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ゼロの支配者  作者: 雲黒斎草菜
九州編
102/109

 時間項

  

  

「とにかく今は行くしかありません。時間項が見つかったからには、正しい流れに従うのがリーパーの務めです」

 イウの嫌味をこめたニヤけた顔が気になったので、わたしは反対に睨みつけてやった。


「修一さんは、麻由さんの手を握って、少しでもこの時間流に留まるよう刺激を与え続けなさい」

 つい命令口調になってしまったのは、修一さんが口をあけたまま忘我の境地に陥っていたからです。


 現代組には理解不能でしょう。彼が放心状態になっても仕方が無いことだ。しかし科学者、良子さんはちゃんと理解している――たぶん……か?


「良子さん。さぁ急いで、時間はありません。必要な薬と道具をメモにお書きください。できたらすぐにわたしと過去へ飛びますわよ」

「ええ? 時間はあるって言ったじゃない」

「ウソも方便というでしょ。ああでも言わなきゃ、あなたたち取り乱してパニックになっていましたわ」

 そして、にっこりと微笑んで良子さんを追い立たせた。

「さっ、急いで」




 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆




「――準備できたわ。日高さん」

 手に持ったメモをちらつかせ、わたしの正面に立つ良子さんは紺の制服に白衣姿。もし過去のわたしたちに見つかっても違いの出ないように、あの時(7月31日)と同じ服装にしてもらった。


 良子さんは科学者の血が騒ぐのだろう。好奇心あふれる丸々とさせた瞳でわたしを見ると、興奮した口調で訴えた。

「115年過去の阿蘇へ飛んだ以来よ。久しぶりの時間旅行だわ。ドキドキするねー」

「久しぶりではありません。ついこのあいだ延岡の研究所でも30秒過去に飛んでますでしょ」


「あれはあなたに眠らされて、ほとんど覚えてないし……あっ!」

 何に気づいたのか知らないが、わたしの顔を覗き込んだ。

「そっか。モヤモヤした記憶って、あれと同じなんだ。――ちょっと日高さん。何度私に催眠術をかけたら気が済むの?」

 はぁぁ。疲れる……。わたしのは催眠術ではない。


「私って――(じゅつ)に落ちやすいオンナなのね」

 意味不明なことをつぶやく良子さんをすがめながら、腕を引き寄せる。

「なに言ってんですか。わたしを放さないでくださいね。行きますよ」

 彼女は生唾を飲み込んで首肯。気持ちの整理はできたようだ。


「ガウロパ、正確な現時間を述べなさい! それを目標に戻ります」

「はっ、2318年8月9日、午後2時46分47秒!」


 次の瞬間、亜空間に飛び込んだ。いつものゼリーに包まれたような心地よい感触にホッと弛緩する。リーパーにとって亜空間は母体に戻るのと同じ安心感とともに、心身ともに癒される。赤ん坊の頃はこの中がゆりかごだったのだ。だからそれは当然なのです。


 ひと息吐いて、蝋人形のようにわたしの横でじっと静止する良子さんを眺めた。この感触を普通の人は、まったく感じられないなんて、少し気の毒に思う。


 実空間の物体が亜空間に飛び込むと時間がほぼ停止する。正確には圧縮されると言ったほうが適切なのだ。そこでは時間が相対的に流れていて、亜空間に飛び込んだ途端、あたかも原子の振動も抑制されたように映る。こちらから見るとそれはただの石化した物体としてしか認識されない。


 しかしリーパーだけは精神活動も凍結せず、その中で自由に動き回れて、どちらの空間にも影響されない。それがリーパーを時間跳躍者と呼ぶ由縁でもある。


 ここを発見したのもリーパーであり、初期の頃は、迫害されたリーパーが逃げ込んだのもここなのだ。


 ――とかのんびり解説するヒマなど無い。いや。『のんびり』などと時間に関する言葉は、わたしにとって無関係だった。しかし焦る気持ちがよく分かる。パスファインダーともあろう者が、実時間のリーディングソース(現代組)に影響されて熱くなるなんて、こんなことは絶対に無かったのに、わたしどうしたんだろ。


「もしかしてリーパー失格かな」

 自分のミスを振り払うかのように、わたしは良子さんの手を引いて実世界、2318年7月31日のあの場所へと戻った。



 閃光とともに飛び込んだのは、双子が住むお屋敷の地下にある寝室――。

 連れて来た良子さんが、キョトキョトして周りを見渡していた。


「ひ、日高さん。ここどこ?」

「7月31日の麻衣さんたちのお屋敷です」


「そっか……」

 ぐいっとわたしの腕を強く引き寄せると、再び小さな声せっついた。

「さぁ。早くしようよ。何からすればいい?」

 彼女は焦燥に駆られているのか、なにやら落ち着きの無い様子。


「どうしたんです? しっかりしてください、良子さん」

「だって、あの子たちが心配で……気持ちばかりが焦るのよー」

 わたしは溜め息混じりに答える。

「時間を飛んだほんの先に戻りますから、向こうでの経過時間は限りなくゼロに近いのです」


 それは嘘でもなんでもないのだが、逆にそれ以上未来に戻ることは、時空進の影響で今はできない。正直に言うと、一度の跳躍で元の時間に戻れるかどうかも怪しいのだが。そんなこと、この人に説明しても無駄だ。


 案の定、良子さんは時空理論をマスターしていない人と同じ種類のつぶやきをわたしの隣で漏らした。

「じゃぁさ、蜂に刺されないように警告したほうが、よかったんじゃない?」


 わたしは、もう一度溜め息を吐く。

「蜂に刺されるという時間項が決まってるんです。そんなことしたら、未来にまで影響しますわ。あの鮫人間たちが闊歩(かっぽ)する日本になってもいいんですか?」

 良子さんは目を丸めて黙り込むと、黒く艶のあるロングヘアーを振った。

「それだけはやだ……」

 それで正解です。

 納得してくれたようで、おとなしくなった良子さんを垣間見て、胸を撫で下ろしたわたしは、ようやく部屋の外へ神経を這わした。



 外はしんと静まり返り、耳の奥が痛くなるような静寂に沈んでいた。

「誰もいないみたいね」


 奥の寝室を窺い、首を伸ばした良子さんはそこへと声を掛けた。

「ねぇー。誰かいるー?」

「ちょ、ちょっと。何してるんです。誰かに見つかったらどうするんですか」

 わたしは腰を抜かしそうになった。


「いいじゃない、麻衣たちの家なら知らないところじゃないし」

「だめです。ここでわたしたちが見つかると、みんなの過去が変わってしまうでしょ」

「あ、そっか。リーパーって、面倒臭いねー」

 何かの料理を作る、みたいに言わないで。


 呆れて言い返す言葉を探っていると、外から大勢の気配が――金属製の階段を大きな音を上げて下りて来る。

「日高さん隠れるわよ。みんなが帰ってきたわ。そしたらすぐに私がこの寝室の前を通るからね」

「ほんとですの?」

「ほんとよ。トイレに行きたかったんだもん」

「…………」

 呆れた。何も言えない。


 恥じることもなく、平気でよくそんな会話をするわね。女子高のノリだ。

 しかしそれはそれで好都合だ。どうやってこの時間の『柏木良子』さんをこちらに誘い出すか、いいアイデアが浮かばないのが正直なところだったのだ。


 やがて食卓の方からガヤガヤと騒がしい声が広がり、すぐに白衣の擦れる音が近づいて来た。

 わたしは精神誘導の準備を始めようと、手を握り、ゆっくりと人差し指と中指を伸ばした。


「ちょっと待って」

 その手を未来の良子さんが引き止めた。


「な、なんですか?」

 わたしは緊迫した。何がどうしたのだろう?

 強張って彼女の目を見つめる。


「先にトイレ行かせてあげて、もう一度ここの前通るし」

 良子さんは半分笑った目でわたしに訴えてきた。


「そんなに切羽詰まってたんですか?」

 バカな質問をしたな、と思ったのに、

「うん」

 こともなげに首を縦に振った。

 頭が痛くなって、伸ばしていた二本の指を自分の額へと当てた。



 数分後――。

「そろそろ私が帰って来るわよ」と言ってから、「へんな気分だわ」と自分の肩を両手で抱くと、ぶるっと身震いさせた。


「気をつけて、それが重複存在現象です」

「肌がチリチリしてるわ。共鳴……、いやこれは共振ね」

 わたしは思わず嘆息する。さすがに科学者である。何も説明していないのに、ほぼ正しいことを言っている。


「そうです。同じ時間に同じ人物が存在してるんです。存在と同時に同調を始めた原子が融合を起こそうと共振をするんです」


「分極ということは、三人以上が存在した場合は?」

 やはり良子さんは科学者だ。修一さんとは異なる次元の高い質問が返ってきた。


「互いの距離によって極性が変化します。もし同極どうしが近づくと衝撃波を放って宇宙の塵になり、異極どうしが近づくと、爆縮を起こします」

「爆縮って……消滅ってこと?」

 脅す気は無いが、わたしはちょっと重々しくうなづいた。


「ドッペルゲンガー現象だわ」

 つぶやく良子さん。わたしもそっとうなずく。

「そうです。何人かのリーパーが犠牲になった瞬間に遭遇した現時の人がそう呼んだんですわ」

(うわさ)じゃなかったのね」

「事実です。近づきすぎると実体融合して、爆縮するか、暴爆を起こして宇宙の彼方へ弾け飛ぶか。運がよくてもどちらかが死を招く恐ろしいことになります」


 説明はこれだけではない。異時間同一体が対面するとまだ面倒なことが起きるのだ。


「それよりいいですか。今から過去のあなたをここに誘導しますが、決してあなたはその人を見ないように、あるいは見られないようにしてください」

 良子さんは、はっきりと喉を上下させてから小さくうなずく。

「感情サージね」

「よくご存知で……」

 ちょっと驚いて、彼女の目をマジマジと見つめた。


「バカにしないでよ。だいぶ前にあなたから教わったわよー。互いの人物が同じ記憶を共有するから、感情が過去から未来に筒抜けになるんでしょ」

「そうです。その変化がまた過去に伝わり、無限ループを起こす現象です。そうなると精神障害を起こして発狂するか、ひどいときは時間流に(ひず)みが出ます。ですのでそんな雰囲気を感じたら、すぐに相手の存在を否定してください。できますか?」


「わ、わかんない。そんな経験無いもの」

「科学者精神なんて出さないでくださいね。それともわたしがしばらく眠らせてあげましょうか?」

「の……ノー、サンキュー。精神操作はコリゴリなのよ。あっ、このベッドの下に隠れとくわ」

 よほど精神内を触れられたのが気持ち悪かったのだろう。素直に自分からベッドの下に潜り込んだ。


 何となくその可愛い行動に頬をほころばす。とそこへ過去の『柏木良子』さんが扉の前を通る気配が……。そっと開けると、わたしはその後ろ姿に向かって呼び止めた。


「良子さん?」

 わたしの声に良子さん(過去)は、屈託のない顔で、いや、スッキリした表情がこの場合正しい。そんな顔で振り返った。

「あら? 日高さん。麻衣たちの寝室で何してるの?」

「ちょっと、これ見ていただけます?」

「なぁに?」

 何の疑いも持たずに部屋に入って来る良子さん(過去)。その眉間に向かって人差し指と中指でトンと突く。


 良子さん(過去)は瞬時に意識を失い、わたしは床に崩れそうになる直前に精神操作を開始した。

「――ベッドに座りなさい」と命じる。

 目の焦点が消え、まるでマネキン人形みたいな良子さん(過去)は、静かにベッドに腰掛けた。その下には未来の良子さん(ここから見たら)が寝転がるが、たぶん重複共振で震え上がっていることだろう。わたしにも気配が伝わって来る。


 わたしは人差し指と中指で良子さんの眉間を押したまま命じた。

「今からわたしの言う薬品を準備するように、熊本の服部さんに指示するのです」

 と、伝える最中(さいちゅう)に、

「えっ? 何?」

 もやもやと湧き上がってきた喉を締め付ける圧迫感。柔らかいマフラーを首に巻かれて、ゆっくりと、かつ、はんなりと締め上げられていく気分だった。初めは心地よい感触なのだが、気づくと呼吸を圧迫してくる。


 わたしは苦しくなって息を詰まらせた。

「な、何なのこの人の精神力。き、効かない。くっ、わたしの精神力を押し返して……くる。薬の品名まで伝えることができない!」

 もっと簡単なことぐらいしか操作できないと悟ったわたしは、咄嗟に良子さんの圧し返してくる精神力を振り払い、別の暗示をかけた。


「服部さんとの電話を切る前に、ここへ戻りなさい。か……必ず戻るのですよ」


 息が続かない。少しでも気を散らすと、そこへ良子さんの精神波が突っ込んでくる。堪らず、ほんのちょっと呼吸をして、

「ここにわたしがいることは記憶から、……くぅぅ。け……消し去りなさい――ぷっふぁぁぁぁぁぁぁ」

 息継ぎ無しで25メートルプールを端まで泳がされたような呼吸になっていた。


「はぁはぁはぁ。なんて人でしょ」

 息も絶え絶えでわたしは精神操作を終え、良子さん(過去)を部屋の外に放り出した。

  

  

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