第六十六話 闇へ
「――スキャン範囲外に出ました」
四時間歩き進み、唐突に背後の彩が話し始める。
それを聞いて即座に彼女を降ろし、彩は此方に礼を言ってから目を軍の居る森に向けた。
四時間で歩いた距離は決して長くは無い。俺のリュックを前を歩くワシズに持たせ、俺は彩を背負って歩いていたから普通に歩いた場合よりも距離は稼げなかっただろう。
にも関わらず彩のスキャン外に出たという事は、即ち軍側も一直線に百足に向かったという事になる。
ならば敵との戦闘も間近と考えるべきで、俺達はこの周辺に隠れる必要があった。街にまで行かず、かつ途中で停滞する限り野宿は確定だ。最早慣れてしまった野宿であるものの、しかし軍が此方の痕跡を見つけないように証拠となる行動は全て止めておかねばならない。
このあたり、人間が俺だけであるというのは都合が良かった。何かやったとしても気にするのは俺の分だけで、彩達は人間らしい行動の殆どを残さない。
「此方側の情報は全て隠しました。現状は私達が此処に居る可能性がある程度に抑えています」
「つまり最初と変わってないんだな?」
「そうです。通用するかは不明でしたが、デウスの全てが百足撃破の命令をされていたお蔭で此方の探知が甘くなっていました。もしも幾人かが探知に意識を向けていれば別の方向から乱すつもりでしたが……どうやら運も悪くない様子ですね」
「……これほど味方で良かったと思った相手は初めてだよ」
相手側がどれだけ指揮官に戦闘に意識を向けさせるような命令を下したとはいえ、それでも人数が人数だ。
基本スペックに差が無い現状では例え相手が数人でも厳しい筈なのに、彼女は涼し気な顔で成した。勿論それは難無くではないだろうし、あの動けなかった彼女の姿からして全力だったのは間違いない。
それでも成し遂げた彼女は他のデウスとはやはり一線を超えている。その原動力は不明であるし、心配なのも事実。
俺は彼女を言葉では褒めていたが、内心は複雑だ。無理を重ねてしまったのではとつい彼女を見てしまい、それを見た彼女は薄く笑みを浮かべる。
これで人間のように汗の一つでも浮かばせていれば俺もそうだと確信する事が出来た。八割は無理をしたと思っているが、残りの二割が邪魔をして正直に口には出せない。
それを考慮して彩は涼し気な顔をしているのだろう。
俺がそう思ってしまったら休憩しようと必ず言い出す。今はそれをしている暇は無いというのに、それでも俺は彼女を優先して休もうと言ってしまう筈だ。
だから、申し訳なさを抱えながらも俺は彩の想いを汲んで次の隠れ場所を探す。
ワシズから受け取ったリュックの重さを感じながら可能な限り街にも森にも寄らない条件を守りつつ、されどそんな場所は都合よく見つかりはしない。
解っていた事だが、日本は国としては狭い範囲だが決して自然が無い訳では無い。田舎が一面田んぼだらけであるように、建物がまったく立っていない場所も当然だがある。
今回の場所が正しくそうだ。元から田舎だったのか街から出ると人工物よりも自然の方が多い。
思えばあの謎の動物達の群れは百足を警戒してのことだったのだろう。通常よりも遥かに大き過ぎたが為に過剰に距離を取った結果があの場所であるなら、百足の脅威はそれだけ大きい事になる。
時には人間の理性よりも動物の本能の方が生存への近道になることもあるのだと災害ニュースで流れるが、それは真実であったという訳だ。
これからはそんな場所を見つけ次第警戒しようと内心で決め、建物が見つからないが故に適当な林と巨石の間に潜り込んだ。即座に端末を取り出して現在地を確認し、目視される可能性のある穴を土や草で隠す。
「良し、簡易的だが此処で暫く潜もう」
「雨が降ったら濡れるのは確定ですね。それが来ないのを願うばかりです」
「まったくだ。ついでに軍もこの辺を総スルーしてくれれば万々歳だよ」
互いに軽口を叩く。そうしなければやってられないという気持ちを抑え付けて、相手の動向をこの後は予測するだけになるだろう。
現時点で解っているのは軍が森の端から入ったということ。その時点で別のエリアを探していたのは明白であり、予想として立てられるなら長野方面から虱潰しに探していたと考える事が出来る。
それがそのまま此方に向かっているとすれば、装備面には不安が残るだろう。何せやっている事が事だ。他の場所から責められても文句が言えない仕事をしている以上は物資面で不安を抱えている筈。俺の情報提供だってきっと表では秘匿されたまま今来ている部隊しか知らないだろう。
デウスが三十も居る時点で少なくとも百足討伐の情報くらいは軍全体に回ってきていると考えるべきか。その上で余計に情報を求める者を粛正していたとしても不思議ではない。
だとすると、百足撃破と同時で息切れを起こす未来も考えられる。それは低い確率であるが、決して否定も出来ない情報だ。双方共に戦闘の意志が低ければ、ワザと見逃す事だって不可能ではない。
ただ、それをするには相手にとって此方が弱いと思わせない必要がある。戦力の意味で此方が上回っていればかなり余裕を持てるが、今は此方側が圧倒的に不利だ。
単純な腕力勝負でも三十対三では十倍も差がある。俺に関しては普通の軍人に止められるだろう。
森で隠れて適度に撃破。追わせない方法とすればこれくらいか。デウスを五体も止められれば、流石に慎重にもなる筈だ。
これはまだ皮算用ではある。そもそも相手が完全補給を済ませている線があるのだから、結局隠れて進んだ方が最善だったなんて事もあるだろう。
それに最大の前提として百足の撃破がまだ済んでいない。深く考える必要はまだ無いと決め――――
『―――――――■■■■■■ァア!?』
直後聞こえた轟音に俺は無意識で耳を指で塞いだ。
それでも聞こえてくる轟音は、これまで聞いてきた中でも最大であるpeaceの襲撃よりも遥かに大きい。
その音だけで何もかもを砕いてしまうかもしれないと思わせ、実際に立っていられずそのまま片膝を付く。彩達は音をカットしているのか平気なまま。此方も手動でオンとオフを切り替えられたらと思うが、それが出来てしまったら些か人類を逸脱してしまう。
数十秒も続いた絶叫は、今度は静寂の如く静まり返る。
しかしそれは嵐の前の静けさだ。直ぐに何かが起きると理解して、即座に動けるように揺れる身体を起き上がらせた。
未だ視界は安定しない。轟音一つでここまで具合が悪くなるのかと僅かな驚きが湧きあがってくるものの、それを無理矢理飲み込んで森を見た。
森からは無数の居ないと思っていた動物達の逃げる姿が見える。
脱兎の如く、殺されてなるものかと一直線に走る姿は正に必死だ。それが自分に出来る唯一だとばかりに走るのを止めず、中には全速力を出し過ぎた所為で転げた動物も居た。
再度、轟音が鳴る。今度は叫び声ではなかったが、それよりも遥かに非常識な状況だ。
森から太陽目掛けて二つの黒く太い線がある。その線には無数の触手めいた足が蠢いているのが確認出来て、更に太陽に向かっている一つの線の先頭は火傷を負った肌を想起させる赤に染まっていた。
それは恐らく頭部。つまりは今この瞬間に百足は覚醒し、活動を開始した。
最悪な状況に陥ったのは俺でも解る。この轟音では近場の街にまで届いてしまっただろう。今頃は緊急避難のサイレンが鳴っていたとしても不思議ではない。
「――不味い事になりました」
「え?」
「百足の頭部が此方側を向いています。このままでは此方に来ますッ」
俺では朧気にしか見えていなかったが、彩ならば鮮明に相手が見える。
その彼女からの残酷な情報は、俺達を地獄に落とすには十分なものだった。
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