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人形狂想曲  作者: オーメル


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第九十二話 悪夢・Ⅱ

「彩ッ!?」

 

 思わず声を上げた。瞳のような窓から見える光景には今正に彼女が実験されようとする様が見え、彼女はまるで抵抗する素振りを見せない。

 死のうが生きようがどうでもいい。そんな表情を天井に向ける彼女は、俺の知る彩とはまるで違うものだ。

 されど、その顔そのものは正しく彩なのである。これが夢であると解っていても助けようと思うのは当然で、破壊するつもりで透明な壁を殴り付けた。

 結果としては失敗。自身の出せる全力の拳は罅すら走らせず、俺に無情の事実だけを突き付ける。

 しかしながら拳に痛みは無い。普通であれば血が出てもおかしくない拳は無傷のままで、再度全力で殴ってもまったく痛みは襲い掛からないのである。

 ならば連続でと両の拳でラッシュをかけるものの、やはり透明な壁は突破出来ない。

 その間にも実験の用意は進み、彼女は完全に拘束された。最早俺は見ている事しか出来ず、俺の状態に向こうは誰も気づかないまま開始された。

 

 胸の辺りに押し当てられた模様の刻まれた箱。

 先程の男性と同様の物を押し付けられた彼女はしかし、あの男性とは違いいきなり痙攣を始めた。

 意識そのものはある筈だ。目を見開き、その瞳は滅茶苦茶な動きを見せている。なのに叫び声は一切上げず、ただただ全身を小刻みに震えさせ続けているのだ。

 尋常ではない。それは実験を行った博士も同様のようであり、いきなり焦りながらパソコンを覗き込んだ。

 一体どんな情報がそこに載っているのかは不明であるも、彼女の状態が表示されているのは確かな筈。どうやって調べているのかは定かではないが、先ず確実に言えるのは成功の類ではないということだ。

 博士は苦々しい表情を浮かべ、直ぐに彩まで近付き箱状の物体を身体から離した。彩の痙攣はその時点で停止したが、呼吸は荒い。

 激痛が流れ、意識を落とす事も出来ていなかったのだから当然だ。


『その女は失敗だ。B区画に廃棄しろ』


 博士の顔は先程とは一転して苛立ちに染まっていた。即座に指示を飛ばして警備の人間は彼女を部屋の外に引き摺り出していき、窓は引き摺られていく彼女を突如追い始める。

 窓の正面には彩と警備の背後が映っているだけ。時折彩の尻を撫でる警備員に殺意を抱きつつも、何も出来ない俺はB区画と呼ばれる場所まで連れて行かれる彼女を見るしかなかった。

 一体これは何の夢だ。どうして俺はこんな夢を見ている。いっそこれが俺の性癖なら自分を軽蔑する事が出来るのに、冷静な部分が夢だと断じるには何処かおかしいと囁いているのだ。

 今までの俺の夢はこんなにはっきりとはしていない。朧気で、覚えていない事が殆どだ。こんな短時間で一気に夢が明瞭になるなど、到底偶然だとは思えなかった。

 無機質なコンクリートの壁の角を何回も曲がりながら、B区画と彫られた金属質のプレートが付けられた扉が見えてくる。


 何の装飾も施されていない灰色の重厚な扉は大人である警備員一人が全力を出さなければ開けられない程重く、完全に開き切る前にもう片方の警備員が彩と一緒に内部に入った。

 その先を窓は扉を貫通させて見せてくる。内部の状態は極めて凄惨だ。どれだけのホラー作品を見ていても、生理的嫌悪と共に吐いてもおかしくないだろう。

 そこは正に大規模な落とし穴だった。正方形の部屋の中に同じく正方形の巨大な穴が存在し、落下防止の為にアルミの柵が設置されている。

 その内の一部には鍵で止められた柵扉があり、番号を合わせれば簡単にロックの外れる簡素な作りをしていた。

 柵扉の下は真っ逆さまの穴があるのだが、壁に確認用の為か梯子が付いている。しかしながらそれは一定の距離で途切れており、完全に下には行けない仕組みだ。

 

 そして、その下に居るのは無数の腐乱死体である。

 既に骨だけとなった者。半分程が腐り落ちた者。四肢の一部が腐り落ちた死体も存在し、よく見れば未だ動いている者も居る。

 生存者が居るこの穴はしかし、一度落ちれば生還は不可能な場所だ。飲み物は出来ても自身の尿くらいで、食べ物に関しては死体を食う他に無い。腐った人間の死体なぞ不衛生の極みだ。

 数々の病気に侵されるのは間違いなく、それに生にしがみつこうとする人間は死んだ人間よりも生きている人間の肉を食う。

 彩はこの光景を見てもまるで変わらない。変わらないからこそ、その精神が既に折れてしまっているのだと嫌でも解ってしまった。

 彼女は実際には彩ではない。警備員に引き摺られる様子から人間であるのは間違いなく、それでもあまりに重なり過ぎている。これを同一人物ではないと思うのは俺には不可能だ。

 

「何なんだよ、これ……」


 異常が過ぎる。一回目の時もそうだったが、俺が明確に夢を認識している時には必ず彩と瓜二つの女性が出ていた。

 まだたったの二回ではあるものの、見方を変えればもう二回目だ。しかもここまでの凄惨極まる光景を見せられては原因を探そうとするのは自然だろう。

 起きろと胸の中で念じる。この後の光景を見たくないからこそ、ひたすら強く念じ続ける。

 だがしかし、全てを見ろと言わんばかりに一向に夢は醒めてはくれない。本当に見ていたい夢は長くは見せてくれないクセに、見たくない夢は長く見せ続けている。

 そうこうしている間に彩が警備員によって柵扉の前まで連れて来られてしまった。そのまま扉は開かれ、もう何も彼女を遮る事は出来ない。


「馬鹿野郎ッ、止せ!」


 警備員に罵倒を飛ばすもやはり俺の声は誰にも届かず――そのまま彼女は警備員二人の手によって突き落とされた。

 一直線に落ちていく様を窓は追っていく。そんな場所を見せなくてもいいのに、容赦無く窓は残酷な結末を俺に対して見せつけていた。

 落下した先は腐肉の上。骨だらけの場所には落ちなかったので即死は免れたものの、そんな事が何の幸せにも繋がっていないのは明白だ。それに、彼女の周囲には今にも死にそうな腐肉塗れの人間が居る。

 誰もが彼女を肉食獣の如く見つめ、必死に這いながら彼女の元へと殺到していた。辿り着いてしまえばそのまま強引に彼女の肉を食うつもりなのだろう。

 悍ましいイメージが思わず脳裏を過り、殴るのを止めていた自身の拳を必死に動かす。

 

 疲れもせず、傷も負わず。無傷のままを維持出来るからこそ常に一発一発は全力だ。寧ろ腕の一本や二本程度くれてやるという覚悟を持って腕を振るい続けている。

 それでも全く壊れない。強化ガラスでもこんな強度は出せないだろうと悔しさで目の前が滲んできた。

 それはきっと悔し涙なのかもしれない。何の結果も出せない己の感情が表に噴出したのだろう。――そんな資格はまったく無いのに。

 もしかすれば、これは現状を示す夢なのかもしれない。

 お前は何も出来ない。役立たずのまま、家族に助けられて無様に生きていくのだ。彩が俺の為に死に、ワシズが死に、シミズが死に、最終的に何も出来ない俺だけが残される。

 

 この夢がそれを暗示しているのならば、彼女が人間としての姿をしている理由も解るというもの。

 人間というのは弱さの象徴だ。彩もデウスではあれども限界はある。より強い集団という塊によって人間のようにあっさりと死ぬ可能性は十分にあった。

 彩はまるで動かない。壊れた人形のように、一言も話す事をせずに天井の蛍光灯を見つめていた。

 やがて無数の人間が彼女に辿り着き、その身体に手を付ける。渾身の力で服を剥ぎ取り、全裸の姿となった彼女に人間達は色欲ではなく食欲を見せていた。

 その数秒後には人間達は彼女を食べるのだろう。それがあまりにも簡単に予想出来てしまい、上から見ていた俺は何も出来ない無力感で彼女を見ながら涙を流していた。


『……ん』


 声が聞こえる。


『……の……さ』


 彩の声だ。彼女が何かを発している。

 しかし腐肉の上に落ちた彼女の口は動いておらず、目も此方を見てはいない。

 ならばこの声は、きっと本当の彩の声なのだろう。彼女が俺を起こしているのだ。


『……のぶつぐさん』


 だというのに、何なのだろうか。彼女の言葉には深い悲しみが籠っている。

 夢から起こそうとしている彼女の声の筈なのに、どうして俺にはそれだけには思えないのだろう。

 彼女の俺を呼ぶ言葉はまるで、今食われている方の彩が発している風に聞こえる。

 食われている彩の顔を見る。顔を飛び散る自身の血で染めた彼女は、やはり何も感情を見せていない。――いいや、違う。彼女の口元は痙攣していた。何かの表情を作ろうと必死になっていて、それが誰に向けたものかなんて直ぐに思いついてしまう。

 

『わ……し……が、んば……り、ました』


 急速に意識が戻ろうとしている。

 朝のあの場所に帰還している俺の耳に彼女の悲しみの声が聞こえていた。それはきっと別の俺に宛てた遺言だ。

 何故かは解らないけれども、そう思わずにはいられなかった。


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