悪魔の草
怪異な人類の行進を目の当たりした恐怖がまだ完全に過ぎ去っていない深夜のケミカルガーデン。
今度こそ俺は、とんでもない睡魔に襲われていた。
眠い。ひたすら眠い。
一心不乱に眠い。一途に眠い。
どう表現しようとも、俺の身体へにじり寄る睡魔に打ち勝つことができない。かと言ってあいつらの前で弱音を吐くと、のちのち不都合が生じるので、俺は歯を喰いしばった。
「黄色いヤツはもう採れないし、悪魔の草は地獄へ帰ったようだし……」
今にも閉じそうな目蓋をしばたかせて地面を見るが、何が緑やら、どれが黄色やら、色も識別できないほどに疲れていた。
かと言ってまたウロウロするとあの臭い穴に落ちる可能性もある。
ついに膝で地面を突いた。もう歩けん。と落とした視線の先、カビが織りなす地面の上。
キノコがテクテク歩いていた。
俺の前を横切ろうとするキノコって?
頭がもうろうとしていて思考力が消えた脳ミソを揺り動かす。
「ちょっと待てよ。うそだろ?」
何度も目を瞬かせるが、やっぱり歩いていた。
「幻視か……幻覚か?」
自分の目を疑って、頬をつねった。
「痛ってぇえーし!」
もう1回。
「痛いっ。やっぱ痛えよ。 じゃっ! なんだあれ、動物か? うぉ! キノコが歩いてるぞ。あ、あ、あぁあぁーぁ。もしや……あれが麻衣の言ってた。まん、まん、マンドレ、ドレドレじゃないのか?」
ほとんど叫び声になっていた俺の横へ、三輪バギーがさっと近寄った。前を横切ろうとする物体へ、レーザーポインターの輝線が高速に振られる。
麻衣と麻由が飛んできて、丸い目をさらに広げて凝視した。
「麻衣! これって、マンドレ、ドレドレだろ?」
「どれどれ?」
くだらないー。
麻衣がくだらない親父ギャグで返してきたところ見ると、どうやら違ったようだ。無念そうに麻由が片目をつむって見せた。
「惜しいねー。これはマンドレイクじゃなくてね。グランド・トレッカーなの。和名オオワタリタケよ。トカゲの雌の頭にだけ寄生するキノコなの。花びらに見える薄い紫色部分が子実体でね、菌網がレースみたいに子実体から垂れてるでしょ。あれはキヌガサタケの変異したものなのよ」
「なんだよ……もとは中華料理の具材か」
タネ明かしされるとくだらないモノに見えるが、麻由は熱い眼差しで得々と語っていく。
「ほらよく見て、トカゲの頭に寄生してるでしょ。根状菌糸束がトカゲの脳に達していて、グランドトレッカーはトカゲをコントロールして移動するの。ふたりはいろんなところを一緒に旅するのよ。そして雌トカゲが雄と繁殖して子供を生むでしょ。そしたらその子に胞子を撒いて自分の分身を増やして、ともに暮らしていくの。だからトカゲと寄生したグランドレッカーは一心同体なんだよ」
「ふーん。コバンザメと同じかー」
「マンドレイクも同じ変異体だけど、キノコの別種で変形菌と呼ばれるモノの変異体だという説なの。だってまだ研究が始まったばかりだから、よく分からないことだらけで、たぶん変形菌と同じように動物的時期と菌類の時期が時間帯で交互に切り替わるのだろうって言われてるわ」
「動物と菌類が入れ替わる?」
「キノコのクセに動物性たんぱく質を直接食べるんよ。それで動物に変身してる時に歩き回るハズや」
俺の質問に麻衣が代わって続ける。右から左へ視線を振るが、視界に入る光景は何も変わらない。さすがは双子だ。どっちが説明しても同じなのだが、口調が代わるのが面白い。
「ハズって?」
「そう。目撃例が少ないの」
「だから貴重なんよ。貴重ということは言わんでも分かるやろ?」
「お金になる……だろ?」
「そう。ご名答。だいぶカシコなってきたね」
「馬鹿にしやがって……。じゃぁ。これは捕まえなくてもいいのか?」
トカゲの動きがとてものんびりなので、まだそいつは俺たちの前をポテポテと歩いていた。
「いや、飼育箱に入れとこ。けっこうエエ値がつくからね」
「へいへい。ボス」
俺はランちゃんの荷台に乗せられていたクーラーボックスを開けて、透明ケースに青いフタが付いた飼育箱を取り出すと、それを開け、立ち止まってのんびりとあくびをかましていたトカゲの前に置いてから、尻尾をちょんと突っつく。
そいつは、ととと、と進んで、自ら透明ケースに入って行ったので、フタをして。
「はーい。一丁あがり」
ケースをロックして、もとのクーラーボックスに保管した。
見るとボックスの中には例の黄色のヤツが束になって保存されていた。
「げぇっ。あいつら、こんなに採ったのか」
俺の試算では一本3万円だ。それが今ぱっと見ただけで20本近くはあった。俺の一本を足して……掛ける3で……ロクじゅうサン万!
急激に目が覚めた。
「すげぇぇ。ひと晩だぜ」
「ロクがどうしたって?」
目を丸々とさせて、焦点を彷徨わせる俺の視線が麻衣と重なった。俺はなんでもないと頭を振る。
どっちにしてもあと一本は黄色いヤツを見つけないと、俺だって堂々とバイト代を請求できない。肩身の狭い状況を打破するためには、もうひと踏ん張りすることにした。
「ランちゃん。今何時?」
『午前2時23分です』
尋ねた麻由のスーツが答えた。
あぁ~あ。もうすぐ3時だぜ。泣く子も眠る丑三つ時さ。そんな言い方は無かったかな?
頭上から垂れたパイプから音も無く滴る黒い液体を避けながら、足元に点在する悪臭のレッドカーペットを飛び越え。俺はひとりで奥へ入った。一本数万円もする黄色いやつを探しに――ではない。どこかで一眠りする算段ださ。
麻衣たちが物色している広場から奥へ数十メートル入った場所に、伸びだした糸状菌が柔らく広がる空き地を見つけたので、その隅で俺は連中へ背を晒して体育座りをする。これであっちから見れば、たぶん座り込んで仕事をする姿に見えるはずだ。
「あふぁ。眠い……」
目蓋を押さえて頭をぼりぼり。続いて大あくびをした。それから膝に頭を乗せてしばし目をつむる。
体を伸ばして眠ったらどれほど気持ちいいだろう。けれどさすがにそれはバレるな。
何分経ったのか、真剣に眠りに落ちていたようだ。
気づくと額に何か硬たいものが――。
「なんだ?」
手で払いのけたが、また額をツンツンと――。
「ん――?」
薄らぼんやりと目を開けたら、
「寝るなーっ! このヘタレ!」
麻衣の怒鳴り声だった。
「げぇっ! いつの間に」
「いつの間にやあるかぁ! こんなとこでサボりやがって!」
麻衣とランちゃんがどこをどう回ってきたのか、俺の真ん前の茂みから顔を出して、さらにショットガンの銃口で俺の額を突っついていやがった。
「目覚まし代わりに耳元で発射したろか!」
「ごめぇーん」
体育座りのままいきなり立ち上がろうとしたが、寝ぼけた体はいうことを利かない。後ろに重心が移ったまま尻を地面に落として仰向けに倒れた。その腹の上をひょいひょいと駆け抜けて行こうとした黒っぽい影を俺は反射的に掴んだ。
ぎょえぇぇぇぇぇ―っ!
地獄の底から滲み出たような怪奇な悲鳴を聞いた。
瞬時にランちゃんの首が伸びた。俺が無意識に掴んだ物へ、レーザーポインターの輝点を小刻みに振り回すと、何度かのフラッシュ。
眩しくて目をつむった次の瞬間、掴んでいた影がもう一度俺の腹を蹴って、茂みの中へ消えて行った。
「なんっ!」
思考がめまぐるしく交差する。どう考えても今の悲鳴は人が出せる音域をはるかに越えていた。軋み音にも似た奇態な音だった。
「うぉおおー! う、動いてる!」
戸惑い困惑しまくる俺の意識を覚醒させたのは、手の中に残された体の一部だった。見る角度で青から赤紫に色が変化する何かの房がモゾモゾ動いて、とんでもなくキショイ。
「あかん! 逃がしたらアカンよ!!」
腹の上に馬乗りに飛び付いてきた麻衣の目の前で、それはウネウネと蠢いていた。
「マユーっ! 採取ケース持ってきてぇ―っ!」
泣き叫ぶかのような麻衣の声から察してそうとうな緊迫感が伝わるが、俺はただ気持ち悪いだけだ。
「お願い! 逃がしたらアカンよ! 両手で囲って逃げんように……そうそう。そっとな」
叫び声が途中から命乞いみたいな懇願に変化。俺は腹ばいになろうとして、麻衣が乗っていたのに気付いた。
「重い! どいてくれ!」
麻衣はその物体へと視線を固定させたままうなずいて立ち上がり、俺は急いで体を回転させると、腹ばいに体勢を整えて丸めた両手の中に謎の物体を包み込んだ。手のひらから不気味にうごめく感触が渡ってくる。
「どうしたの!」
麻由が採取ケースを持って飛び込んできた。
「へ、ヘタレが……もしかしたら、えらいモンを見つけたかも知れん」
初めて麻衣の震え声を聞いた。
「ほら、ここに入れて」
手の中で動く物体のやり場に困って、オロオロしていた俺は麻由の差し出したケースの中へそっと移した。見るとそいつは苦しげにのた打ち回っている。
「なんだよこれ……?」
青から紫へと色の変化する美しい珊瑚状のひと房が、今は褐色に変化して徐々に動きが鈍くなっていく。
「ランちゃん写真はもうええわ。それより本体の撮影は成功したん?」
ケースに入れられた物体に首をかしげつつも連続にフラッシュを焚いていた振る舞いを止め、麻衣の問いに三輪バギーは大きく首肯すると『ぴゅりゅりゅーっ』と鳴いた。
「どうやった? あんたの感想や。記憶録るから正直に話すんやで」
ポケットから取り出したペン型のレコーダーを俺の口もとに突き出したが、こっちは驚きを隠せない。
「なに? なんの証言をするんだ?」
「アホっ。いらんこと言うたらあかん。今の生物について見て感じたことを忘れんうちに正確に記録すんねん。時間が経つと曖昧になるから……さぁ早く、正直に言うて」
「う……うん。えーっと。眠くてさぁ。あんまり眠かったので、少し麻衣の目を盗んで寝てやれと思って……」
「アホ! そんなくだらん話はえーねん。今のヤツの姿カタチとか動きとか……あるやろ?」
「あそうか。えーと。まず大きさはコレぐらい」
と手で示して、またまた麻衣からぽかりと喰らわされ、さらに隣から「言葉で説明するのぉ!」と麻由に叱られる。この連係プレイは双子ならではだな。
「わーってるよ。えっと。俺の肘ぐらいまでの大きさだから、約30センチ。オレンジ……。そうだ、ニンジンだ。あの絵と同じ。やっぱあれってニンジンだぜ。ニンジンの胴体の先が二本に割れてそれが肢になって、頭には青紫の珊瑚に似た物がくっ付いていて、二本の肢を器用にクロスさせて、ひょいひょいと飛ぶように俺の腹の上を走ったんだ」
「それで?」
興味深そうに麻由も顔を寄せてきたので、俺はそっちへ目を転じる。
「それで腹の上を数歩進んだから重みも感じたんだが、そんなに重くなかった。えーっと。握ったときの感触は……キノコだ。柔らかくてプルプルした感じで、体の色は青から赤紫色に見る角度で変化していた……あ、そうだっ!」
「どないしたん?」
「気持ち悪い声で鳴いたんだ。『ぎょぉぉぉぉー』てな感じだ」
「あぁ。あれあんたの声とちゃうの?」
「ちがう。俺じゃない。こいつが鳴いたんだ」
俺は採取ケースの中でほぼ停止した褐色の珊瑚の端切れを指さした。
「ランちゃん。撮った写真のいちばんアップになったやつをプリントアウトしてくれる?」
そんなこともできるのか、と感心する前で三輪バギーは「ぴゅっ」とひと鳴きして、首を支えるボディの下あたりから一枚の写真を吐き出した。
「綺麗に写ってるわ……あんたの間抜け面までも」
麻衣が言うとおりに、そこには俺の顔も映り込んでおり、目を剥いて驚きにまみれた表情が……バカっぽい。
「なんか恥ずい写真だな」
凛々しいとは言い難い、その真ん前に不気味な物体が赤い人参みたいな片足を俺の腹に降ろし、片方は膝の部分でくの字に曲がって宙を向いている。まるで人が走る姿だ。そして俺の証言どおり頭部には青紫色のいく房にも分かれた珊瑚状に伸びた物体がしっかりと撮影されていた。
「こ、これって……」
麻衣が声をうわずらせ、麻由は興奮した声で説明する。
「この頭はどう見ても子実体よ。脚部は動物そのもの。それから何かに寄生した様子も無いわ」
「となると……?」
俺は見つめ合う二人から返事を待って生唾を飲み込み、一拍ほどして同じ顔がゆっくりとこちらに旋回。
「あんた……。覚悟しいや」
「なんだよ。俺、何も悪いことしてないぜ。ちょっと寝ただけじゃないか。え? そんな悪いことなのか。それなら謝るよ。ごめんなさい」
麻衣は俺の頭をみたびポカリとやって、見事な破顔を曝した。
「アホ。なに謝ってんねん。覚悟というのは記者会見やんか」
「えっ!」
俺は馬鹿みたいに口を空けた。
「記者会見ってなんだよ?」
「第一発見者はあんたや。それも身体の一部を手に入れたんよ。研究所が黙ってへんで。どうする? 帰ったら表彰もんや」
「うそ? マジで? 事務所出せんの」
急激に目尻が下がる俺へ麻衣が釘を刺す。
「話が先走りすぎ! それよりも無事に帰るのが先決やろ」
「そうよ。ここで気を許したらダメ。ケミカルガーデンの中にいることを忘れたらダメよ」
「そうだよな。命あっての物だよな」
俺も納得してうなずき、立ち上がる。
「逃げた本体がまだ近くに潜んでるかも知れないから、もっと探さないか?」
この生命体がこれから起きる事件の因子だとは夢にも思っていない俺は、ひたすら発見の喜びで興奮醒めやまぬ気分だった。眠気なんて吹っ飛び、元気100パーセントだ。
「欲張りやな、あんた……。でもそれも一理ある。よっしゃ、今日はここらでキャンプ張るから、もうちょい頑張ろか?」
俺たちは勢いよく、かつ元気に挙手をする。夜明け間近になるほどハイテンションになるのはいつものことさ。
頭の中では記者会見の光景ばかりが浮かんでくる。顔も自然とほころんでしまう。
「もしかしたら日本初かも知れないんだ。なんかすげぇことになるぞ。」
そう思うと急に欲が湧いてきた。破片だけでなく、本体を捕まえたらもっとすごいことになる。もしかして勲章を貰ったりして……。
加減を知らない能天気な俺は果てしなくエスカレートしていくのだ。
ランちゃんは呆れたみたいに首をすくめて、人工の眼球を俺へとくれる。その姿を横目で睨み、
「マンドレ、ドレドレちゃーん」
名前もちゃんと覚えていないくせに目だけはギラギラさせて、糸状菌の茂みの中へ再び分け入った。
しかし極限にまで達した睡魔はどうしようもない。再び頭の中に霧が漂い始めた。そうなると考えることは眠ることばかり。自分がなにをやればいいのか意識が薄れてきた。
その時だった。
瞬間、俺の背後で閃光が走った。辺りがフラッシュしたのだ。だが寝不足の頭はバカみたいな事しか思いつかない。
「なんだよ……記念撮影すんなら俺も混ぜてくれよー」
麻衣と麻由が並んでカメラの前でピースをする姿を想像して体を捻った。
「な――っ!!」
摂氏60℃の大気の中で俺は凍り付いていた。振り返った目の前で銀髪の少女が糸状菌の広場へ崩れたのだ。
「だ、だれ!? えー? なんで?」
あり得ない光景を目の当たりにして俺は石化した。
次回、『時の番人』でようやく物語がスタートします。ここまでがプロローグでした。長っ!




