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ゼロの支配者  作者: 雲黒斎草菜
ケミカルガーデン
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 糸状菌の森

  

  

 ジャングルを歩き慣れている二人の足は速い。俺は遅れまいと連中の足元だけを見つめて黙々と歩いていると、尻の上にぶら下げたブッシュナイフを麻由が抜いて行進を止めた。視線を巡らせてやっと我に返る。いつのまにか熱帯雨林の植物が消えており、蛍光色(ネオンカラー)に近い青緑色をした綿毛がびっしりと繁殖した網状(あみじょう)の天井が広がっていた。

 およそ自然界ではお目にかかれない色遣いだ。そして最も驚かされのたのは、天井の景色をそのまま湖面に映したかのように反転させた世界が地面の上でも展開することだ。


「なんだよ……ここ」

 俺は我が目を疑った。

 地面から天井まで蔓延(はびこ)った毒々しい青緑の綿毛は長く成長して、互いに()じれ合い、紐状(ひもじょう)の束になって立ち上がると、天井から垂れ下がってきた縄みたいな物と絡み合って融合。もし上下を逆さにして見たとしても、俺の視界には同じものが映るだろう。


「ここがケミカルガーデンの入り口よ」

「こ……これが!」

 思わず絶句だ。想像を絶する不気味な空間。俺の知っている地球ではない。これがガーデンなのか……。


 奥へ向かうほどに足下に広がる綿毛。だけど綿の繊維とは明らかに違う。まるで一本一本が意識を持った生き物のように感じられる。それぐらい生き生きとしているのだ。数十メートルも進むと俺の身長をはるかに超えた。


「この中を行くのか?」

「そうよ」

 躊躇する俺を励ますかのように麻由の返事は明るい。


 目の前に展開する世界を簡単に説明すると、まるで綿が詰まった布団の中を()くアリンコだ。ただし白い綿ではない。緑色系の繊維の海。まさに緑の地獄だ。


「こんなのすぐ慣れるわよ。あたしたちについて来て」

 麻由が縄状の物体をブッシュナイフで薙ぎ払って中に入って行った。

 入り組んだ縄や紐状の物体は弾力があって、手で引き千切ることは困難だがナイフを使うと簡単に切断できる。

「この紐みたいなのはなに?」

菌糸(きんし)(たば)

 そっけなく答える麻衣。知らないのか? みたいに言う。

「菌糸の束って?」

糸状菌(しじょうきん)やんか」

 よけいに謎が膨らんだ。



 ざくっ、ざくっ。

 単調な音が連発する。進行を妨げる菌糸の束を麻由がブッシュナイフで切り離す音だ。立ち塞がる空間に穴が開くので少し進み、またブッシュナイフを振りかざす。繰り返される光景に引き込まれるようにして行進は前へ前へと延びて行った。


「うはっ。身体に悪そう……」

 歩くたびに、足下で黄緑色の(けむ)を吐く様子を見て眉をひそめる。これが教科書に載っていた『カビ毒』の原形ではないだろうか?


「カビ毒がひどいけど大丈夫か?」

 不安に駆られて先頭を行く二人に尋ねる。


「これはカビの胞子で、毒は無いねん。だいたいカビ毒は目に見えるもんとちゃうやろ。あんたさっきから何やねん。糸状菌かて学校で習ってるはずや。そんなんやから変異体生物の授業を落としそうになるんや」

 年下の女子に言われるセリフではない。


「うっせぇな……」

 言い返す言葉もない。糸状菌なんて今日初めて聞いたし……。


 再び怯みだす俺の背を後ろから来たランちゃんが自分の首で押してきた。

「なんだよ? わかってるって」

『ぴゅりゅっぽっ』と鳴いて元気づけようとする三輪バギーから、俺は背中を反らして逃げ、麻由は片目で笑いながら菌糸の束をブッシュナイフで切り拓いていく。


 一度ナイフを振り下ろすと同時に十数本が上下に立ち切れて、下は腰が砕けてクタリと地面に倒れ伏し、上は暖簾みたいに力を失くして垂れ下がる。それを俺たちがくぐり、その後をランちゃんがゴムタイヤを転がして通過する。足元はびっしりと綿毛の生えた地面だが平らで歩きやすい。だけど見た目はまるで丸められた魚獲り用の網の中を行くようだ。


 奥へ進むほどに密集度は増して新たな変化が訪れる。色彩がもっと鮮やかになってきた。縄状の物体は緑だけでなく、ピンクや黄色など色とりどりのものが入り乱れて、もつれまくっている。ちょうど絵の具箱をひっくり返して大勢で踏みまくった跡みたいだった。



 カラフルな網縄状態の中を一列になって行進すること半時間。縄状の物質がさらに増えてきた。それは巨大な立体迷路のドームを作り上げ、やがて俺たちの前にそびえ立った。


「やっぱすげぇな。ケミカルガーデン」

 網目に広がった脳神経細胞を数万倍に広げたネットワーク構造の物を想像すればいい。重力の掛かる下方向が地面だと言い聞かせても、進むにつれて上下感が失われていく。




 麻由がブッシュナイフで切り拓いてくれた道を進むことさらに半時間。

 縄ほどの菌糸の束は、さらに互いに()じれ合い、螺旋状(らせん)を描いて長く渦巻いてちょっとした樹木ほどの太さになって俺たちの前進を阻んできた。

「林だ。糸状菌の林だぞ」

 街路樹ほどに成長したカビの柱は数え切れないほど林立しており、辺り一面を無秩序に密生。その先は複雑に枝分かれすると他の枝と再び絡み合い、空を覆い尽くしていた。


 続いて足下に視線を落とす。

「もとはこんな細い毛みたいなものでできてんだな」

 そこはさっき通って来た場所と同じ綿毛が絡まった網が敷き詰められている。そこからぎゅんぎゅんと伸びた柱が立ち上がるキノコの森林世界。信じられない景色にしばし凍りつく。


「これ全部がカビやねんよ」

 麻衣の説明に息を呑む。ケミカルガーデンはカビの世界だとは聞いていたが――この規模には圧倒された。カビの大帝国とでも言うべきだろう。


「ほら見て……」

 麻由がブッシュナイフの先で一本の柱を縦に切り裂いて中を見せた。

「これが糸状菌の正体よ。ぎっしり詰まる糸みたいなものが菌糸。数えきれないほどの菌糸が寄り集まって絡み合い、毛糸みたいに太くなって()じれて支柱になって、それが巻きついて太く成長してこの大きな子実体のドームを作ってんのよ」


「カビって、こんなにでかくなんの……」

 圧倒されてしまい、声が上擦ってしまった。



 さらに進むといよいよ環境は極悪になってきた。湿度100パーセント、気温57℃だ。


 この気温で湿度100パーセントは、気温30℃の場合と比べて4倍近い水蒸気が漂っていることになるんだとか、麻由がそう言うものの、その時はいまいちピンとこなかったのだが、今まさにそれを実感する。スーツの周りにたくさんの水滴が付き、全身を滴って激しく落ちだしたからだ。これは冷たいガラスの周りに(しずく)が着くのと同じ現象で、凝縮(ぎょうしゅく)と言うらしい。

 これも授業で習ったはずだと麻衣に怒られたが、知らんもんは知らん。


 それよりも――。

 耐熱スーツがなぜウエットスーツみたいな材質なのか、これで理解できた。と、納得するものの――ならば、周りのカビにはそれほど水滴が付いて無いのはどうしてだろう?

「温度差やね。それだけ糸状菌の表面温度が高いっちゅうことよ。ほんでうちらのスーツの内部が低温やということやんか」

 なるほどね。授業を2時間受けるより、ここに5分いるほうが身につくよな、実際。



 麻由の伐採速度がまた一段早まった。まるで専用の機械みたいな動きで、進行を妨げる長く伸びた縄状の林をたたっ切りながら進む。それは目を見張るナイフ捌きで、チンピラのモヒカン頭をそげ落とすぐらいたやすいことだと、強くそう思った。



 そうこうしていたら……。


「なんだ、ここは?!」

 ガーデンに侵入して2時間。辺りの様子が再び変化した。急激に天井が高くなり、いきなり空間が(ひら)けたのだ。


 これまでは糸状菌が拵えた森林の迷路みたいな道筋をあるいてきたのだが、ここに来てそれが一転した。

「うぉぉ、ドームだ。広い……」

 林とも森林とも言える群生がさらに絡み合い、巨大な支柱となって、ドーム型の天井を誇らしげに持ち上げていた。


「すっげえ~。菌糸のアーチだぞ」

「その上に広がってるのが子実体よ。つまりキノコの傘ね」

「うひゃー高ぇ。丸天井じゃんか。完全に空が見えない」

 地面のいたるところから巨大なアーチが円弧を作って空を覆い、そこへと水蒸気のモヤが漂う、そんな光景が奥へ向かって無限に広がるかのような世界。俺はただただ立ち尽くして見上げるだけだ。


「うひゃー、なんだこの高さっ!」

 いくら大声を上げても声が吸収されてしまう。まったくの無響状態だった。

「うちらはスタジアムって呼んでるんよ」

 麻衣の声もまったく反射しない、鼓膜がへこんだまま戻らない錯覚に陥った。


「広さから行けば、スタジアム以上かもな……」

 ゆっくりと遠望する。

 アーチはコンクリートで拵えたみたいにキレイに円弧を描くが、構成するのはやはり糸状菌で、それまで目にした縄状の物がさらに密集して互いを締め上げ、渦を巻くように螺旋形によじれて何十本、何百本もの太い束に寄り集まってアーチの主柱を作り上げてこの巨大なドームを支えている。


「でっけえー」

 さっきカビの帝国だとか言って叫んだ場所はまだほんの入り口だったことを知らされた。あそこから見るとここはまさに摩天楼さ。


「さぁ、おまちどうさん。ここからが本当のケミカルガーデンやで」

「すっげぇ……」

 視覚に飛び込む異様な景色に圧倒され、出てくる言葉は同じ種類のモノばかりだった。


 糸状菌が織りなす広大な天蓋から差し込む緑の陽射しが柔らかく降り注ぎ辺りが緑色に輝いている。

「おかしいぞ! もう陽はとっくに暮れてるだろ?」

 急いでランちゃんを探して尋ねた。

「いま何時かな?」


『午後9時12分です』

 ランちゃんは首を上げただけだが、スーツがそう答えた。


「何をさっきからゴチャゴチャゆうてんのよ。そうやでお()さんはとっくに地平線の向こうや」

「じゃ、じゃ、じゃぁ」

「ジャーもポットもないがな。これはグレバが光ってんのよ」

「グレバって?」

「子実体の塊、天井の部分よ」

「こんなに明るいのか?」

 驚異の景色に目を見開くしかない。


 麻衣は緑光のドームを指さして教師みたいに説明する。

「この上に広がる糸状菌の先端に集まった胞子形成部分がグレバって言うの。でね、そこから発光物質を大量に分泌させるのよ。コレはその変異体だけど、もともとはなんと呼ばれるキノコでしょう? はい、山河くん?」


「学校ゴッコなんかやめようぜ。これは仕事だろ? 勉強なんて後でいくらでもできるよ」

 ウンザリ顔で抗議する俺。でも麻衣が鼻息も荒く息巻いた。

「アホかっ! あんたレッドカード保持者になりたいってゆうとったやろ」

「ああ。たしかに言ったよ」

「だったら勉強せな。筆記試験に出るんやデ。今日はその予行演習も兼ねてんねん」

 嫌がる俺を勝手に誘い込みやがって、何が予行演習だ。


「覚えてね、修一。この光る『子実体』を持つのは『ヤコウタケ』の変異体なの。だから夜も明るいの。ね、結構エコでしょ。あたしたちって冷房にほとんどのエネルギーを使うから、照明なんかにバッテリーは使いたくないのよ。解るでしょ?」


「へいへい。ヤコウタケね……ヤコウ、ヤコウっと」

 覚える気なんてさらさら無いからな。ごめんね。



「それよりさ、麻衣ぃ」

 俺は話題を変える。

「そろそろ夜だろ。キャンプの準備を始めなくていいいのか?」

 だが二人はそろって口を閉ざしたままだ。


 俺の最大の懸案事項はキノコの屋根が光ろうと消えようと知ったこっちゃない。それよりもだ。『キャンプ』イコール『テント』だ。でもって俺たちは三人。テントは一組。たしか川の字で寝ると漏らしていたがあれは麻衣得意の冗談か?

「だってほら、もういい時間だろ? だいぶ歩いたぜ」

 俺の問いに二人は揃って呆けやがった。「はぁ?」的な眼差しでな。

 まさか俺だけ外で寝かされるとか?

 やだぜ……。


 俺の切なる懇願に麻衣は目を細めてにっと笑った。

「げぇぇぇ。やっぱ外かよ!」

 俺だけ外で寝るのかよ。違うと言ってくれ。


 思わず食いつく俺に、麻由のほうは話を逸らそうとする。

「変異体植物は毒にもなるけど、薬になるのもあるの。だからあたしたちの仕事があるわけよ」

 そんなことはどうでもいんだ、麻由。


「なぁ。俺だけ外で寝かされるのかよ?」


 麻由は面倒臭そうに言葉を濁した。

「眠らせないから安心して」

「眠らせない……?」

 言葉のニュアンスが変じゃないかい?


 怪訝に首をかしげた俺に今度は麻衣が眉根を寄せる。

「あんたがこの遠征に参加するって宣言した時に、うち何んて()うた?」

「え? なんだっけ?」

「前の日によう寝ておけって、ゆうたやろ?」


「おぉっ。言われたな。疲れをとっとけ、てことだろ?」


 確かに言われた――でもたいして疲れてなかったもんで、夜中までテレビを見てバカ騒ぎをしていたが……。

「……げっ!」

 やっと気付いた。


「まさか。夜通し歩くのか?」

「ここではそれが生き抜くための鉄則や」

「なんで?」

「ジャングルには昼間活動する猛獣と夜活動する猛獣がいるでしょ、それらがそろって少なくなる夕方と朝方に通過するのよ」

「せや。次の夜明け前までがワーキングタイム。就業時間ちゅうことや」

「おいおい、朝までなげぇーぞ」

 (なげ)きにも似た言葉を吐いたあと、一気に肩の荷が重くなるのを感じた。


 じゃあなんでテントなんか持って来たんだよと強く訴えたい。しかも紛らわしいことを言いやがって……。

 この場に仰向けになってジタバタ暴れてやりたい気分だ。でもやらない。やったらきっと麻衣のことだ、ショットガンを撃ちこんでくるに違いない。

  

  


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