第八十四話 会話
静けさが空間を満たしている。
音として存在するものは何かを書くものや呼吸音しかない。本棚が無数に並ぶ部屋と一つの巨大な机、そして大き目の窓に赤の絨毯が引かれたその場所は、貧乏とは無縁の様相を見せていた。
その机に座るのは一人の男。難し気に眉間に皺を寄せて悩み、三十代と思われる顔を更に老けて見せている。
本人にその気は無いのであるが、一般兵からは老け顔として有名だ。知らぬは本人ばかりであり、一般兵もどんな扱いをされるのかが予想出来ずにこの基地だけのあだ名となっている。
実はもう一つのあだ名とでも言えるものがあるが、それは別の意味で有名だ。本人もそれは知っているし、他の基地でもその名前は僅かに広がっている。
そんな男は喉が渇いたのか書類の横に置いてあったカップに指を伸ばした。中身はストレートティーであり、必要以上に甘さを抑えた味は彼の好物である。
これを飲んでいる間は彼の眉間の皺も無くなり、年齢相応の顔になる。
それでもスキンヘッドの頭部に筋骨隆々の身体によって周囲に与える威圧感は若干ではあるが年齢不相応かもしれない。この見た目によって若い人間にも怖がられるケースも多かった。
飲みながら昔の苦い記憶を思い出し、それを全て飲み込むようにストレートティーを一気に全て飲む。
そうしている彼の部屋にノック音が響く。軽やかな音に力は然程入っていないのは解るが、彼の居る執務室に殆ど力を入れない存在は少ない。
その筆頭の姿を想像し、彼は野太い声で良いぞとだけ告げる。
扉が静かに開き、入室してきたのは彼が想像していた筆頭――Z44本人である。
優し気な碧眼と閃光のように輝く金髪。甘いマスクは女性型のデウスの人気を一気に集め、されどそれだけのデウスではないというのも周囲に知らしめている。
「や、今良いかい?」
「構わんぞ。丁度休憩だ」
「それは僥倖。良いタイミングだ」
身長百八十。支給されている黒のジャケットに紺のズボン。
その首元に改造を施したのか白のファーを付け、極々自然な姿で指揮官と机を挟んで向かい合っている。
その姿は友人同士とも言えるし、会社の同僚同士にも見えた。少なくとも険悪さはまったく見えてこず、他の誰もがそう見えてくるだろう。
指揮官が机に置かれた小さなベルを鳴らす。即座に新しく女性のデウスが出現するも、Z44の姿に目を見開いた。
「MR221、コイツの分も含めて追加でストレートティーを頼む」
「了解しました」
驚きはあったが、それでも職務に支障が出る程ではない。敬礼をしながら出ていく彼女の姿を見送り、さて何の用だと指揮官はZ44に視線を向ける。
当の本人は小さく笑いながらズボンポケットに手を入れ、一枚のプラスチックケースに入ったメモリーカードを取り出す。ラベルらしいラベルは見当たらず、それが正式なものではないのは確かだ。
迂闊にそれを端末に差してウイルスに感染したとなれば目も当てられない。よって、貰いはしてもそれを即座に端末には差さなかった。
「コイツは?」
「例の件について、進展らしい進展は無いけど調べた結果として怪しい人物を数名絞り込んだ。それについての主な情報と、後は長野の指揮官殿からの内密な手紙だよ。普通の手紙や端末でのメールだと他に読まれる懸念があるからね」
「成程」
長野の指揮官と岐阜の指揮官の関係は今回の件で初めて繋がった。
どちらも明確な面識は無く、同じ役職についているだけの関係。強いて言えばデウスの酷使に対して嫌悪を抱いている同士だと言えるが、それを知れたのもこの件があったればこそだ。
最初の接触も長野の指揮官からである。本人が直接電話し、隣接した県同士の親睦を深める為という理由を使って長野に接する全ての県の指揮官を高級料理店に呼んだ。
情報伝達などの関係で一人のみデウスを連れてくる事も言われていたので岐阜の指揮官は態とZ44を連れずに普通のデウスを連れてきたのだが、長野の指揮官はF12を連れてきた。
その時の姿を岐阜の指揮官をよく覚えている。互いにあまり深入りせず、されど義務的にはならずに世間話を交し合う。仲が悪いとは到底思えず、言わば仕事仲間のような雰囲気を長野の指揮官達からは感じることが出来た。
他の指揮官が連れてきたデウスは悲惨だ。
明らかに暴力のあった痕があったり、まったく会話らしい会話をしていない者達も居た。岐阜の指揮官を除いた他の指揮官全てが長野の指揮官に対して疑問を感じていたのもある意味当然だろう。
何故自由にストレスを発散出来る相手が居るというのにそれをしないのか。所詮は修理すれば直る存在であり、人間がどれだけ全力で殴ったとしても壊れる事は無い。
見た目も良いし、従順な姿のお蔭で支配欲を満たせる。そんな醜い欲望がはっきりと解ってしまうからこそ、彼等のデウスは長野の指揮官や岐阜の指揮官に対して羨望の眼差しを密かに送り続けていた。
それを岐阜側が解らない筈が無い。露骨ではなくともそういった目には彼は敏感なのだ。
そんな一幕があったからこそ、長野側は岐阜側と繋がる事を決めたし、岐阜側も繋がる事を決めた。
その間の中で十席同盟が動いていたのも岐阜側は把握している。何せメンバーの一人が岐阜側には居るのだ。一度でもマキナの情報を長野側から教えられ、十席同盟が関与していると解ればZ44に尋ねるのは道理だろう。
間接的なものを含めてではあるが、今現在彼等は関係者全員と繋がっている。
岐阜側は十席同盟と、長野側は信次側と、それぞれが繋がっているからこそ情報の伝達に障害らしい障害は無い。
「一先ず、ZO-1達には嘘の情報を流しているよ。僕経由で岐阜側は事情を知っただけ、今は完全警戒で君達を捕まえるつもりだとね」
「岐阜基地の印象は良くはないだろうな。無能な兵士の横暴を止められない無能な指揮官だ。そのまま岐阜を素通りするだろう」
「そうならない為に僕が居るんだけどね。実際全部が全部嘘って訳じゃない。全ての街にデウスを放っているのは確かだし、君が良い人間だというのも事実だ」
「よせよせ、そんな言葉を送られても素直に納得出来んぞ。そういうのは長野の奴にでも行っておけ」
互いに口角をつり上げながら言葉を送り合う。
信次側に送った情報は一部を除いて全て嘘である。それは長野側も把握していることであり、生真面目を形にした長野側が言えばその嘘も嘘らしくは映らない。
そうしたのは、岐阜側が信次を信用していないからだ。長野側はデウスのカメラ経由で彼等の姿を見たからこそ信用したのであって、岐阜側や十席同盟側は実際には見ていない。
見極めは必要だ。しかし、過剰なレベルにしては彩の怒りを買うだけ。最悪の場合は敵に回られる懸念があるだけに、その点は注意しなければならない。
「危険な状況でこそ、人は本性を見せる。長野の指揮官殿はその時のあの人間の姿を見たからこそ、殆どの情報を信じた」
「結果的にそれは概ね正解だった訳だ。マキナ関連の施設は十席同盟側が既にいくつか見つけているんだろう?」
「そうだね。どれも規模としては大したものじゃないけど、それでも公式には存在しない施設だよ。マキナに通じる情報もいくつか発見出来た」
材料としてはある。信次の背景も既に入手済み。
後は単純にその人柄だけだ。それ次第では岐阜側は信次に協力するし、十席同盟も一名は協力の姿勢を見せる。
どうなるかはこれからだ。少なくとも、信次達にとっては決して安全な道程とはならないだろう。
指揮官はメモリーカードを端末に差し込んだ。簡単なプロテクトを解除し、内部の手紙を見る。
文面は一行だけ。挨拶も何も無く――――程々にしてけよという文だけだ。完全に見透かされていると指揮官は苦笑して、それをZ44に見せたのだった。
よろしければ評価お願いします。




