第八十一話 飢え
早朝の時間を認識するのは珍しい事ではない。
普段から朝早く起きる身である自分にとって朝日を拝むのは見慣れたものであるし、今更何か感慨深い思いに駆られる事も無い。日常の一コマとなるくらいには外で寝るのも慣れたのだ。
それでも今日ばかりは他とは違っていた。普段なら朝日の光をテント越しに感じながら這い出てくるものだが、今は別の存在によって身体を完全に固定化されている。
普段ならば外で警戒をしている彼女は、今正に俺の胸の中で眠っていた。寝袋を使わなくても不調らしい不調が起きないのは解っているが、それでも少し気になってしまうのは俺の中でデウスを生物と捉えている為か。
今も彼女は寝袋の上で横になっている俺の真横で腕を抱き締めている。足も彼女の両足によって絡みつくように捕まり、動かせるのはもう片方ずつの腕と足と頭くらいだ。
このまま起こしたとしても本来ならば構わないのだが、昨日の電話の事を思うとそう簡単に起こして良いものかと考えてしまう。
彼女がこうなったのは電話で十席同盟が彼女の意志を全て無視したことだ。
一応は彩本人の意志を伝えたのだそうだが、彩本人の役割があまりに重要な事から脱走を無かった事にするらしい。
中には脱走なら脱走のまま、或いは破壊を訴える者も居たのだ。だがその数は十席同盟の中でも少なく、最終的な結果は彩を生きたまま軍に戻らせる事に落ち着いた。
その行動自体を彩本人が否定しても問答無用らしい。つまりこれから先での十席同盟の遭遇は戦闘は避けられず、突破するには最悪の場合撃破しなければならないのだ。
こうなるのは可能性の中ではあった。寧ろ撃破にならなかっただけ最悪からは外れていたと言える。
恐らくはマキナ関連があるからこそ破壊は回避されたのだと思うが、それでも彼女にとっては苦しい決定だ。本人は何の愚痴も零さなかったし、電話について何か口を挟む事も無かった。
不満は全て内側に収め、されど抑えられなかったのだろう。休眠状態で動けるのかと思うも、こうして甘えられてしまったあたりに彼女の欲求が無意識で表に出てしまった。
「……ん」
「おっと」
彼女の腕と足が俺の身体を引っ張る。それによって余計に密着する形となり、最早目と鼻の先に彼女の顔がある。
何回か同じ事はあったが、慣れるというのは一向に無い。相変わらず心臓に悪い美しさを保っている彼女の寝顔を見つつ、さてどうしたものかと脳内に選択肢が二つ浮かぶ。
一つはこのまま彼女を満足するまで寝させること。
今広げているテントの位置は人通りが皆無だ。このまま数時間程度遅らせても結果は何も変わらない。ワシズとシミズが訝しんでスキャンするだろうが、その時はその時だ。
彩が甘える様子をあの子達も見ている。俺との生活で彩にも人間らしい情動が生まれたのだと解釈させれば、彼女達だって特に何か言ってくることも無いだろう。
二つ目の選択肢は起こすこと。出来る限り彼女の年上という威厳を損なわない為に、早い内に起こすのだ。
俺にはどんな姿を見せても構わない。ワシズ達も家族であるので見せても良いんじゃないかと個人的には思っているが、どうにも彩はワシズ達を格下として見ている節がある。
それを思うに此処で新たに彼女の威厳を落とす姿を晒して良いものかとも考えてしまうのだ。それで余計に彩がワシズ達に威圧的な態度を強めるようであれば、起こす方がメリットが大きい。
「……やっぱり起こすか」
甘えられるのは悪い気はしない。けれども、此処は彼女の尊厳を守る為にも起こす事を選択しよう。
起こす事そのものは比較的楽は方だ。人間ならば眠りが深いと早々には起きないが、彼女は今は休眠状態。外部からの少々ばかりの衝撃でも勝手にシステムが起こすだろう。
だから俺がするのは彼女が掴んでいる腕と足を無理矢理引き抜くこと。それだけで彼女は起き出してくれるだろう。
掴む力は強いが、彼女が潰さないよう手加減してくれたお蔭で自由な方の腕で彼女の腕を引き剥がす事に成功する。足は両手で解除させ、あっさりと自由になる事が出来た。
そのまま彼女が起き出す前に外に出る。起きた時に目の前に俺が居ては彼女も驚くだろう。
外ではワシズとシミズが暇そうに小石を蹴っていた。少し考えるのに時間を使ったかと思いつつ、彼女達の元へと向かう。
「よ、おはようさん」
「あ、おはよう!」
「……おはよう」
「彩の方ももうじき起きるだろうさ。それまでは少し待機な」
元気の良い返事についつい口元を綻ばせ、端末を調べる。
昨日は電話だけだったが、メールも無いとは言い切れない。ショートメールならば電話番号だけで送れるからな。
表示された普段使いのメールサービスではなく、久し振りにショートメール機能を確認するとそこには一件の新規メールが来ていた。
内容は極めて短いものになってしまうが、それでもメールアドレスを知らない側にとっては残せるというのは有難いものである。
今度別のアカウントでメールサービスを用意しておくかと思いつつ、内容に目を走らせた。相手は大尉殿であり、表示された文章は――三日後に指揮官殿より連絡がそちらに来るというもの。
つまりF12が言っていた指揮官が此方に連絡を寄越してくるのだろう。ある程度の相手側の事情は大尉側から教えてもらえたとはいえ、他に新しい情報が入ってくる可能性は十分にある。
それによってはルートの変更を余儀なくされる事も有り得るし、何かしらの頼み事をされると考えている。
流石に東京や大阪に向かってくれと言われれば全力で拒否するものの、他であれば理由次第だ。それが頼み事であれば、それを理由に修理施設を検討してもらう事も出来る。
此方にとっては危険な橋。されど渡る価値のある橋でもある。尤も、そう考える事自体がただの皮算用でもあるが。
取り敢えず話が来るのは解ったのでショートメールで短く返事をし、端末をズボンに突っ込む。
「どうかした?」
「んー、何か軍の指揮官から三日後くらいに電話が来るってさ。どんな内容なのかは解らないけどね」
「彩の事?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
シミズの言葉に、俺は咄嗟に嘘をついた。
どうしてそれをしたのかは解らないが、小さい子達に必要以上の心配は掛けるべきではない。それがデウスでも、俺はどうしてもそんな対応をしてしまう。
そんな俺にシミズはそうとだけ返す。互いに奇妙な沈黙が続き、その空白の時間が何故かまだ会話は続いているぞと教えているような気がした。
「私達は軍の所属じゃない。だから、彩の気持ち。解らない」
「……そうだろうな。俺も解らない」
「でも、迷っている。彩は。どっちが自分かって」
「……それは」
軍属としての自分と、個としての自分。
彩には二つの道がある。このまま個としての自分を貫けば衝突は免れず、軍属として復帰すれば俺達を巻き込んだ戦いに進まなくても良い。暫くは軍の人間に罵倒されるだろうが、十席同盟の何名かが庇ってくれるだろう。
少なくとも、今の状況よりかはマシな対応をしてくれる筈だ。戻そうと考えたという事は、決して悪い様に扱う訳ではないのだから。
「大事にして。私の事はいいから」
「シミズ?」
「一番飢えてるの、多分彩。だから構ってあげて」
幼い顔で、シミズは金の瞳を早朝の太陽に向ける。
幼い見た目で随分と彼女は見た目不相応な言葉を放った。その意味を俺はよく解っていて、けれどそんな彼女の肩を掴む。
「馬鹿言うな。全員構うよ。誰かを優先するなんて、するつもりは一切無い。お前ももっと来たって構わんさ。お金は無いけど」
「台無し」
「貧乏人だからな。節約は大事ってもんよ」
――――直後、彩の絶叫が俺の鼓膜を揺さぶった。
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