大阪変異体生物研究所部長・柏木良子
時速300キロ近い高速走行のリニアトラムは、たったの数分で『なんば南港駅』がある海中都市へ飛び込んだ。
海中都市『なんば南港プロムナード』は耐水性のコンクリートで作られた完全防水のビルを海に沈めたと思えば容易く想像できると思う。しかも区画閉鎖ゲートと排水設備はは万全。万が一どこかで浸水が発生したって何カ所にも分かれたゲートがそれを防ぐ構造さ。
駅はその中で最も高いビルのほぼ最上階にあり、研究所の部長さんと待ち合わせをしているレストランはそこから数階下だ。それとこの建物の真ん中の階層に俺の家族が住むマンションもある。
採取した変異植物を入れたケースをそれぞれのリュックに詰め込み、フロアーを進む俺たちの姿はさしずめ山岳部隊だな。それから麻衣たちの耐熱スーツを見つけるたびに、感嘆の声を上げるのは同年代の少年少女ばかり。ショットガンを担いで街中を歩いても咎められないレッドカード取得者を羨望の眼差しで遠巻きにする。親の年代になると逆に胡散臭そうな視線で睨んでくるのもいつものことだった。
さてそれから数分後。
待ち合わせのレストランに着いた。
先に知らせておくが、このレストランの店主もハンターで、休日になると頻繁に鉄砲を担いでガーデンへ行っているらしい。当然麻衣たちガーデンハンターズには一目置いており、かつに懇意に接してくる。だから、ほら……。
「これはこれは。ガーデンハンターズの、み、皆々さま。まいどご贔屓にありがとうごラいます」
「おっちゃん。言い慣れへん言葉使ぃーな。噛んどるやないか」
「がはははは。あかんワ。年に数回しか使わんようなセリフやもんな」
頭の隅に武器屋の顔が浮かんでくるのは、ここが大阪という特異な空間だからだ。俺みたいな東日本からの避難者が馴染めない原因の一つでもある。
「ほんで、アレか? 今日は納品日か? おお、リュックがパンパンや。大漁やな。けっこうけっこう。商売繁盛や。さ。ショットガンは鍵付きロッカーに入れてや。ほんでずずーと奥に入ったってやー。あんたら専用のテーブルがあるさかいにな。さあーずーっと奥や。はいー! ガーデンハンターズのみなさんのご来店や! 派手に陽気に頼むでーっ!」
「よー喋るなぁ」と麻衣は丸い目を見開き、麻由はクスクス笑い、銀髪の少女と俺はポカンさ。
店主はロッカーにショットガンを立て掛ける双子の後ろ姿にまだ喋り倒していた。
「あのな。陰気にジメーッとしたレストランに客が入ってくるかいな。やっぱり、ぱぁーっと明るいほうが賞味期限切れの野菜でも美味くなるちゅうもんや」
「おっちゃんとこ、そんなん出してんの?」
「アホ―。たとえ話や。そんなもん出すかいな。ウチはな。植物ファームから届いた朝採りの新鮮な野菜を使ってるデ。さー入って、入って」
店主は、逃げ出そうとしたニワトリを囲むみたいにして両手を広げて俺たちを追い立てた。
「さーさ。ガーデンハンターズのおなりやー。ほら、マーくん。テーブルクロスシワいってるでぇー」
でかい声で厨房の中へ叫んだ。
相変わらず元気のいい人だ。
ちなみに、マーくんとはこの店のウエイトレスのことだ。
マーくんが並べるガラスカップの音が響く店内で最も奥のテーブル。楕円形をしたテーブルで8人掛けの大きな物だ。ここがガーデンハンターズの専用の座席となっている。
専用と言うのはこのフロアーの上階に大阪変異体生物研究所があり、そこの職員がいつもこの店に出入りするのだが、それぞれに白衣を着てうろつくので、ここがレストランだか病院だかわからなくなるので、研究所の関係者は店の一角に押し込まれるのだ。ただそれだけさ。
「うぁ。氷が入っとるやんか。このお冷……」
「ほんとだー。さすがね」
って。貧乏くさい奴らだ。
「何ゆうてんねん。氷入りのお冷はふつうは有料やで」
「そうよ。このお店だけがサービスで出してくれるんだからね」
麻衣と麻由が口々にそう言うのは、あんな不便極まりない準禁止区域に住んでいるからで、この海中都市ではこれで普通なのだと、ひと言添えさせてもらう。
「さ。あなたもお冷もらいなさい」
お姉さん面して少女に水の入ったコップを渡すが、年齢的にはどうなんだろ? 見た目はあの子のほうが幼く見えるが、たまにに見せる凛然とした姿の時は年上にも見て取れる。とにかくすべてにおいてこの子は謎だらけなのだ。
「修一もほら……。なにソワソワしてんの?」
「あ……いや。研究所の人と会うのが初めてなんで、ちょっと緊張してんだ」
「緊張することはないわよ。ただの納品と報告だから」
説明する俺に笑みを注ぐのは麻由。
「その報告に特別な意味があるだろ。しかも俺が関係してんだ」
「そうねぇ。マンドレイクと認定されたら、修一もちょっとした有名人かもね」
「マジかよ。やっぱ緊張するじゃないか」
「アホ……」と告げる麻衣の冷笑を浴びた俺の視界の端に、長い黒髪を背中で一本に結った美しい女性が映った。その人はさっそうとやって来ると、テーブルの端に立って、何とも言えない艶っぽい声で片手を掲げた。
「おまたぁ~」
ここはずっこけて見せたほうがいいのだろうか?
にしても、このノリで本当に研究所の部長なのか。何のてらいもない振る舞いを見て再認識する。以前レストランの外からチラ見した女の人で間違いない。
タイトで短い紺のスカート。それと同じ色の制服を着こんだ上から白衣を羽織る凛々しい姿。歩くたびに白衣の裾をなびかせながら、大人の色気を振り撒く美女だ。胸を躍らさない男はいないと断言できる。
「無事帰還したわね。川村さん」
艶やかな朱唇をほんのりほころばせ、鼻に掛かる甘い声音を漏らす妙齢の美人。こんな女性が変異体の研究をするなんて……ああ。もったいない。
「「いま来たとこ」」
麻衣と麻由は気さくに返事をハモらせ、その人は二人の対面に座った。そしておもむろに白衣のポケットから俺と同じ型のフィルムフォンを取り出し、四つに畳んで脇に置いた。
女神さまの登場で我を忘れていた俺の袖を麻衣が引っ張った。
「こら、ヘタレ。なんで立ってんねん? 早よ座りぃな」
無理やりドシンと引き摺り下ろされて、テーブルの下でゴンと膝を蹴られた。
「痛いじゃないか」
小声で麻衣の横顔を睨んでから、作り笑いを白衣の美女へ向ける。
「なに? この子が新しいメンバーなの?」
意外と気さくに接してくれる。ますます引き込まれそうだ。
「部長さん……」
改まった声の麻由に美人さんはちょっと驚きの表情。
「ちょっとぉ。部長なんて堅苦しい肩書きで呼ばないで、って言ってるじゃない。そうそう。自己紹介がまだだったわね」
水に濡らした漆黒ガラスみたいな美しい瞳が俺へと転じられ、
「私は柏木良子。よろしくね。研究所では部長なんだけど、この子たちのお姉さん的な存在かな?」
トレビアーン。素晴らしい。甘い声音と可愛い口調がたまらなくイイ。
俺は思わず生唾ごっくん。その横顔を麻衣が痛い視線で挿してくるが気にならない。
あそうだ。
麻衣たちのお姉さんなら俺のお姉さんでもいいわけだ。とまあ、勝手な論理を頭の中で展開していたら、横に座った麻衣が指の先で俺の太ももを突っついた。
「ほら、今度はあんたやろ。はよ自己紹介しぃな」
すっかり気もそぞろな俺は慌てて立ち上がり、
「俺、あ、いや。ボクは山河修一です。よ、よろしくお願いします」
ほんの少しの静寂が過ぎ。
「ぷーっ。どうしたの? 緊張してるみたいだけど」
噴き出す柏木さんと、唖然とする麻衣。
「なんでまた立つねん」
呆れ顔の麻衣にまたもや引き摺り下ろされた。
女神さまは嫣然と俺に微笑みをくれ、
「修一くんねー。よろしく」
「あ、はい」
やっぱ白衣の美人って色っぽくていいよなぁ――。
これが柏木良子さんに対する俺の第一印象だった。
「鼻の下が伸びてる」
「もう! はずかしいなぁ」
双子が同時に口先を尖らして咎めるが、そんなの気にしていられない。
柏木さんは始終ニコニコ。
「そっか。やっぱガーデンハンターズにも男子はいるよね」
うれしいことに双子はそろってうなずき、思ってもないことを言う。
「荷物運びとか雑用係にぴったりやねん」
だはぁー。なんちゅうこと……。
「ほな。独りでガーデン入れるんか?」
黙って首を振るしかなかった。
「うふふふふ……」
テーブルの隅で孤独を絵にかいたような振る舞いをしていた少女が笑った。
柔和な視線をそっちへ移動させる柏木さん。
「この子がそうなの?」
「そうやねん」
「ガーデンの中で保護したんです」
麻衣がうなずき、麻由が補足した。
「ガーデンで保護か……」
柏木さんの表情が反転した。
「避難者なの? まれに迷い込むことがあるって言うけど……まだ避難しなかったご家族がいたのかな?」
「避難を拒む人たちがまだいるのは知っています。でもガーデンの入り口から15キロの深部で、この子、この格好で現れたの」
麻由の説明を聞き、柏木さんは驚きの目で数秒ほど見つめた後、甘い声音を落とした。
「あなた、どこから来たの?」
少女は黙って首を振る。
「高温による記憶障害が出てるみたいで、名前も、どこから来たのかもいっさい憶えてないんです」
「劇症高温障害ではよくあるわ。そっかぁ。あそこで保護されたのか……」
よほどガーデンでの保護されたことが問題になるようで、それは麻衣たちが先に告げていたので何となく理解はできる。政府はきっと無視するはずだ。あるいは健常者がカビ毒に順応したと判断されれば、きっと研究対象にされてしまう。
柏木さんは美麗な面持ちに戸惑いの混ざる複雑な表情を浮かべながら少女を注視。しばらくして溜め息混じりで朱唇を開いた。
「高温障害で虹彩異色症になるという話は聞かないけど、あの地域で無装備の人が保護されるなんて前代未聞のこと。変異体遷移症の様子が無いとなると……順応者かも……」
俺たちが懸念したとおりのことを言葉に直していったが、最終的に重い声で結論を述べた。
「健康体だと分かると隔離されるわね」
「おおきに良子さん。ウチら迷ってたんよ。でもその言葉で決意が固まったワ」
「どういう意味?」
「あのね、良子さん……」
麻由が代わって麻衣の言葉を継ぐ。
「この子は変異体遷移症患者と違うわ。あたしたちが咄嗟にカビ毒から遮断したから助かったの」
「でも15キロの深部に歩いて入ったとしたらカビ毒症状が出るわよ」
「ミューティノイドがどんな仕打ちを受けてきたか、ウチらようく勉強してきた。せやから、もしこの子がそんな特異性抗原体質者だとしても誰にも渡さへん。ウチらが保護する」
麻衣はピシャリと言い切って、コップに残っていたわずかな水をすすってコンと置いた。
俺は二人を羨望の眼差しで見つめた。変異体研究所の職員と対等に会話ができるなんて驚きだ。これも変異体の権威、川村教授夫妻の娘たちという環境がそうさせたのだろう。
口出しできる内容ではなく、俺も少女と同じようにキョトンとした眼差しで三人の会話に耳を傾けるしかない。
「それでね。町の病院では診てもらうことはできないし……」
「で、うちの病院でって、ワケね?」
天使の微笑みに切り替えた柏木さんは、テーブルの端を平手でパンっと打ち鳴らし、
「エライ! 賢い選択だわ。いいわ。私の遠い外国の親戚ということで診てもらおう。うふふ。お姉さんに任せておきなさい……ね?」
少女は銀髪の頭をゆっくりと持ち上げると、ようやく柔らかい笑みを浮かべた。
「じゃ。ほらみんな。方針が決まったんだから、パーッと行こうよ。お姉さんがおごるから、好きな物を頼みなさい。ここ何でも美味しいのよ。ジャンジャン注文していいわよ」
「じゃ。良子さん。ウチ、遠慮しぃへんで。覚悟しててよ」
「いいわよ。納品代金から引いておくからね」
「えーっ!」
「あははは。ウソに決まってるでしょ。研究所部長ってお給料けっこういいんだよ。安心して。ほら、修一くん。何がいい?」
透き通った清水のような爽やかな笑顔に照らされて、俺は眩しくて見ていられなかった。
「ん? どうしたの、修一くん? 遠慮は無用よ。私は大阪変異体生物研究所の部長、柏木良子。27歳。怖いものは」
自己紹介の続きみたいなことを言い、
「私に怖いモノは無しよ! 何でも注文しなさい」
ドンと胸を叩いて言い切った。
こんなに温かくて寛容な女性に出会ったのは生まれて初めてだ。俺は完璧に魅了させられたと言っても過言ではない。
「じゃあ。ここのお勧めってなんですか?」
という俺の質問に、柏木さんはすぐにウエイトレスを呼んでくれた。
マーくんだった。
にこりと笑みを落としてメニューを差し出し、そこへと目を落として一巡する。
「なんだ?」
ところどころに付箋が貼られていて、そこには手書きの文字が並んでいた。目にした途端、眉の上辺りがピクピクと痙攣する。
マシンガンカレー?
スラッグ弾サンドイッチ?
安易な名前が付けられた商品名はもちろんハンターたちが普段利用する語彙で、一般人は口に出すどころか見ることもない。
しかも……なんだこりゃ?
サーモンのムニエル、硝煙の香り添え、だと?
一点に集中して首を捻る俺に、マーくんは明るく説明。
「あ、はい。スモークドサーモンのムニエルになっています」
「硝煙の香りやて……美味しそうやな」
「硝煙って料理に香らせるもんじゃないだろ! 戦場じゃないんだからそれは無理さ。嘘っぱちに決まってるよ」
マーくんは目を丸めた俺の前で、指をチャッチャッと振った。
「厨房で撃ちますので、正真正銘の硝煙の香りです」
「う、撃つの? マジで?」
マーくんは得意げに言い足す。
「たぶんプロムナードでは当店だけでしょうね」
当たり前だ! そんな店あるかーい。
でも柏木さんはえらく気に入ったみたいで、それを注文してしまった。
「怖ぇよ。こんなレストランいやだよ」
とりあえず俺たちは、マシンガンカレーを三つ注文。食べられるものがやってくることを祈りつつ、氷入りの冷水を飲み干した。




