第九十三話 掌返し
意識の覚醒が起きる。
本来の微睡みは何処かへと消え、異常な程に目は冴えていた。勢いよく開いた視界は全て暗闇であり、未だ陽が昇っていない事を窺わせる。
肉体の疲労は抜けているが、精神の疲労は寝る前よりも多い。あんな悪夢を見せられたのだから当然であるものの、それが自分の情けなさに起因しているのだから愚痴を吐く事も出来ない。
代わりに溜息を吐き出す。重く重く、その吐息が地面に沈んでいるのかもしれないと思う程に吐き出して、眠気の吹き飛んだ身体を動かし外に出た。
徐々に暖かさも消えていく季節となった今日この頃。秋の空気は俺にとっては過ごし易く、されどもうじき人間には辛い季節へと移動を終える。年々早まる寒波は昨年の時点で十月の前半にやって来ていたが、今年は何時になったら来るのだろうか。
出来れば遅くなってほしいと願いつつ、顔を出した俺の元に一番近くに居たワシズが近寄ってきた。
「おっは。……どしたの?その顔」
「あぁ……まぁ、気にするな。少し嫌な事を思い出していただけだ」
「大丈夫なの?あんまり体調が悪かったらもう一日延長も良いと思うけど」
「それは駄目だ。此処で停滞するのは今夜まで。今日からはこの坂道を突破するぞ」
「はーい。でもその顔で彩の前には出ないでよね。また騒ぎ出すよ」
解ってるとワシズと別れ、俺は今一度テント内に戻る。
この近くに水辺は無い。なので持っている水を少しばかり使ってタオルを濡らす。そのまま顔を拭きながらリュックを漁って缶詰を取り出した。今頃はワシズが全体に俺の起床を告げているだろう。
そうなれば一番最初に来るのは彩だ。酷い顔をしたままにはいられないし、彼女を見て夢のイメージを意識する事もしてはならない。
極めて冷静な状態で彼女と顔を合わせるのだ。その思いで鯖の缶詰を食べきり、ゴミを袋に入れて外に出る。
テントの傍にはやはりというべきか彩の姿。此方に向かって優しく挨拶を送る彼女に俺も普段通りに挨拶を送る。
テントを彩と二人でさっさと片付け、重いリュックを背負って立ち上がった。その頃になれば朝日も姿を見せ始め、離れていたPM9達も近寄ってくる。
一晩過ごしたPM9の顔は非常に退屈そうだ。完全に停滞するのは彼女にとって決して楽な事ではないのだろう。
彩のように休眠モードで一時的に意識を断っても良かっただろうに、それをしなかったのは休む事そのものが嫌いだからなのか。
「やっと起きたか……退屈だったぜ」
「我々の常識で語るな。それにお前は勝手に来た側だろうが。直ぐに居なくなっても構わんぞ」
「へいへい、解ってる解ってる。……まったく冗談の一つも真に受けちまってなぁ」
二人の掛け合いにはやはり遠慮が無い。
それは仲が悪いからではなく、互いに仲が良いからこそのものだ。それを指摘すれば二人は共に否定するだろうが、やはり長年同僚として活動していると良いにしろ悪いにしろ関係が深まるのだろう。
彩が冗談を真に受ける性格なのもPM9は確り理解している。未だ限りなく黒に近いものの、協力する可能性は低くはない。
あの悪夢を見せられたからこそ、俺は彩があんな目に会わないように確り自立しなければならない。
保守的な行動では駄目だ。現にそれによって修理施設を使う方法が限定されてしまっている。このまま軍が俺達に何かを頼らなければ、彼女が不具合を発生させるまでメンテは行えない。
それでは駄目だ。彼女が十分に自身の性能を発揮させる為にも、施設は今直ぐにでも利用したいのである。
幸いというべきか権力の一部を握っている者は此処に居るし、端末には指揮官殿の番号があるのだ。使わない手は無いだろう。
準備を済ませた俺達は移動を開始した。
今度は坂道を乗り越え、そのまま複数の小規模な崖を降りる必要がある。今の俺の装備では乗り越えられない状態なので彩達に手伝ってもらうのだが、それまでの間は基本的に雑談が多い。
やはりPM9が彩に対して話をする事が多くなり、俺達は静かに進むことばかりだ。彩も彩で既に諦めているので適当に相槌を打つだけの機械と化し、ワシズ達は迂闊に関心を引かない為に何も話さない。
これまではそれで良しと決めていた。此方が一歩引いた状態で接し、何も情報を共有しないようにしていたのである。このまま怪しい彼女に対して交友を温める必要は無いと決め、それを最後まで守ろうとしていた。
けれども、今の俺はそれでは駄目であるとも気付かされたのだ。
「PM9、少し良いか?」
「ん、何だ?」
誰もが予想外だったろう。此方側もPM9側も疑問を含んだ目を俺に向けていたのだから。
「確認したいことがあるんだが、今回のお前達の登場にはお前達側の指揮官が関係しているんだよな?」
「勿論だとも。そもそも私達は北海道への遠征組だ。もうじきそれが行われる予定なんだが、まだ少し時間があってな。だからウチの馬鹿野郎に命令書を作ってもらった訳よ。Z44やSAS1の言葉だけではまったく信用出来ないからな」
今日は俺が積極的にPM9に接していく。
ついでに確認しておきたい事も纏めて聞いておこう。状況次第ではあるが、PM9の指揮官殿と繋がりを作ることが出来るかもしれない。
何せここまで我が道を行くデウスと仲が良いのだ。罵倒しながらも彼女は決して軽蔑する素振りを見せていないし、命令書を作ってもらったあたりでは薄く喜色を見せてすらいた。
ならば、デウスに対しての扱いは決して悪くはない。今は繋がりを作るつもりはないけれど、話をしてみたいと相手に匂わせるのが重要だ。
「大分自由奔放に過ごしてるんだな、お前。その指揮官殿には同情するよ」
「何だと、軍全体の私達の扱いを考えればこの程度は別に良いだろう?馬鹿野郎も基本的に時間さえ守ってくれれば自由にさせてくれるスタンスだからな、お蔭であそこの居心地は結構良いもんさ」
「となると、お前の所の指揮官殿も結構デウスには優しいんだな」
「まぁな。最近は階級も上がったお蔭で非道な扱いを受けるデウスを引き取る事も出来るようになった。最後に立ち上がるかどうかを決めるかは本人次第だが、それでも選択出来る土台を作ったのはデウスにとって有難いことではある」
デウスに基本的人権は無い。なのでどう扱われても何も言えない状況が続いているが、PM9の指揮官殿は待遇改善を行えなくとも選択する自由は作っている。
生きるか死ぬか。戦うか否か。それを決めるのはデウス自身。
故に本人にも責任が発生する。アイツがこう言ったのだから嫌々でもそれをしなければならない。生きる事を選択したデウスには、それを選んだ責任を背負うのだ。
優しい中にも厳しさがある。故にこそ、PM9にとっては最上の指揮官殿なのだろう。俺から見てもその指揮官殿は真っ当にデウスを扱おうとする意志を感じた。
そんな指揮官殿はやはり周囲から浮いている筈だ。他とは違う事をしているのだから、孤立している可能性も決して否定出来ない。
「良い人、なんだな。最近軍に対して憤りを感じる事が多かった俺には嬉しい情報だよ。……それに、他にもそんな指揮官殿は居たんだな」
「少数だが私達に対して真っ当に接しようとする者達が居る。それは今のデウス達にとっては希望であるし、最後に縋りつく場所でもある筈だ。ただ残念な事に数が少ないのが問題でな。どうにも少数派の彼等の意見は封殺される傾向にある」
「少数意見は揉み消される。何処の場所でもそれは一緒だな」
自然な感じに関係を構築する。それが最終的にどんな風になるかは俺にも予想がつかない。
軍の内部を変えるには戦力と大義名分が必要だ。悪人を悉く粉砕する為にも、一致団結する事が重要である。その第一歩を踏むのは――俺達だ。
よろしければ評価お願いします。




