第六十二話 喪失した物
行くべき場所はもう他に無い。
今から戻ろうにも、あまりにも掛かる時間が膨大そのもの。けれど一週間も二週間も掛けて別の道を模索する必要もあるだろう。それはつまり折角車を用意してくれた彩とワシズの行動が無駄になるという事になる。
本人達は至って普通に俺の謝罪を遮るだろうが、それで俺が納得する道理は無い。もしもの可能性が濃くなった現在において、俺が単純に彼女達に迷惑をかけたのは事実だ。
数日を使っての帰還の中で嫌という程考えた。使える匿名サービスの内容を。その中でネカフェを想像した俺は冴えてると思いながら検索を掛け――――残念ながら近場の街の何処にも無いのを確認した。
ネカフェがあるのは一部の街だけ。他よりも金があり、人口が多い場所に存在するようだ。
崖下の街には残念ながらそれは無い。昼空の下で崖から見た街の大きさは、人口に合わせるようにその大きさも決して誇れる程ではなかった。
元より今の人々は東京に集まり易い。
設備が豊富で、住む場所もあり、仕事も選ばなければあると三拍子揃っていれば誰だって惹かれるのは事実である。
俺だって何も知らなかった頃は素直に東京の移住に憧れていた。最も安全と言われる件の場所であれば、俺はデウスを応援しながら暮らせるのだと。
今の俺から言わせてもらえば、情けないの一言だ。住める家があって、地獄でも働ける環境がある。
少ないながらも給金はあって、それで生活出来ていたのだから何も言うことは本来なら無かった。そう考えてしまったのは、ただ俺も怖がっていたからなのだろう。
百足に会って、俺は自分の本質の一部に気が付いた。どうしようもなく臆病で、まったく挑む勇気を持てなかった自身は、デウスからすれば侮蔑して然るべき姿だ。
「……信次さん、御飯を食べませんか」
「……ああ」
双眼鏡を構えて、崖下の街を見る。
その姿の俺の背に彩が声を掛け、御飯の二文字で僅かに腹が鳴った。
あまりに小さいものの、それでも彼女達デウスには聞こえるくらいの音だ。僅かな羞恥心を抱きつつ、俺達は一同数日前に二度と入るものかと決めていたあのボロの小屋の中に入った。
状態に変化は無く、隙間風も無数にある。こんな場所で生活しようだなんて馬鹿の極みであり、故にこそ早めに目の前の出来事に対する答えを口にしなければならない。
非常食を口に運ぶ。相変わらず水分を根こそぎ奪っていくような乾パンは美味しいとは言えないものの、俺の腹を満たしてくれる。
彩達はそんな俺の姿を見るだけで何も言わない。彼女達も早く決めてくれと思っているだろうに、それでも俺が自分の口から発するのを待っている。
有難いことでもあるし、申し訳ないことでもある。だから何かを口にしようと開き、けれども何も音として出てはこなかった。
「信次様……」
ワシズの心配に濡れた目が俺の中の罪悪感を煽る。
俺はこうしてうだうだと悩み続けるようなタイプじゃなかった筈だ。決めるならさっさと決めて、次の場所に向かう。そうするのがベストであると解っているのに、どうして今この瞬間に動かなかったのか。
理由は色々あるものの、一番の理由としては他の道がどれもこれも危険であるからだ。この道ならば軍が呼ばなければやっては来ない。
此処に敵が居ると解っていない軍にとって、今まで街そのものが被害を受けていないというのはある意味実績だ。
理由は定かではないものの、襲わないのは確定されている。それを明確にしないのは不安であるが、さりとて襲わないと初めから情報として残っているならば人間は勝手に候補から外す。
そうだ、崖下の街は一度として破壊されていない。五年前からそのままの形を残している。復興資金が出ていない街など、ここぐらいなものだろう。
「――待てよ」
閃きが走る。いきなり暗闇の中から一筋の光が差し込んだ。
酷く忘れ切っていた物の名前が突如として脳の深海から浮上し、今海面に出現した。まるでいきなり天啓を貰った感覚に、戸惑いを抱えつつも俺は非常食を隣に立っていたワシズに渡して双眼鏡を手に飛び出した。
今までは崖下の街の状態を確かめ続けていた。そこに入ったとしても大丈夫なのかを可能な限り調べようとして、しかしそれは逃げでしかなかった。
だが今回は違う。それを探す為に双眼鏡を覗く。飛び出した俺を追って彩も慌てて近寄り、しかし彼女に話しかける余裕は無かった。
街そのものは無事でも他の街が被害に合っているのは事実。実際は最早無くなっていると考えるのが普通だが、しかし日本人の勿体ない精神は尋常ではない。
使える限りは残す。それは今も昔も変わらず、故に見るのは建物等ではなくその傍。
此処から見える範囲には限界があるものの、やはりというべきかそれはあった。昔は何処の街にでも必ず少数は設置されている電話を忘れた際の緊急手段。
非常時には無料で警察や消防署等にも繋がるそれは、正に今の俺達にとっては神の恵みに相応しい。
設置されている場所の近くには本屋の二文字。古びた看板故に最早残り少なくなった個人店だろう。そういった場所は年齢層が高めの人物が来るもので、新しい物を上手く使えない層も多い。
そういった層からの要望が多ければ残り続ける代物だ。故に、残り続けるのもある意味当然だったのかもしれない。
「ビンゴ!」
自分の気分が数分前から一気に駆け上がる。先程までの自分が何だったのかと言わんばかりに希望が見えた。
急速に組み上がっていく予定の数々に思わず口角がつり上がるのを自覚しつつ、されど決して目を逸らしてはならない問題があると戒めを胸に抱いた。
これを成功させるならば崖下の街が本当にただの街でなければならない。
その為の調査を行いつつ、いざという場合に備えた緊急の脱出手段を用意する必要がある。――必要なのは、人間の限界を超えた目と耳だ。
隣で心配気な眼差しを送る彩に身体ごと向ける。当の本人はいきなりの俺の態度に目を見開く程驚いていたが、そんな事など知るかとばかりに両肩に手を置いた。
「解決案を思いついた。可能なら、今夜にでも実行に移せるくらいの案がな」
「本当ですかッ!?」
「ああ。……だが、問題もある」
そうだ。実行するくらいならば今夜にでも出来る。
何せ直接街に行くだけで八割程度は終わるのだから、正しく簡単という他に無い。しかしそれをするには先ずは街そのものが安全であることを確認することだ。治安が多少悪い程度ならばいくらでも何とかなる。
悪いが、大百足の後だ。どんな悪漢が相手でもまるで怯える事はないと誓って言える。あれの恐ろしさは本能に訴えるレベルのものだったからな。
軍隊だけなのだ。俺達にとって脅威であり、希望であるのは。
内容を話し、必要な道具を全て話す。話すといっても内容そのものは五分もあれば十分だ。細かい話をしている訳ではないし、必要な道具に特殊な物は無い。
早速小屋の中に入り、ワシズ達の背負うリュックの中身を見せてくれと頼む。
二人も俺のテンションの上がり具合の困惑の色の方が大きかったが、それでも中に仕舞ってある服を取り出した。
殆どの衣服は俺用だ。ワシズ達にももっと私服を着てほしかったものであるが、何分そこまで彼女達の感性は育ち切っている訳では無い。
それでも少しくらいは選んでくれたのだろう。フード付きの子供向けの上着を発見し、俺は喜びのあまり彼女達二人を全力で抱き締めてしまった。
「良かった!これでやれるぞ!本当によくこの服を選んでくれた!最高だ!!」
「うぇ!?わ、わわわ、いきなりどうしたの!?」
「……解らない。けど良し」
よろしければ評価お願いします。




