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ゼロの支配者  作者: 雲黒斎草菜
ケミカルガーデン
12/109

狂った世界

  

  

 麻由が集合の合図だと教えてくれた笛の音が聞こえて来た。だいぶ離れた場所からその甲高い音が伝わってくるところをみると、気付かないうちに二人から遠く離れていたようだが、だからといって収穫と比例することはない。俺の採取ケースはあのままだ。


 音を頼りに戻ってみると、麻衣と麻由が偉そうに腕を組んで俺を待っていた。その姿は鏡に映したようにまったく同じ格好だった。


「ヘタレ! 集合や。はよ来い!」


 くそっ。年下のクセに威張り散らしやがって、

「俺はヘタレではない」

 せめて文句だけは吐いてやる。


「休憩のお時間よぉ」

 麻由の言葉は柔らかい。ランちゃんの荷台にちょこんと腰掛けて、マスクを顎の下に降ろすと、ペットボトルの飲料水を美味そうに飲んだ。続けて塩球の袋を破って一つ摘まむと、急いで口に頬張る。その薄桃色の頬っぺたが可愛らしく揺れる。

「マスク外しても大丈夫なのか?」

「ここまで入れば心配ないわ」

 それはガーデン深部を示す言葉となる。

 理由はまだ研究中だと言うが、その道の権威である川村教授の娘たちが言うんだから、恐らく学校の授業より正しいと思う。


 自然の営みから見放された人類をケミカルガーデンへ近寄らせたくないのか、あるいはガーデンの環境に順応する者を試すためなのか、周囲を取り囲むカビ毒のフィールドは、生物の進化を根底から覆そうとしている。


 そんな話を聞くと、俺はいつも思うことがある。

「なんでガーデンの中はこんなに気色悪い生物が生まれてくるんだ? たかだが300年ぽっちで、こんな進化って早すぎないか?」

「なかなかエエこと言うやんか。褒めたるわ」

 後輩に褒められても……。


「あんな。これは進化とちゃうねん。変異やねん。ケミカルガーデンのカビ毒にDNA配列が侵されるんや。それで新たなカビ毒が生まれ、また変異を繰り返す、という連鎖反応が続いてるんよ。だから自然の進化よりはるかに速いペースで変異体生物が生まれてくるねん」

「そうよ。そしてここが肝心なところ。変異した生物はケミカルガーデンに順応しなければ生きていけないの」

「つまり……ここで生き続ける生物が地球で生存できる許しを得たようなもんや」

 交互に説明する二人の目は爛々と輝き力強くもあり熱くもあった。


「じゃぁ……人間も同じ……ことだと?」

 禁忌に触れるかのように俺は慎重に言葉を選んだ。


 一拍ほど二人は見つめ合い、俺の顔へ焦点を合わせる。

「ミューティノイドはガーデンに順応した人だけど……脳の半分がつぶれてるわ」

 と言った麻由に代わって、声のトーンを落とす麻衣。

「そうや……ミューティノイドを人間って言ってエエかどうかやな」

「だよね……」

 大きく静寂が広がった。鼓膜を押し付けてくる無音状態に包まれて、耐熱スーツの冷気が循環する音だけが渡ってきた。


 息苦しい気配を払拭したくて、俺は話の矛先を明るい方へと。

「だけど俺たちの文明は滅んでないぜ。こうして高度な機材を利用して、ほら、ガーデン深部に入れることができるだろ?」


 麻衣は困ったように眉間にシワを寄せた。

「まぁね。でもスキューバ―の機材を使って海の中を泳いでも、海洋環境に順応したとは言えんやろ?」

「そ。ケミカルガーデンの侵攻をどこかで止めなきゃ、人間の住む陸地が無くなるわけよ。そうなったらどうする? 人間もミューティノイドみたいに変異するか……」

 その先は言われなくても答えは見えている。

 滅亡……か。それしかない。


 再び浸透した静寂の中で、俺は黙って水のボトルを頬張りつつ辺りを見渡した。それは怖い答えから逃れるためだった。

 二人もそれを咎めることもなく、水分補給に専念した。



 休憩場所と選んだ空間は、糸状菌の林がぽっかりと穴を開けられた公園のような空き地で、一面カビの絨毯が広がった足首に優しそうな場所だ。

 ところどころに大きな盛り上がりがあるのは、朽ち果てた倒木をカビが覆い尽くした跡だ。あとは糸状菌の巨大アーチから垂れ下がる膨大な数の菌の束。その中に俺たちが切り拓いた空間がまるく光って見える。


「これも珍しいモノだろ?」

 緑の光に照らされたそんな場所に、タンポポの穂にも似た物体を発見。近寄って観察してみる。

 それは糸状菌のフカフカした緑色の絨毯(じゅうたん)から真っ直ぐに伸びた茎の先で丸く固まり、柔らかげな綿毛をゆらゆらさせていた。


 しかしどこか妙だ。輪郭がしっかりしておらず、常にゆらゆらと揺れ動くのだ。全体としてはほぼ球体を維持するのだが。これは一体なんだろう?

 奇妙な形と動きに魅入られて石化した俺の背中越から、麻衣が水の入ったボトルの先でそれを示した。

「それはガンビ蝿のコロニーや。たくさん集まって固まってんねん」


「ガンビバエ?」

「小バエの一種やね」

「虫が集まって、タンポポの穂みたいになってんのか」

 もっと接近して観察しよう試みると、それは気配を察して煙みたいに飛び散り、後には一本の糸状菌の茎だけが残された。


「すげぇ小さな虫なんだ」

 個体の大きさが目視できない微細な形状で、それはまさに煙のように消えた。


 注意深く辺りを窺うと、ガンビ蝿の集合体はそこらじゅうで見つけることができた。そして近づこうとすると、煙みたいに飛び去る。その反応が面白くてわざと足音を上げて歩き回った。

「あんたな。もうやめとき。ガンビバエの体に付着したカビの胞子は空気を汚すねん。マスクせぇへんかったら肺を傷めるかも知れんで……」


 麻衣に制されて俺は素直に引き下がった。命に関わることはしたくない。

 はぁぁ。と吐息をして、もうひと口水をぐびり。

「水は全部飲んだらアカンよ」

「なんで?」

 ボトルを銜えたまま麻衣へ首を捻じる。


「ここでは水は貴重なんよ。予備の飲料水があるからって、無駄にしてたらひどい目に遭うよ」

「りょ、了解した。そらそうだよな」

 うーむ。こいつらのは貧乏臭いとかケチ臭いとかではなく次元が違うんだな。これからはちょっと違った目で二人を見そうだ。



「なんだい?」

 あいつらの決意じみた行動をひたすら感心する俺の鼻先に、ランちゃんの頭が近づいて来た。視線を示すレーザーポインターの赤い光りで、長ぼそいパッケージの箱を示して『ぽぴゅー』と鳴いた。


「そうね。そろそろ手元が暗くなってくるね」

 麻由がランちゃんの頭を優しく撫でながら応える。

「そうか。もう何時だ?」

『午前12時48分です』

 ランちゃんの指令でスーツがつぶやく。

「夢中で時間を忘れてたけど、もう夜中じゃないか……」

 マジでこいつら寝る気配が無い。

「あー疲れた……」

 疲労感が半端ない。若いヤツらは元気だぜ。一年しか違わんけど……。


 麻衣はすっかり無気力になっちまった俺をチラ見してから、ランちゃんの荷台に載った長ぼそい箱を開けた。中から30センチほどのスティック状のものを取り出すと一本を俺へと投げてよこした。

「まぁそのうち覚えるやろ。さ、あんたもこれ使って」

「ん?」

 パシッと受け取り、手のひらで転がす。


「それはケミカルライトって言うねん。別名サイリュームや」

 麻衣は自分の手のひらに載ったスティックをパキパキと音を出して折り曲げたりひねったり。


「この発光色は結構明るいんやで。じゅうぶんライトの代わりになるし、なにより安くて長持ち。1本で6時間も持つねん」

 すぐに広がる蛍光灯にも似た明かりに俺は目を瞬かせ、麻衣はそれを合図に元気な声を張り上げる。

「さぁ、再開しよっか!」


 麻衣は右手の袖の外側に付けられた何個かの輪っかへ、ケミカルライトを肘に向かって通すと固定し、

「ケミカルライトはここに通して固定すると両手が空くやろ」

 俺にもやれと促した。

「これって、そのための輪っかだったのか。やっと意味が分かった。よくできてるなこのスーツ」


 予告なく隣で麻衣が叫ぶ。

「あっ! 動いたらあかんで!」

 ショットガンの先を横に出して進行を止め、ランちゃんが反応して数メートルバック。俺は麻衣が注視する先へと視線を滑らせる。

「いったいなんだよ?」

 それはとんでもなく意表を突いた物体だった。


 風に舞うペイズリー柄のハンカチ風の布切れが一枚。空気をはためかせて近づくと、俺たちからちょっと離れた場所でホバリングした。


「ええ?」

 信じられなくて二度見する。

「あれって生き物か?」


「大きいでしょ。ミノガの変異体なのよ」とは麻由。


「なんちゅう色合いだよ。極彩色じゃん」

「それも毒があんねん」

 平然と怖い説明をする麻衣。その時、


 ウッケケケケケケケー!


「なっ!」

 腰が砕けそうになった。

「いま鳴いたぞ。なぁ? 鳴いたよな?」


 麻衣はニヤニヤするだけ。確かにいま鳴き声が聞こえた。

「鳴きながら飛ぶ()って、なんだよ?」

 不気味を超えて恐怖だった。嫌な汗が全身から滲み出てきた。


 蛾のクセに鳴き声を上げる、およそ進化の流れから外れたような生き物は、金色の粉を羽から撒き散らして再び空中で停止。その瞬間。


 ドンッ!


 麻衣は躊躇なく引金を引き、サイケデリックな生物が木っ端微塵になった。


「あれは鱗粉(りんぷん)とちゃうねん。蛾に繁殖したカビが飛び散ってるんよ。それもマイコトキシンや。目に入ると失明するほどの猛毒やねんよ」


「お、恐ろしいじゃないか」

 大きさと鳴くだけでもビビってしまうのに、そのうえ猛毒って……。


「見つけたらすぐに退治しないと、こっちがやられるわ」

 麻由の真剣な目を見て背筋が凍る思いだった。


「ますます、ヤバイ世界になってきたぞ」

 周りの異様さに拍車がかかってきたようだ。間髪入れずに麻衣の注意が飛ぶ。


「ちょっと! 足元のそれ、踏んだらあかんで」


「なにを……? うぉ、なんだコレ?」


 半歩ほど視線の先、地面の上にガラス玉みたいな物が落ちていた。一個ではない。数個が寄り集まって転がっているのだ。

「絶対に割ったらあかんよ」

 割るなと言われたって、得体の知れないモノにはそう易々と近寄る気は無い。


 大きさはピンポン玉ぐらい。見るからに薄そうなガラスで作られた球形で、頼りなげな表面には虹色の光りがゆっくり回転しており、それはシャボン玉だとも言える。しかも別の球状物がそいつの内部で逆方向に回転していて、まるで宇宙に浮かぶ不可思議な天体みたいな物体だ。


「なんかの結晶なのか?」


 見たこともない不可思議な物だったが、麻衣が信じられない事を言った。

蜘蛛(くも)や」

「うっそ~。マジで?」

 訊き直すさ。そりゃそうさ。虹色の球だぞ。なんだそりゃぁ。


「よーく見てね。そこに4つの球が落ちてるでしょ。そのうち内部で不思議なものが回ってるのが蜘蛛で、残りの3つは動物が餌にするキノコなのよ」


「こんなガラス質のキノコがあるのもびっくりだが、それをそっくり真似たクモが存在するのも驚きだな」

「その蜘蛛はね。キノコを食べに来た動物が触れた途端に砕けて、中から毒ガスを噴出させて相手を殺してから捕食するのよ」

 その可愛い口調で言われるとよけいに恐怖だ。

 それよりも、そいつは自分の毒では死なないのかね。たぶん、毒蛇が自分の毒で死なないのと同じ原理だろうな。


「じゃあ、この丸いのが胴体?」

「そう。頭は地面の中にあるねん」

 麻衣は面白そうに説明。麻由もニコニコして、

「地面の下にも危険物があるから注意してよ」

「笑って言うなよ、ぜんぜん気の休まるところが無いな、ここって」


「それがケミカルガーデンやろ。天国でもあると思ってたん?」


「あ、いや……」

 そうあからさまに言われると、答えを失うよな。


 溜め息混じりにもう一度辺りを見渡し、これまでとは異質のものを見つけて、俺はかすかな期待を持った。そうお宝を発見したのだ。

「あのさ。ここって変な生き物ばかりじゃなくて、宝石の類いは落ちてないの?」

 カビのカーペットが広がる地面に白い砂利ぽい物が集まった場所がある。その中に白濁して先の尖った石柱みたいな物がつんつんと飛び出しており、天井の緑色の光をキラキラと反射させていた。

 見た途端に俺の胸が騒いだ。これは金目のものに違いないと。昔絵本で見た宝物の中に同じような形をした白い宝石があった。


 俺の視線の先を麻衣が目ざとく見つけて鼻で笑う。

「しょうもないもんはすぐに見つけるんやね。それよりもあんたはキイワラビを探したらエエねん」

 この野郎。あとで掘り出して独り占めしようとする気か?


「あんた。あの白いヤツを水晶とかそういう鉱石と思ってない?」

「俺が先に見つけたんだからな。俺のほうが分け前を多くしてくれよ」

 麻衣はこれ見よがしに大きく溜め息を吐いて肩を落とした。


「あれは塩の結晶やがな」

「塩?」

「そうよ。海が干上がって塩が結晶化してるの」

 麻由も呆れ顔だ。


「あんなにキラキラしてんのに塩かよ……そっか。ここらはもと海だもんな」

 二人掛かりで左右から同じ顔して説明されれば、一気にクールダウンする。


 宝石のように煌めくのに塩とはな……。じゃぁ、あの黒いのは何だろう?

 見る物すべてが珍しい。キイワラビを探して目に焼き付いた黄色を拭い去るにはちょうど良い。


 塩の結晶が集まる広場に点在する真っ黒な溜まり。光の反射具合から察するとコールタール。

「もしかしてあれが石油?」

 枯渇したはずのガソリンとか石炭が取れれば億万長者となる。


「うぜぇ~」

 重油かコールタールの一種かと思い、顔を近づけた途端、目頭を押さえた。


「くっせぇー!」

 期待は儚い夢となって揮散した。こんな悪臭を放つ石油は無い。


「ったく……。ロクなモンが無いな」

 濡れ手に粟、的な物はそう簡単に見つからないものだ、と悟りつつ、麻衣たちに言われたキロワラビの捜索作業へ戻ろうとした時。


 ぐぅぅえぇろぉーぷっ。


 俺の背後から総毛立つような嗚咽を吐く音が渡る。

「ぐげぇー。二日酔いのおっさんみたいな? な、なんだ?」

 ガーデンの内部ではおよそ自然が奏でるとは思えない不気味な音が数多く耳に入ってくる。


 嗚咽を吐いたのは、例の紫色のホースの隙間にいくつもぶら下がる袋状の物体だった。中に溜めこんだ緑色のねばねばした液体の中から大きな泡が湧き上がって来る時に、袋の口から放出される音だ。泡はその後不気味な気体を吐いて霧となって消える。もちろんその気体が身体に良いわけがない。



 これでもかと奇怪なモノばかり見せ付けられると、俺が受ける精神的な衝撃はそれなりに大きい。


「ガーデンがこんなにも気色悪い所だとは……。想像を絶するよな、ったく」

 ゴミ屋敷の中をさ迷うような気がして立ち尽くす。胃の中から何かがこみあげてきそうだった。


「気持ち悪いやろ…。あの胞子袋の中で暖められた空気が、細くなった先から噴き出すときに音を上げるんよ」

「ねぇ。すごいでしょ。あたしここへ来ると、食欲無くなるのよ。早く奥へ行こうよ」

 気持ちはそれぞれ同じだったということに安堵して、先に進むことにした。

  

  

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