第六十三話 緑のアイツ・黒のソイツ
街中は予想よりかは人通りが激しかった。
車の往来は僅か、基本の移動手段は徒歩。服装は各々違い、一番目立つのはスーツ姿だろうか。
車の数さえ違ければ俺の住んでいた街とほぼほぼ変わらない。無論街並みそのものは違うものの、全体の雰囲気としては一般的な街の域を超えはしなかった。
明らかに平和。それでも意識を尖らせているのは、やはり前の件があったればこそだ。
だが今回は違う場面もある。隣を一緒に歩くワシズの恰好を視界の端で捉えながら、俺は手に持ったままの端末を操作して耳に当てる。
事前に合図として三回にセットしたコールの後に誰かが出る音がして、直後女性の声が入った。
「異常無し」
『此方も外側から確認しておりますが、異常は見受けられません。ですが油断なさらずに』
「勿論だ。街への侵入から一時間経過した後に何の連絡も無ければシミズを派遣してくれ」
『了解』
通話が切れる。彩との会話を終わらせながら俺とワシズの二人は一直線に目的の場所へと歩いていた。
互いに背負ったリュックを降ろし、上着は共通の無地の黒。女の子ならば何かしらデザインが入った物を着ると思うのだが、恐らく彼女は俺の服を参考にして無地の上着を買ったのだろう。
当の本人の顔はフードに隠されて見えない。首を左右に振っているあたり周辺警戒をしているのだろうが、その姿は新しい街に来て興味津々の子共も同然だ。
唯一見えている口元は弧を描き、少なくともただ警戒しているだけではないのは確か。常に明るい口調を維持している彼女だからこそ今回の侵入には打ってつけだった。
予想よりも若い人が居たのも俺達にはプラスに働き、今の俺達はまったく注目されていない。こんな形で自分の平凡顔が使えるとは街に住んでいた頃の自分では考えられなかったが、今は有難いという気持ちしかない。
通りをそのまま歩き、目だけを動かす。
住民の姿に違和感は無い。建物も表だけとはいえ殆ど綺麗な状態を保ち、居住区も今にも倒れそうな程損壊していない。一つ前とは百八十度も違う光景は、だからこそ安心感を覚える要因となる。
完全に信頼出来る訳では無いものの、しかし表だって何かを起こすような組織が近場に居るとは思えない。
これでもしも行動に起こす組織が居たとしたら、もう俺はどの街もまったく信用しないだろう。トラウマになるのは確定だ。
個人商店の本屋までの道程は驚く程スムーズに進み、街に入って歩き出してから僅か十分で到着した。
これは地図のお蔭もあるが、無数に場所案内の看板があったからだ。どうやら新しく此処に訪れた者に向けた案内に力を入れているらしく、その看板の一つ一つが丁寧に作られている。
この街の長が人口を増やしたいのだろう。やはり街の人口そのものが長の発言権強化の一助になるのだから、その頑張りを非難など出来る筈もない。
「到着したな」
「うん。これで大丈夫なの?」
疑問の声を口にするワシズの頭をフードの上から撫でる。
不安を覚えているのは何も俺だけではない。一度でも居場所がバレれば俺達の戦力では軍そのものの相手は難しい。
権力者がバックに居るのは確かで、故にこそ俺達には慎重さが必要だった。俺がああして悩んでしまったのが彼女達の不安を煽ってしまったのなら、それは反省すべき点だ。
大丈夫だと告げて、俺は目の前の存在――公衆電話ボックスに入る。
一番有名な色合いの黄緑とは違い灰色の受話器を手に取り、懐から無数の十円玉を取り出す。実は財布の中には十円玉がまったく無かったので手頃な駄菓子屋で購入と両替をお願いしていた。
お願いされた四十代のおばさんは酷く眉を寄せていたが、それに関しては申し訳ないとしか言えない。
十円のお菓子を千円で買って御釣り全てを十円玉で欲しいなど、ただの迷惑客だ。二度と行かない事を胸に近い、予め彩に尋ねておいた軍の特殊電話番号を打ち込んでいく。
本来ならば一般人用の専用受付窓口がある。情報提供もそこで行えるので普通ならばそちらの方が良い。
しかし、情報提供をした後にその窓口では本人確認の為に自身の本名を名乗らなければならなかった。リアルタイムで戸籍情報と照らし合わせるのだ。しかもその情報提供の中には嘘を吐くだけの者も一部存在し、彩曰く軍内部で重視する割合は二割か三割程度。
それではあまりにも割に合わない。俺達は直ぐにでもあの百足の先を行きたいのだ。
故に敢えて、危険な橋を渡る。デウスが使う上司への連絡番号を用いて、直接彩達の上司に情報を送り付けるのだ。
表だっては発表されてはいなくとも、デウスの一部分は戦闘の被害によって脱走している。それならばバレる確率も極端に下がるし、俺の事もデウスとして認識する可能性も高い。
「ワシズ、ボックス内から此方を警戒する奴が近付いてきたら教えてくれ。その時は速攻で脱出するぞ」
「うん、任せて」
俺達の声は電話ボックスという透明な板によって構成された壁によって遮られている。
確りと戸締りも済ませた故に、どんな風に話したとしても怒声でもなければ漏れる心配は無いだろう。
彩に教えられた番号をゆっくりと確認しながら押していく。鼓動は五月蠅く鳴り続けるも、頭はまだそれほど焦ってはいない。
話すべき内容は決まっている。そして、相手が取り得る対応も複数パターン考えておいた。
そのどれかに高確率で当たる筈だという根拠の無い確信でもって、ついに最後の番号を押し切った。
十円玉を投入し、直後として普段とは違うコール音が俺の耳に届く。――――それはまるで、歯車の回る音だった。
『――誰だ』
僅かのワンコール。即座に取ったとしか思えない素早さで通話に出た声の主は随分と冷たさを感じさせる男性のものだ。
声から推測される年齢は三十代から四十代くらいだろうか。低く渋い声は成程軍人に居そうな声だ。
「名乗るつもりは毛頭ない。此方はただ要件を告げにきただけだ」
『何?貴様、何者だ。デウスではないな』
「名乗るつもりは無いと言った。此方としても時間があまり無いのでな、要件だけをさっさと言わせてもらおう」
『……要件は何だ』
声の主はどうやら喚くタイプではなかったらしい。胸の内がどうなっているかは定かではなくとも、それを抑えて冷静に話を聞きにいく姿勢は俺にとっては都合が良い。
纏め、短く、此方の情報を一切漏らさずに相手に伝えるべき情報だけを伝える。相手は俺の言葉を無言で聞き続けていたが、何も感じていない筈はない。もしかすれば管轄が違うのかもしれないと考えるも、それでもこの話は決して無視は出来ないだろう。もしも無視すればそれは軍人ではない。
情報そのものは五分も話せば終わった。自分達の事を省けば驚く程に情報は僅かで、かなり俺達には縁の少ない内容だ。
『件の存在については我々も追っていたが、まさかこんな所から情報がやってくるとはな。……この回線を使っている以上、まったくの嘘という訳ではあるまい。嘘にするにはデメリットの方が高過ぎる』
「ああ、俺としてはあっちの方を使いたかったんだがな」
『あそこの信憑性は絶無だ。例え漏らしても此方にまでは届かんだろうよ……で、何が狙いだ?こんな利用出来る情報を用意した以上、引き換えの対価はある筈だが』
「ふん、そちらに何かを頼んだところで無駄に終わるだけだろうよ。俺としてもあの虫があそこに居続けるのは迷惑だ。さっさと処理してもらった方が都合が良い」
『傍にデウスが居るのに、我々を利用すると?』
「――――ああ、当たり前だろ?」
互いに何も漏らさず、最後の言葉の後に俺は受話器を置いた。
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