーが加圧締結方式とちゃうし……」
「ブーツが安物じゃない。そんな靴底だと2時間で穴が空くわね」
「な……何が2時間だよ? いったいどこまで歩かそうってんだ?」
言いたい放題言いやがって。だいたいだな、
「加圧テイケツって、なんだそれ? 初めて聞くぞ。涼しくしてくれれば耐熱スーツなんてそれでいいんだろ? これだって1時間充電で10時間の連続起動ができる優れ物だぜ」
麻衣と麻由は同時に――ここが双子のなせる業だな――鼻で笑って片眉を歪めた。その仕草がまるで鏡に映したようだった。
「すげえな、お前ら……」
関係無い感嘆の声が漏れたが、麻衣は気づきもせずに、
「ファスナーの締め付け部分が甘かったらそこからカビ毒が入ってくるねん。あんた変異体遷移症になりたいんか?」
「め、めっそうもありません」
変異体遷移症とは、カビ毒に侵された人が発症する病気みたいなものだ。みたいなと言ったのは、まだ正式に病気と認定されておらず、最終変異状態に陥るまでの過程の一つだと言われている。
発症の原因はカビ毒なのだが、それが身体に入るとDNAの配列が侵されていき、徐々に人間とは思えない姿に変貌し、最後は脳をやられる。ほとんどの人はこの段階で生命活動が停止するが、中には死亡にいたらず最終段階のミューティノイドと呼ばれるバケモノとなって、自らケミカルガーデンの深部へと消えていく。その後、どのような結末が訪れるのかは誰も見たことがない。戻ってくる者は一人もいないのが現状だ。
「そうよ。すべての感情が欠如したお化けになるの」
「お化けってカワイイ言い方するなよ。ああいうのはミューティノイドっていうんだろ?」
「言い方はどうでもエエやん。そんな宇宙人みたいになりたいか? って、ウチは訊いてんの?」
「な……なりたくない。ちゅうか、それ、宇宙人に失礼だぞ」
ひと呼気して、グッドアイデアがひらめいた。変異症を理由にこの難局を逃れよう。
俺は逃げ出す理由ができた喜びも露わに手を挙げる。
「そっか―。死にたくないし。やっぱ……俺帰るわ」
「「アホーっ!」」
全くの同時に二人が叫んだ。みごとに同期したタイミングで音波も同調。両耳の鼓膜がキーンと鳴った。
「あんたに耐熱スーツをプレゼントしたるっちゅうねん」
「それ着てガーデン行くのー!!」」
麻衣と麻由の口調が瞬時に入れ替わった。同じ波長の声だがイントネーションが左右変化したのでくらっとめまいがした。
「わ……わかったよ。分かったから二人して大声で捲し立てんなよ。怖ぇーよ」
二人の喋り口調が反転した時は、こいつらが興奮した証拠なんだ。これがこの半年間で得た唯一の成果さ。
ひとまずここは素直に従うべきだな。
「わかったよ。そこまでしてもらってるのならお供します」