第八十八話 強襲
テントからの目覚めは驚く程に平穏だった。
それは次への道を決める為の準備をしている間も変わらず、警戒をしていた三名全員も探知に引っかかる事は無かったと告げている。昨日の反応は偶然のものであるとは思いたくなかったが、こうして何も起きていない以上はそうであると認識しなければならない。
それに一度発生した異常の他にも決めなければならない事はある。結局一回目のルートを変更するか否かだが、まだ最初の異常であるという点から一先ずはこのまま指揮官殿のルートを使うつもりだ。
二回目の変更ポイントまでに何かしら異常が更に起きれば今度は即座に俺達が考えたルートを採用する予定である。
そうなるとかなり街へと接近する事になるが、それで相手の裏を掻けるのならばそれで良い。
準備を終えた俺達は即座に歩を進める事にし、戦場に突入するような気分でルートを辿り始める。全員が全員装備を持ち、俺も未だ数発程度しか撃った覚えしかない拳銃を腰に差す。
これから先は徐々に岐阜基地のデウス達に近い場所にまで接近する。今度は彩達の探知の中に入る事もあるかもしれないし、その過程で街の誰かに反応を掴まれる懸念も残っている。
相手のスキャン範囲がどれだけ拡大しているのかが不明なのだ。街一つを覆う範囲になるとは聞いているものの、街の外にまである程度スキャンが可能であれば気付かれる事もあり得る。
今はこのまま進むが、場所によっては少々他県に寄る形にしても良いだろう。多少は道がズレるものの、こんな事は常だ。今更焦る程気持ちが弱まる事は無い。
此処からの道程は坂道が多くなる。最初は上り坂ばかりが続き、途中から短い高さの崖が連続して発生しているのだ。俺達はその崖を降りる必要があるのだが、当然ながら人間でそれをやるには道具が必要である。
「これはこれで……ッ、地味に体力を持っていかれるな」
「傾斜は十五度です。一般的な坂道とあまり変化はありませんが、それが十数㎞にまで続いておりますね。何処かで一度休憩を挟んだ方が負担が少ないかと」
「……素直に聞くよ。登山家でもなければ不安しかない長さだ」
彼女の言葉にも今回は素直に頷く。余程体力を持て余しているような者でない限り、長時間坂道を登り続けるのは無茶だ。いや、体力を持て余している者でもこの長さでは全てを消費するかもしれない。
一日中歩き続けても足りないと思える距離だ。速く通り過ぎたいと焦ってもどうしようもない。
此処は二日を掛けて進むのが吉だろう。もしかすれば三日かもしれないが、それ以上は流石に伸ばせない。
既に岐阜への道は三分の一を通過している。道中のほぼ全てを最短ルートで通過しているのだから当然と言えば当然だが、かといってそれで安心出来る筈もない。
残りの三分の二は依然としてあるのだ。喜ぶ事も出来ない状況だけに、やはりどうしても疲労の方が先に感じてしまう。
今の状態も決して万全という訳では無い。常に緊張感を孕んだ状況での睡眠が心地良い筈が無いのだ。
眠気そのものは改善しているし、体力が回復しているとも感じる。それでも知らぬ間に溜まった疲労は平穏だった頃と比較すれば格段に多い。
それが何時牙を剥くのか。出来れば何でもない場所で起きてほしいものだが、この分ではまったく予想出来ない。
以前も考えていた俺を見捨てる案も必要になってくる。彼女達にそれを選択させたくはないが、今の彼女達には味方をしてくれそうな軍の者も居る。決して俺の側に居るのが正解ばかりではない。
と言っても、それを彼女達が納得しないのは解っている。だからこそ彩は小言のように頻繁に注意を促すし、常に俺を気にしていた。
おんぶに抱っこの身としては彼女のその目が非常に辛いものである。主に自分が情けなさ過ぎてだ。
もっと気にしなくても良いような状態にまで自分を高めなければならない。今後は他に軍の接触は増えてくる筈だ。無難な活躍だけをし続ける為にも、彩達だけの能力に頼ってはならないだろう。
「一応再度の確認だが、やはり感知範囲には何も?」
「現在も反応は皆無ですね。視認出来る範囲でも同様です。やはり最初の四人組は偶然だったのではないでしょうか」
「……そうだとは思いたくないんだけどな」
彩も俺と同じ結論を述べているが、個人的にそれを認めたくはない。
保険としてワシズ達にも周辺警戒を厳にするよう言ってあるが、二人も俺の警戒に何処か疑問が混じっている。
偶然だと断定出来る情報があれば俺としても周辺警戒のレベルを落としても良い。それが出来ない理由も彩達も解っている。だから疑問が混ざっていても素直に二人は頷いてくれた。
有難いことである。ここで問答を繰り広げるようであれば只でさえ長い道が更に長くなる。
体力も余計に使ってしまうし、それでは突破出来ない可能性も否定出来ない。互いに気持ちが解っていなければこの一件が不和の理由になるだろう。
懇切丁寧に説明をしたとしても人によってはまるで話を聞かない時がある。デウスであれば合理的に落としても構わないと判断する懸念も捨てきれない。その全てを無視して彩達は俺に判断を委ねている。なればこそ、その信頼に応えられるように努力する他にない。
――――そう思う俺の気持ちに嘘は無かった。そして互いに助け合えるような関係性を築き上げられれば、この人数で出来ないような事も出来ると、そう思っていた。
判断を下し、真剣に前を向いた彩達の姿に安心感を覚える。
これまでも大丈夫だったのだから、今回も何とかなる。常日頃から厳しい予想をしつつも、それでも人間である限り楽観的な感情は抜けきらなかったのかもしれない。
心の何処かで彩達は最強だとも感じていた可能性は否定出来ない。俺の知っているデウスは数少なく、そしてその悉くを彩は粉砕したのだから。
一発の撃音が空で響いた。その音に一斉に彩達は空を見上げ、そこに浮かぶ四人組に目を見開いた。
四人組の内の三人は似たような姿を見た事がある。全体をラバースーツで隠し、頭部には灰色のフルフェイスマスクを被り、しかしそのスーツを覆い隠すように黒の軍服を着ていた。
肘の部分と足先から太股までには鈍色の装甲が装着され、手には既にARと思わしき銃が此方を向いている。
腕章には日本を示す日の丸。つまり彼女達が所属している場所は日本軍であると示していた。
「――よう、ZO-1。久し振りだなぁ?」
だがそんな情報は全てどうでもよかった。
問題なのは唯一マスクを被っていない人物である。背丈はかなり低く、髪は紅蓮。瞳も同色に輝き、限界まで吊り上がった口は喜びに満ち溢れていた。
彼女もまた服装そのものは三人と変化は無い。けれどもフルフェイスのマスクを被っていないだけで大分印象が変わるし、何よりも彩に話し掛けたあたりで俺の背には悪寒が流れていた。
犬歯を剥き出しにした笑みには只の喜び以上のモノを感じる。それが決して良い感情ではないのは、彼女の表情を見ればよく解ってしまう。
背中についたブースターを操作して彼女達は俺達のルートを遮るように立った。
静かに一歩を踏むのは赤い髪の少女だけである。
「どうした?折角の再会なんだから、もう少し喜んでくれても良いんだぜ?」
「――何の用だ」
彩の言葉には剥き出しの刃だけしかない。それを向けられた彼女は笑みを更に深め、今にも大声で笑い出しそうになっていた。
「彩、彼女は……」
「十席同盟です。それも、今この場において一番面倒な」
「おいおい、そんな事言うなよ。あ、私の名前はPM9。よろしくな、人間?」
十席同盟・PM9――強襲。
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