俺んちのバカ親父
「これで俺も有名人だ」
有頂天でフロアーを歩いていた。周りなんて何にも見えない。頭の中で柏木さんの宣言が響き渡る。
『快挙よ!』『快挙よ!』『快挙よ!』
何度も何度もリフレインして、
『世界で初めてマンドレイクの実物を写真に収めた高校生、山河修一くん』
勝手に新聞の見出しが浮かび上がり、そのうち模擬記者会見が始まり、
(直に握りしめた感触は生涯消えることはありません)
最後の締めはこれでいいかな? なんて想像するし。
「うへへへへ……」
自然と笑いがこみあげてくるし……。
これをきっかけにガーデンハンターズの正式メンバーだと、麻衣たちは公表してくれないかな。そうしたらあのかっこいいロゴの耐熱スーツ着て街を歩けるし大勢のファンが寄って来てキャーキャー言われてさ。うははは。俺ってモテモテじゃね?
「オイ、修ぅ。壁に向かってなにブツくさ言ってんだ? 玄関はもうちょい右だ。そこは郵便受けって呼ぶんだぜ。知ってっか?」
半分開いたドアの内側から首だけを伸ばしてそう言ったのはウチの親父だった。
短く鼻を鳴らした親父は、ひょいと玄関の中へ振り返ってほざきやがった。
「おい、母さん。修ぅのヤロウ、頭やられてガーデンから帰ってきやがったぜ。家の前でヘラヘラ笑ってやがるしよー。殺虫剤ないか? 殺虫剤」
のやろう。なんちゅうことを言いやがるんだ。世界初の快挙を成し得て帰って来た自分の息子をゴキブリみたいに言いやがって。
「親父ぃ! 聞いて驚くな。俺はなー、世界で初めて幻のキノコを見つけた男なんだぞ」
玄関から怒鳴り込んで飛び込む俺へ。
「ばーか。そんなもん運が良かっただけじゃねえか。お前の努力が実ったんじゃねえ」
てなことを言われたら何も言い返せなくなった。
「それよりも、ちょっと居間へ来い。大事な話があんだ」
耐熱スーツを脱ぐ間も与えず、俺は居間へと引き摺りこまれた。
「お帰り、修一」
と台所から出てきたのはお袋で、親父は居間のテーブルから俺を呼び寄せる。
「早くこっちへ来い、修ぅ」
「何だよ? 親父……」
「いいから座れ」
椅子を引き出す間ももどかしいのか。矢継ぎ早に質問する。
「どうだ? うまくいったのか?」
「はぁ?」
「なんだよ。テレるな。年頃の男女がキャンプしたんだろ? どうだ。麻衣ちゃんか麻由ちゃんか? どっちに手を出したんだ?」
おいおい。そんなことを訊くために慌ててんのかよ……。
恥ずいよ。こんな親父の息子として俺はとても恥ずかしいよ。
台所からエプロンで手を拭き拭き現れたお袋も同調する。
「そうだよ。男なんだ、行く時は襲ったっていいさ。お父さんなんかすぐに飛びついてきちゃってさ……あたしゃ困ったんだよ、ほんとに」
恥ずいよ。こんな母親から生まれてきた息子として……。
「恥ずかしがるな。修ぅ。で? どっちだ? 麻衣ちゃんだろ?」
「意外と麻由ちゃんかもね」
「よし。どっちでもいい。襲っては来たんだ。なら前祝いだ。川村家と山河家の祝言だ。母さんビールだ。ビール出せ」
「あいよ。父さん」
バカ夫婦め……。
俺は肩から力を抜いて答える。
「襲われたのは俺のほうだ。トンボだろ……それから……ビーストにも」
「なっ! なんだと!」
親父は目を見開き、喉の奥を曝け出した。
一拍ほど空けて、
「情けないヤツだ。女の子に飛びつかずにトンボに飛びつかれただと? かー、山河家始まって以来の恥さらしだな」
見境なく女子に飛びつく家系のほうが恥ずよ。
親父はぷいと横を向き、お袋はまたもやエプロンで手を拭き拭き台所へ戻って行った。
なんちゅう家なんだここは……。
世界的快挙の喜びが一瞬で飛び散ってしまった。
午後7時半。
『おっちゃん、ただいまぁ』
玄関のインターフォンから麻衣の元気一杯の声が響き渡った。
この時間から自宅兼事務所のある準禁止区域内へ戻ることは不可能なので、麻衣たちは納品日に限って俺の家に泊まるのが定番となっている。
お袋も親父も狭い家なのに二人の部屋を作ってやったりして、大はしゃぎするほどの力の入れようさ。
今日だってソワソワと首を長くしていたのだ。
麻衣の声が聞こえるや否や、親父とお袋が居間からダッシュで玄関へ飛んで行った。
「バカ夫婦……」
俺はつぶやきながら、ゆるゆると居間のど真ん中にあるテーブルに着き、玄関に向かって大声で忠告する。
「お前らショットガンはちゃんと玄関の中に入れろよ! いつだったか玄関の外に立て掛けてあったろ、あんときゃ警官が来て大騒ぎになったんだからな」
非常識極まりない警鐘を鳴らさなきゃならないのが情けないが、これは本当の話だ。銃弾を抜いてあるので問題ないだろうって麻衣は警官に食って掛かったが、一般市民が怯えるからやめてくださいと懇願されていた。
そうそうレッドカード所持者は街中でも銃の所持が許可されるって言っただろ。それ以外にもう一つ付け足しておこう。レッドカード所持者は巡査長クラスの警官より地位は上だということをな。だからやって来た警官は麻衣に対して平身低頭の態度でそう言ったのさ。
どうしたことか、玄関でゴソゴソと耐熱スーツを脱ぐ音が伝わって来るが、いつものにぎやかな会話が聞こえてこない。
不審に思う俺の前に、麻衣、麻由の顔が並び。続いておかしな静けさとともにようやく自分の名前を思い出した銀髪の少女、日高ミウ、そしてしんがりからネズミを捕り逃がした猫みたいに目をまん丸にした親父とお袋が付いて来た。
麻衣はいつもと変わらず涼しい顔して言う。
「さぁ、日高ちゃん。そこらに座って。ここはウチらの第二のおうちや。ちょっと臭いヤツが座っとるけど気にしぃなや」
麻衣は俺にそこをどけと、顎で命じてきた。
「なんだよ……」
無視していつまでも座る俺へ、
「おうー。どけ、修ぅ。お前は床の上で上等だ」
それが親の言葉か?
親父の勢いに負け、俺はミウの足元近くに胡坐をかいて座った。
ミウはどこに座っていいのかマゴマゴ。すかさず麻衣が口を出す。
「あんたはお兄ちゃんの横に座り」
「お兄ちゃん?」
親父は口をあんぐり開けたまま茫然と立ち尽くし、麻衣と麻由は意味ありげにニタニタしつつ様子を窺っている。
こいつ……また親父をからかう気だな。
「さぁさ。楽にしてちょうだい。お嬢さん」
こくんと可愛い顎をうなずかせた銀髪の少女は、お袋に差し出された座布団の上で綺麗な脚を折り、俺の横で、ちょん、と正座をした。
「さぁ。久しぶりの両親と兄妹の対面や。一家団欒、ゆっくりしいや」
ったく。くだらないことを考えやがって。
親父は困惑した顔を好奇の色に変えて、小柄な少女へ視線を固定していたが、麻衣たちの醸し出す妙な雰囲気に堪りかねて一言。
「麻衣ちゃん。この子、だれ?」
「なにゆうてんの。修一の妹やんかぁ」
「言うと思ってたぜ。この一言のために一芝居打ちやがって……」
すかさず話に割って入る。俺は親父に向き合い言ってやる。
「あのな、こいつらの冗談を真に受けたら後が痛いからな信じるなよ」
親父は俺の忠告など耳に入れず、おふくろに訊いた。
「なぁ……かあさん。修一に妹なんていたっけ?」
台所でお茶の準備にいそしむお袋が気の抜けた声が返る。
「いないと思いますよ、お父さん」
「バカだー。夫婦そろってうちはバカなんだ」
「あはははは。おかしい。オジさま最高!」
「あはは、さすが修一の家は一味違うなぁー」
頭を抱えて塞ぎ込む俺と、ポカンとする親父を見てケラケラと笑い転げる麻衣たち。部屋の中が可笑しな空気で満ちた。
親父は麻衣たちにウケたことが、まんざらでもない様子で、いつまでもニヤニヤと笑っているし。
ほんと、バカばっかりだぜ。
だいたいの事情を説明し、それから数分後――。
さっきから親父は麻衣と麻由に挟まれた位置で腕を組み、真面目腐った顔で鼻の穴から力強く息を吹いていた。
「で、訊くけどよ。おめぇらはガーデンに何しに行って来たんだ?」
真面目に尋ねる親父に困惑しながらも麻衣が答える。
「変異体の採取やんか。おっちゃんも知ってるやろ?」
意外にもマジ顔の親父にビビリ気味の麻衣が、ちょっと可愛らしい。
「じゃぁ、もう一丁訊くぜ?」
「なぁに?」
麻由が丸まった癖っ毛をふるふると震わせて、首をかしげる。
「修一の横に寄り添ってるこの子はなんだ? カビの変異体か?」
麻由は丸い瞳をびっくりさせた風に広げて、
「違うわよ。外人さんなの」
それを聞いた親父は、麻衣の正面へ膝でにじり寄って静かに頭を下げた。
「麻衣ちゃん。こんな子が拾えるんなら、今度、オレもガーデンへ連れてってくれ」
ガンッ!
深々と頭を下げた親父の後頭部をお盆でぶん殴って、お袋は台所のカウンター奥へ消えた。
「あははははは」
高らかに笑い上げた麻衣は腹を抱えてソファーの上で足をバタバタ。キュロットスカートではあるが、目のやり場に困る。
麻由も呆れたように親父へ手を振って立ち上がると、お袋の後を追って台所へ。
「おっちゃん。ふつう人間は耐熱装備無しでガーデンに入ったら30分ともたへんねん。この子はある事情があって、あそこにたまたまおっただけやって」
親父は正座をした膝頭をくるりと旋回させ、楽しげに微笑む少女の顔色を窺う。
「どう? 面白かった? よかったらうちの子になるかい?」
ぶふぁ――っ!
俺は口に含んだ麦茶を噴き出した。
「なに言い出すんだよ、バカ」
「なにって。オレッチはよー、本当は女の子が欲しかったんだ。女の子はいいぜー。可愛いし、清潔だし」
「悪かったな無骨で汚くて」
「うふふ」
少女は白く綺麗な手で口元を押さえて笑いを堪えていたが、ちょっとの間を空けて、一度息を飲むと、切れ長の目は笑った形のままを維持させて凛とした言葉を並べた。
「お父さま。先ほどは失礼致しました。わたくし日高ミウと申します」
ミウは怜悧な光りを瞳からこぼして、三つ指をつくと深く上体を倒した。
さわっと音を出して床の上を銀の髪が撫でて通る。
背筋がピンと伸び、それなりの習い事でもやっていないとこんな姿勢のいいお辞儀はできないはずだ。
居ても立ってもいられず、俺は込み上げてくる笑いをクッションへ押さえつけている麻衣のそばへ飛んで行った。
「おい。どうしたんだよ、この子?」
「あれから記憶が戻ったり、消えたりするみたいやね。こういう喋り方の時はたぶん記憶が戻ってるんや」
「こんな礼儀正しくておとなびた口調が、この子の素の姿なのか?」
「せやねん。きっとごっつい家柄の子とちゃうやろか」
「マジかよ……」
親父もこんな礼儀正しい受け答えをされてどうしていいか戸惑ったのだろう。慌てて手を床に付けて、正座の上半身を急いでひれ伏した。
「はっ、ははぁー。これは日高様でごじゃりますか。わたくし山河賢治ともうします……」
まるで見合いの席みたいな光景に俺は笑わざるを得なかった。
「ぶふっ」
麻衣は抱き込んだクッションに顔を埋めて、噴き出してくる笑いを必死で堪えていた。その前で茶番はまだ続く。
「このたび修一さまに命を助けられ、また麻衣さま麻由さまにもご迷惑をおかけしましたが、おかげさまで、わたくしはこうして生きながらえることができました。これもひとえに、お父うさまのご子息さま、またご令嬢さまへの日ごろの御慈育の賜物かと存じあげます」
「ははぁ。さようでございますか、それはそれはありがたき幸せでございますー」
親父はただペコペコするばかり。両足を掴まれたショウリョウバッタ状態だ。
数瞬後。片目をすがめて親父の姿を睨む俺の隣で、日高ミウの口調が反転。幼げな少女の顔に戻る。
「あ……ここはどこ?」
かと思うと、また反転。
「お慕い申し上げる次第でございます」
静かに言葉を閉じ、ゆっくりと頭を下げた。
「――さ、左様でございますか、ははぁ」
とへりくだっていた親父は、いきなりガバッ、と立ち上がり、
「少々お待ちくださいませ」
背筋を伸ばして正座を続ける少女へぺこりと頭を下げて、抵抗する俺の腕を力強く引っ張った。
「何んだよぉ、親父ぃ」
俺を玄関まで引き摺って行くと、壁に張り付けるように立たせて小声で訊く。
「なんだあの子? 病院に連れて行ったほうがいいぜ」
親父は目を丸々させて、ダイニングの方を顎で示した。
「今日、麻衣たちが連れてってる」
「暑さか?」
頭の横を人差し指でつっ突いた。
「わからない。その報告も兼ねて麻衣たちが今日来てんだ」
腕を組んで親父は唸った。
「顔はオレの好みだし、あの目は特に引き込まれるな。オレンジの瞳ってすげえな」
若い子に目が無いからな、このスケベ――。
玄関でコソコソと設けられた山河家の巨頭会談は、お袋の、お茶が入ったわよー、という声で中断となった。
「かあさん、オレにはビールだ。ビール出してくれ。呑まなきゃやってられねえぜ」
親父の声に応えて、麻由が冷えたビールとコップをお盆に載せて運んできた。
「うほぉぉー」
瞬間に上機嫌になった親父はコップを受け取ると、お盆を持つ麻由の前に突き出して舌を出す。まるで餌をねだる子犬だ。
「お酌してくれるかい?」
「あ、はいはい」
麻由はにこやかに応対し、お盆を降ろそうとしたが、直前にミウがビール瓶を取り上げた。
「さぁ、お父うさま。お飲みくださいませ」
飲酒は不謹慎だと咎められるのかと思った親父が一瞬引いたが、すぐさま弛緩すると頭を垂れる。
「あ? は、はぁぁ。ありがたき幸せでございます。日高さまぁ」
「お父うさま。ミウとお呼びくださいませ」
またもや正座で床に飛び込んでへつらうバカ親父。
「あはぁー。ミウさまでごじゃりますかー。へへへぇ」
だめだ。この人壊れたぞ。
それにしてもこの時代考証を間違った口調、どこかで聞いた気がする。
普段からこんな言葉遣いをする家がこの崩壊寸前の日本にまだ残っているのだろうか。それよりもひどく違和感を覚えるのは、時代があっていないとでも言ったほうがしっくりくる。
親父の相手はミウと麻由に任せて、俺は部屋の隅に麻衣を呼び寄せると小声で訊く。
「それで病院のほうはどうだったんだ?」
「あのね。簡単にゆうたら体も脳もまったく異常無しやってん。変異症も無し、カビ毒の抗体もない。あんたの発見が早かったから大事に至らんかっただけの話や」
「そうか。そりゃあよかったな」
「せやけどな……」
「なんだよ…」
「良子さんが気づいたんや」と言ってから、麻衣はなぜか言葉を区切った。逡巡するかのような振る舞いをしばらく俺に見せ。
「あんな……」と口火を切った。
「良子さんが言うには発見が早かったということは、あの気温に晒された時間が短かったワケや」
それが正論だ。
どこからか知らないが、遠くから移動して来ていたらそのあいだに熱中症になる。あとは……。
「外気と隔離された物体の中から出てきたっていうのもあるな」
「そう、なんか乗り物がなかったか、って訊かれたんや。なんもなかったよな?」
「当たり前だ。ガーデンの深部だぞ。しかも俺の真後ろに立ってたんだ。モーターカーでも大きな音がするって」
麻衣は力強くうなずき、
「ウチもそこは強調しといたよ」
そして再び俺の顔を真剣な目で見た。
「まだ続きがあんねん。あの子、やっぱり時間を超えた視力を持ってるとしか思われへんらしい」
「予言者とかだろ?」
「ちゃう。予知力とかではなくて、どうもその場所に起きることを実際に見たり聞いたりできるみたいやねん。ようするに視力、聴力だけが別の時間帯に飛んでるんやて」
「えー? 音が時間を超えて伝わるモノなのか?」
「さぁ。そこまでは知らんけど、ときどき柏木さんが質問する前にそれに応えたりしてみんなを脅かせてたワ」
「それは柏木さんの心を読んで、とかの読心術じゃないのか?」
「ウチも最初はそう思ってん。でも、あの子。電話の音に驚いたんや」
「別にいいじゃないか。俺だっていきなり鳴りゃあ、驚くときもあるぜ」
麻衣は首を振った。
「掛かってくる5分前にやデ」
「なっ! なるほど。それは驚きだな」
となると。
「じゃぁ。俺たちが目撃したのは別の時間を見てたところだったんだ」
「そう。やっぱりあれはランちゃんがそこに現れるずいぶん前に言葉を掛けてたんや」
ゾワーッと背中から腕の先にまで寒い物が走った。
親父の相手をしてニコニコビールを注いでいる、あの銀髪の少女が、神にも匹敵するあり得ない能力があったのだ。
いまは暴走中のようだが、その力を制御できた状況を想像するとそら恐ろしいものがある。
恐ろしいと言えば……
これもある種の能力かもしれない。親父のヤツめ……。
「あいや、これは日高どの。かたじけのうござる。しからば拙者が麦茶でも……ささ。ぐいっと、ぐいっといってくだされ。ひ、だか、どのー」
親父からは背筋を震わせるものはなくて、冷や汗が滴り落ちた。恥ずいヤツだ、まったく。
「あ、そう言えば親父の口調……」
と同時に麻衣が、
「あのタコ坊主や!」
「今、流行ってるのか?」
「知らん……」
麻衣は乾いた声を出すと首を振った。




