第六十一話 大百足
百足。
世界でも有名な虫で、何処でも見る事が出来る生物だ。無数の足で蚯蚓のように長い胴体を動かし、自身よりも小さい虫類を捕食する。
サイズは決して大きくはない。掌に簡単に乗る程度が一般的であるものの、中には毒物を含んだ存在も居るので安全な虫であるとは一概には言えないだろう。
言ってしまえば、子供でも簡単に殺せる存在だ。よく無邪気に子供が虫を見つけて殺すシーンを見るものだが、百足は正しく無慈悲に殺されるだけの生命体だった。
しかし、今目の前に居る生命はどうだろうか。塔を彷彿とさせる圧倒的な巨体に、自然では中々に生まれないだろう艶の消えた漆黒の外殻。その中身には目の前の巨体を支える強靭な筋肉が存在し、単純に動くだけでも大規模な災害を起こせる力を持っている。
人類が真っ向からこれに挑むのは愚行だ。百足の纏う外殻が一体どれだけの硬度を持っているのか定かではないが、彩達が即座に専用装備を用意した段階で普通の装備は通用しないと考えるべきだろう。
「…………」
百足は俺達の存在を未だ知覚出来ていないのか、静かなままだ。
眠っていると考えるのが普通だと思うものの、これがもしも罠であれば間違いなく背中を向けた瞬間に活動を開始する。そうなっても逃げられるように俺の傍にはワシズとシミズの姿が居た。
いざという場面では抱きかかえて逃げるつもりなのだろう。その意見には全面的に肯定であると内心頷きつつ、俺達は一先ず森の入り口にまでゆっくりと後ろ歩きで進んだ。
最初は途中から息を潜めるように移動したが、今度は最初から最後まで全て警戒しながらの移動である。
六㎞以上を時間を掛けて進んだ所為で一気に一日を潰す勢いであるも、生き残る為ならばいくらでも時間を掛けるつもりだ。
先ず全員の初見の感想を纏めるべきだろう。俺の意見が一般的なものになると思うし、彩は今まで戦ってきた情報から意見が出てくる。ワシズとシミズは自分で目の前の相手を調べた結果としての意見が出てくるだろうと予測して、目の疲れを感じながら俺は無事森の入り口に到達した。
「――――ッハァ!」
即座にリュック脇のペットボトルを抜き取り、一本丸々飲み干す。
普段であれば絶対にしない行為をしたのは、一重に緊張から解放したからだ。未だ嘗て、ここまでの緊張と恐怖を同時に抱いた事は無いと絶叫したい気持ちを抑えながら地面の上にそのまま座り込んだ。
彼女達はそんな俺の姿を心配気に見つめている。本来ならばそこに心配するなと返したかったが、今回ばかりは力強く返す事は難しかった。
怪物。五年前の怪物。昔に登場した怪物の種類は解らないものの、少なくとも当時の連中と同じ生まれ故郷の化け物に俺は画面越しではなく生で見た。
震える身体は、五年前の出来事からくる本能的なトラウマだろうか。自分はトラウマを抱えていない少数の側の人間だと思っていたのに、実際は大多数側の人間だった可能性が極めて高まっている。
そんな筈は無いと否定したい気持ちはあるが、今はどうしてかその勢いは弱かった。
だが、そのままで居て良い筈が無い。彼女達が心配の念を送り続けている以上、俺はどんな状況でも立ち上がらなければならない。大丈夫だと強く言い聞かせて、俺はペットボトルを投げ捨てた。
恐れているだけで何になる。怖さは大事に持ち、その上で凌駕するのが今の俺達だ。何も完全に任せる必要は無いのだから、ずっと怖がり続ける事も無い。
立ち上がった俺は素直に悪いと言い、頬を叩く。顔中に広がる痛みで意識を元に戻し、彩達へとそのまま顔を向けた。
「彩。あれを見てどう感じた?」
「――正直に言わせていただければ、条件が揃えば殲滅可能なレベルです」
「条件が揃えば……ね」
「ええ、それもかなり厳しい条件です」
率直な意見を求めた結果として、彩は正直に自身の経験と先程スキャンで調べただろう相手の状態から攻略に必要な条件を順番に説明した。
先ず第一に主戦力であるデウスの数。大百足クラスの敵は多くはないものの、それでも少ない訳では無いらしい。
百体の一mクラスの敵の中に十体は存在するとのことで、攻略の基本も既に完成されているそうだ。その為、必要な人員は少なくとも良いとのこと。
具体的に言えば五人居れば上手く立ち回れるそうだが、今この場に居るのは三人だけ。数日前の五人組のデウスも含めれば丁度五人だったが、今ではもう連れ戻すなんて真似は不可能だ。
次の条件としては爆発物。これは注意を引く為に必要であり、手榴弾を複数纏めて放てば問題は無いとのこと。
数は多くないが、俺達にも手榴弾の類はある。それを全部解放すれば不可能ではないと彩は言うが、不可能ではないという言葉の中にはきっと難しいという内容も含まれている筈だ。
最後に、火力の問題がある。
「私が現在用意出来るのは通常弾のみです。これでは風穴を開ける事は出来るでしょうが、あの百足にはそこまでのダメージにはなりません。全弾を用意しても生存される確率の方が高いでしょう」
「つまり?」
「私達の武器で穴を作り、内部に爆薬を投げ込まなければ現状は攻略の可能性は生まれません。ですが、私達が現在持っている爆発物と言えば手榴弾のみ。これは相手を怯ませる目的で使う予定ですので、先ず足りません」
現状において、俺達の保有する武器では勝ち目が薄いということだ。
ワシズとシミズも彩に追随する形で首を縦に振っていた。自身でスキャンし、装備と相談した上で二人も同じ結果に行きついたのだろう。
であれば、まず相手にしない方が良いのは事実である。彼女達の性能でも勝てる見込みが低いというのならば、俺にはもうお手上げも同然。素直に戦わずに回り道をするのが道理だ。
しかし、ここからの回り道は地獄だ。どうしても軍との接触の可能性が高まり、即ち俺達を探しているだろう相手に発見される恐れがある。
「一先ず崖下の街が見えたあの場所まで戻ろう。どんな判断を下すにせよ、準備は絶対に必要だ」
「準備と言いますと――やはり軍にですか?」
「……したくはないが、するしかないんだろうなぁ」
逃げて来たのに、ここにきて接触しなければならなくなった。
勿論隠す必要があるものの、その手の匿名の情報提供は実際の所は匿名でも何でもない。軍が調べようと思えば簡単に調べられてしまうと聞くし、だからこそ安易な情報提供は辿られる危険性がある。
彩がどれだけ逃げる最初の日に誤魔化しを入れてくれたとしても、俺側から接続するような真似をしては本末転倒だ。
秘密裏に接触する別の方法は以前から思考の端にあったが、未だ答えは出ていなかった。
もっとネット回線を運営する会社が個人情報保護に尽力してくれれば良かった。そうであれば軍の命令にも法の力である程度は戦ってくれると思うのだが、今ではそれは叶わない。
「噂を流すか?……いや、それじゃあ難民の思う壺だ」
出所不明の噂を流すという手は、やってしまえば最後だ。
公道付近に潜む難民達がいきなり旗を掲げてデモをしかねない。搾取だ何だと文句を並べ、日本の軍の勢いを落とすに決まっているのだ。そうならない為にも最善の道を選ぶ必要がある。
どうすれば此方の身元が割れないように軍に情報が流せるのか。それを考えつつも、俺達は一度来た道を戻り始める。
先程までは碌に感じる事もなかった大百足の重圧を背に受けて、俺はこの怪物をどうやって暴れさせる前に仕留めるかを考え続けたのだった。
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