冬休みの宿題
「2300年。温暖化現象をおざなりにした人類は、恒温霧湿帯という終局の状況に地球を追い込んだ。それはカビ毒に侵されたケミカルガーデンと呼ばれる地獄である……と。なるほどねぇ……」
溜め息を混ぜて言う。
「へぇ。何の写しか知らないけど、うまい文句を考えたもんだな、村上」
『へへ。写しじゃねえよ。オレ様が考え出したんだぜ』
「ウソつけ。と言いたいが、今回は感謝するよ」
『感心するのはメールの最後まで読んでからにしてくれよ』
と、携帯電話の声に促されて、俺は元の場所に目を戻した。
「えーと……なになに……?」
《21世紀には赤道周辺にしかなかった熱帯雨林が、温暖化による気温上昇に伴い、24世紀には北海道のさらに北にまで広がり、日本全体は背の高い密生植物の茂るジャングルの中に沈んだ。最も寒い月の平均気温が35℃。夏場になると50℃を平気で越える。だが熱帯雨林に埋もれたとはいえ、それは充満する二酸化炭素濃度を減少させる空気浄化の頼みの綱でもあったのだが、気温の上昇は留まることなく、ついには赤道付近の熱帯雨林が砂漠化するという現象が起きた。その結果高温に熱せられた水蒸気が極へと流れ込み、極端に湿度の高い領域が広がった。それがケミカルガーデンである。
ケミカルガーデン。
まるで楽園のような響きだが、これは誰かが言い出した言葉が一般化した名称で、正式には恒温霧湿帯と呼ばれる土地のことである。
一年を通してほとんど気温の変化が無く、摂氏60℃前後を維持した土地は湿度が100パーセントの過飽和状態であった。
もはや普通の植物は生存できず、地面は極彩色のカビがびっしりとはびこり、地上を覆い尽くす見たこともない巨大な菌類が染色体異常を発症させるカビ毒を吐き散らし、ことごとく魔物へと変異させられた生物がのさばる異世界。
つまり――、
ケミカルガーデンは人類にとって、無価値で見捨てられた領域なのである》
「すげー、村上。この文章どこからパチってきたんだよ。これで俺たちの宿題は完璧だな」
『うっせえよ。こんどは修一の番だからな。禁止区域とは言わねえ。せめて準禁止区域あたりのカビの写真でも撮ってきてくれ。ソレを添えて出しゃぁ。補習授業の宿題はばっちりだ』
フィルムフォンから流れる出る声にうなずきつつ。
「それさ……。ネット上の写真をコピペしたらだめ? 準禁止区域なんて怖えよ」
『だめだ。リアル感がない。やっぱ危険を冒しましたというインパクトが無いと変異体生物の先生は納得しないぜ』
「だな。あのオッサンはリアル主義だもんな。授業のために本物の変異植物を見せんだもんな」
『ケミカルガーデンまで行けとまでは言ってねえよ。それに冬休みなんだし、耐熱スーツ無しでギリ行けんだろ? 町外れの原っぱ行きゃぁ、何かあるぜ』
そう言い包められると何も言い返せない。
「だけどなぁ……」
『何を迷ってんだよ。オマエ行ったことあるんだろ? オレは生まれてこのかた、この町を出たことがないんだ。だったらお前が適任さ』
小学校時代。親父のヤロウが経験を積めとばかりに、怖がる俺を連れて行ったのが甲楼園駅周辺の準禁止区域さ。
そんなこんなで。
「気が進まないな……」
電車に揺られながら、憂鬱な気分でフィルムフォンの画面を眺める俺は、山河修一17才。冬休みだというのに物騒な領域へ向かう高校二年生だ。
今期の変異体生物の授業で補習が決定したのは俺と村上の二人だけで、担当教師から恒温霧湿帯の研究論文を二人協力して書いて来いと言われたのさ。で、国語の得意な村上が文章を担当して、俺が現場へ赴き何らかの資料写真を撮るという損な役が廻って来た。
なぜ憂鬱なのか。
理由その1。
治安が悪いからだ。
地下にある駅から地上へ一歩出ると、そこは今から45年ほど前に強制退去が施行された町の跡だ。まだアスファルトの道路が原形をとどめた形で残っている。廃墟だとは言ってもセメント作りのビルなどは、人が住めるほどの状態を残していて、そんな場所が浮浪者や犯罪者の根じろとなる。つまり――無法地帯さ。別の呼び方で準禁止区域だな。
理由その2。
準禁止区域を越えて行くと、そこから先は正式な立ち入り禁止区域だ。200年ほど前に栄えた都市の跡を熱帯雨林が覆い隠した領域さ。気温が50度を越えた人の住めない土地。しかもすぐ先が恒温霧湿帯、通称ケミカルガーデンだな。そこが超危険地帯で、変異した生物が蔓延る世界さ。猛獣から珍獣。特効薬になるキノコから人間をかっ喰らう植物、猛毒を吐く大トカゲ。なんでもありありの魔界が待っている。
そんなところだから、申請さえすれば簡単に銃器の所持が許可される。グリーンカードと呼ばれるモノで、名前と住所を書くだけで何の審査も無く準禁止区域から持ち歩ける。となると物好きなハンターたちが集まる。ただの猛獣狩りではない。魔界のハンティングだ。
それがあそこの連中さ。見てみろよ。通路を挟んで俺の隣にあるボックス席。金属ケースを慎重に持った集団。あれがハンターたちさ。
猛烈な速度で地下のトンネルを抜け出たリニアトラムは、滑らかに減速するとスマートな車体を駅のホームに寄り添わせて静かに停車。一拍の間を空けて、派手なエアー音と共に扉が開き、ひとまずホームへ下り立つ。ハンターの人たちも金属ケースを抱えて俺の後を続いた。
エアーカーテン式の扉でヘアースタイルを乱されようと、どこからも文句が出ないのは、カビ毒を車内へ持ち込まないための処置だから仕方がない。
2317年12月。西日本リニアトラム甲楼園駅。
地上に出るのは何年ぶりだろう。今や一般人は海中都市に移住しているので地表を歩くことは無い。カビ毒で死にたくないからさ。
もちろんこの駅だって地下にある。地上への出入り口はあるが、外はカビ毒が舞い散る死の世界だと学校で教えらた。だから子供は誰も外へ出ようと言いださない。でも本当にカビ毒がひどいのはケミカルガーデンとジャングルの境目なんだ。だからといって安心は禁物。地上の異常気温はマジで発狂者が出るほどなんだ。
「さてと……」
構内にあるケミカルガーデン情報掲示板を見る。地上を映し出すディスプレイにはCO2(二酸化炭素)をしこたま溜め込んだどんよりとした曇り空が広がっていた。青空なんて十年に一度見れたらいいほうだと言う。
次に情報パネルへ目を転じる。
カビ毒警報は出ていない。それからその右、外気温の欄も緑色で36℃を表示。
冬なので比較的気温が低いから緑さ。40℃を越えるとオレンジ、45℃以上は赤色に変わる。真夏になると60℃近くにまでなる。
36℃なら耐熱スーツ無しで歩けそうだが、その湿気たるや、猛烈に絡みついてくる。
憂いを帯びた気分で、持ってきたカビ毒ガード用のマスクを確認する。ここはまだ地下街だから問題ないが、今日は生物の追試で提出する変異体植物のサンプルを採取するために地上へ出なければいけないのだ。出てすぐにカビ毒が問題になるレベルではないが、用心に越したことはない。
駅のロビーから十字の方向に通路が延びていた。ここはハンティングの拠点にもなる大きな駅なので、色とりどりの看板を掲げた商店がずらりと並んでいる。
俺の行先は一つ。変異体植物の採取をするなら地上へ出るしかない。地上と書かれた標識を見つけてそのとおりに地下街を歩いた。
数件の雑貨屋とレストランや和食の店に並んでモーターカーのレンタルショップもあった。もちろん走り回るのは地上だが店先は地下にあって、そこから地上へと走って上がれる。ただし電気で走るヤツだぜ。ガソリン燃料が枯渇した世の中なので、大昔の内燃機関を積んだクルマなんて存在しない。
でもって。ハンターたちはここでモーターカーを借りる。それは猛獣を追い掛けるのが真の目的ではなくて、浮浪者や極悪連中のたむろする廃墟を素早く抜けるためさ。銃を担いだハンターを襲うような命知らずの浮浪者はいないとは思うが、めんどくさいことに遭いたくない、がハンターたちの本音だろうな。
リニアトラムから降り立ったのは十数人のハンターと俺だけ。改札を抜けると早速トランクを並べて、その前で銃自慢に花を咲かせ、俺はそれを横目で眺め、正面にあった通路を選んでひたすら地上へと歩く。
地下街を進むこと数分。この町で唯一の銃器屋を通過。ここでいつも浮かべる疑問がある。
普通はハンティングの拠点となる駅には何軒かの銃器屋さんがあるものなのだが、なぜだかここには1軒しかない。
理由は知らない。というより銃器なんて興味がない。だって俺はハンターじゃないもの。
そうこうしていたら、いきなり人気が無くなった。目の前に現れたのは地上へと続く階段だ。これを上ってすぐに目的の変異体植物があれば即行で採取してトンボ帰りするつもりだが、そんなにうまくいかないだろうな。
二度ほどターンした階段を上り切ると重い遮蔽扉が俺を出迎える。それを押して外に出た。駅構内で見たとおりのどんよりした曇り空が見えた。
冬だというのに、むんっと圧し返してくるような熱気が全身にまとわりついてきて顔をしかめる。
急いでカビ毒防止マスクを装着して辺りを窺った。思ったとおり耐熱スーツの必要はなさそうだ。これが夏だとそうはいかない。50度近くの気温と高湿度にさらされると長時間は耐えられない。そこで耐熱スーツなるものが考え出された。簡単な話、冷房機能の装備されたダイビングスーツみたいなもので、地上へ出る時は必須のスーツさ。
「やっぱ、なぁんも無いな」
アスファルトの道路跡はまだしっかりしていて歩きやすいのだが、ケミカルガーデンへ行ってきました、と言える物は何も無かった。
「もうちょい。奥へ行ってみるか」
危なっかしいヤカラも見当たらない気の緩みから漏れた独りゴチに、ニヤケつつ路地を進む。
駅が遠くなると心細さがひとしおだった。引き返そうかと悩みだした頃。
「ちょっとぉ。やめてよ! いやぁ!」
黄色い声音、しかも明らかに迷惑だと主張する声が響き渡った。
「へへへ。かーのじょ。お一人?」
俺の足が金属製に変わったのかと思うほどに重くなって動きが止まった。
「ダメ! 引っ張らないで!」
「オレたちと、イイことしようぜ」
続いて聞こえてきたのは背筋が粟立つような不快な言葉だ。いま俺が立ち尽くした数メートル先にある路地から聞こえてくる。
「だれかー。たすけてぇ」
ただならぬ気配を引き摺った声。これは確実に救命嘆願のSOSである。だがここは準禁止区域にある廃墟の路地だ。なんだってそんなとこに女の子が一人で歩いているのだろう?
「ごめんなさーい。ゆるしてくださーい」
「へぇっ! 許してやるさ。すんだらな」
何をされるのか……。言わずもがなさ。
へたすると闇の世界に売られてしまうかもしれない。それぐらい今の日本は町を一歩出ると治安が悪いのだ。
地上への出口の壁に掲げられた文字が目に浮かんだ。
『この先は準禁止区域です。そこへの侵入は自己責任となります』
警察の手も入らないスラム街へ一人でノコノコ入り込んだ少女。知っててこの区域に入ったのなら、自己責任だ。誰も助けには来ない。だからあえて俺も危険を冒す気は無い。
おい。本当にそれでいいのか?
(当たり前だ。こっちまでとばっちりが来たらどうする)
「きゃぁー。たすけてぇぇ」
ここで駅へ逃げ帰ったら卑怯者だ。
(でも誰も見てない。放っておけ……)
自問自答が続く。
だが足は着実に路地へと進んでいた。
「ままよっ!」
意思に反して俺は一歩飛び出した。曲がり角で向きを変えて叫ぶ。
「いやがってるだろ! 手を放して……ぬあっ!」
コンマ何秒かで後悔に切り替わった。マジもんの悪党たちだった。
「あの……。その子、嫌がってますよ……たぶん」
一気に萎えて、言葉遣いもおかしな具合になった俺に気付いた一人が、一歩抜き出て凄んだ。
「ダレだ、テメエ?」
髪の毛が四方へ吹っ飛んだような男の肩越しに、震える少女の小さな姿を見た。
リュックを背負いクリクリと丸まった栗色のクセっ毛が可愛い女の子だった。目に映った途端にドンッと胸が撃たれて電気が走った。それはあり得ない衝撃だった。初対面なのに強い親近感が湧きあがり、無性に庇護を掻き立てられた。
(この子どこかで見たことがある!)
これまで受けたことのない感情に自分自身が大きく戸惑った。可愛いとか綺麗とかボディが好みとか、そんな感情ではない。ひたすら慈愛の対象なのだ。なんだこれは!
とか感想をぶっ放していると……。
「へいへい、へぇーい。正義の味方登場ってか? そんな時代はもうとっくに終わったんだぜ、坊主!」
「ぐぇぇぇ、ぐ、ぐるしい」
真っ赤な毛をおっ立てたモヒカン頭の男に襟元を鷲掴みにされ、
「ぶっ殺すぞっ!」
スキンヘッドに蜘蛛の刺青という厳つい格好をした男から剣呑な目で睥睨された。
三人ともおどろおどろしい刺繍を施した耐熱スーツを着込んだヤバ系の男たちだった。
うあぁ。最悪じゃねえか。しくったぜ。
山河修一、生まれて17年間で最大の危機だ。