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ゼロの支配者  作者: 雲黒斎草菜
ケミカルガーデン
14/109

 真夜中の行進

  

  

「どっちにしてもこのままでは、ヌルヌルして臭くて歩けない」


「もう少したら乾いてくるよ。そしたらすぐに粉末状になるから。あとは叩けばオーケーや」

 麻衣は半笑いだったが俺は強く反発する。

「でもこの臭いがやだ。川でもあれば洗いたい」

「この先行くと海に出るからそこで洗う?」

 乾くまで、我慢できそうになかったので麻由の意見に賛同。


 ぬるん、ペタンと奇妙な足音を立てて歩く俺。麻衣と麻由はマスクの上から鼻を摘んで俺のかなり後から付いて来る。

「おい。道を案内しろ。俺はどっちに進めば海に出るのか知らんのだぞ」


「ホのまま、まっフぐや」

 鼻を摘んで伝えるのは麻衣。麻由は目を逸らして見てもくれないので、

「なに? もう一度言ってくれ」

 わざと二人に近寄ってやる。するとキャーキャー言いながら逃げ回る。

 ちょっと面白くなって、

「おらー。抱きついてやろうか!」

 普段面と向かって発することのできない言葉を堂々と出せる快感。でも何だか後ろめたい。だって先頭を行くランちゃんが退屈したように立ち止まり、首を後ろに捻っていた。まるで呆れて振り返っているように映るのは、俺の心情がそうさせるのか、マジで(ほう)けているのか……三輪バギーが、か?


「ランちゃんのすぐ先や。はよ行って洗ってこい。ウンコオトコ」

 麻衣は手の平で払って俺をいなし、麻由も腹を抱えてケラケラ笑う。

「おいおい。可愛い顔して……。こいつらはこういうの平気なんだよな」



 バギーの先10メートルほど進むと、水の揺らめく光が見えた。波は穏やかで波紋ひとつ立っていない。静かに岸に向かって前後に揺れるだけだけの海洋だった。

「これが海?」

 海中都市から見る海とは異なっていて、あまりに静かな様子に圧倒される。さきほどまでの地獄みたいな光景とは真逆の穏やかな景色に感動した。


 ガーデン深部から漏れる薄い緑の光は波打ち際までで、目の前は漆黒の闇が広がっていた。海岸は砂利に近い砂で水は黒く濁り透明度が悪い。海水に浸かった足首から下が見えないので、いきなり深みに落ちる可能性がある。仕方がないので俺は浅瀬であぐらをかいて尻を落とした。


 海水を手にすくって、体へ掛けて洗ってみた。

 粘っこい液体はすぐにサラサラと流れてくれたが、その水温の高いこと。まさにお湯だ。ヤゴが育たないと言った麻衣の言葉は真実だと悟った。


 俺の様子を窺いに現れた双子の姉妹が、はしゃぎながら水を掛けてきた。二人は汚いものを沖へ追いやるように、遠くの方から水を掛けては、顔を歪めては後ろへ逃げる。挙句の果てには、

「ほらぁー。そこらで転がって洗え、ウンコオトコ」

 こんなことを言う始末。

「うるさい! 俺はトドじゃないんだ」


「トドならまだ可愛い。あんたはウンコや!」


「こら! うら若き乙女がそんな言葉を口にするんじゃないー」

「うっさい! ウンコオトコー」

 情けない。この馬鹿が……。



 呆れ果てて、水辺でちゃぷちゃぷしていたら、

「ちょっと修一。静かにして」

 麻由が手を振って俺の行動を止めた。


 二人が銃を抱え直して浜辺にしゃがみこむと数十メートル先をじっと凝視。

「どうしたんだよ」

 強張った気配が俺にまで伝わってきので思わず小声になった。


「しっ 声出したらあかん」

 ただならぬ気配に息を飲む。


 な……なんの音だよ?

 リズミカルに繰り返される耳障りな雑音にも似た音が徐々に近づいてくる。


 ザッ、ザッ、ザッ、ザッ


 聞き覚えのある雑音だった。

 一定間隔で繰り返す音。

 まるで大勢の行進音……。


 あっ!

 込みあげた悲鳴は唇を噛むことで堪えた。そして背を低くして近寄って来た麻衣の耳元で囁く。

「これって……大勢が歩く音だ」

 暗闇の向こうを睨んだまま静かに首肯する麻衣と、銃を持つ腕の肘を利用して腹ばいで擦り寄ってくる麻由。

「修一。もっと頭下げて、ミューティノイドの行進に違いないわ」


「なっ!」

 麻由が告げたセリフは、切れ味のいい日本刀を肌の上で滑らせるような緊張感を伴っていた。


 ミューティノイド。

 変異体遷移症候群のなれの果て。

 カビ毒に侵されDNAが変異した人間のことで、脳髄の半分を失ってミュータント化したにもかかわらず、なぜかケミカルガーデンで生きながらえていける。その人らがガーデンの深部でどのような営みをするのか、いまだに謎のままだが、彼らの脳細胞には現代人だったころの記憶が消えずに残っており、真夜中に集団歩行をする習性があると囁かれていた。


 糸状菌の森から整列した集団が順番に出てきた。かろうじて衣服の端切れを(まと)ってはいるが、全身を緑色のカビの胞子にまみれたボディから生やした糸状菌の網が、肩から下をくまなく覆っている。こればっかりは俺でも言い切れる。間違いなくミューティノイドだ。


「ほんとうに行進してたんだ……」


 糸状菌の森から出てきたゾンビたちの身長はまちまちだが、性別は体の作りで区別はできる。だけど目は落ちくぼみ、ひどいのになると眼球そのものが溶け出してぶら下がっていた。表情は消え去り頭髪もすっかり抜け落ちた姿はおぞましいの一言だ。


 コメカミの血管がどくどく脈を打ち、喉がカラカラだった。しかし何もできない。連中に俺たちの存在が知れるとどんな行動を起こされるか想像だにできない。それほど謎が多く、おかしなウワサばかりが独り歩きしてるのが事実だ。そのウワサの中に楽天的なものは一つも無い。

 俺たちは、しんがりのミューティノイドが暗闇の向こうへ消え去るまで、息をひそめていた。



「連中に見つかったら殺されるんだろ?」

 長い時が流れてやっと声を出すことができた。


「それはウワサやって」

「知ってるのか?」

 麻由は黙って首を振る。

「ガーデンの深部でもめったに遭遇しないのよ」

「カビの中に溶け込んで生活するみたいで、生態はよく解かってないねん。せやから攻撃してくるか……無反応か。でも人間としての記憶があるから、あーやって集まってガーデンの中を歩き回るって話しやし。やっぱりなんか行動起こすんとちゃうやろか」

「そりゃぁさ。やー元気? なんて声を掛けてくるのならいいけど、襲ってこられたらあたしたち困るじゃない」

「困るって?」

「元はおんなじ人たちなのよ。これで撃てる?」

 と言って麻由はライフルの先を俺に見せ、俺も銃口から視線を逃がしてうなずく。


「人間が人間を……撃てないよな……」



『ぴゅぽぉ?』

 何も指示を出していないのに、すべてを察したランちゃんはずっと気配を殺して茂みの中にいたようだ。静かにタイヤを転がして俺の前に現れた。


「ありがたい……」

 俺は荷台に積んであった自分のリュックを漁るとペットボトルを取り出して喉の渇きを潤した。麻衣も麻由もようやく落ち着きを取り戻したのだろう、荷台に腰掛けてそれぞれにリラックスモードだった。


「ねえ? 適者生存って言葉知ってる?」

 一緒になって水分補給をする麻由が真剣な面差しで俺を覗き込んだ。


「知らない……」

 否定の意味で頭を振る。


「地球をこんなにしたのは人類なのよ。これは紛れもない事実でしょ?」

「言い訳のしようもないよな。贅沢するためにCO2撒き散らし、自然の循環を破壊して放ったらかした結果……人が住めない世界になっちまったんだ」


「だから自然は平気で環境破壊をする人類に嫌気がさして試練を与えたの。ガーデンという新たな舞台を(こさ)えてやるから適応してみろって……」

「ここは環境に順応した生物しか入れない仕組みだって言う人もいるぜ」

 グレースハンティングの店長もそう言っていた。


「さっきの行進見たでしょ?」

「ああ。不気味だった」

「ウチらはあの人らがカビ毒に順応した選ばれし新人類やと思ってるねん。ミューティノイドは人類から逸脱したDNAをもったこの環境の適者となったんちゃうかってね」

「あんなバケモンがか?」

「オバケって言わんほうがエエよ。あっちのほうがある意味進化してるんかもしれへんで」

「んなことあるか。脳みそ半分腐ってんだぞ。バケモンにちがいないだろ」


「ちがうって。何か意味があるのよ」とは麻由。

「そうや。病院で隔離しとってもいつの間にか抜け出してガーデンに集まるんや。脳が半分になってもここに来る理由は何やの?」

「それは…………」

 答えられるワケがない。

「ウチはこのカビ毒の発生源と仕組みを理解して無毒化させる。それからケミカルガーデンを新たなオアシスに変えたるねん」

「こんな狂った世界がオアシスになるのか?」

 麻衣はしばらく言い淀んでいたが、きっぱりと言い切った。

「だから……ウチはお父さんの跡を継ぐ」

「あたしもよ」

 一呼吸遅れて麻由も胸を張る。

「だったらミューティノイドを元に戻せる方法を考えてくれ」

「どうしたの? 意味深(いみしん)ね」


「あ……いや。子供の頃に色々あってさ……」

 ミューティノイドと聞くと胸中の傷がうずく。

 まだ関東方面で親父たちと楽しく暮らしていたころの話だ。2011年クラスの大震災が再び東日本を襲った。その時、海中都市は大打撃を受けたのだ。突入する海水に呑まれた人が何人もいた。しかし緊急時に起動した区画閉鎖ゲートと排水設備のおかげで水死する人はほとんどいなかったが、海水に混ざっていたカビ毒に侵されて、何百人という人が変異体遷移症候群に侵された。そしてその中の何パーセントかの人がミューティノイドに変異して隔離された。

 それからすぐに避難勧告が出されて我が家は大阪へ逃げた。あとから知ったのだが、隔離された人の中に俺の友人が何人かいた。仲の良かった友人があんなバケモノになるなんて信じがたい出来事なのだ。そんなことを思うだけで背筋が寒くなる。


「まぁ、こんな世界や。誰にも一つや二つの傷はあるよ。あんたも怖い経験したんやろね」

「いま思い出しても震えてくるよ」


「だからヘタレを克服しようとしたのね」

 麻由くん、ちょっと違うんだけどな。


「よっしゃ。ウチらも協力したるから、ヘタレを治そな」


「病気じゃねえし……」

 そんなことよりも、麻由が口したミューティノイドがこの地球に順応した新人類だ、なんて話は初めて聞く。


「その話もっと詳しく教えてくれよ」

 と願った俺へ麻衣がニタニタと変な笑みを浮かべて言う。

「いまの麻由のセリフは柏木さんの受け売りやねん。これ以上のネタはまだ仕入れ中や」

「えへへへ。そうなの。いま勉強中なの」


「柏木さんって?」

「ウチらのクライアントで、大阪変異体研究所の部長さん。子供の頃からの知り合いやから、お姉さんみたいな人やね」

「そうなのよ。柏木さんはあたしたちのあこがれの人なんだ」


「ああ。あの人ね……」

 直感であの美人だと思ったが、急いで呑み込んだ。

 案の定、丸い瞳が二組、こっちを見た。

「何で知ってんの?」

「そうよね。どうして?」

 懐疑的な二人にこっちは必死さ。なにしろこの半年間お前たちをストーカーしていました、とは言えない。


「な……なにって……偶然お前らがレストランで白衣を着た女の人と会ってたのを……偶然だぜ。たまたま偶然に通路から見たんだ……ただそれだけさ」

 ちょっと『偶然』を連呼しすぎたかな?


「ふ~ん」

 納得したんだかどうだか。とにかくこっちの危機も去ったようだ。

  

  

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