第四十八話 甘えん坊
朝。
大きな事が立て続けに起きた為に溜まっていた疲労は過去最高で、携帯端末は午前九時を指していた。
ずっと起き続けていると思っていたものの、実際に起きていられたのは体感で二時間か三時間程度。勿論その間も彼女の柔肌に緊張を抱いていたのだが、疲労というものは実に都合良く俺の意識を刈り取ってくれた。
しかしながら寝起きの微睡みも合わせ、俺に抱き着いたまま眠っているような姿を見せる彼女が視界に入った所為で早朝から心臓が飛び出し掛けたものである。
結局俺が声を掛けなければ彼女は目を開いてくれなかったし、一度だけ離れる事を彩は拒否した。
それが彼女なりの個性というのであれば可愛いものだと思っていたのだが、現在進行形で彼女は離れる気配を見せない。朝食一つを取っても彼女は俺に缶詰を開けさせず、全部彩が開いた。
満面の笑みでどうぞと差し出す彼女に困惑しながらも感謝の言葉を送れば二割増しで笑みの質を上げ、もう眩しさすら感じる程だ。
挙句の果てには缶詰の鯖をそのまま食べさせようとしてきたので、それだけは丁寧に拒否しておいた。
彼女は残念そうな顔をしていたものの、必要以上に傷付いた気配は見せていない。
どうやら前向きに考えてくれるようになったのだろう。この分であれば今後何かを隠すような真似はせず、素直に相談してくれるかもしれない。勿論どんな奴にも隠し事の一つや二つあって当然だが、少なくとも俺に対しての感情は彼女は素直になった筈だ。
ワシズとシミズは彩の突然の変化に大分困惑していた。双子にはこれが彩の本当の姿なんだとフォローしたが、もしも度が過ぎるようであれば注意をする決意を胸に抱いた。
そんな朝を迎えたからか、朝から俺は若干疲労気味だ。何時もと違う風景に慣れていないだけだと信じたいが、どうにも何時もの彩と違い過ぎて会話の仕方が解らない。
別に無理に会話を重ねる必要は無いのかもしれないが、会話の無い道というのは寂しいものだ。
何とか話のタネを作ろうと思って、俺は出発の直前に彼女が持っていた人間大の袋を目についた。
「そういや、それ何だ?」
「え?……ああ、これですか」
俺の言葉に、彼女は笑みを消して冷たい相貌を表に出す。
その目は袋に向けられ、少なくとも中にある物に良い感情を抱いていないのは解った。
その表情を浮かべたまま、彼女は掴んでいた入り口部分を広げる。中に入っていたのは、元々は人型だったのだろう機械の塊だ。
首から上は殴打によって顔面が拉げ、両手両足は配線によって辛うじて繋がっている状態となっている。
正直このまま彼女が持っていれば振動によって配線は千切れるだろう。反応の一つも無いのは解っていることであるが、一昔前のSF映画の状態は何かしら動きそうに思えて仕方がない。
何だこれはと彼女に顔を向ける。当の本人はその機械の塊に冷徹な眼差しを向けたままで、しかし質問には確り答えてくれた。
「あの時貴方を襲ったデウスです。私達は交換パーツを持っていませんでしたので、丁度良いと回収しました。……本当はこんな奴のパーツを使いたくなどないのですが、背に腹は代えられません」
想像するのは、あの時の甘い笑みを浮かべた男だ。
あんな見るからに人のような姿をしていても、生体パーツの全てを剥ぎ取ればパーツの塊でしかない。
彩やワシズ&シミズも体格の違いはあっても内部は似たような形をしている。つまりこのデウスのように、一度殺されてしまえば同じ様な目に合う可能性があるということだ。
これこそが彼女達の骸なのだ。そう認識してしまうと、背筋に何とも言えない悪寒が走る。
合理的に考えれば、これで彩達の交換パーツが手に入った。お蔭で彩の延命は可能となり、次のパーツを入手する期間を手に入れられたのだ。
しかし個人的に、目の前のそれは不気味だ。
目を逸らしてはならないとはいえ、出来る限り視界に収めたいとは思えない。これが彩達の死体であれば悲しみに暮れるのだろうが、他のデウスでは不気味なだけだ。
眉を寄せてしまった俺に、彩は目敏く口を縛って隠した。
「……すまないな。何となく気味悪く思ってしまった」
「いいんです、中々こんな部分を見ることは無いでしょうから。これはなるべく貴方の視界に入れないようにします」
「いや、そこは気にしなくて良い。今後似たような事が起きる度にお前に気を遣われるのも申し訳ないしな」
「――ありがとうございます」
微笑を向けられ、その柔らかさに以前との違いを感じた。
人間に近付いたというべきか。なんというか柔軟性が出て、女らしさが増した。
以前も無数の男性が寄ってくる美貌を持っていたが、これはその時の美を超えている。俺が思うに、テレビに映っていたアイドルよりも今の彼女は綺麗だ。
贔屓目なのかもしれないが、そうしても良いだろう。誰だって自分や自分の身内が一番可愛い時がある。
俺はそれが彩だっただけ。今の彼女なら天下も取れると胸を張れる笑顔に――だから赤面してしまうのも致し方ないのだ。
片手で顔を隠しながら、青空を見る。
今日も空は綺麗なままで、此方の不安を大いに吹き飛ばす様相を見せていた。
「――行くか」
空を眺めて赤面の状態を解除し、息を吐く。
メンバーは昨日と変わらずこの四人。行先は相も変わらず長野であるも、その道は明らかに想定よりも遅れている。
別に何日程で此処に付けば良いと決めていた訳では無いが、かといって極端に遅れてしまうと俺の備蓄が尽きる。今の彩であれば素直に心配してくるだろうから、今ある食料だけで長野と埼玉の中間にある街まで行かなければならない。
一番簡単なルートは、やはり依然は公道だった道だ。そこを進めば自然と何かしらの街に辿り着き、補給を済ませることが出来る。今回であれば中間の街がそうだ。
しかし、そういった街は軍もまた通る。大概は空からの急行であるも、道に何の封鎖も無ければ陸から急行する事も当たり前だが存在していた。
その場所に俺達が通れば怪しまれるのは必然。チェックされれば、よっぽど急いでいない限り難民扱いとして専用の施設に送られるだろう。――――難民が送られる施設なんて、大概の場合強制労働の地獄だ。
「これからのルートなんだが、公道を通るのは止めようと思う」
「賛成です。軍が一番通るルートでもありますし、私の軍時代でも公道付近には無数の難民が住んでいます」
「無数の難民?」
「はい。その目的の大部分は、輸送用トラック内の物資です。トラックの運転手の中には難民を哀れに思って物資の一部を分け与えようとする者が居るのですが、当然その一部では難民全員の飢えを満たせません。その為、停車したトラックに対して襲撃を掛けて物資を奪うのです」
「それじゃあトラック自体はもうそこを?」
「いいえ、やはり食料の賞味期限の所為でそこを通ざるを得ません。今は一部隊を護衛に付けるかPMCに依頼する形で運送を続けているようですが、難民はそこをすり抜けようと奮闘していました」
折角の恩を仇にする。そんな真似をする難民は街で生活する者にとっては害悪そのものだ。
本来ならば処理されてもおかしくはないのだが、やはり世の中には風評がある。その風評によって軍が責められる結果になれば、最悪北海道への遠征が延期になりかねない。
軍としては目の上の瘤的な存在なのだろう。物資にも限りがある為、やはり今は必死に耐えてもらうしかない。
彼女の話は過去のものだ。今はどれだけ苦しんでいるのか定かではないものの、やはり迂闊にそこを通るのを止めて正解だった。
これに加えて、例の揉み消された件もある。埼玉に入ってから大変な事態になったのだが、これより先はもっと大変な目に合うのだろう。
非常に陰鬱になるが、しかし俺の傍には頼りになる仲間が居る。この子達と一緒であれば負ける事は無いとポジティブに考え、俺達は歩を進めた。
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