第八十六話 駆け足
三日目。
無心で進み続けた結果として比較的開けた地帯に入った俺達は、目前にまで見えてきた亀裂に視線を向けている。
街一つを間違いなく飲み込む巨大な亀裂。一度でもそこに落ちたら即死は確実であり、一流の調査家でもチャレンジしようとはしない。するとしてもこの亀裂にしては浅い部分のみ。
それでも他と比較すれば十分に深く、故にこそ新しい技術発展が起きない限りは誰も挑戦しない。
そんな場所に到達し掛けているのだが、今見えている限りでも大分幅が広い。俺では跳ねたとしても到底届かず、彩達に頼る事になるだろう。
しかし、その彩達でも無事に向こう岸に届くかは不安が残る。彼女達がどれだけの距離を飛べるかも定かではなく、ましてや俺を抱えてどれだけ飛べるのかなんて一切不明だ。
今更ではある。不安を抱えながらの旅は最早日常のようなもので、それを感じたところで然程何か不調をきたす事は無い。
「この位置は行けそうか?」
「いえ、少々不安が残りますので少し東に移動しましょう」
ルート上では亀裂の幅はそれほど大きくはなかったが、地図で見るのと実際に見るのとでは大きさにかなりの変化がある。地図上でも巨大な亀裂は一番遠い場所では如何程になるのかは考えるだけ無駄だろう。
それなりに末端の位置に居るとは思ったものの、彩の言葉で即座で変更を決定。彩の中で不安材料が多いならば、直ぐに修正をした方が結果は良い。
そのまま東へと五時間。まったく休む事も無く進み続け、夕方に近付いた時間に漸く彩の足が止まる。
亀裂の周辺は高低差の間隔が短い草の一つも生えない大地だ。歪な円形をしているその大地には人々が荒らしてもいないのに草との明確な境界線が見える。
その亀裂を中心にどうやらその円は形成されているらしく、原因は明らかであろう。
俺達には見えない何かが環境を汚染しているとするなら、それは恐ろしいものだ。出来れば二度とこんな相手がこの日本に来てほしくないと内心で祈りつつ、彩の背中に乗る。
重量で言えば九十㎏に近いだろう物体を背負う彩の顔に痛みを堪えるものはない。
他のワシズやシミズにも荷物を分散させたかったのだが、一度中身を別けるのは地味に時間が掛かる。しかも飛び越えてからは荷物を再度回収せねばならず、それをするのは時間の無駄だと彩は断じていた。
よってワシズ達は俺の荷物を一切持っていない。代わりに最初に飛ぶのはワシズ達であり、これは謂わば試し飛びのようなものだ。
ワシズ達が余裕を持って飛び越えられるなら、彩ならギリギリで届く可能性が高くなる。
仮にワシズ達でギリギリになるようであれば更に移動だ。そこで再度ワシズ達に飛んでもらい、同じ事を繰り返す。
「じゃあ、先ずはワシズだ」
「OK。距離的にはかなり余裕がある筈だし、重量を加味してちょっと手を抜いてみるね!」
「全力、飛ぶ」
「解ったが、少しでも不味いと思ったら走っている途中でも全力を出すんだぞ。先ずは自分を最優先だ」
正直に言って、これに関しては俺は反対だ。
見た目幼い子供に一番危険な道を進ませ、安全だと解れば大人が悠々と進む。まるで地雷原を走らされる子供兵のイメージを感じさせ、最初に彩が提案した際には眉を顰めたものだ。
けれども、俺が一番脆いのだからそれを背負った彩が一番前に行くのは不味い。それにワシズ達が先に飛び越えて警戒をしてくれれば、俺達は比較的安心して越える事が出来る。
合理的に考えればそれが最善で、ワシズ達はやる気だ。それを否定する言葉は俺の口からは出なかった。
先ずはワシズが走る。助走をつける為に多少の距離を開けて、最初の一歩目を踏んだ瞬間から一気に加速が掛かる。
二歩目の段階で人間が出せる限界を超えた加速力を見せつけるが、俺が視認出来ない程ではない。それだけ加減をしているのだろうと思いつつ、虚空に足を突っ込む半歩前の地面を一気に蹴りつけた。
浮遊する身体はなだらかな曲線を描きつつ、対岸まで一直線に飛んでいく。加速の勢いはまるで緩まず、力を抜いているとしても飛んでいる彼女の姿は安定感があった。
そのまま対岸に辿り着き、多少の余裕があった状態で着地する。此方に向かってブイサインを送る彼女の姿は余裕に溢れていた。
子供の姿では出せない飛距離に、しかし最早慣れた俺はそのまま腕を振って応える。
叫ばなければ届かない距離だ。それが出来ない以上は合図は全て動作に頼ることになる。
次のシミズは最初から全力という事を示すようにワシズよりも二倍の距離を取った。走り出しも二歩目から姿がブレ、最後にはまったく見えなくなってしまう。
彩が見えているので心配は無いが、俺の目では捉えるのは不可能だ。
気付けばシミズは対岸に到達していた。しかもかなりの距離を余らせた状態でだ。軽く三mは余っているかもしれないと思いつつ、次に彩がシミズと同じ位置に付く。
彩は現状全速は出せない。それを解っているのだが、俺は彼女に必死にしがみついた。
俺の腕力で果たして彩の出す加速を耐え切れるだろうか。そんな密かな不安を抱えつつも、彩の行きますと放った言葉に此方も返事を返す。
最初の一歩、力強く踏み出した足は地面を砕く。その時点で込められた力の量はワシズ達以上だ。
二歩目で突然加速が始まり、彩の加速に合わせてその反動が一気に俺にも来る。身体中が一気に後ろに飛ばされそうになるのを彼女に必死に齧り付く事で耐え、彼女はそんな俺を気にせず一気に亀裂の端に足を置いた。
途端に発生する浮遊感。心臓を悪い意味で高鳴らせ、真下の暗黒に恐怖を覚える。
もしも真っ逆さまに落ちれば即死は免れない。それが解る黒の世界を見つつ、着地時の衝撃に顎を彼女の肩にぶつけた。彩は平気だろうが、力強く打ち付けた顎の方は甚大だ。
痛みそのものは直ぐに去るものの、違和感が拭えない。静かに彼女の背から降りて顎を触ってみるも変化らしい変化は皆無。
違和感が消えてくれるのを待つしかないと判断し、不安そうな彩の顔に大丈夫だと告げて背後の亀裂を見ないようにしながら次の場所を目指そうと指示を出す。
「よし、じゃあ取り敢えず此処から少し進んだ所で眠れそうな場所を探そう。ここから更に進もうとしても夜になってしまう」
「地面は……大丈夫そうですね」
「亀裂に近付くにつれて逆に乾燥した大地になったな。今は有難い」
大地を汚染をしているのは事実だが、休める場所を簡単に用意出来るという点では有難いのは事実だ。
そのまま元のルートに戻る為に西に歩き、次にルートをそのまま進む。その間に一気に時間は進んでいき、夜へと変化した。そのスピードはこれまでの中でもかなり早い方であり、それだけ俺達が集中していたのだろう。
もっと長く一日があれば良いのにと思いつつも適当な場所で俺は寝袋を用意する。食糧は朝に食べればそれで良いと無視して寝ようとして――背後の彩が俺の肩を掴んだ。
「……どうした?」
「反応有りです。寝るのは待ってください」
突破したばかりの感知の中で彩は何かの存在を掴んだ。
それは俺を除いた全員も同じで、今は当初の方向とは真逆を向いている。つまりは俺達が先程居た地点の近くに何者かが居るという訳だ。
「数は?」
「反応は四。位置は亀裂付近です。他に反応は無いですが、相手は固まっています」
「こんな場所で反応があるってのは……明らかにまともな手合いじゃないだろうな」
「肯定します。ですが、デウスであるようにも思えません。此方は何も隠蔽を施しておりませんから」
となれば、街に居たデウスの小隊の線は薄い。
彼女の掴んだ反応に、俺は静かに脳味噌を回転させ始める。どうやら今夜は眠れないようだ。
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