第七十九話 指揮官
硬質なリノリウムの床を歩く一組の男女が居る。
片方はボタンや袖口などを金に染めた、学生服に似た服を着る二十代も前半程度の若い男。全体的に細く、しかし簡単に折れてしまうような貧弱さは感じられない。落ち着いた静かな黒の瞳は二十代と言うには似合わず、短く刈り込んだ黒の髪にも遊びは一切入ってはいなかった。
一言で現すならば精悍だ。若さがありながらも、決して若いだけの精神性を有していない。
寧ろ真面目が過ぎると取られかねない表情であると隣を歩く女性は感じ、されど表情そのものは微笑を保ったまま。
紺のジャケットに幅を少し多めに取った同色のズボンを履き、流れる長髪は黒い。その黒目を怪しげに光らせた彼女はしかし、指揮官を害そうとする意志は絶無である。
「F12。状況はどうか」
「今の所は問題有りませんわ。関連施設に此方の息の掛かった者を全員潜ませました。後はどんな結果を出してくるかですが、その点に関しましては実際に来なければ何とも」
「そうか、ご苦労。これで多少なりとて進展があれば良いが……。ところで、十席同盟からは何か返事は来たか?」
「ええ。現時点では六人から返事が来ております」
「内容は?」
「幾つかに別れておりますわね」
二人の会話内容は彩が脱走し、信次が逃げる要因となったプロジェクト・マキナについて。
件の内容を彩から送られた指揮官はそれらを見てから解決を優先するようになった。そこには非人道的手段を認めないという彼自身の正義感と、これを解決すれば彩の復帰が可能になるかもしれないという個人的な想いがある。
彩は十席同盟には戻らない。本人はそう決めたとはいえ、それを認める事を他の十席同盟はしないだろう。
現にF12から送られた十席同盟の返事の中には彩の席を維持したままにする事が決められている。例え否定されたとしても彩の存在は必要であると考えている指揮官と十席同盟は、その点で言えば意気投合していると言っても過言ではあるまい。
F12が腕から取り出したメモリーカードを指揮官に差し出す。それをズボンに居れていた専用端末に差し込み、十席同盟から送られた返事の全てを読んだ。
内容は極めて単純なモノもあれば、一部複雑なモノも含まれている。
最も単純な内容はPM9から送られたもの。SAS1とZ44との協議の結果か、先ずは本人と接触する事だけを残していた。
それはつまり、彩の言葉次第によってはどちらにも転がるということだ。
SAS1は何とか穏便に収めるつもりだと返事の中に収めているが、十席同盟全員が彩の排除を選択してしまえば確実に穏便な結果にはらない。最悪の場合は十席同盟の同士討ちに終わる可能性も考えられた。
その可能性は最悪中の最悪だ。貴重なデウスを破壊させてしまうだけに留まらず、その中から更に貴重である最高峰の戦力が減ってしまう。
そうなるくらいならば彩を消す方が合理的であるが、指揮官にそのつもりはなかった。
「……MAO193様が姫の破壊をあげています」
「ああ、どうやらそのようだな。彼女の性格は以前会った際に把握している。離反した者を許すような性格ではあるまい。あの方に忠義を貫いている限り、脱走したデウスを許しはしないだろう」
MAO193というデウスが返した言葉は全体を考えれば正しい。
一度でも脱走したデウスは例外無く破壊が認められている。可能であれば捕獲し記憶のリセットを行うのだが、基本は捕獲よりも破壊が優先だ。彩だけを破壊対象から外すという考え方は、MAO193というデウスからは出てこない。
故にこそ、そうなるだろうと簡単に予測を立てられる。彼女がそう判断すると解っていて、されどそれが即座に決定される訳では無いとも解っている。
十席同盟は多数決制だ。過半数が認めなければそれが決定される事も無く、指揮官達にもその結果から生まれる命令を行き渡らせる事が出来る。
勿論それには現場の人間や上層部の人間を納得させられるだけの理由が必要だ。そして、彩にはその理由がある。
「そうですわね。……現在送られた返事だけであれば破壊については反対が過半数を占めていますわ」
「まだ六名とはいえ、反対が多数か。彼女の人徳が成せる業というよりかは、未だ判別を付ける時ではないという事なのだろうな」
「そうでしょうね。まだ一月も経っていませんもの」
彩というデウスは常に一匹狼だった。
戦場では部隊長になるケースは多かったものの、彼女自身は指揮が上手い方ではない。指示を下すにしても最終的にはワンマンプレイで落ち着く事も多く、十席同盟と共に戦った際でもそれは変わらなかった。
しかし、彩というデウスの人気はF12調べの中では多分に高い方だ。他にもっと高い者は存在しているものの、その大人気なデウスと比べても然程の差は無い。
理由としては、彩が引き連れた部隊は高確率で生存するからである。ワンマンプレイをするものの、彼女自身に他者を見捨てるという精神性は存在しない。
助けられるのならば助けるスタイルを続ける彼女が弾き出す生還率は八割であり、他が五割以下である事を考えれば異常という他に無いだろう。
生還の二文字を達成するには彩の力は必要不可欠。純粋な火力特化だけでは彩のようにはなれない。
その意味で彩は人気だ。彼女の戦い方を参考にする者も多く存在し、個人技の範疇であれば底上げがされたと言っても過言ではない。
軍の頃の彩は周りに誰かが居るのを嫌っていたものの、周囲はそれを無視して集まっていた。
中には人間の行動を学んだ男性型が彩に告白をしたくらいに、彩本人の想いとは別に皆は彼女を注目したのだ。
その彩が脱走したという情報が出回った時、周囲の誰もが納得したものである。F12も今の軍のやり方については嫌悪しかなく、変えられるものなら変えたいと常々考えていた。
彩も実際に言葉にはしなかったが、他の指揮官を遠目に睨む場面は幾つもあったのだ。それを知っているからこそ驚きは最小限であり、納得の感情の方が大きかった。
されど同時に悲しかったのも事実だ。これで彩からは破壊通達が来るだろうし、捕獲出来ても記憶の抹消が始まる。
そうなればこれまで接してきた彩の人格は喪失し、残るのは彩のボディを持った別の誰かだ。
「……十席同盟が存在していたのは僥倖でしたわ。あれがあったればこそ、破壊も記憶抹消も避ける事が出来ますもの」
「まだ確定ではない。それにマキナの連中が確実に口を挟んでくる筈だ。何かしら理由を付けてな」
彩の存在を揺るがす命令を阻止出来たのは十席同盟のお蔭だ。特に尽力したのはSAS1とPM9であり、彼女達が表立って動かなければ彩に命令を下されていても不思議ではなかっただろう。
そのお蔭で一部の指揮官からは嫌われる事になったが、あの二人はまるで気にしてはいなかった。
それだけ必死だったのだろう。特にPM9は何度も決着を付けると息巻いていたとF12に情報が入っていた。
だからこそF12は十席同盟に感謝を捧げるが、それを指揮官が冷静に両断する。
マキナ関連は始まったばかり。まだ何も進展が見えていない状況ではあるが、マキナに繋がっている者達は早い内に彩を処分しようとするだろう。
それがどのような形になるかは定かではない。ごり押しで処分を決めてくるのか、怪物を彩に押し付けるのか。
「百足の一件についても気になる部分がある。あの指揮官は現在牢に繋がれているようだが、近い内に面会する必要があるな。――その前に消されていなければ、だが」
「あの豚はただ見ている限りでは使い道は無さそうでしたが、百足を姫にぶつける為に用意されたと仮定すれば可能性としては有り得ますわね」
「――一体何処から何処までが関与しているのか、見極めなければならない。その過程で味方を増やす必要も出てくるだろう。最悪のケースを想定してな」
リノリウムの床を進む足が止まる。
真横には扉が一枚存在し、上の金属プレートには指令室と書かれていた。そのノブをF12が握った事で話は一時終了となった。
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