時を視る少女
謎の二人連れに飲料水と冷却空気を進呈してから、半時もしないうちに俺たちはスコールに襲われた。あの川を濁流でいっぱいにするだけの量が一度に降るのだから地球の気象は完全に狂っている。山道はあっという間に激流となって幾度も足をすくわれそうになったが、そのたびにランちゃんに助けられて、何とかガーデンハンターズの事務所兼住居の玄関にたどり着いた。
「何回来ても、この家のすごさには慣れないな」
屋根付きの門扉の外側では全開にした蛇口の真下に立つような光景が続いていた。
「しかしよー。何だこの雨。マジで溺れるんじゃないか?」
「ここらのスコールは殺人級やからね」
「海中都市ではありえないでしょ?」麻衣も麻由も平気の平左だが、
「怖ぇよ。こんなの信じられない」
とても落ち着てなんぞいられない。雨ごときなのだが、笑うに笑えないマジ話だから怖いのだ。
「じゃあさ、バギーを車庫に止めて採取物を保管庫に入れてくるから、そこでちょっと待ってて」
と麻由が言うので、
「俺も手伝うよ」
「かまへん。保管庫と車庫は隣通しや。それよりあんたも疲れたやろ。その子とそのへんで休んどいて」
元は川村教授の研究所だっただけあって、住居とは言えども造りは頑強で、鉄筋コンクリートで固められた4階建てのビルなのだ。地上からスロープで地下に通ずる車庫はモーターカーが5台は停められるスペースがあるが、今は空っぽ。その階上、一階がガーデンハンターズの事務所で、二階が麻衣と麻由の住まいとなっており、三階と四階が両親の研究室で、あの二人にとっては宝の部屋なので誰も入室はできない。もちろん俺も入ったことは無いし、そんな大切なフロアに無断侵入でもしてみろ、ショットガンで撃たれるに決まっている。
そんなわけで――。
二人が上がって来るまで、エントランスに設置された長椅子に少女と並んで座って待っつことにした。
「お疲れさま」
「ええっ?」
またもや困惑の渦が発生する。
銀髪の少女がこぼした言葉は俺に向けられたものでは無い。今度ははっきりと見た。誰もいない空間に向かってそう言い放ったのだ。
色の異なる双眸が見つめる先へと朗らかに笑みをそそぐ。掛ける言葉から察するとその子の視界には誰かが存在する。しかもその視線はその人物の動きを追っていた。ほんのわずかな角度だが上下に、あるいは左右に振られるのだ。ちょうど会話をする人物を正面から見る仕草だと思えばしっくりくる。でもそこは地下と車庫をと繋いだ階段の入り口で、階下から麻衣と麻由の話し声が渡って来るが無色透明の何も無い空間があるだけ。
俺は必死になって見えない何かを探して目を皿のようにした。そこへ麻衣と麻由が横に並んで階段を上がって来た。
「せやけど……今回の遠征は大成功やったね」
「ほんと。キイワラビは大量だし……ウンコオトコも誕生したじゃん」
「あははは。あの時の間抜け面は写真に撮っとけばよかったね」
デジャブだ。
あ、正確にはデジャブとは違う。でもほんの数分前に見せたこの子の挙動を照らし合わせると、今上がって来た麻衣と麻由の行動がピタリと一致するのだ。
そう、階段を上がってくる双子の位置が少女の位置から見ると、真正面から近づいてくることになる。すると自然と会話をする二人を交互に見つめながら、階段を上がり切った辺りで『お疲れさま』と声を掛けるのがごく自然なのだ。その後も二人は笑い合って会話を続ける。それを交互に見つめる少女。
俺の想像と三人の動きがみごとに一致して、うすら寒い物を感じた。
「どないしたん?」
背筋を凍らせつつ、俺は銀髪の少女を横目で示す。二人は小さく首を傾けて俺の顔を正面から見た。
「またなの?」
困惑した麻由の顔に静かにうなずく。だが俺の推測が正しいか根拠がない。少女の横で説明するほど俺は無粋ではない。ひとまず話を逸らすことにした。
「その箱なに?」
麻由の手にはバースデイケーキを入れたのと同じ正方形の箱が持たれていた。
「ランちゃん」
とつぶやいたのは銀髪の少女で、俺は箱を指差して叫ぶ。
「え――。それがランちゃん?」
麻由は困ったみたいにうなずき、
「そ……そうよ。でも……どうしてあなた知ってるの?」
少女はこともなげに「麻衣さんが言っていた」と答えて、差し込まれた麻由の視線に麻衣は急いでかぶりを振る。
「これがランちゃんやデ……なんてウチはゆうてないデ」
「いま言ったろ……」と答えて、俺は声のトーンを落とす。
「やはりな」
それは確信を述べるものだった。
そう。麻衣は確かにたった今、その白い箱がランちゃんだと言った。俺も驚いている。
「え? いや。今ゆうたよ。でもその子が言いだす以前にはゆうてない。せやから修一も驚いたんや」
俺の推論では、この子はそれを数秒前に聞いていたのだ。
興奮する麻衣を俺は黙って視線だけで鎮め、その様子を察したヤツはすぐに首肯して口を閉ざた。代わって麻由が妙な空気を取り繕う。
「さ……さあ。上へあがって晩御飯にしよう。お腹すいたね。あそーだ。シャワー浴びたらいいわ。疲れたでしょ?」
「この家って風呂無いのかよ?」
冗談めかして言ってやったのに、麻衣のヤツはムキになった。
「あるわけないやろ! ここは準禁止区域内や。水道なんかあるかい! 発電機があるだけごっついワ」
何でそう噛みついてくるかなぁ……あんた。
少女はよほど疲れていたらしく、ほんの少しの栄養補助食と水分を補給するだけで、すぐに麻由と一緒に奥の寝室へ引っ込んだ。
数分して麻由だけがダイニングへ戻って来た。明るい照明の下、シャワーを済ませた麻由はほんのり桜色。麻衣とお揃いのナイトガウン姿で俺の前に座った。
目の前に全く同じ少女が並んで座っており、どちらも猛烈に色っぽくていつまでも鑑賞していたいが、押し寄せる睡魔に打ち勝ちつつ、解決しなければならない懸案事項がいくつかある。先を急ごう。まずはその一つ。
「しかしこの箱がランちゃんだとはな……」
今から思えば、麻由は階下のガレージにバギーを停めて来ると言っていた。これまでランちゃんを機械扱いしなかった麻由がおかしな言い回しをしたので不思議に思っていたのだ。
テーブルの上に置かれた薄いディスプレイと接続された白い箱。これがあの三輪バギーを制御していた本体らしい。見たこともない機械だがこいつらに説明ができるのか?
だが麻衣はいとも簡単にこう答えた。
「そういう難しい話はランちゃんに訊きぃな。ウチらにゆうたかて知らん」
まあ、変異体バカのお前らにコンピューターの話を聞けるとは思ってはいないが。
特に起動する様子もないが。電源ボタンはいずこに?
俺の疑問はすぐに消え、驚愕へと変化していく。
「ランちゃん。今日はお疲れさま」
と麻由が言うと、ディスプレイの内を文字が並んでいく。
Laon> ご苦労様でした。麻衣、麻由……そして修一_
「へぇー。ランちゃんって『RUN(走る)』じゃないんだな」
Laon> 大昔のフランスにあった都市名から付けられました。綴りはLAON。読みはランです_
「そっか。意外とシャレてるじゃないか」
とランちゃんにはそう応えて、麻衣たちには「なかなかたいした認識率じゃないか」と伝え、
「でも俺がここにいるってわかってるの? これって適当な返答をしてんだろ?」
麻衣たちに宛てた質問なのに、回答を出したのはランちゃんで。
Laon> ちゃんと理解していますよ、修一。ワタシには未発表のエモーショナルインターフェースが搭載されていますから_
「へぇー」
って、なんのことだろ。初めて聞くインターフェースだ。
だけどそれがどうやって俺と麻衣たちを識別するのだろう。どこかで誰かが操縦してんのさ。
俺の思考を実証すべく辺りを窺う。隣の部屋から遠隔操作とか。やり方はいろいろある。
Laon> この家には誰もいません。これはスタンドアロンモードです。ただ現時点ではイメージデバイスが外されていますので、声紋識別と抑揚などから感情を識別しています_
「うっそー!」
あり得ないことを言われて、でかい口をあんぐりさ。俺は自分の意見を一言も声に出していない。なのに応えてくる。
なんだぁこれ?
Laon> 推論エンジンも最新式です_
「推論エンジンだって……」
もうぐうの音も出ない。
目の前でニタニタする双子に顔を上げる。
「地球が潰れてからここ数百年、人工知能に関する技術の進歩は止まってしまったんだろ? なんで? ランちゃんってどこで作られたんだよ?」
Laon> それに関しては最重要機密情報です。お答えできません_
腕を組んで麻衣がうなずく。
「そっ。ウチらも知らん。知ってるのはお父さんとお母さんだけや」
「ということは。研究所が開発してんだ。すげえな。お前のお父さん」
双子は自慢げにうなずくと互いに見つめ合い、俺はさらにランちゃんにのめり込んでいった。
「ところで今日はご苦労だったな。女の子まで運んでくれて」
Laon> あの場合、余計な荷物と少女とを積み換えたのは適切な判断でした。あと5分遅れると、少女の脳細胞は高温障害を起し95パーセントの確率で死にいたるところでした_
「そうか。でもよかったよ……。それより今日は俺にまで『キイロ』の草を分けてくれて、ありがとうな」
Laon> どういたしまして_
と文字が流れてカーソルがしばらく点滅。
Laon> 初めて参加した修一が、キイワラビを採取する確率は5パーセントしかありませんでした。あのままでは補助従業員の賃金支払いと、全収益との比率に問題が生じるために行った救済的処置に過ぎませんので礼には及びません_
「うーん。なんとも複雑な気分だな」
「さ。もうええやろ?」と麻衣が口火を切り、
Laon> そうね。修一はもう寝なさい_
とメッセージが流れて、ランちゃんが停止した。
「なっ。何だよ最後のメッセージは?」
「どう? 今でもランちゃんが機械だと言える?」
麻由の言葉に何の反論もできなかった。言えるとしたら。
「夢を見てるみたいだ……」




