時空震の壁
大気はどんより濁り、それをそのまま映したような空は死んだ色。なのに地面の上は瑞々しい緑のジャングルがのびのびと育っている。これが環境順応と言う意味だろうか、と漠然と思う。どんな過酷な環境でも順応したモノだけが生きながらえていく。それを証明するかのような景色で覆い尽くされたいくつもの山をこれから越えなければいけない。
アスファルトの朽ち果てた道路は半分砂利道に化けており、それでなくても歩きにくいのに急勾配ときた。しかも目的地は遥か彼方の山の向こうだ。
「ふう。しんど……」
五分と進まないのにあふれる出る疲労感にちょっちビビる。
「マジかよ」
俺の口から愚痴にも似た独白が漏れた。
先頭を行く麻衣は、ボランティアを見つけた喜びとこれまでのいきさつを麻由に伝えるので大忙し、ミウは手を引かれてずっと先の見知らぬ世界を見つめている。その後ろをハイキング気分の柏木さんが鼻歌混じりで追従し、少し遅れて地響きを立ててガウロパ。離れず引っ付かずイウ。最後尾がランちゃんと並んで歩く俺だ。
進行方向はひたすら北。長く曲がりくねった急坂が続く登りだ。そのうち誰もが無口になり、三輪バギーの駆動音と俺たちがホコリと一緒に立てる耳障りな足音だけがジャングルの茂みに吸収されていく。そんな状況なのにこの人だけはいつまでも元気だった。
「いい天気ねー」
どこがー。って飛んで行って耳元で叫んでやりたい衝動に駆られたので、
「曇り空っすよ」
念のため告げてみた。
「当たり前じゃない。晴れる日は無いわよ。でもね今日ぐらいの湿度の高さだとね、軟体動物門腹足綱が活発になるのよ。ね。だからいい天気なのよ」
「なんすか? 軟体動物フクソクなんとかって」
麻衣が目を細めてショットガンの先でジャングルの茂みの中を指した。
「その辺探してみぃや。長さ50センチぐらいのがおるよ」
「だから、それってなに?」
「ナメクジやがな」
「ご、50センチのナメクジだと!」
叫んだのは俺の少し前を行くイウだ。
「マジでここは日本か?」
「ウチら日本人のつもりやで。文句あんのか?」
イウはショットガンの銃口が自分に向けられていることに気付き、
「世も末だな……マジで」
スゴスゴとガウロパの後ろへ引き下がった。
「ねえぇ?」
色濃く輝かせた瞳を丸々とさせて、柏木さんが半身を捻らせた。
「あなたたちみたいな。タイムリーパーって大勢いるの?」
ナメクジの次にする話題じゃない気がするが。
急峻な坂を登るのにもかかわらず、ガウロパは呼吸の乱れも無く答える。
「何人もおることはおるのじゃが……。でもこの時代、2300年代には誰も近づかないでござる」
「そりゃそうさ。この怖い時期をオレたちは暗黒時代と呼ぶんだ。なぜ暗黒なのか、説明しなくてもわかるだろ?」
ずけずけと言うのはイウだが、間違ったことは言っていない。すでに日本は崩壊寸前だし。この地球上にまともな国なんてあるのだろうか。
「ほんなら誰も来えへんような時代に、なんであんたらうろついとるん?」
「そうだな。その説明がまだだな」
麻衣の質問に面倒臭そうにイウが答えようと、何度か胸を伸縮させて呼吸を整えた。
「実はな……」
そこへ忽然と青白い光りとともに、もう一組のイウとガウロパが現れた。
「うわっ!」
驚いて足を止めた俺たちに、イウは手を挙げてこともなげに言う。
「ちょっと待っててくれねえか。やることやってくるから……」
息を飲む俺たちの前で、イウとガウロパは青い閃光を放って、もう一組の男たちと共に消えた。
ランちゃんのレーザーポインターの赤光が誰もいなくなった場所をさ迷う。
突然の静けさに呆然として立ち尽くした。ジャングルから何かの鳴き声が聞こえるが、二人の気配が消滅した。
「俺たち夢でも見てたのか?」
と漏らした声がまだ残る空間に再び蒼光が放出。たちまち強烈に光るとイウのしゃがれた声がした。
「わりぃな。待たせて」
姿を現した二人は、茫然と立ち尽くす俺たちを見て驚いた顔を見せたが、すぐに察知して説明する。
「あのな……。さっきの庭のイベントに協力しに行ってたんだ」
「イベント?」
不思議そうな顔の柏木さんが、とんちんかんな答えを出す。
「なんかの催し物でもあったの?」
「もう忘れちまったのかよ? ほんの少し前、オレたちがもう一組現れただろ。あのときのオレたちは今のオレたちなんだ。時間規則ってのはこういうもんだ。ここでオレらが行くのを拒んだら、オマエらの記憶に齟齬が生じるだろ?」
「そご……?」
「時間の流れにくい違いが出るということね」
「さすがは科学者でござるな。頭が切れる。拙者、お慕い申す」
「いや、いや。慕わなくていいし……」
露骨に嫌な顔をして手を振る柏木さんへ、麻衣が悪戯っぽい微笑みを浮かべた。
「ええやんか良子さん。前から家来がほしかったんやろ?」
途端にガウロパは満面をくちゃくちゃにして、
「そうでござるか。いかがかな? 拙者、主君に忠実でござるぞ。将軍家でも重宝されておったぐらいじゃ」
ドシンドシンと音を立ててガウロパが駆け寄るが、柏木さんはサッと遠くへ逃げて手を振った。
「ノー。サンキューね」
がっくり肩を落とすガウロパ。イウは苦笑いを放しつつ歩き出した俺たちに追従しながら首をかしげた。
「どこまで説明したっけ?」
「誰も来ない暗黒の時代になぜあなたたちがいるかよ」
柏木さんはやって来た助け舟に飛び乗るみたいして話題を変え、イウはミウを顎で示して応える。
「あの子が道を作ってくれるから、オレたちも楽にジャンプできるんだ」
「みち……?」
「時間道と言うんだ。時間を跳躍するてえのは、けっこうくたびれるんだぜ。このガウロパなんか数十年単位でしかジャンプできないから、あの子を追って行くのはたいへんなんだが、先に道を作ってくれるとけっこう楽に飛べる。だからこの子の後を追ってみんなジャンプするんだ」
「そうでござる。姫さまは1970年の万博の時代に滞在されておって、拙者が来るのを待っていてくれたのじゃ」
「万博って?」
「なんだ。そんなのも知らねえのか。暗黒時代の人間ってかわいそうだな。1970年といえば大阪万博だ。そりゃ賑やかでいい時代だったんだぜ」
「そうでござる。姫さまは北千里の旧家の家族と精神融合をして、そこのお嬢さまとして暮らしておった」
「精神融合?」
知らない言葉が次々と並べたくられていく。
「それはじゃな」とガウロパは口を挟み、柏木さんには得意満面の笑みを注ぐ。
「タイムリーパーと悟られないように、周りの人々の記憶を一時的に書き換えることでござる」
「そっかー。だから日高さんがお嬢様みたいに喋る時があるんだ。なるほどね。その当時のことが頭の奥に焼きついてるからなのかー」
「本気で言ってんすか、柏木さん?」
どこまで信じていいものか、俺はさっきからずっと眉毛をひそめっぱなしなんだけど。
しかし、あの青い光りともう一組のこいつら……あれだけは説明が付かない。どちらにしても鍵はミウだ。記憶が戻れば全てが解明される。
「ねぇ、ミウってそんなことできるの?」
麻由から優しく尋ねられたミウは、キョトンとした瞳をメガネの奥に浮かべて坂道の頂上を眺めていたが、ほどなくして答えた。
「知らない……」
銀の髪を振って寂しげにうつむく姿がとても気の毒だ。
「いつか必ず元に戻るわよ」
「ありがと」
柏木さんに肩越しからそっと言われて、ミウは後ろへ首をひねって微笑んだ。
健気な態度にこっちはやるせない気分に襲われる。
「可哀そうだな……ミウ」
「自分の記憶が消えるってどんな気分やろか?」
「うぅぅぅ。姫さま……。不憫でござる。うう……」
「何が姫さまだ。オマエ、ガーディアンのクセになんでミウと別れたんだ」
不機嫌にガウロパを睨むイウ。
「しつこくオレを追い掛けて来るからだろ。お前はミウの護衛と言う仕事をおろそかにしたんだ。こうなったのも全部オマエのせいじゃねえか!」
ガウロパは目を丸くして反論する。
「拙者。時間警察でござるぞ。犯罪者の逮捕が優先。それは姫さまも承知のはずじゃ!」
「こっちは、いい迷惑だ」
「どちらにしても誰であろうと、あの時空震の壁にぶつかれば墜落するのが当たり前。むしろ記憶障害だけで済んだ姫さまの精神力の強さに拙者、感服しておる次第でござる。しかもあの方は他のリーパーへ衝突注意を促す警告ビーコンまで放出したんでござるぞ。そのおかげで拙者らは墜落を免れたんだ。お主もあの壁にぶち当たったらおそらく命を落としたでござるぞ」
「それは……。まぁそうだなぁ……命拾いしたな」
急激に声のトーンを落としたイウは、ガウロパとそろって憐憫の眼差しを少女の後ろ姿に注いだ。
「あの子の記憶障害はケミカルガーデンの気温のせいじゃないんだ」
戸惑いを隠せない柏木さんに代わってイウが口火を切る。
「この先に……。あっ、時間的にという意味だからな……。いいな? 言うぜ?」
そこで言葉を区切り、許しを請うようにガウロパを見上げた。
「仕方なかろう……」
ガウロパのうなずきを確認してから吐露した。
「この先未来で何かが起きるんだ。その結果、時間と空間にとてつもなくでっかい歪みが生じて、時間跳躍がそこで阻止される。こんなでっかい壁は見たこともない」
一概に信じられる話ではないが、二人は真剣だった。
「どこかの馬鹿リーパーが、とんでもないことを犯したんではないかと拙者は考えておるのじゃ」
イウがふんと鼻を鳴らして憤然とする。
「言っとくがオレじゃぁねえぞ。オレはもうオマエにとっ捕まった身だからな」
「捕まる前に何かやらかしたとか」
「ば、ばっきゃろー。自分も未来に帰れなくなるんだ。そんな馬鹿なことするわけねえだろ!」
「それはなんとも言えないでござる。オマエはずる賢いところがあるから」
「いい加減になさーい!」
今にも取っ組み合いが始まりそうな二人へ、柏木さんが大声で止めた。
静謐な澄んだ視線で睨むその何ともいえない色気のパワーはタイムリーパーを凝固させた。
「それで? 壁ができた原因は何なの?」
柏木さんは朱唇から溜め息を一つ落とすと二人に尋ねた。
「解らない。未来へ飛べないので連絡の取りようもないのが真相でござる」
「もう未来は無いかもしれないんだ」
「それは無いでござる。それなら拙者らがこうして存在できないはずだ。ここにいることが未来がある証拠でござる」
「ゴザルゴザルって、うるせえんだよ。お前は時間項の問題を忘れてるだろ。未来が消える原因となった時間項なら、原因が変化しても不変なんだ。時空理論の講義さぼってやがったな」
柏木さんは雰囲気を一転、今度は慈愛に満ちた瞳で見つめて二人に尋ねた。
「つまりぃ。あなたたちは元の時代に帰れないわけね」
「あんたオレの話聞いてる?」
肩を落として溜め息混じりのイウ。
「帰れないんじゃない。そこから先が無いんだ」
「そんなことないわよー。時間は不変なのよ」
「あんたの商売がなんだかは知らないが、」
「あたしは科学者柏木良子です」
すかさず言葉を遮った柏木さんをイウは嘲笑気味に見つめ、
「その意見は間違ってない。確かに時間は不変だ。でもなオレたちの戻る場所なくなっちまったんだ、あんたの科学知識ではどうしようもできねえよ」
「じゃあここに住めばいいじゃない……ねえ?」
話に入って行けずにポカンとして見入る麻衣と麻由へ同意を求めるが、誰も答えられない。
「あの……そう言う意味ではなくて、イウは時空震から先は人類とて生きながらえないと言いたいのでござる」
「そうだ。時空震を引き起こした原因を見つけて修正する以外に人類の未来はない。そのためにはミウの力が必要なんだ」
「それなのに……よりにもよって記憶喪失でござる……」
「万事休すだな」
「人類の未来が無くなったらたいへんじゃない」
怖いことを言う柏木さんにイウは皮肉を混ぜて言う。
「だからこうして慌ててんだろ。ミウを正気に戻して時空震の原因を取り除かなきゃ、オレたちの宇宙が終わるんだよ」
イウの視線が一巡した。
「オレタチ? それってあたしたちも入るの?」
「当たり前だろ! それがゼロタイムだ。そこを起点にして未来が一変する。人類は滅亡して新人類が登場するとか。恐竜時代の復活とか。オレにもわからんよ。それがゼロタイムだ」
「ゼロタイム?」
「うっせーなー。これ以上質問するな。時間規則違反で罰せられるじゃねえか」
「もうやっちゃったんでしょ?」
「お……おうよ」
何かこいつら初めの印象と違って面白いぞ。
「マンガみたいな話ねー」
「あ……あんたな…………」
科学者柏木良子さんに関わるとみんな言葉を失くすのであった。




