膨張する謎
「ランちゃん、いま何時?」
半分寝ぼけていた俺は、クセになった言葉で尋ねた。
「8時35分や! 早よ起きんかい!」
「げっ! 大阪弁!」
ガンッと頭を硬いものにぶつけて覚醒する。
「そうか、テーブルの下だったんだ」
目覚めと共に昨夜の記憶が蘇ってくる。
女ばかりの住居で俺の立場は弱い。寝る場所が無かったのだ。まさか双子の寝室で寝るわけも行かず、かと言ってこの部屋以外は地獄の蒸し風呂状態だ。それで仕方が無くダイニングのテーブルの下で、シュラフに包まって寝ていたのだ。
「どうせキャンプの予定だったし……あ、痛でででで……」
ついでに膝の下辺りが痛くて手のひらで摩る。見ると青アザができていた。
寝る前には無かったはずだけど……。
あれこれと記憶を探っていたら、憤然とした声が落ちてきた。
「なにをぶつくたゆうてんねん。それより大阪弁で悪かったな!」
声の主に向かって、いい訳めいた言葉を並べる。
「いや。麻衣の元気な声は俺の活性源さ」
テーブルの下からなので顔は見えないが、紺色のキュロットスカートからすらりと伸ばした綺麗な脚が見えた。
口調から察すると麻衣だと思っていたが、下から這いだしてすぐに麻由が俺を試したんだと感じ取れた。
「なんだ麻由じゃないか。俺を騙そうったってダメだぜ。俺はお前らを見分けられるんだ」
「もうー。普通の人なら絶対にわからないのに……どうして修一にはわかるの? 面白くないんだぁ」
可愛らしく麻由は口先を尖らせて、ぐいぐいと俺に迫ると、もう一度尋ねる。
「どうやってあたしと麻衣を見分けてるのさ?」
どうしてだろうね。それは俺が訊きたい。見ただけでは区別がつかない。それは認める。でも感じるんだ。麻由は死んでも守ってやりたいオンナだし、麻衣からはそれとは異なる別の感情が湧き上がるのさ。でもこれは教えてやらない。恥ずいからな。
そこへ「おかしいなぁ……」とつぶやいて麻衣がダイニングに入って来た。思案に暮れる雰囲気が満載で、組んでいた腕をほどくと椅子を引いて俺の前に座った。
「見つからないの?」とは麻由。
「何だよ、二人とも朝から浮かない顔してんな」
「あんた……」
麻衣から黒い瞳でじっと見つめられた。
「な、なんだ? どうしたの、こいつ?」
俺は麻由に首を捻るが、
「あなたには関係ないみたいね」
「はぁ?」
「関係ないな。コイツが犯人やったら銃殺にしたる」
「お。おい。何があったんだよ?」
「まあいい。たいしたことやないし……」
麻衣は気分を入れ替えるように明るい顔になると、俺に疑問を放つ。
「昨日寝る前にゆうてたあんたの言葉。ほんまかな?」
そう、俺の推測だが、あの銀髪の少女は未来が見えると思っている。
「確かに修一の言うとおりだったらすべてが当てはまるわね……でもねー」とは麻由で。
「トンボにアイスボンベも、サーモバリックの爆発だって、それから川に水が流れてたのも全部見えたって言ってたんだ。それから昨日だってお前らが地下から上がってくる前に見せたあの素振りは、数十秒後に上がってくるお前らを見て言ったんだよ」
「う~ん。後からこじつけた、とも言えるしなぁ……」
「よく思い出してくれよ。あの子は誰もいない空間へ何度も語りかけてただろ? でもその数秒後には必ずそこへランちゃんが現れてんだ。あの時に掛けていた言葉は数十秒後にそこへやって来るランちゃんに向かって喋ってたんだよ」
麻衣の言葉にはまだまだ疑心色が濃いが、俺は確信を得たと主張を繰り返した。
「よー覚えてないワ」
「んだよー。一晩寝たら全部忘れたのかよ。ミジンコなみの脳ミソだな」
「アホ……」
「あー。おはよう」
俺たちの会話が麻由の元気な挨拶でかき消された。
「おはようございます」
長い銀髪を首の後ろで無造作に引っ詰めて、その先を胸の前に垂らして噂の少女が部屋に入って来た。
発見時と同じ白のポロシャツと水色のミニスカート姿で立つその姿はひと晩休んで疲労が抜けたのだろう。表情は明るく、白磁にも似た滑々の顔にほんのりピンクに染めた頬をぷくりとさせて、目が覚めるような笑みを浮かべていた。
「ゆっくり寝て気分爽快みたいやね」
少女は赤と青水色の瞳を何度か瞬かせて、麻衣へうなずく。
「うん。もう心配ないです」
視点はいまだに定まらないようだが、ずいぶんと血色もよく元気そうだった。でも彼女の定まらない視線の動きを見ていたら、昨日ガーデンで漏らしていた言葉がリフレインする。
『見え過ぎて見えない』というセリフだ。
まさかと思うが、いろんな未来が網膜に映る。だからどれが現時の光景なのか解らなくなっている、と解釈するのは行き過ぎか?
黙考する俺の前で、またもや予期しないセリフを少女が吐いた。
「すごい。こんな大きな玉子料理!」
なにも並んでいないテーブルの上を指差してはっきりとそう言ったのだ。
「どうしてなの!」
目を見開いて凝然としたのは麻衣と麻由。互いに少女を見て凝固していたが、ゆるゆると溶解すると、二人そろって俺を見つめてこう言った。
「今朝はバードオブプレイの目玉焼きなのよ」
果たしてその二分後。
生まれて初めて大皿からはみ出る目玉焼きを目の当たりにして、俺は倍の驚愕を喰らうこととなった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
7月29日、午前10時35分、気温42℃。
午前中なので気温も低くヘッドクーラーは不要で、俺が持って来た安物の耐熱スーツだけでじゅうぶんだった。
GHの立派なスーツは都会には着て帰れない。そんなことをしたらGHのスタッフとして認知されていない俺は、麻衣たちのファンから袋叩きに合うかもしれない。
「やれやれ」
直射日光ってのを生まれてから一度も浴びたことの無い俺には、それがどれほどの熱量を誇るのか知らない。でも今の日本のほうが地獄だろうな。気温が42℃と低めだが、湿度90パーセントのねっとりした空気はひどく息苦しい。深呼吸を何度もしたら、それこそ肺が悲鳴を上げる。それほど重たく熱いのだ。
俺たちは屋敷を出て、川まで続く枯れ朽ちたアスファルトの下り坂を足音をあげて歩いていた。踏ん張って進まないと、そのまま坂の下まで転がって行きそうなほど険しく急峻で、上りよりも下りのほうが数倍疲れる。
「歩くの面倒くせぇ。このまんま転がって行ったほうが楽なんじゃないの?」
「アホッ! あんたランちゃんを運んでんのやで。ひっくり返らんといってや。その子のメモリにはマンドレイクの証拠データが詰まってるんやからね」
「わかってるよ。でもまだこれがマンドレイクかどうだか解ってないんだろ?」
「だから今日研究所の人と待ち合わせしてるんやんか」
「そうよ、あたしたちのお姉さんみたいな人なの」
「その人に頼んでこの子の診察もしてもらおうってんだろ? そんな都合よくいくの?」
麻由に手を引かれて目をつむって歩く銀髪の少女を見つめる。
「よく目をつむって歩けるよな。平気か?」
「心配ないわ……」
このほうが余計な物が見えなくていいと少女は言う。今朝のバードオブプレイの目玉焼きの件ではっきりとした。どうやらマジで時間を越えた視力の持ち主なのだ。しかも過去の光景も見えると言いだした時には、俺たちは息の根を止められた。それが真実なのか、もう判断がつかない。すべてが大阪変異体研究所の部長さん頼みなのさ。
河原の中央にはまだ昨夜のスコールで残った水が流れているが、その両脇はいい具合に乾いており、大きな石に足を取られないように気をつけて歩けば、ジャングルの中を歩くよりずいぶんと楽だ。
ここから駅まで約2キロ。残り20分ほどがもっとも危険地帯だで、ブッシュウルフや野犬の群れに遭遇する可能性が高い。まあ、こっちは重装備だし不安がる必要はない。
しばらくして遙か彼方に甲楼園駅の駅舎の屋根が見えてきた。リニアトラムは地下に埋められたチューブの中を大砲の弾より速い速度で移動するので、地上に突き出すのは、出入り口が設置された簡単な建物だけだ。
その上に広がる空は今日も晴れることなく曇天が広がっていた。晴天は死ぬまで見ることは無いだろうが、たまに雲が切れて青い空が覗く奇跡みたいな景色が生涯数度は目撃できるらしいが。
「星が綺麗い……」
真っ昼間なのに、銀髪の少女が空を見上げてワケの分からないことを言い出した。ここまでくるともう驚く気も起きない。
「お前、星空見たことあるの? 俺は映画か本でしか見たことがないんだ。お前らは?」
「ウチも本物は見たこと無いなぁ」
少女はびっくりした風に目を見開き、
「どうして?」
驚きと疑問の混じった顔をくれた。
「あんたどっから来たん?」と麻衣は首をかしげ、麻由は諭すように言う。
「もう地球では空が晴れることはないの。CO2をたくさん含んだ雲はぶ厚くて、どこまでも広がってるのよ」
「温暖化現象の末期的状況……」
少女は艶のある朱唇を開いて、そうつぶやいた。
「難しそうな言葉を知ってるし……マジでどこから来たんだろうな」
かしげた首を元に戻した麻衣は矢継ぎ早に質問する。
「あんたの目には星空が見えてるん?」
少女は、こくっ、とうなずき。
「今日は三日月……あ、半月……。満月も見える」
うーむ。こりゃぁ早く病院に連れて行ったほうがよさそうだ。
駅まであと数分のところで、忽然と麻由がライフルを胸元に持ち上げた。
釣られてショットガンのグリップを掴んで、ポケットの銃弾を握り締める。それは完全に条件反射だった。
ところがだ。
強張る俺の前に飛び出てきた人物に向かって、麻衣が迷惑げに眉根を寄せた。
「なんやの、おっちゃんら。まだウチらに用なん? ちょっと急いでるんねん。ジャマせんといてぇな」
ひとりは大男。もうひとりは眼帯をした痩男。昨日のおかしな二人だ。
「邪魔などとんでもない」
筋肉隆々でスキンヘッドの大男は膝を折って尻をかかとに載せ、背筋を伸ばしてから丁寧にひれ伏した。
「拙者。ガウロパと申すしがない武士でござる。昨日の一宿一飯の義理を果たすべく、ここでお待ち申しておりました」
男は摩訶不思議な言葉を地面に向かって語った。
「武士ぃぃ?」
麻衣でなくても変な声を上げたいね。だっていまは西暦2318年だ。この時代に武士などと口に出すヤツは、どこかおかしい奴に決まっている。第一おっさんはちょんまげでもないし。
「バカかオマエ。みんなを見ろ。笑うに笑えなねえ顔してんだろ」
と言ったのは眼帯男で。
「あ、いや。すまぬ。これには色々と事情があり。ほらお前も頭を下げぬか」
「痛てててて。痛いだろ、ガウロパ。何しやがる! 無理やり押さえつけるな。腰の骨がどうにかなる!」
「何を言っとる。武士たるもの、決して主君に対する恩義を忘れてはいかんのだ」
「何が主君だ、おめぇ武士でも何でもねえだろ、ただの……」
眼帯の男は言葉の途中で自分の口を手で押さえて、あらぬ方向へ視線を飛ばした。
麻衣はショットガンを背中に回し、
「なーんや。あんたら漫才師かいな」
と言ってから人差し指を突きつけた。
「なんでもええけど。その趣味の悪い耐熱スーツ、昨日のチンピラが着てたヤツやんか」
「おぉ。耐熱スーツと申すのかこの着物。これを着ておるとこの暑さに耐えられるとは驚きでござるな……」
「それ、いったいどうしたのよ?」
訝る麻由の問いに、大男はぽんと膝を打って、
「そう……。実はあの後、駅に行けと申されておったので行ってみたのじゃ。したらあやつらが別のグループに絡んでおったんでな。救助のついでに、つい……」
「襲って奪ったのか?」
と言った俺の質問に、小さく、でかい頭を振った。
「頼んで脱いで頂いたのでござる」
「頼んで……って。そんな良心的なヤツらじゃないだろ? けっこうややこしい連中なんだぞ」
我慢し切れずに喚いた俺の疑問に答えたのは眼帯男だ。
「そりゃぁ、アレだけノビてりゃ。黙ってくれるさ」
そいつは俺と同じ口調で、かつ正常な片目が水色だという部分を外せば、あきらかに日本人だ。もう一人のデカいほうは時代劇めいた言葉遣いだし。何度見ても怪しい。
「あー。ちょっとお待ちくだされ、お嬢さん」
無視して行こうとする麻衣の前へ駆け出して行き先を遮った。体の割に動きは機敏で格闘技でもやらせたらそこそこの成績を出せそうだ。
不思議な動きをするのはひょろ長の眼帯男のほうで。大男が離れると慌てて走り出してぴったり体を寄せあうのだ。見ていてちょっと引く。
「おっちゃんら、ホモなん?」
「ち……違うでござる」
「ば、バカ言うな。なんてこと言うんだ」
どちらも強く否定するが。なぜかいつも二人はぴっちりくっ付いていた。
「お急ぎのところ、まことにすまぬが、拙者の話を聞いてくれぬか?」
「なんだよ?」
「じつは……えっと」
「何だよ? 俺たち急いでんだよ」
「そ……それは承知しておるんだが……えっと……」
「どけ、ガウロパ。オレがナシをつけてやるよ」
「だ、ダメじゃ。オマエまた時間規則を破る気でいるだろ」
「バカヤロ。そうやって堅苦しいことを言ってるから進展しねえんだ」
と言ってから眼帯男はワケの解からない話を始めた。
「あのな。オレたちはその子の身内だ」
「うそっ? マジ?」
「ああ。昨日から行方不明でさ。ずっと探してたんだ。それで家に連れて帰りたいので、その前に礼をしたいと。とまあこういうことだ」
「行き倒れのクセして、何でこの子の身内や言えんねん」
いつもの調子で息巻く麻衣に俺も加勢する。
「そうだ、そうだ。じゃあ聞くけどな。この子はどこの誰なんだ? 身内なら答えられるだろ」
「えっ!? えーっと。その子は遠くの国のお姫様で……時の流れを……」
「アホらし。行くで、修一」
「あ? ああぁ」
無視して駅へと進む俺たちを二人は追いかけて来て、互いに意味不明の言葉を口早に主張した。
「マズイんだって、このままだとえらいことになるんだ」
「そうでござる。このままでは地球が、いや未来が大変なことになるのでござる」
引き下がらない眼帯男と大男に、麻衣は振り返るとえらい剣幕で怒鳴った。
「もう地球は壊れてるんや! あんたらがそこで喚いてももう遅い。宗教の勧誘やったら海中都市とか人の多いとこへ行きぃな。ここらはハンターしかおらへん町や。誰も見向きもせェへんデ」
「勧誘とかではないでござる。その少女は我々の仲間であって……」
「ねぇ? この人たち知ってるの?」と麻由が尋ねるが。
「知らない」
「ほらみてみぃ。知らんって言っとるやろ」
「そ……それはでござるな……」
「ござるもおサルもない! 今すぐこの場から消えるんや。でないとドタマぶっとばすデ」
と言ってショットガンを構えるや否や。
ドゴーンッ!
足下に向かって撃ちやがった。
腹に響く轟音と飛び散る粉塵。丸く膨らんだ噴煙が風に流されると、地面に大きな穴が開いていた。
麻衣は連中を無視して麻由と歩みだし、俺もその後を追う。
「なんちゅう時代だよ。平気で銃をぶっ放すなんて西部劇以来だぜ」
「仕方が無い……イウ、出直すでござる」
と言う二人の会話が聞こえてきたので振り返ったが、そこはもぬけの殻だった。
俺は自分の目を疑った。
麻衣が銃を撃った直後、眼帯男はスキンヘッドを盾にして後ろに逃げ込み、大男は地面に空けられた穴を見て泡を食っていた。それが証拠にまだ煙がのこる着弾跡がくっきりとそこにある。なのに誰もいない。
「お、おい。麻衣。あいつら消えたぞ」
「そりゃあよかったやん。消えて欲しかったんや」
「そうよ。柏木さん待たせたら怒られるんだからね」
麻衣と麻由は後ろも振り返らず、俺の言葉には取り合う気もないようだ。銀髪の少女の手を引いてさっさと駅舎へと消えた。
「あ。あのさ。そういう消えた、じゃ……ない気がするんだけど」
昨日から謎ばかりが膨れ上がる一方で、人が消えても不思議でもなんともないと感じるなんて、どうも俺の思考力が麻痺したとした思えなかった。




