第七十二話 頂点
F12は質問を投げ掛けた現場のリーダーらしき人物に向けて、露骨と言える程の蔑みの混ざった目を向けている。
それに対して男の方は眉を一瞬顰めたが、直ぐに元の無表情に戻した。違いと言えば、先程よりも圧が増した程度である。それで今の状況の全てが改善する筈も無く、最終的には睨み合う形になるだけ。
彩は今の状況にまったく良くは思っていない。極寒の相貌は普段であれば絶対に見る事は無く、どれだけ一緒に居ても彼女のその表情に慣れる気配はない。
しかしそれを気にするよりも前に、俺にとっては気になる事があった。
軍の時代を詳しく知らなかったからこそそうなったとも言えるが、F12の姫という言葉は驚く程俺の中で嵌まっている。何せ最初から見た目は戦闘向けではないのだ。
本当に深窓の令嬢を想起させる顔や体格をしていて、ドレスを着せれば姫という言葉も決して間違いではない。
だがだ。デウスという存在は一括して軍に支配される側の存在だと俺は認識している。その中でもリーダー格と呼ばれるような存在が出てくるのも不思議な話ではないものの、偏った知識のみを与えられてしまっていては生まれても仲間意識が強まるような友情的な関係に収まるのが精々だと思うのだ。
なのに、F12は彩に対して跪いている。その全身から畏敬と愛を感じさせ、人間で言うところの狂信に極めて近い状態にまでなっていた。
そうなるには只の仲間意識だけの関係では成し得る事は出来ないだろう。もっと圧倒的に、もっと力強く、それこそ己こそが世界の頂点に君臨する者の内の一人だと豪語出来る程のカリスマ性が無ければ狂信は生まれない。
F12の想いは間違いなく他のデウスよりも重い。それは彼女だけが跪いていることからも確かだ。他は敬礼をしているし、その様子からしてそのデウス達も彩の事は理解しているのだろう。
だからこそ、困惑するのは避けられない。このまま捕まると考えていただけに、こんな展開になるとは想像出来なかった。
ワシズとシミズも今は純粋に困惑顔をしている。事態を進めさせるには、やはり向こう側から行動してもらうしかなかった。
「十席同盟はご存知でしょうか?選ばれた十名が座る事を許される私達にとっての玉座。指揮官様方にすらある程度の影響を与える事が出来る特別な役職ですわ」
「聞いた事がある。……一年前の当時に結成された特別権限を保持する特殊な役職があると。確か作った人物は、既に死亡していた東藤指揮官だった筈。眉唾物だと思っていたが……」
「今も維持されていますわ。最初は確かに権限も弱く、お遊びのようなものだったそうですが、今はもう元帥様ですらそう簡単に手を出させない権力を手にしています。ノルマも大変高いのですけれどね?」
十席同盟。その言葉は俺の人生の中で一回も聞いた覚えの無い言葉だ。
F12の説明をそのまま鵜呑みにするのであれば随分と新しい組織であるが、その権力の高さは元帥にも並びかねない。つまりデウス側の大将職のようなものだということだろう。
それだけ権力が強ければ当然課せられるノルマも高くなる。その規模が俺には理解出来ないものの、少なくともF12があんな状態になる程だ。明らかに普通の範疇には留まってはいない。
十席。その単語だけで推測するのであれば、文字通り十の席が存在することになる。その内の一つを彩が座っていたと言うのなら、彼女の軍での扱いはどれだけ凄かったのだろうか。
「姫。今現在軍では貴方様は行方不明扱いとして処理されています。席そのものは無事なままですが、PM9様が大変お怒りの御様子ですわ。SAS1様が今は鎮めておりますが、何時まで保つのか不明な状態です」
「……放っておけ、あれは短気なだけだ。SAS1も放置しておけば良いものを、無駄に優しさを出すから損をする側に回る」
「そのお蔭で命を助けていただけたデウスも多いのです。勿論、他の方々もデウスの現状を変えようと尽力していますわ。姫も多数のデウスを助けていたではありませんか」
「…………」
腕を組んで唸るように言葉を出す男に対して、直ぐに興味を失ったようにF12は彩に顔を向ける。
当人の言葉には切実な思いが宿っていた。本当に戻ってきて欲しいと願っていて、彩もそれは理解している筈だ。
それでも彩本人の口から戻るという言葉は出なかった。そこにはきっと、今の軍のやり方に明確な失望があるからだろう。如何にどれだけ権力を積んでも、システム的に人間の命令を聞くような機能が搭載されている。
そんな状態で対等であるとは言えず、そんな高位の役職に付いていたからこそ希望を感じられなかったかもしれない。願う事なら自由になりたいと考えて、偶然にもそれが叶ったから彼女は軍を完全に見限って今がある。
彩の想いは解るのだ。そんな生活を俺だって望んではいないし、認めてもいない。
全否定をする材料は幾らでも出てきてしまうからこそ、恐らく彩はその十席同盟というものにも価値を感じていないのではないだろうか。
その証拠に、彩は無言で対人用のAKをF12に向けた。F12は目を見開き、その身体は小刻みに震えている。
「何故……何故ですか」
「あの場所に価値は無い。解っている筈だ、十席同盟そのものも軍全体からすれば何時でも潰せるモノでしかない。それが成されていないのは、只単に良識のある指揮官殿が味方になってくれているからだ。そんな脆い場所で、時には心無い人間に暴言を吐かれ、殴られ、期待出来る事なぞあるのか?」
「ならば、貴方様は完全に離脱するのですか。そこの二名のデウスと一人の人間と一緒に」
「ああ。最早軍に価値無し、そして十席同盟に居る理由も無い」
断じて、彼女は戻る事を良しとしない。
その姿勢をこんな危険な状況でも変えなかった彼女は、真に強い女性だ。正しく俺が尊敬するデウスとしての在り方であり、そうであるからこそ彼女の為にも決して依存するだけの男になってはいけない。
このまま彼女の背後に居れば余計に拗れる事は無いかもしれないが、それでは結局の所ただ情けないだけ。
「――それで良いのか、彩」
「構いません。どれだけ追い込まれたとしても、私は自身の選択に悔いなどしません。もしも曲げれば、それは私ではありません」
一歩、前を踏み出した。
それに対して一番強く反応したのはF12だ。彼女は俺が出てきた事で、その顔を歪ませる。彩の言葉によって更にその相貌は歪み続け、今明らかに俺はF12というデウスに恨まれたのだろうと理解させられた。
それで構わない。元より軍との接触はしたくないというスタンスを保つ俺達に軍に好印象を持ってもらうという発想は無い。
多数の怒りを抱かれるのも承知の上。だからこそ内心に漂う不安を追い出し、俺は正面からF12と面と向かい合った。自分の意志はデウスでも揺るがないと理解させる為に。
「だそうだ。彩は軍に戻らないし、俺達も軍に捕まるつもりは無い」
「……この状況でそれを達成出来ると思っているのですか。貴方は人間で、現在は囲まれている状態ですよ」
「そうだな。正直に言えば武器ももう対人向けの物しかない。状況的に不利なのは事実だ。――――俺が荷物になっているのも彩達にとってはデメリットだろう」
「全て承知済み。その上で言い切れるのは、何故?」
不利、不利、不利、不利。もう何度も思ったことだ。
彼女の事を信じているからだと言っても、そこまで追い込んだのは結局俺である。正直に言えば今の彼女にとって俺は邪魔者でしかないだろう。
それでも彼女は必要と思ってくれた。それに対して全力にならないようであれば、それはもう男ではない。
信頼しているから――当たり前だ。
家族だから――それも当たり前だ。
そんな表面的な事を言ってもF12は納得してはくれない。それよりも更に奥。俺の胸の内にある深奥。それこそが今のF12を納得させられる言葉だ。
「信頼しているだとか、もう家族も同然だからとか、色々と理由はある。でも一番の理由は――俺が彩の事を大好きだからだよ」
よろしければ評価お願いします。




