迷路は戦場と化する
三輪バギーの荷台に銀髪の少女を乗せて、俺たち三人は廃墟が作る迷路の入り口へようやくたどり着いた。
「町まであと少しだ……」
初めてここを通った時、この遠征の決意を大きく揺らがされた瓦礫の山なのに、今となってはまるで我が家にたどり着いたような気分だった。
先陣を切って進んでいた麻衣が立ち止まって振り返る。
「よっしゃ。迷路に入る前に装備の点検するで」
「何でこのタイミングだよ?」
「銃弾をストックしてある浜跡まで走ればすぐやろ」
「なるほど……」
やっぱこいつはリーダーの素質がある。細かい気配りに心底感心した。
「まず修一。外人さんの様子や。ほんで、麻由。残りの弾数えて。どう? 足りる?」
「今回は十分あるわ。堤防へ寄る必要ないと思う」
「修一がおった分、多めに持って来れたからな」
残弾の確認をする会話を背に受けつつ、水音もパワフルに濁流を突き進むランちゃんの荷台に駆け寄った。
「どうだ。まだアイスエアーの残りはあるか?」
(まだ少し)
ファスナーを中から開けようとする彼女の肩を外から軽く押して、
「開けなくていい。開けると熱風が入るから。アイスエアーはあと1本しかないんだ。安全な場所までそれで何とかしなければならない。だから冷気は大切に使ってくれ」
(うん……)
小さな声だったが、しっかりとした返事が返ってきた。
「この川に水が流れていたのを見たって言うけど、どういう意味かな? ここを歩いて来たのかい?」
「……見えたの」
「見えたって……。この時間帯なら普通は流れてないんだぜ」
「あたしには見えるの」
そして躊躇うように告げ足した。
「ヤケドに気をつけて」
「なっ? あんた薬局の人かよ?」
この子はとても不思議な雰囲気を持っている。外国の人にも見えるが、面立ちは日本人の流れを払しょくできない。なのに赤と青の瞳と銀髪は異様にも思えるほどに美しい。何度見てもカラーコンタクトでもないし染色した髪でもない。艶々と光輝く銀色の絹糸、とでも言うしかないものだった。
迷路に突入してものの五分。忽然と進行が阻まれた。
「先回りしてやがる」
瓦礫の山をシルエットにして、ブラックビーストの黒いボディがずらりと並んでいた。
「なんで俺たちの行き先がわかるんだ?」
「人は人の群がる場所へ戻るっていうことを知ってんねん。必ずここを通って駅へ向かうからね」
ヤツらの行動は常に俺たちの一歩先を行く。認めたくないが真実だ。
「ここらで帰れんようになった人のほとんどが、あの連中にやられたんやろな」
執念深さと賢しさを兼ね備えた連中だ。麻衣が言うことは正しい。
数こそ減ったが、がっしりとした体格と不気味な威圧が物凄まじい。むやみに吠えて威嚇してこないが、鋭く睨む眼球の光と奮い立った隆々たる筋骨が余計に恐怖をあおってくる。
いきなり最も巨躯の猛獣が空に向かって重々しい咆哮を放った。
「威嚇だ……」
その仕草は誰が見てもはっきりと分かる、猛獣の恫喝行為だった。
「やっぱりこの子たちすごく賢い。ライフルの射程距離の外から離れないわ」
「なら、いいじゃないか。こっちの攻撃が届かない代わりに向こうも手出しが出せない」
そうでもないと麻衣は言う。
「ようく見てよ。平らで広いとこならそれでええよ。でもこんな迷路みたいなとこ。考えてみ。ウチらが平坦なとこしか移動でけへんの、あいつら知ってるんよ。代わりに連中はこの瓦礫のどこからでも顔を出せるで」
「そうよ。あたしたちはこれから迷路の中に入るのに、あの子たちには障害物が無いの。壁を乗り越えてくるわ」
そう説明されると、こちらの不利がじゅうぶんに伝わってくる。
「まだ400メートルは離れてるから一気に走り抜けるよ」
こいつの行動力は人の三倍はある。逡巡することもなく麻衣は走り出した。
「ランちゃん、遅れんようについて来てや!」
三輪バギーは従順に「ぴゅっ」とひと鳴きすると、麻衣の後ろにさっと付いた。
麻衣と麻由が同時に廃墟の奥へ飛び込み、俺も急いで追う。
「これどっちだ?」
踏み入れて5秒で行き止まりだ。
「ここを右よ!」
麻由の誘導で先が見えた。記憶にある建物だ。
「そうだ、この先を右へ行って左だ!」
しかし二つほど角を曲がった先で瓦礫の山が道を塞いでいた。
「だぁぁぁ。こんな場所知らないぞ!」
「ちゃう。いっこ行き過ぎや。修一の脳ミソは当てにならん!」
「うるさい。お前だって似たようなもんだ」
「なっ!」
全員が足を滑らせて急制動する。前を遮る瓦礫の山の頂上に、四つ足の黒い影がそびえ立った。どんより曇った空をバックに、そいつは悠然と太い前肢で瓦礫の一部を掻いて小石を崩してきた。あきらかにそれは宣戦布告だ。
麻由がライフルをかまえる間もなく、そいつは姿を消していた。
「怖ぇぇぇぇぇ」
またもや精神的に追い詰めて来るつもりだ。こんなの獣が取る行動ではない。
「どうや修一。ブラックビーストの怖さ、思い知ったやろ?」
俺は言葉も無い。声を殺してただ首を前後に振るだけ。
「右か? 左か? どっちやった?」
再び立ち止まる。綺麗に左右に分かれたT字路が前を遮った。
「それによって大きく運命が変わる」
完全に麻衣も迷っていたし、それに対して誰も答えが出せない。
『ぽーぴゅりゅ?』
何かの意思表示をすると、突然ランちゃんが俺たちの前に出た。
「なに? ランちゃん何が言いたいの?」
双子が揃って首をかしげ、半拍の間を空けて麻由が目を見開いた。
「そっか。あれを使うのよ、麻衣」
「ほんまや。すっかり忘れてたワ」
何をこいつらは納得し合ったんだろ。三輪バギーが発した声のような音みたいなモノには何の情報も無いはずだが、二人は勇み立った。
「よっしゃ! ケダモノより人間様のほうがスゴイって言うのを見せたる」
と言うと麻衣はリュックのサイドポケットから小さな物を取り出して空へ放った。そいつはすぐに小さな羽音を上げてみるみる高度を上げていく。
「あれ、なに?」
速度に合わせて首の角度を合わせる俺の問いに、
「スニッチカメラよ」と麻由が答え。麻衣がリュックからタブレットを取り出して電源を入れた。
「なるほど。空から見れば一目瞭然だよな。へえ。便利なものがあるんだ」
「右行ったら、連中の思うつぼや。ほら、ここで群れとるワ」
「こりゃあいいや」
麻衣が指差す映像はここから距離にして数十メートル右方向の屋根の抜け落ちた家屋の裏だった。
「また例のサーモバリックで一網打尽にしたらいい」
俺の意見に賛成した麻衣は降りてきたスニッチカメラを鷲掴みにしてまたリュックへしまうと。代わりにサーモバリックを取り出し、
「頼むで。あんた意外とコントロールがエエから頼もしいねん」
球体の雷管をそれへと差し込むと、俺の手に渡した。
「へへっ。まかせとけよ」
褒められると張り切るというもので、助走をつけて思いいきり投げようとした、その横っ面から黒い影が飛び出した。
「ビーストっ!」
黒光りのするボディが体当たりしてきた。反動で吹っ飛ばされた俺の手からサーモバリックが離れて地面を転がって行く。
「くっそ!」
横っ飛びして拾い上げた時にはすでにビーストに圧し掛かれて赤く裂けた口から牙が突き出た光景が迫っていた。
「シューイチぃーっ!」
双子の誰かが叫んだのか見る暇は無い。咄嗟に持っていたサーモバリックを閉じようとした奴の顎の奥に突っ込んだ。
上手い具合に奥歯に挟まったらしく、長い鼻面を持ち上げた隙に下敷きになった胴から転がり出ると、数メートル先で左右に伸びていた溝へ飛び込んで叫ぶ。
「口に挟まったサーモバリックを撃ち抜けー!!」
「で、でも……」
ビーストは苦しげに頭を振って挟まった異物を取り除こうともがいていた。
「躊躇うな。俺は溝の中で安全だ! 塹壕だと思え!」
返事はなかった。だが一拍おいて、猛烈な波動をともなった爆炎が溝から見上げた空を突き抜けて行った。
「あちちち……」
炎は渦を巻いて溝の中にまで流れ込んできたが、耐熱スーツが爆炎までも防いでくれた。熱風が押し寄せて顔が焼けそうに痛かったので頭を抱えて耐え忍んだ。髪の毛の焼ける匂いが漂ったが被害は極小、俺は無傷だった。
爆炎が通った後に砂利が音を上げて降る中、立ち上がろうとした俺に聞こえてきたのは、
「ヘタレ! もぅ一発いくでぇ! 頭引っ込めときやー!」
麻衣の声と一緒に空高くを飛んで行くサーモバリックの黒い影を見た。それはビーストの群れがいたビルの上を円弧を描いて超えて行った。
続いてライフルの発射音。ほんの少しの間が空いて、球状になった爆炎が膨れ上がると、再び熱風をともなった圧力が俺を襲った。
頭を抱えて再び溝に飛び込む俺の背中に、粉砕されたセメントの破片がバラバラと降ってきた。
「まだよー!」
麻由の叫び声と、一拍の間合いを待ってまた遠くで爆発音がして、爆風が頭上を突っ切って通った。
連発する爆発音。振動が地面を伝わって溝の壁をビリビリと震わせた。
「おーい。戦争でも始めたのかよー!」
叫ばずにはいられなかった。
しんと静まりかえった廃墟の迷路はもはや迷路のカタチをしていなかった。
「じゃじゃ馬め……」
これが溝から這い出てきて最初に吐いた感想だ。
「修一、だいじょうぶ?」
ライフルを肩に回して駆け込んできた射撃の女神さまが眩しかった。
「ええトコにドブがあってよかったな」
「ドブじゃねえよ」
覗き込んでニタニタ笑いをする悪運の強さは天下一品の女神、麻衣さまだ。
そして……。
『ぴゅりゅぅー?』
ツインレンズが光る金属製のラグビボールみたいなランちゃんの頭。
俺は笑いを堪えることができないほどに爽快な気分になって立ち上がる。
「うははは。どーすんだ、こんなに風通しよくしちゃって、明日から迷路と呼べなくなっちまったぞ」
「ええやん。バイパス道路の完成や。これからジャングル入るんが楽になるデ」
もちろんブラックビーストの影はそこには無かった。