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ゼロの支配者  作者: 雲黒斎草菜
時の番人
18/109

 ブラックビースト

  

  

「なぁ? もう一回思い出してくれへん」

「あたしも聞きたい」

 トンボの危機が去っても俺たちには消えない案件がある。

「あの子のことだろ?」

「そうよ……」麻由も異論はない。率先して口を挟む。

「ここはケミカルガーデンの深部なのよ。どうして耐熱装備無しでこんなとこを歩いてたのかしら?」

「ここから最も近いのは『芦谷浜イントゥ』やし……。徒歩でも3時間はかかるのに、この子……軽装や……」

 後ろからついてくる三輪バギーへ振り返りつつ麻衣が心の内をぶちまけた。


「それがさ……」とは俺。

 言い出しにくいことなのだが。


「足音も無く俺の後ろに現れたとしか考えられないんだ」

「「ええっ!」」

 二人は連携した動きでもう一度振り返った。


「幽霊かな?」

「んなばかな。ミニスカートから伸びる綺麗な脚を俺は見たぞ」

「やっぱり見とったんや……このスケベ」

「ばっ……バカヤロ」

 やっとれんなー。力が抜けるよ、麻衣くん。


「あ。そうだ!」

 突然重要なことを思い出した。


「なんやの?」

「これは……寝不足だったからと思ってたんだけどな……」

「もったいぶるな、ヘタレ」

「もったいぶってないって。たださ、あんまりにも突拍子もないことなんでな……」

「突拍子もない?」

 キラキラした麻由の黒い瞳へと答える。


「光ったような気がする」


「光ったぁー?」

 麻衣が頓狂な声を上げ、麻由はじっとランちゃんの荷台の上を見据えた。


 それ以外のことを思い出そうとしても何も思い当たることは無い。

 俺の記憶をいくら丁寧に反芻してみても、何も無い空間から忽然と現れて、高い大気温にやられて倒れた、と考えるのが最も自然だった。



 結局のところ答えは出せず。思考に落ちた三人はひたすら口を閉ざして歩いていた、そのうち悪臭を放つレッドカーペットふうの花の横を通った時、二人は思い出したかのようにマスクの上から鼻を摘まんで、同時に俺を見た。


 何が言いたいか、その笑みに浮かべている麻衣へ言う。

「お前だって落ちたクセに」

「あれは子供の頃の話やんか。あんたはさっきのことやろ。あははは。ウンコオトコー」

 くそっ、腹立つ野郎だ。


 返す言葉を探して口ごもる俺に、麻衣は声を出して笑ってから、

「ま、えぇやんか。ここであんたには『ウン』が付いたんよ。せやから『マンドレイク』と遭遇したんやって」

「褒めてんだか、けなしてんだか……でもそうだよな」


 さっきのトンボ騒ぎですっかり忘れていた。

「研究所の判断次第やけど……手ごたえありやな」と麻衣が言い。

「あたし的には百パーセントマンドレイクだと思うけどな」

 なるほどね。同じ双子にしても麻衣は現実主義で麻由は楽天的なのか。似ているのは姿形だけなのかもしれない。



 俺たちの前へ出てきたランちゃんの荷台へ目をやる。

 それほど広くはないスペースには保護した少女を包み込んだ耐熱シュラフと、大きめのクーラーボックスが積まれており、その中にはクライアントから発注のあった変異植物や世紀の大発見となるかもしれない物体の一部が保管されている。

 俺にとっては初体験のことばかりだったが、この双子にとってはこれが日常茶飯事なのだ。いつもこんな感じで帰り道を歩るいていたはずだ。それも女子二人きりでこんな狂った世界を行き来するとは……。


 感心と驚きにまみれて二人の横顔を眺めていたら、

「どないしたん? 記者会見の挨拶でも考えたんやったら聞いたるで。()うてみ」

「バーカ。考えてないよ。ただ、お前らすげぇなって、思ってたんだよ」

「何をこっぱずかしいことゆうてんねん。ウチらこういう世界が(しょう)にあうねん」

 と言って麻由と見つめ合った。

「それだけや……」

 ふたりして同時にうなずいた。

「さすが双子だな。完全同期してんぜ」


 その時。

 突然。三輪バギーの頭の上で赤色灯が点灯して、再び、けたたましい警告音が鳴った。

「ど……どうしたんだよ!?」

 流れだした安穏とした空気が一瞬で蹴散らされた。


 ランちゃんの走行速度が異様に速くなり、俺の鼓動も高鳴る。

 三輪バギーは頭をぎゅーんと伸ばすと、あらゆる角度へ旋回させて、首をかしげたりレーザーポインターを大きく振り回したり、落ち着きを失くしていた。


「たぶん。お客さんや」

 麻衣が苦い物でもかじったような顔をした。


「客?」

「ブラックビーストや……」

「ぐっ!」

 ついに来たか。

 背筋を冷たいものが走った。大昔生存していた百獣の王と言われたライオンが優しげに見えるほど獰猛な連中なのだ。人々は黒い悪魔と呼ぶ。ケミカルガーデンから密林のジャングルまで、どのような環境にも順応した大型の猛獣。相手を恐怖に陥れる精神攻撃を得意とするおおよそ獣と思えない知能の高さを誇る連中だ。


「ランちゃん、駅まであとどれぐらい?」

『3時間25分です』

 耐熱スーツが答え、

「まだ3時間半もあるわね」

 麻衣がぽつりと言う。


「ビーストから簡単には逃げきれるもんやない」

 俺の喉がゴクリと鳴った。麻衣の言葉はあまりにも怖い。

「ど、ど、ど、ど、ど、ど」

 言葉がなにも出てこない。

「うっさいなぁ。何を『どど、どど』ゆうてんねん! 『ド』の次は『レ』や!」

 俺は一旦深呼吸をして言い返す。

「どーすんだよ、のド、だ!」

「ヘタレのあんたは恐怖に勝つ訓練をしなあかんな。こんなん、場数を踏んだらドーってことなくなるねんよ」

 俺よりも年下、しかも女子から告げられたセリフだとは思えなかった。


 麻由も平然と応える。

「迎い撃つしかないの」

「さっきの要領であんたは弾込め部隊の部隊長を任命するから、がんばりや。生きて帰れたら晩御飯おごったるからね」

「あたしたちの手料理なのよ」

 二人の堂々たる態度に固唾を飲んだ。根拠のない安心感がじゅわっと滲み出る。初めて出会ったあの冬休みのワンシーンが目の前に浮かんだ。三人のチンピラに脅されて縮み上がった俺を唖然とさせたあの時の爽快感さ。


 だから決意する。ここでビビっていたら俺は何のためにこの二人を追いかけてここまでたどり着いたんだと。ここで踏ん張らなくてはこいつらに笑われる。


「よし、麻由も麻衣もじゃんじゃん撃ちまくれ、弾の補給は俺にまかせておけばいい」

「ふふっ。頑張ってね」

 麻由が楽しげな微笑みを浮かべ、俺はさっそくショットガンの銃弾の箱を荷台の上に並べた。


 すべての梱包を破り、少しでも無駄のないようにバラバラにして充填の準備をする姿を麻衣が温かい眼差しで見つめるのを背中で感じつつ、麻由が使うカートリッジの予備にぎっしりと弾を詰め込んで、脇に重ねて置いた。


「よし、これで準備万端だろ?」


 ウサギのキーホルダーがついたショットガンにも弾を込めて荷台へ立て掛けた時だった。

(お兄ちゃん……)

 シュラフの中から少女の声がした。


 なぜに俺を兄と呼ぶ?


「アホか。ここではあんたはお兄ちゃんやろ。それとも明日からお姉ちゃんって呼んでほしいんか?」

「ぬははは。だよなー」

 苦虫をつぶしたような顔を麻衣に晒してから、俺は荷台の上のシュラフの口をそっと開けた。


「どうした? アイスクーラーの冷気が切れたのか?」

 乱れた銀髪に覆われながらも、その奥には優しそうな微笑を浮かべて、淡い赤紫色の瞳を俺に向けていた。


 両目の色が異なる少女――。

 あまり知らないが外国ではよくあるのだろうか。でもまるで透き通った宝石みたいな瞳に見惚(みと)れていたら、

「川に水が流れているから、そこを通ったの」

 そう言うと少女は目をつむった。

「うーむ。日本語がちょっちおかしいな」

 意味不明の言葉の解釈を何度も試みるものの、外人さんの言葉はなんだかよく解らない。とりあえず俺は冷気を継ぎ足してファスナーを閉めると麻衣たちの後を追った。


 完全に夜が明けた。ジャングルの中が薄明るくなってきた時だった。

「そろそろや……」

「なにが?」

「夜明け直前のジャングルが一番見えにくいねん」

「ほら。(もや)がひろがって薄ぼんやりとしか見えないでしょ。ビーストはそれを待ってるのよ」


「結構な日和でってわけか……」


 そしてその時はすぐにやって来た。



 ダァ――ン!

 いきなり背後で銃声が響き、俺は反射的に肩をすくめた。

 麻由が発射したライフルの弾丸が遠く離れた場所で噴煙を上げた。間髪入れず、黒っぽい動物が糸状菌の絡まる林へ逃げ込む姿が見えた。


「茂みを通って前に出る気や! ランちゃん全速力でこの林を抜けるで!」

 麻衣の声と同時にダッシュが始まった。ぎゅーんと速度を上げたランちゃんの速いこと。一気に俺が引き離された。


「ほら。修一! 急いで。あたしたちの手料理食べたいでしょ?」

(料理より生きて帰りたいです)

 口には出せなかったが、これが本音だった。


 二人の言うとおり、左右の茂みの奥が激しく揺れ動き、大きな動物が風のような速度で駆け抜けようとする気配を感じた。そこへと向かって麻衣と麻由が交互に銃弾を撃ち込む。


 ぐぉぉーっ!

 不気味な咆哮が轟き、地響きみたいな音がして樹木が大きく揺れた。俺たちが走り過ぎようとしていた左右の茂みで何かがのた打ち回ったのだ。

 まだ姿すら見せていないのに、圧倒的な存在感だけで俺を恐怖のどん底に落としいれる。こんな動物がいるのか。


「い……意識が飛びそうだ」

 マジで心の底から怯えた。


「つまずいたら終わりやと思っときや。あっという間に飛びつかれるから」

 怖ぇよ。命懸けの駆けっこかよ。


 少しでも俺たちより前へ出る気配を感じると麻衣と麻由は躊躇なく銃を撃った。それを全力疾走の状態でだ。俺なんかランちゃんの後をついて行くので精いっぱいだというのに。



「昔の道路の跡に出たらもっと速度あげるから、ランちゃん準備はいい?」

 麻衣の問いかけに三輪バギーは『ぽりゅっぴ』と、ひとうなずきする。


 あの……。これで全力なんすけど……まだ速く走れと?


「走れるよ。でないと死ぬんや。そう思ってみ?」

 その言葉を裏付けるような光景が俺を待っていた。


「うあぁ。そこにいるぞ!」

 確実に間合いが詰められていた。茂みの中、数メートル奥にいくつものギラギラした目がこちらを睨んで並走している。それは闇夜に浮かぶ不気味な火の玉のように真っ赤な双眸で、その異様な光景は悪夢と何ら変わらない、喉から飛び出ようとする悲鳴を噛み殺し、俺は必死で走った。


「ほらみてみぃ。まだ余裕があったんや」

 そう。俺はランちゃんを追い越していた。火事場の馬鹿力と言う言葉は実在すると思った。


「ランちゃん。右のコースに変更して速度落として……」

 目前にそびえる朽ち果てたビルを大きく迂回するものの、連中も同じコースへ忍び寄ってきた。

「ついて来るっ!」

 音も無く間合いを狭めてくるブラックビーストの動きに改めて怯える。吠えることもなくむやみに襲ってくるわけでもない。ジワリジワリと近づき、恐ろしいまでの眼力で俺たちの挙動を睥睨するだけだ。でもわずかでもスキを見せたが最後、中から飛び出してくるのは間違いない。


 麻衣が言うとおり、何かにつまづいたときが最後だ……。

 まるで研ぎ澄まされた日本刀を頬にあてがわれたような気分だった。




 迂回すると大昔の道路跡が幾分広がり、平淡な通路となって目の前に展開した。

「よっしゃ、この直線で距離を稼ごう。ランちゃん、刺激せんようにゆっくりと速度をあげて抜けてくれる? ほんであいつらの嫌いな込み入った茂みを選んでこのヘタレを誘導してあげて」

 ヘタレって言うな。

「ランちゃんに道案内されなくても、口で言ってくれればその通りに走るぜ」

「あんたこの道を通るの初めてやろ? ランちゃんのほうが先輩や。先輩の言うコト聞いて、はよ行け!」

「お前らは……?」

「ウチらはこんなんしょっちゅうや。」


 とその時。一抹の疑問が浮かんだ。

「なぜすぐに襲ってこないんだろ?」

「こっちの腕を把握した証拠や。姿を現すと確実に撃たれると判断したからやねん」


「野生動物がそんなことまで考えて行動するのか?」


「ブラックビーストはそこら辺の野犬とちゃうで。規律の取れた行動をする群れや。犠牲になる人のほとんどが、そういう習性を知らん似非ハンターや」

 と言って麻由と共に立ち止まり後方に向かって銃を構えた。


「ほら、はよ行き。しばらくウチらが食い止める」


「だけど……」

 ためらう俺に、

「銃も撃たれへんヘタレが、何できんねん!」

「それともあたしのブッシュナイフ貸してあげようか? 研いであるわよ」

 俺は言い返すセリフを失い、ランちゃんは気にせず静かに加速。辺りは風もやんで激しく脈を打つ俺の鼓動が聞こえるのではないかと思うほどの静寂が広がっていた。


「急いでよ!」

 麻衣と麻由は俺たちを先に通した後、一歩でも近づこうとする気配を察すると、躊躇なく茂みに銃弾を撃ち込み、連中の咆哮が遠のくのを確認すると全力疾走で十数メートル離れ、ふたたび振り返って連中の動向を凝視するという動きを繰り返した。


 俺はといえば……。

「すっげぇな、ランちゃん」

 ツタがひどく絡まった場所ばかりを選んで平然と走り抜けるランちゃんを驚愕の目で見る。

 茂みに首を突っ込み絡まったツタを広げると、その中に猛然と飛び込み道を切り開いていくパワフルな動きに圧倒だ。これならボディの大きなブラックビーストは走りにくいはずだ。回り込んで俺たちの先頭へ出ることができずに、渋々後を追って来るしか道は無い。そこにはライフルとショットガンを構えた麻由と麻衣が控えているのだから、連中の攻撃が一時的に収まったと考えてもいいかもしれない。


 ただしこれまでより状況はひどい。ヘッドクーラーを木の枝に引っかけて外してしまうことが何度もあった。落としてしまうと命に関わる装置なので、俺は頭から外して首に掛けて走った。頭部冷却装置が外れたことを示す警告音がスーツから鳴るが、かまっていられない。まじでヤバくなったらランちゃんが知らせてくれると麻衣は言っていた。



 十数匹のビーストに追いかけられる。生涯初めての出来事に遭遇してパニックになりそうな思考と睡眠不足による体力の低下を一時的に麻痺させてくれたのは、後方から聞こえてくる麻衣と麻由の喚起と銃声だったが、それもやがて限界となる。肺が悲鳴を上げた。いくら吸っても呼気が間に合わない。張り裂けんばかりに鼓動を打つ心臓。目の前が暗くなる。

「よっしゃ。すこし速度落とそう。ヘタレがダウン寸前や」

「だ……ダレがヘタレか! 俺はまだ走れる!」

 こうやって虚勢を張ってしまうのが俺の悪い癖だ。


 肩で息をして今にも倒れそうな俺を一瞥して、麻衣は苦笑いでそれをいなし、

「麻由、そろそろ広場に出るデ」と告げてから予備の散弾をケースから一本抜くと朱唇に(くわ)えた。

「オッケー。ランちゃん止まって」

 麻由の命令を聞いて、ゆっくりと三輪バギーが速度を落とし、その動きに同期して状況が急変。突然左右に茂みが引き裂かれて、真っ黒な四つ足の動物が低い雄叫びと共に顔を出した。丸太みたいな太い前肢から突き出した尖った爪で地面を掴み、俺たちに飛びつこうと構えた瞬間、麻衣のショットガンが火を噴いた。


 ドンッ!


 絶妙のタイミングで出鼻をくじかれたビーストだったが、眉間にヒットした傷をものともせずに二歩ほど前進すると、そのまま俺に向かって太い前肢で宙を薙いだ。

 ブワッと巻き起こる空気の流れに怖気(おぞけ)た。


 ドムッ!

 鈍い音がして横っ腹に散弾が炸裂する。冷静に麻衣がもう一発撃ちこんだのだ。

 しかし、ビーストは真っ赤な口を大きく裂いて吠えただけ。平然と薄煙の残る銃の先を睨んでいた。

 仁王立ちした姿は魔界の生き物だ。真っ黒で独特の艶がある剛毛で覆われたボディが、ぬぉんと、そびえ立った。


 で、でっけぇーー!

 あたりが暗くなるほどの巨体だ。


 麻衣はすかさずフォアアームを前後させる。空薬莢がショットガンの横っ腹から吐き出され、続けてもう一発。


 ドンッ。

 肩に着弾して血しぶきが飛び散るが、ヤツは頭を二度ほど振っただけだ。

 大気を鳴動させるほどの唸り声をぶっ放して、真横を通り過ぎようとした俺たちへ喉の奥を曝け出した。


「こいつ不死身なのか!」

 思わずそう叫びたくもなる。眉間と横っ腹、それから肩に銃弾を受けてピンピンしているなんて、やはりただの猛獣ではない。


 だが麻衣も(おく)さない。一拍おいて再び発射。ようやく黒い巨体が三輪バギーのすぐ後ろ、そう、俺の真ん前だ。そこに倒れた。

 その隙に、麻衣は口に銜えていた銃弾を装填して、フォアームを前後させてから俺に手を差し出した。

「ヘタレ、予備の弾ちょうだい!」

 余裕をぶっこむ麻衣にこっちも息を飲んだ。精神力との戦いなんだ。相手が獣だということを忘れさせる対戦だ。



 散弾を四発も喰らってようやく倒れたブラックビーストを恐々覗き込む。身の丈4メートルはあろうかという筋肉隆々たる胴体から伸びた太い四つ肢に、ブッシュナイフのような爪が突き出ていた。大きく開けた口の中で電柱でさえ噛み砕く牙と尖がった歯が並んでいた。

 凶暴な肉食獣、ブラックビースト。やっぱりライオンの比ではなかった。


「こいつら……こんなに生命力があるんだ!」

 恐怖でぶっ飛んだ俺の手は震え、麻衣に銃弾を渡すのに手間取るほどだ。俺から受け取った銃弾を再び口に銜えると、麻衣はその先で「見てみろ」と示す。まだ痙攣する腹がどくりと動いたかと思うと、ヤツは前肢で宙を掻いた反動で起き上がり、空に向かって血しぶきを噴き上げながら咆哮(ほうこう)を上げた。


「わぁー。まだ生きてんだ!」

 でも俺の身体は何の反応も起きない。

 どうしたんだよ俺のカラダぁ――。何も動かないぞ。死んだのか?

 いや、さっきから自分の喚き声がうるさいし、心臓も無事なようだし。


「修一! じっとして!」

 わざわざ忠告してくれなくても、俺の体はとっくに動けません。


 その目の前で、麻衣は腹と首のあいだを狙って撃った。


 ドンッ!

 大量の血が吹き出し、朽ち果てたアスファルトに広がっていった。



 ダンッ、ダンッ、ダンッ

 隙間なく攻撃を仕掛けようとした別グループが、茂みから飛び出す寸前を麻由が連射して阻止。


 発射音に鼓膜を刺激されて、ようやく思い出したように動き出した俺は無様(ぶざま)の一言に尽きる。ブルブル震えて勝手に開いていく両膝を手で押さえて、やっと喉から声を絞り出す。

「五発撃ち込んでやっとだぜ……」


「ま、こんなもんや」


 麻衣は荷台に載せてあったフル装填したほうのショットガンを掴み。立ち尽くした俺に笑い顔を向けてこう言った。

「ほら、装弾の手を休めたらあかんやろ」

「そうよ。外人さんを町まで連れて帰らないと……」


 外人さんで思い出した。


「そうだ。あの子が言ってたんだ。川に水が流れてるらしいからそこを通れってさ」

「何でそんなこと知ってるんやろ、あの子?」

「どういうことだよ?」

 問いかける俺に麻衣は言う。

「ブラックビーストは水を嫌うんよ。ネコ科の変異体やからね」

「ならあの子の言うとおり川まで出ようぜ」


 麻衣は無念そうに首を振った。

「水が流れていたらその子の言うとおりやけど。スコールから12時間経ったあの川は、カラカラに干上がって野原みたいになってるはずや。行きがけに見たやろ? そうなったらここより狙われやすいやんか。周りに隠れるとこが無いからね」


「ちょっと待ってくれ。聞いてみるよ。その根拠は何かって」

 ランちゃんと横に並んで小走りで並走しながら俺はシュラフの口を小さく開けて尋ねた。

「何で川に水が流れてるって言い切れるんだい?」

「見たの……」

「はぁ?」

 何とも言えない虚しさでそっとシュラフを閉じた。意味不明の返事だったからだ。


「あの子、なんて答えた?」

 銃口向けたまま後退する二人に、ひとまず報告。


「それがさ。川が流れてるところを見たらしい」

 麻衣は丸い目を俺に寄こした。

「いつ見たん?」

「し……知らん」

「昨日の話やったら何の役にも立たん情報や。あの川が轟々と流れるのは半日ほどや」

 ビーストから目を離さず麻衣はなおも訊く。

「ほんで。あんたはどう思うん?」


「何で俺に訊くんだよ?」


「あんたはウンが付いたオトコやろ?」

「まだ言ってんのか」

 呆れる俺に麻由も意外なことを言った。


「あのね。運もその人の天性のひとつよ。だからあなたは『運子(ウンコ)』なの」

「あははは、運子や? このウンコオトコー」

「ば、バカか……」

 この危機的状況下で二人とも笑ってやがる。

 俺は直感で感じた。ひと並外れた度胸と勇気、そして常に冷静。だからこそ帰還率100パーセントなんだと。


 麻由は続ける。

「でもいいかもね、麻衣。川原を進んだほうがジャングルの中より遙かに移動距離を稼げるわ。トンボのときみたいにローテーションを組んで上手く狙っていけば、あれよりは数が少ないはずよ」


 しかしその意見には大きなリスクが伴う。

「トンボは一発で吹き飛ぶけど、ビーストを倒すには数発の弾が必要だぞ」

 かと言ってジャングルを進めば倍以上の時間が掛かるのも必然だし……。


 逡巡しまくる俺の心情を察してか、麻由は優しく応えた。

「だいじょうぶよ」

 丸い瞳をくるんと回して、彼女はにっと笑う。

「次からあたしコレ使うし……」

 麻由はガシャッとライフルからカートリッジを抜いた。そして別のものをリュックから抜き出し、俺に見せてから再び銃の底に突っ込んだ。

「それなに?」

 尋ねる俺に、

「これがホローポイント弾よ」

「銃器屋で話は聞いたぞ。着弾した先で銃弾が広がって、内部を破壊する大型獣専用の弾だろ?」

 生唾を飲み込んだ。たった今生々しい現場を見たばかりなのだ。


「あいつらに効果はあるのか?」

「さっきの弾より飛ばないけど、散弾銃より遠くのものを狙えるし、それに……20連射ができるところが、エレガントなのよー」

 エレガントってこう言う場面で使うかな? なんでこいつはこんなに余裕なんだろう?


 言葉の裏を探ってみた。たぶんこうだ。二人は河原に出て万が一水が流れていなかった場合、トンボを一網打尽したサーモバリックを使うつもりなんだ。だけどチャンスはそうない。今みたいな接近戦では使えないからだ。


 やはり水が流れていることを心から祈るしかない。




 河原へ向かうべく、進行方向を北から東に変更すると、奴らは静観して忍び寄る戦法から一転して、やぶの中を駆け抜け、執拗に先回りしようと始めた。


「麻由っ! 先頭に行かせたらあかんデ!」

「分かってるって。何のためのホロ―ポイントよ」

 何のためのホロ―ポイントだろう? 俺には解らん。


 麻由は少しでも俺たちの前へ出ようとするビーストを容赦なく撃った。威力が倍増したのが解る。着弾と同に爆破する音が半端ない。遠方の物を狙えないが散弾並みの破壊力があるのだと悟った。


「だいたいの似非(えせ)ハンターはこの精神攻撃を受けてパニックになるんや。しっかりしいや。ビビってる場合とちゃうデ」

「お前の度胸の半分でもいいから譲ってくれ。もう死にそうだ」

「心配ないよ。ちゃんと息しとる」

「………………」

 笑い返す気力も無かった。



 少しでも先へ、少しでも早く。運命の分かれ道となる河原はまだなのか……。

 永遠とこの追いかけっこが続くかと思ったとき、進行方向がいきなり(ひら)けて川が見えた。


「急いで! 川まで走って!」

 しんがりについた麻由が数発ジャングルに撃ちこんで叫んだのを合図に、俺たちは河原へと全力疾走して、目前で立ち止まった。


「水が流れてる!」


「ほんとだぁ。この時間に水が流れてるなんて珍しい!」と麻由が目を見開き、

「あんたのウンを信じて正解や。昨日のスコールが激しかったんでまだ流れてたんや」

 ようやく麻衣も喜色を浮かべて、川へ片足を突っ込んでランちゃんを誘導した。


「よっしゃ、ランちゃん。川のど真ん中を走るんよ。ウチらは連中の総攻撃を食い止めるからね」

「いいわよ。さっきから腕が鳴ってるもん」


 麻衣と麻由が銃の先をジャングルに向けてバリケードを作り、二人の(あいだ)をランちゃんが通過。流れに向かって果敢に車輪を転がして侵入する。水かさは荷台すれすれだったが、水流に力が無く進行に支障はなさそうだ。


「麻衣ぃ! 来るでぇ――っ!」

 麻由が放つ関西弁の喚起と同時にライフルが発射された。

 鈍い音と白煙を吐いてホロ―ポイント弾が一匹のボディに捩じり込み、体内で爆発。血肉が飛び散るが倒れる様子は無い。

 もう一発。

 数歩下がったが、まだ唸りをあげて水辺近くまで下がった麻由を狙って飛びつこうとする横っ腹を麻衣がショットガンを何度も発射。鼻を刺す火薬の臭いが充満する中、巨獣の腹部から鮮血が噴き出して、やっと泥水の中にぶっ倒れた。


 一匹をしとめるのに二人掛かりで何発もの銃弾を浪費する。信じられないタフさだ。

 麻衣は二度のポンプアクションで空薬莢を排出しながら、茂みの中から次々と姿を現したビースト十数匹へ全弾を撃ち尽くすと俺に銃の交換を迫った。

「ヘタレ腑抜(ふぬ)ぞうくん。次や!」

「俺は山河修一だ」

 ほとんど合言葉となった掛け合いが妙に頼もしい。空中で二台のショットガンが飛び交い、麻衣も充填されたほうを両手で受け取って、にこりと微笑む。

「よっしゃ。ここまで来たらしばらく時間稼ぎができる」

 宣言どおり、連中は水を嫌って動きが止まった。


 しばらく高台から見下ろして数匹がこちらを睨んでいたが、くるりときびすを返すと密林の中に消えて行った。ただ、最も体の大きなヤツがいつまでも俺たちに睨みを利かせる姿が気になる。


「あいつ。まだ諦めてないな……」

 微妙に潜めた麻衣の声が俺と同意見だったことに恐怖を感じた。

「そんな怖いコト言わないでくれよ」

「とりあえず少しでも駅に近づいたほうがエエ」

 麻衣に背を押されて俺たち三人と、三輪バギーは銀髪の少女を包んだシュラフを積んで、濁った川の流れを上流へと遡った。

  

  

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