第六十七話 天地鳴動
大百足の身長は軽く見積もっても三十mは超えている。
その全体次第であるが、最終的には三桁にまで長い可能性も十分にあった。その百足は決して此方を視認した訳では無いだろうが、此方を目指してその巨体を進めそうになっている。
未だ停止しているのは、その百足の周囲に無数の爆発が発生しているからだ。
小さなモノから大きなモノまで。大小様々な爆発現象はしかし、百足に致命的なダメージを残しているとは感じられなかった。
単純に離れているからそう見えていたのかもしれないが、相手がまったく意に介していない姿はそれだけで不安を煽る。本来ならば痙攣の一つ、顔が何処かに向くくらいはしても可笑しくは無い筈なのに、その頭部は常に此方側を見続けていた。
解っていても、本能が警鐘を鳴らす。速くそこから離れろと絶叫し、俺の全身に血を過剰に巡らせている。
今ならば普段よりも動けると思いながらも、身体は上手く動いてはくれない。これが恐怖によってのものであるならば、最早トラウマであるのは間違いないだろう。
「今直ぐ離れましょう。理由は定かではありませんが、軍は専用装備を使用していません」
「は?……なんでだよッ」
彩の言葉に驚くと同時に百足の謎の耐久力に納得も感じた。
少なくとも今の軍に百足を撃破するだけの武器は無い。或いは別に策を用意していたから敢えて武器を使わない。
前者であれば納得するが、後者であれば不自然な点がある。特に大きな不自然になるのは今回こうして轟音を響かせてしまったことだ。
これによって折角隠していた情報が周囲に拡散させられる。何かしらの追求が軍に来るのは避けられず、もしもそれを強引に黙らせたら各地で不満も溜まるだろう。ただでさえ不満の多い難民であればこれを機に爆発させるのも有り得るし、既にそれを起こすだろう集団を知っている。
完全な悪手。にも関わらずにどうしてという思いを抱きつつ、一端距離を稼ぐ為に走り出した彩達に遅れて俺も走り出した。
しかしそれと同時に百足も動作を開始する。
森から響くような音と震度三程の揺れが起き、百足の長い胴体が森へと消えていく。
よくよく見れば空には根の張っていた木々が見え、恐らくはただの移動だけで地面が抉れているのだ。木は単純に移動の余波で飛ばされ、歩くだけで環境破壊を行い続けている。
完全に森よりも低い位置にまで身体を隠した百足の周囲で今も尚無数の爆発音が聞こえる。空中には以前見たブースターを背負ったデウスの姿が見え、その顔も胴体も全て黒の防具に身を包んでいた。
彩に使用している武器について教えてもらったところ、一応はデウス戦用の装備であるらしい。ただし彩の持っている物に近いのでそれだけでは百足を撃破するのは難しい。
本来ならばレーザー兵器を用いて対象を焼き切るそうだが、その装備が無い時点で苦戦は必須だ。
「壊れたと考えるのが妥当か?」
「いえ、その線は薄いでしょうね。あの部隊が如何様な存在であれ、情報そのものを知る存在は少ない方が良い。もしも担当する指揮官を切り捨てるのが目的であれば……最初から持ってきていないと考えるのが可能性としては濃厚でしょうね」
「……OK。言いたい事は解った。つまり今回の件は街に知られても構わないと判断した訳だ」
「一回目は恐らく指揮官側が独断で判断したと思って良いでしょう。今回も指揮官側は隠して討伐しようと考えていた筈。切り捨てる判断を下したのは本部でほぼ決まりです」
「……ちなみに、それを何で今このタイミングで話した?」
「実際に見るまではそれを語るつもりはありませんでした。……信次さんがまだ軍に一縷の希望を持っているのは知っていましたから」
「……」
軍が居れば百足を討伐するのは難しくない。
そこに込められていたのは確かに希望だ。それが理由で彩が何も言えなかったのならば、俺はもう軍に対して何も希望を持たない方が良い。それに現在の状況から弾き出された彩の予測は酷く正しいようにも見えた。
もしも全てが正解であれば、件の百足討伐に挑む指揮官の能力は然程高くはない。よしんば能力が高いとはいえ、この何も有効な武器を持っていない状況は厳し過ぎる。
長期戦は確実だ。流石に弾薬まで制限したとは思わないが、あの大型の百足を撃破するのにどれだけの時間が掛かるのか。
爆発物で百足の肉を吹き飛ばしたとしても数時間は必要になるだろう。その間に百足が動かない道理など無く、もう既にその兆候は見えていた。
今百足を倒すとして、候補しては頭部を集中砲火で落とす手段が一番有効的だ。
胴体をどれだけ撃ったとしても影響が少ないなら、やはり人間同様に弱点を狙うしかない。この場合は百足の頭部であり、されどそれをするということは一番相手から狙われる事に繋がる。
まだデウスの部隊と人間の部隊は双方共に周辺に展開して攻撃をし続けているが、既にデウスの中にはそれが最善であると解っている者も多いだろう。
それが出来ないのは一重に指揮官の所為であり、純粋に戦力で押し潰せると考えているのかもしれない。
こればかりは本人に確認せねばならないが、もしもそうなら切り捨てられてもおかしくはないだろう。
「――動いたよ!」
森に隠れた百足がついに前進を始める。
その向かう先は、やはり街だ。森を粉砕しながら進む様は暴虐的で遠慮の概念が無い。
赤いというよりはピンクに近い頭部の先にはクワガタじみた二本の黒い顎が存在し、横一列に並んだ顎の先端は鋭い。針の如く刺さるのは一目で解るし、顎そのものも立派な刃になっている。
一度掴まれば両断は避けられない。これを主武器に使っていると見たが、サイズが巨大過ぎて足の速い動物では簡単に逃げられてしまうだろう。
その顔面を見て、恐怖するなという方が無理な話だ。開いた口内には無数の台形の歯が並び、百足というにはあまりにも掛け離れた頭部にゲームのクリーチャーを想起させられた。
それが一直線に向かってきているのだから最早探知阻害をする暇は無い。多少は範囲内に入っても逃げるのが最善であり、この際捕捉されるのも勘定に入れるべきだ。
幸い相手はあの百足に完全に釘付けになっている。今ならば多少の危険行為はすり抜けられる。
決まれば直ぐだ。彩に指示を出してリュックごと俺を持ってもらう。
この周辺は地形の高低差がかなりある。それこそロッククライムも可能な崖も遠くには存在し、一部身体を鍛えたい者以外にとっては中々に苦行となる場所が多い。
だが、今はそれが俺達に味方している。進路上よりも遥かに高い場所へと一気に駆けてもらい、先ずはそのまま素通りさせる。
今この瞬間に正面から敵を倒すのは不可能だ。見逃すより他に無く、数時間も離れた道程を百足は僅か数分で通過した。
この分ならば街まで掛かる時間は最短でも一時間か二時間程度だろう。
それまでに軍は止めなければならないが、軍が街を破壊される事を容認していれば街を利用した戦いにまで発展する。そうなっては地獄が形成されるだけだ。今も避難所の中に居る人間は確実に存在して、軍が警報の大元を討伐してくれる事を願い続けている。
それをしなければならないのが軍だが、当の軍側は百足を追い抜く事をしなかった。
確かに百足の速度はその巨体に見合わない。地面を抉り、土壁を抉り、まったく速度を緩めないのだ。
しかし単純な速度ならばデウスの方が上であるのは見ただけでも解る。でなければ彩が俺を運び終わる前に百足の方が先に到着しただろう。
「アイツら……!!」
「百足、追い抜かない。何故?」
「街を餌にするつもりですね、これは。次に停滞するとしたら街でしょうし、そこで停滞している間に攻撃準備を新たに構築するつもりかもしれません」
握り締めた拳は、きっと怒りだ。
信じていたものは大概の場合において裏切られる。世の中は決して優しくないから、こうして表に蔓延る希望の花を簡単に手折っていく。それが嫌で嫌で仕方なくて、頭は無茶な要求を浮かばせていた。
大百足が街を襲撃するまでの予測を彩が冷静に弾き出す。――――そのリミットは、僅か三時間だった。
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