第九十八話 激昂突破
「突然のお電話失礼します」
不味いと、彼女の表情と声音で誰もが気付いた。
特に彩の表情変化に敏感な信次には彼女が無表情をしている意味に気付き、この後の展開に大きな不安を胸に抱く。
奪った彩の表情は既に何度も見てきたものだ。極寒の氷河の上に佇む姿に、粘着質なマグマを思わせる瞳。
激昂を無理矢理内側に抑え込んだ状態を欠片も表に出さないような彼女の言葉は、しかし通話先の指揮官には御見通しだった。
既に相手は最後の線を振り切っている。どのような言い訳を並べようとも意味をなさず、彩は彩の道理でもってこれから活動を開始するだろう。それを完全に停止させられるのは信次ただ一人であるものの、彼もまた彩同様程ではないにしても胸に怒りがあるのは確かだった。
「今回の一件については先程の内容をそのままお聞きしました。既に録音は終了しているのですが、これは完全に真実であると認識しても問題ではありませんね?」
『無論だ。この情報は全て真実であり、嘘は一片も存在しない』
「解りました。その上で私からは要求がございます」
彩の要求に、何を言うつもりだと指揮官は身構える。
彩の声は酷く平坦だ。温度を感じず、さながら機械と話しているような錯覚すら感じさせる。あの時堂々と信次と横に並んだ姿とは一致せず、故にこそ今の彼女が怒りに燃える理由も容易に想像がついた。
いや、寧ろそれは当たり前なのだ。彩は信次を好いていて、欠片とて傷付いてほしくはない。それを追い詰められてもなお前面に出し続け、一歩も引くつもりが無かったのだ。
そんな女性が激昂すればどうなるのかなど明白である。幾つか思い浮かんだ案が指揮官の脳内に浮かび上がり、恐らくはその全てを此方は受け入れなければならない。
もしも受け入れを拒否すればこの繋がりは断絶するだろう。軍との完全な断絶によって発生するのは、即ち敵対化である。
そこには十席同盟も加わる可能性もあった。どれだけ軍に所属していようとも、デウスは根本的に今の軍に大きな不満を抱いているのだから。
「此方から要求する内容は三つ。一つ目は我々のボディのメンテナンス。二つ目は岐阜側の攻撃停止。最後の三つ目は、今後そちらとの関係を断つ事です」
彼女の出した要求は信次でも立てられる予想だった。
というよりも、この要求の殆どは信次が解決したかった内容と彩が不満に感じていた内容を混ぜたものだ。
メンテナンスが信次。軍との関係を切るのが彩。そして攻撃停止が両者であり、それら全てが完全な形で通る事が出来れば実質信次達は最初に戻るのだ。
違いがあるとすればマキナ関連が既に軍に知られている程度。相手が彩達の素性を知っているのは最初から把握しているので、これからはマキナに関係した者達は逃げ惑う事になるだろう。
不安は未だに残る。相手が逃げながらも襲い掛かる可能性は高いのだから警戒を続ける必要はある。
しかしそれでも、彩は現在の信次と軍との関係を切り落としたかった。そこには純粋に信次の心配と、此方を試した岐阜と長野の指揮官に対する怒りが渦巻いている。
それにこの一件にはZ44も噛んでいた。前々から十席同盟には意味を感じていなかったが、これから先は殺し合いに発展する事もあるだろう。
『待ってくれッ。此方が全面的に悪い事は理解している。メンテナンスと攻撃停止は確実に守らせよう。だが、軍との繋がりそのものを断ち切るのだけは止めてくれないか』
「要求は三つです。その全てを完遂しないのであれば、此方は貴方達を完全に敵として認識します」
指揮官の言葉も彩にはまるで通じない。
信次は何かを言いたかったが、残念ながら現状彩の方が正論だ。此方の都合を考えずに勝手にそんな真似をした相手の事を信用なんて出来る筈も無いし、迂闊に情報交換をすることも不可能。
信次自身は複雑な胸中のまま、彩と指揮官の動向を見守った。PM9はこの件に関しては不干渉とし口を挟む事はしない。その方が信次達にとっても拗れないだろうとし、今はPM9から意識を外していた。
指揮官は必死になって言葉を考える。全ての決定権を持っているのは信次だと認識していたのだが、実際はそんな事はない。
相手は互いに互いの意見を理解しているのだ。そこに上下関係など無く、本当の意味で家族だったのである。
その部分は解っていた筈だった。しかし、現実はもっと根深く純粋だ。
――――絶対に失いたくない家族が居る。何を犠牲にしてでも守らなければならない愛しい相手が居る。
その為ならば如何なる相手であろうとも根絶やしにするのみ。愛の為に、愛を護る為に、等しく全てを殲滅する。
「返答は如何に」
断固とした言葉だった。それは指揮官にとって、首を斬り落とす断頭台も同然。
選ぶ事など許さない。大人しく受け入れ、そのまま関係を白紙にしろ。そしてもう二度と関わり合うな。
言葉にしていないとはいえ、彼女の言外の言葉は指揮官に届いている。その強烈な個性に、デウスが一人を愛せば此処まで守ろうとするのかと驚きすら感じた。
だからこそ、最早指揮官には頷く以外の選択肢が存在しない。だが、それでも指揮官はまだ諦めてはいなかった。
ここで素直に諦めるようであれば己の胸に抱いたものはその程度。それが現実になってしまう。
諦めたくはなかった。悪は己であっても、目の前の奇跡との繋がりを無くしてしまうのは避けたかったのだ。
『……私は君達との関係断絶をしたくはない』
「今更です。あの人の思いを裏切ったのはそちらではないですか。……軍の中にも良い者は居ると、笑顔を浮かべながら話していたあの人の気持ちをそちらは捨てたのです。そんな相手に対して此方が遠慮をする必要がありますか」
『正論だ。君の言う通りだとも。……だからこそ、君に私から提案がある』
「……聞く耳があると?」
『彼を生かしたいのならば絶対に聞くべきだ。そうしなければ遠くない未来で信次さんは死ぬぞ』
死。
その言葉は彩にとって一番忌避すべき単語である。自身に関する事であれば然程問題にならないが、相手が信次であるならば彼女も相手の言葉に耳を傾けざるをえない。
それが真実である事が最低条件であるものの、今この場において嘘を吐く事がどれだけ愚かであるかは解るだろう。
指揮官もそれは認識している。故に未だ調査段階であろうとも、指揮官はその情報を彼女に漏らした。
内容は新しいボディについて。それだけならばまた何時もの小規模なパーツ交換であると考えるが、今回更新される内容は今までの比ではない。
単純計算であればこれまでの二倍の性能上昇が見込める新ボディ。及びそれに対応した各種パーツを搭載し、デウスの核を移植する事によってこれまでとは別次元の戦いを行えるようになった。
指揮官はその情報を仲の良い情報部門の人間から聞き、もしも可能であれば数体分を此方に回してもらうように頼んである。
『情報としての信憑性は高い。軍との関係を断つ事になればこの新ボディが君達を追い詰めるのは確実だ。もしかすれば、このボディそのものにマキナの者達が関与しているかもしれない。実験品を成功作と偽って流す手法も無いではなないからな』
「……試験として戦場に向かわせるにはお誂え向き、という訳ですか。確かに解らないでもない理由です。――では、その数体分のボディの内の一体を私に回してください」
『確実かは不明だ。それでも、手に入ったのならば君に渡す事を承知する。それをもってこの状態を維持しよう』
「――――――致し方無し、ですね」
溜息を一つ。彩の珍しい行動によって発生していた圧は消えた。それによってこの話はこれで御終いと彼女は決めたのだ。
彩はそっと端末の通話を切る。それを隣に居る信次に渡し、少しだけ先を歩いた。
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