多重存在現象
数日前から俺たちの周りをウロチョロするおかしな二人連れを追い出した麻衣は、門を閉めた手をぽんぽんと払ってきびすを返したその途端。
「バッカヤロー! ひとの話を最後まで聞けっ、つってんだよー!」
眼帯男と筋骨隆々の大男が横手の茂みを掻き分けて出てきた。
「なんでっ!?」
麻衣はたった今連中を追い出して扉を閉めたのだ。時間にして数秒。なのに戻っている。
茫然として見つめる俺たちに、眼帯の男はひどく高圧的に喋り続ける。
「オマエらよく聞けよ! タイムリーパーってのはよー。時間と空間を飛び越えることができる特殊能力者のことを言うんだ。オレは数百年単位で跳べる。それも能力の無いものを連れても飛べるんだぜ」
自慢なのか自負なのか、えらく得意げだったがこっちには通じない。強気の麻衣はショットガンの先を突きつけて捲し立てる。
「それとウチらのお屋敷に不法侵入したのとどう関係すんねん」
「わわわ。う……撃つなよ」
眼帯男は両手を上げて降参するものの、声を甲高くひしゃげて言い返した。
「あのよー。おめぇーらがよぉ。タイムリーパーってなんだって訊くから説明してんじゃねえか! ったくよー。やってられねえぜ!」
「ウチかて急いでるんや。遊んでる暇は無いんやって」
麻衣はまったく聞く耳を持っていない。
「取り付く島もねえってヤツか……しょうがねえ。決定的なやつを見せてやるから、ちょっと待ってろ」
青白い光りが縦に走ると、ほんの一瞬男たちの姿が消えたように見えた。それは瞬きほどの短い時間で、目の錯覚と言えばそうなってしまいそうなモノだったのだが、いきなり状況が反転した。
「えぇ――!」
目の前で展開された異常な情報を処理しきれずに、俺の脳ミソが悲鳴を上げた。
「ほらよ。これを見な。その空っぽの頭でも少しは刺激になったろ?」
もう一組の眼帯男とタコ入道が茂みの中から顔を出した。
「な……なに?」
俺の前にも眼帯男。少し離れた茂みの中にもこっちを見る同じ痩せ男とと大男。寸分の違いも無い。
「「どうだよー?」」
眼帯男が二人そろって同時に尋ねた。麻衣たちがよくやるユニゾン効果だ。声が立体的に聞こえた。
二人の眼帯男と二人のタコ入道から見つめられる異常な光景。少し違和感を覚えたのは互いに目を逸らして素知らぬ顔をし合うところ。
「あんたらも双子やったんか」
「オマエ……わざと言ってんだろ!」
最初からいたほうが口先を平たくし、巨漢の男は大きな肩を落とした。
「長居は無用だ。じゃ、オレたちはもう行くぜ」
茂みの方の連中がそう言い残すと、二人の姿が細長く引き伸ばされた画像のように実体が歪み、青白い光りとともに消えた。
「ほらな。あれがタイムリープだ」
立てた親指で誰もいなくなった空間を眼帯男が指差すが、柏木さんは驚きもしない。平然と言い放つ。
「不思議な現象ね」
俺的には何が起きても泰然とできるあなたのほうが驚きです。
意外にも麻衣も同調する。
「不思議も何も。こんなん手品や。それが証拠にあっちの連中は目が死んどったワ。なんかの映像やろ。修一そこら探してみ、映写機みたいなもんが隠されてへんか?」
確かに俺もそこが最も胡散臭かった。
「おめら素人はこれだから困るんだ。こ、こら探すな! 映写装置なんかねえぞ」
茂みの中を掻き分けようとした俺を眼帯男が止めた。
「あのな、これはな……」
ところが予想外の人物が反応したため全員が硬直。
「多重存在はとても危険な行為……」
「み……ミウ」
凛然と放たれた声の主に男たちの視線が吸い込まれ、つられて俺たちもギョッとした。
「姫さま!」
巨人は感電したカエルの神経みたいに肩をびくっとすくめ、柏木さんはキョトン顔。
「多重存在ってなぁに?」
「時間跳躍における危険的行為。過去と未来が同一人物のため、感情が筒抜けて無限再帰を起こし、最悪の場合発狂死する」
こちらの質問には応えず、ミウの口は機械的に動き続け、意味不明、理解不能の言葉を綴っていく。
「突然変異で異常発達した脳内の生体物質に、ある種の刺激が与えられると、時間振幅の元になる素粒子を刺激して時間の流れをコントロールできる。ヒューマノイドトゥプラス……」
「それって……時間を飛べる人がいるってこと?」
長い黒髪を揺らしてミウを覗き込む柏木さん。それでもミウの口は動き続ける。
「……時間飛躍の能力は主に三つのタイプが存在する。数ヶ月から千年単位で周囲の空間ごと時間跳躍が可能な者。時間跳躍をせずに目視と聴力だけをリープ可能な者……そしてそれら両方が可能なタイプ……」
柏木さんがミウの肩を激しく揺すった。
「もういいわ。日高さん。もう喋らなくていいのよ……」
俺もマジで焦った。ミウがそのままどこか遠くへ行ってしまうような恐怖を感じたからだ。
さっと覚醒したミウは全身の力が抜け、膝を地面に落としそうになり、柏木さんの差し出した腕に必死にしがみつき青白い顔もたげた。
「ど、どうしたの、わたし?」
自分でも何が起きたのか解らない様子だ。
「ミウ、平気か?」
駆けつけた俺の顔を見て、少女はうなずきつつメガネの奥で何度も目を瞬かせた。
「ちょっとビックリしただけ。何かとても重要なことを思い出しそうになって、怖くなって……わたし……」
「ミウ、落ち着いて。記憶障害が治る兆しかも知れん。麻由。事務所に行ってランちゃんの準備のついでに、お水でも飲ませてあげて」
「そうね。じゃ行こっか」
ミウは麻由の手にすがりつき、まだ震える足を引き摺るようにして建物の中へ入って行った。
二人の後ろ姿をじっと静観していた眼帯の男が深い呼吸をした。
「もう解ったと思うが、あの子。日高ミウはオレたちの仲間だ」
「ええっ!」
頭の中が真っ白になった。反論する言葉すら浮かばない。だが眼帯男は頼みもしないのに次々と怖い言葉を並べ始めた。
「ミウの言うとおり、今オレたちがやって見せたのは多重存在と言う現象なんだ。実際やると感情サージが起きてとても危険なんだ」
「そうなの?」
懐疑を込めた柏木さんの目の動きに、イウはうなずいてから先を語っていく。
「過去に覚えた感情が記憶となって未来の同じ人物に伝わるだろ。するとその表情や思考の乱れがまた過去の人物に渡る。これを無限に繰り返すんだ。解るかこの意味。思考波ってのは同一人物同士なら空間伝搬するんだぜ。知らねえだろ。同じ空間に同一人物が存在することなんぞ、お前らには考えも及ばないからな」
「イウ。それ以上は時間規則に反するでござる」
大男が電柱みたいな腕を出して眼帯男の言葉を遮った。
「わかったわ。時間跳躍能力が現実にあると仮定してあげる。日高さんを含めてそのあなたたちがなぜここでウロウロしているわけ?」
科学者である柏木良子さんは、俺とは頭の作りが異なるようで、端的に質問を詰めて行く。
「それにはいろいろと事情がございまして……まずは拙者の話をお聞きくだされ」
覚悟を決めたみたいに、大男が俺たちの前で膝を折った。
「拙者はタイムパトローラーのガウロパと申す。時間警察と呼ばれる捜査官でござる。そしてこっちの痩せたのがイウ」
重低音の割りに優しげな声だった。続いて眼帯男が立てた親指で自分を示す。
「オレの名は『佐上イウ』ってんだ。略してイウだ。よろしく頼むな」
少しの間を待って、ガウロパと名乗った大男の説明が続く。
「……互いに1000年近く異なる時代からやって来たのでござる」
「ござるって。お前らいつの時代から来たんだよ? 江戸時代か? 未来じゃないよな?」
怪訝に言い返す俺を見て、眼帯男は巨漢のツルツル頭をひと殴りした。
「ほーらみろ、ガウロパ! だからその口調はやめろって言ってるだろ。誤解されちまうんだよ!」
「仕方ないでござる。拙者。前回の跳躍からまだ時間が経たないので、なかなかもとの口調に戻らんのじゃ」
「ほんと、こいつはバカだからよー。長く暮らした時代の口調が脳に焼き付いちまうんだ。どうしようもねえヤツだろ?」
とか訊かれたって、何と言い返したらいいのか戸惑うだけだ。
「その口調だと、かなり昔から来たのね」
柏木さんの出した質問にガウロパが極低音の声で言った。
「1613年……」
「戦国時代ね?」
「そうでござる……」
と柏木さんに念を押されて恥ずかしげにうなずくガウロパ。放つ声は迫力のある声音だが、目はおどおどと可愛らしい。
「その後、拙者はパスファインダーの連絡を受けて……」
「パスファインダーって?」
「バカ、ガウロパ!」
再び眼帯男が割り込んだ。
「オマエの話はとりとめがなさ過ぎる。みろ、こいつら今度は頭から煙り噴かしてんじゃねえか」
確かにそのとおりだ。思いつくことをそのまま語るので全体像がぼやけてしまって、何が言いたいのかさっぱり解らない。
「オレがまとめてやる。いいか。まず、日高ミウだ。あの子がパスファインダーなんだ。簡単に言うと、時間跳躍の先陣を切って、道を拓く役をするんだ。そりゃすげぇ能力者だぜ。千年単位で飛べるし、もう知ってるだろうけど。肉体を飛ばさずにして、周辺の過去や未来を視ることができる。そしてこのタコはその子を守るガーディアンだ」
「守る?」
「そうさ。過去の猿どもや未来の馬鹿どもに襲われたらエライことだろ。オレたち3027年の者にとっては大損失になる。それほどあの子の能力は至宝なんだ」
「「「3027年!」」」
柏木さんと俺と麻衣の三重奏だ。
「700年も未来から来たの? それよりそんな未来に日本がまだあるの?」
柏木さんの質問に、眼帯男が大きな口を開けた。
「あー。そりゃぁあるさ。でもな、」
と言いかけたところで、タコ入道がでかい手で口を塞いだ。
「ぶ、ぶふぁぁぁぁ! 馬鹿やろー。息ができねえだろ。殺すか気か!」
「お主。また罪を重ねる気か?」
「おうそうだ。あぶねえー」
「この男は過去でやってはいけない罪を犯したお尋ね者でござる」
今度はガウロパが眼帯の男の頭をひと殴りした。
そこへ――。
「おまちどうさま」
まるでランちゃんが口にしたかのようなタイミングで、緩く下り坂になった敷地を三輪バギーがゆっくりと下りてきた。
もちろんそのすぐ後ろから麻由がミウの手を引いて歩いてくる。
「ミウ。落ち着いたか?」
俺の問いかけに、銀のストレートロングヘアーを小さく振ってにこりとする。
「もう大丈夫。早く峠の向こうが見たい」
焦点は合っていないが、背後にそびえる高い山並みへ視線をやった。
「姫さま……」
ガウロパが山ほどある体を丸めて、ミウの横で片膝を落とした。
「拙者の顔に見覚えはござらぬか?」
もちろんミウはキョトン。他人を見る目で眺め、麻由は俺たちの強張った空気を察して困惑顔。
「どうしたの? 込み入った話なの?」
「いや。夢みたいな話をしてただけだ」
「夢じゃねえぜ!」
俺の発したセリフにイウは憤怒を浮かべたが、麻衣がショットガンを突きつけて、進展しない話に終止符を打った。
「ここでウダウダゆうとっても、遅れるばっかりや。おっさんらの話は聞いたる。せやけどこっちも急いでるんや。だから歩きながらや。それができひんのやたったら、この場で撃ち殺す」
イウは片眉を吊り上げて言う。
「おい、こんな子供に銃なんか持たせるとろくなことにならんぜ!」
と捲し立てるイウをガウロパがゴミみたいに摘み上げると後ろに引き下がらせ、
「もちろん話を聞いてくださるのなら、拙者らが道中をお供させていただく。どこまで行くのでござるか?」
「あの山の向こうや」
銃口で頂を指すが、ガウロパは余裕の面持だ。
「ほお。山越えでござるな。ならお安いご用でござる。荷物があれば持たせていただきますが?」
その言葉で麻衣の目が色濃く光る。
「ちょうどエエやん。向こうから重量のある物を運んで帰ってくるっていう、一か月に一度の大仕事があるねん。ぜひお願いするワ」
「承知つかまつった」
そう言うと、ガウロパがぐおーんとそびえ立った。マジででかい。空を覆い隠すかと思うほどだ。
口を開けてあり得ない巨躯を見上げていたら、麻衣が俺の袖を突っついてきた。
「これであんたも楽になるやろ?」
「あーだよな。助かるー」
小声で囁き合う俺たちの前で、ドシドシと地響きを立てて歩き出したガウロパが後ろへ首を捻った。
「どこまで説明したでござるかな?」
「あのね、この人が何かを過ちを犯したってとこよ」
イウを指差して答えたのは柏木さんで、指されたイウは迷惑げに顔をしかめる。
「そんな古い話はもういいじゃねえか」
「よくはない。この人らは姫さまの恩人なのだ。すべてを知ってもらったほうがよい」
イウは鼻を鳴らし、
「聞きたきゃ聞けばいい。でもくだらねえぜ」
ガウロパは遠望するかのように視線を空へと上げた。
「この男は『時間規則』を破ったのでござる」
「時間規則って?」
質問するのはもっぱら柏木さんだけになった。誰もそこまで頭が回らないのが本音だ。
ガウロパはこくりとうなずき、
「過去の人間に未来の情報を漏らしたり、それを利用して歴史を変えたりしたら罰則を受けることになっておる」
「歴史が変わっちゃうもんね。で、具体的に何したの?」
「コイツは未来の電子技術を過去人に売って金に換えたでこざる」
「いつごろ?」
「1990年ごろじゃ。貴殿らには古くて知らない出来事でござるが、ある年を境にコンピュータチップが飛躍的に進歩した。本来の歴史の流れより、数十年先の技術を使ったからじゃ。そのせいでコンピュータは一社独占状態になったが、それに気づいた時間管理局が捜査官をその時代に送り込んで、別会社を拵えてそれに対抗させたおかげで、歴史の矛盾はなんとか消えた、という次第でござる」
「そんなこと知らなかっただろ。オマエらが持ってるフィルムフォンや、あの三輪バギーのコントローラも、まぁ言えばオレのおかげだぜ」
胸を張るイウを後ろからガウロパがぽかりとひと殴りして、
「オマエのせいで、時間管理局があんなリンゴのマークの会社を作るはめになったでござるぞ!」
「リンゴのマーク?」
今では存在しない会社だ。
「もっともな……」
イウは何かを付け足そうとした。
「ここ100年は電子工学はまったく進歩してねえんだ。大勢の技術者が死んじまって、今の人類は生き延びることで、精いっぱいなのさ。ま、生物学は別だけどな……」
途中で言葉をこもらせてイウが黙り込んだ。でもいまの説明ははほぼ正しい。フィルムフォンもユビキタスコンピューティングも、昔の技術の応用で全然進歩していない、ということさ。
でも明るい話題もある。
「バイオコンピュータはどうなんだ? あれはこの時代の産物だろ。最新技術だって言ってたぜ」
しかしイウは残った一つの目で、ちらりと俺を睨んで言う。
「あれは生物学の応用だ……」
こいつ何者なんだ。なぜそんなことまで知ってんだ?
「犯罪者がエラそうなことを言うな」
ガウロパに咎めらイウは肩をすくめ、ガウロパはその振る舞いを胡散臭そうにすがめて続ける。
「こいつはぬらりくらりと逃げ回っておったが、2005年でやっと捕まえたのでござる。ほれ……」
太い指の先にあったのは、イウの足首に嵌められた光るリングだった。
「そうこれだ。この鬱陶しいアンクレットがオレの足枷になってんだよ」
小指ほどの太さで銀色に光る金属製の輪っか。つなぎ目もまったく見えないリングがしっかりと嵌っていた。
「これは拘束具でござる。拙者から逃げようと50メートル以上離れると……」
ガウロパは途中で言葉を閉じた。代わりにふてぶてしい態度でイウが答える。
「爆死だよ。爆発すんだ。だからオレはこのバカから離れられないんだ」
それを聞いてやっと納得した。
「だからいつもピッタリ寄り添ってたのか」
「おい、寄り添うなんて不気味な言葉を使うな、修一」
「しゅ……修一って。なんだか気安いヤツだなぁ。あんたとは初対面だぞ」
「へっ。いいじゃねえか。人類みな兄弟だろ?」
変なヤツ……。




