第六十話 巣
眠らないまま迎えた朝。
どうしても瞼には眠気が襲い掛かりつつも、早朝の時刻から歩き出した足は止まらない。
味の殆どない乾パンを食べ、時々入っている砂糖の塊を舐めて襲ってくる喉の渇きを回避し、腹を満たした俺は崖下の街を眺める。
早朝から大量の車が行き交うイメージはあったのだが、予想に反して車の数が少ない。
変わりに街そのものの人口は多く、こうして歩きながらも人々声が聞こえ続けている。今はまだ入ってないものの、見掛けだけならば田舎街とは比較にならない程だ。
この街の情報そのものは端末で探せば即座に見つかった。物価も安く、五年前より襲撃は一度も無く、即ちこの街は五年前から修復を必要とせずに成長した場所だ。
怪物の襲撃が一度も無かったというのは、ある意味箔である。襲われる価値が無かったとも言われるが、普通の一般人にとっては襲われない場所の方が有難いものだ。
しかし、罠の線はどうしても抜けない。他の人間が出入りしている姿を見るものの、それが罠を張っている人間のグループかもしれないと思うと下手に入る事は出来ない。
必然的に隠れながら進む事になり、稼げる距離はどうしても短いものとなる。
誰にも見つからないように進む姿は傍から見れば随分と滑稽だろう。普通の道を進めば良いじゃないかと言われるくらい、酷い道も歩いている。
それでも街が見えなくなった辺りから俺達の進む速度は上がり、夜は適当な場所で野宿する事によって当初予定されていた三日の時間で済んだ。だが、時間はそれで済んだとしても着いた場所はやはり問題の山だ。
五人組が発見したという森は二日目から見えるようになった。かなり広大で、横に広がった森は避けるにはかなり難儀するだろう。
追加で二日か三日は歩く必要がある。それが解るだけに此処を突っ切る必要があるのは否めず、三日目に到着した際には全員の武器統一を行った。
今まで渡さなかった手榴弾や発煙筒等をワシズとシミズに渡し、武器も最初からデウス戦を想定した装備になっている。
ワシズとシミズの装備は御揃いだ。本人達はM4系列の武器ですと言っていたが、残念ながら俺にその手の知識は無い。互いに武器のフレームに赤と青の色が一部ずつ付いているのが特徴だろう。
当の本人達は困惑顔の俺に少し落ち込んでいたが、彩の一声で気を取り戻して前を進む。
きっとここで気の利いた台詞を言える奴がモテるんだろうなと感じつつも、何馬鹿な事を考えているんだと意識を切り換えた。
「こいつは……」
「――少なくとも、普通の動物が居るだけではない様子ですね」
一歩目を踏み出してから気付いた。
森から何も聞こえず、そして視界に入っているだけでも大量の木々が倒れている。
特に注目すべきは何も聞こえない事だ。どんな森の中でも最低で鳥の声は聞こえる筈だというのに、まるで森の入り口が何かの境の如く一切聞こえなくなった。
それに動物の鳴き声もまるで聞こえてこない。今時自然はある程度元に戻りつつあれど、巨大な森そのものはまだまだ少ない筈だ。だというのに、遠くの森からはこれまた聞こえてこない。
つまり住んでいないか、何かに怯えて声を出さずに隠れている。正しく、この森は異常そのものだ。
彩に警戒を頼みつつ倒れた木々の場所まで向かう。前方をワシズとシミズがカバーし、後方を彩に任せた形で進んだ木々の調査は――予想よりも酷いイメージを想起させられた。
「倒れている本数は五十から八十の間くらい。しかも大分巨大な穴も開いてやがる。……一体どれくらいの大きさだよ。人間十人分程度じゃ済まねぇぞ」
根から掘り返されたと言わんばかりの無数の木。一ヶ所だけという訳では無いだろうが、そこだけ全ての木々が倒されている。中には強引に折れたとしか考えられない形の木も有り、すぐ傍には想像を絶する広さの穴が開いていた。
縦で言えば人間何人分だろうか。少なく見積もっても二十人か三十人の広さを持つ穴は、しかし底自体は深くはない。
いや、恐らくは此処から出た後に大部分を崩れた土で再度埋められたのだろう。今ならば土も柔らかくなっているかもしれないと思いつつ、そこに突撃しようとまでは考えていない。
確かに大百足であるとは聞いた。しかしそのサイズも精々二mか三mくらいだと思っていたのだ。
それならば此処に居る皆の一斉射で簡単に倒せる。軍が見失ったという言葉も素直に鵜呑みに出来たのだが、実際はそんな生易しい話ではなかったのだ。
「スキャンの結果からこの穴から六㎞地点で巨大な物体の生命反応を検知しました」
「出来ればもっと早くその言葉を聞きたかった……」
「申し訳ありません。私の索敵範囲内に今入って来たところでした」
つまり、そこまで進めば件の百足が居ることになる。
「移動はしていないのか?」
「そうですね。軍に追われていたと考えるに、負傷しているのでしょう。慌てて逃げ、現在は静養中であると予想は立てられます」
もしもそうであればまだ勝てる可能性はある。考えるべきはどれくらいの期間休んでいるのかだ。
既に数週間は経過している。回復速度を考えるに、人間ならば内部は回復がかなり進んでいる筈だ。百足の回復速度がどれくらいかは定かではないものの、最初に比べれば遥かに体調はマシになっていると思った方が良い。
最悪、無理をして移動くらいは出来ている可能性もあるのだ。先ず確実に普通の人間では太刀打ち出来ない以上、この相手は全面的にデウスに任せる形になる。
声量を落としながらの会話でもこの森では嫌になるくらいよく聞こえた。
草木を掻き分ける音が耳に痛くなる程で、この音が百足に届いていたらと考えると冷や汗が止まってくれない。
「ちなみに、今までの中で最大サイズの敵ってどんな奴だった?」
「サイズならば鯨でしょうか。沖縄のワームホールから出現した直後を狙って海上から撃破したのですが、沖縄そのものとほぼ同じサイズでしたね」
「…………まじかよ」
沖縄そのもののサイズは想像出来ないが、あれは複数の島の複合体の筈だ。それと同等となると、少なくとも彼女にとってこの百足は別段驚く程ではないということだ。
この百足が標準サイズではないとは思っているが、それでもこんな奴が当たり前のように存在するのは酷く恐ろしい。同時に、よくそんな相手を打倒出来るものだと改めて彩達デウスに尊敬の念を抱いた。
一体彼女達の戦場はどんな風になっているのか。見たいような、見たくないような、何ともどっち付かずな思いを抱きつつ百足に向かって歩を進めた。
一定の距離に近付く度に彩が残りの距離を告げていく。それがどんどん短くなっていく程に心臓は五月蠅くなっていき――――残り百mの範囲でいよいよその姿を見せることになった。
一言で纏めるならば、黒い山だ。
光沢のある黒に、甲殻類に近い足。首をどれだけ曲げても頂点は見えず、それがそのまま百足の巨体さを見せつけていた。時折痙攣するように足が震え、少し動くだけで僅かな振動が俺の足元を揺らす。
百足と言えば嫌悪感を覚える虫の中でもかなり上位の存在だが、少なくとも見える限りでは嫌悪感を抱かない。
しかし全体を見ればきっと俺は眉を顰めるのだろう。そもそも俺の知っている虫がそのまま大きくなったのならば、嫌悪感を抱かないのは虫関連の学者くらいなものだ。
百足は静かに、とぐろを巻いて森を破壊しながら休んでいる。この百足が活動すれば一体どれだけの被害が起きるのだろうか。
想像するイメージに、本能的な恐怖が湧きあがった。
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